2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

三好耕三「On the Road Again」

会期:2017/09/05~2017/10/28

PGI[東京都]

展覧会のリーフレットに、三好耕三が「ロード・トリップはメディテーション」と書いている。たしかにアメリカのような、行けども行けども同じような風景が続く道を車で走っていると、次第に頭がボーッとしてきて瞑想的な気分になってくる。しかも、写真家の旅にはこれといった特定の目標はない。いい被写体に出会えればラッキーだが、まったく写真が撮れない日もあるのではないだろうか。そんな「ロード・トリップ」を三好は1970年代から40年以上にわたって続けてきた。むろん楽しみもあるだろうが、やはりどこか「修行」の趣もないわけではない。
それでも長年続けているうちに、三好の撮影旅行のあり方も少しずつ変わりつつある。同じリーフレットに「以前の旅では目的地は副産物だった。近頃は副産物としてではなく、目的を果たすようになって来た」と書いている。今回のPGIでの個展は、以前のようにひたすら「ロード」の写真が並ぶだけでなく、看板、カウボーイハットのショーウインドー、道路脇のカフェの内部なども撮影している。視線の向け方に余裕ができ、画像にもふくらみが感じられる。1999年に刊行された写真集『IN THE ROAD』(Nazraeli Press)の生真面目な写真群と比較すると、その変化がよくわかるだろう。近作は8×10インチの大判カメラでの撮影であるにもかかわらず、どこかスナップショット的な雰囲気すら漂わせているのだ。とはいえ、三好の最近の常用カメラは、8×10よりひと回り大きい16×20インチ判だから、余裕を感じるのは当然かもしれない。
このシリーズはまだ枝分かれしつつ広がっていきそうでもある。「Again and Again and Again. 今日があるのは今日だけだ」。三好の「ロード・トリップ」はさらに続く。

2017/09/22(金)(飯沢耕太郎)

進藤環「仙人のいる島」

会期:2017/09/16~2017/10/14

ギャラリー・アートアンリミテッド[東京都]

進藤環はこれまで自作の写真を切り貼りしてコラージュし、架空の風景を組み上げていく作品を発表してきた。ところが、今回東京・六本木のギャラリー・アートアンリミテッドで開催された新作展では、展示されたほとんどの作品が「ストレート写真」だった。コラージュの手法を用いた2点も、ほとんど操作の跡は見えない。
作品のスタイルが変わったのは、おそらく今回のテーマ設定によるところが大きいのではないだろうか。進藤は3年ほど前に岡山県笠岡市の北木島を訪れ、周囲から「仙人」と呼ばれる不思議な老人に出会う。そのたたずまいに惹かれて、島を再訪して彼のポートレートだけでなく、住居や周囲の風景を撮影した。主題となる被写体が限定的である場合、コラージュによって再構築する必然性はなくなる。実際、今回のシリーズでは、「ストレート写真」が違和感なく目に飛び込んできた。モノクローム中心の緻密な画面構成、丁寧なプリントも、テーマにふさわしいものになっていた。3年前に、九州産業大学芸術学部写真、映像メディア学科の講師として福岡に移り住み、制作の環境が大きく変わったことも、作風の変化に影響しているのではないかと思う。
ただ、このまま全面的に「ストレート写真」に移行する必要もないだろう。次に何を撮影するかで、コラージュの手法が再び復活することがあるかもしれない。よりフレキシブルに、新たな領域にチャレンジしていってほしいものだ。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

野口里佳「海底」

会期:2017/09/09~2017/10/07

タカ・イシイギャラリー 東京[東京都]

昨年、12年間在住したベルリンから、沖縄に移って制作活動を再開した野口里佳の新作展である。水中で撮影された「海底」のシリーズを見て、野口が1996年に第5回写真新世紀展でグランプリを受賞した「潜ル人」を思い出した。潜水夫をテーマとするこの作品で、彼女は重力のくびきから離れた「異世界」の光景を出現させたのだが、その初心が今回のシリーズにもずっと継続していることが興味深い。野口にとって、写真とは現実世界のあり方を変換させる装置であり続けてきたということだ。太陽の届かない「海底」をライトで照らしながら作業するダイバーの姿は、あたかも宇宙人のようであり、その変換の振幅は相当大きなものになっていた。
ところが、同じ会場に展示されていた2枚組の「Cucumber」や「Mallorca」では、その変換の幅はかなり小さい。「Cucumber」では「21 August 2017」と「22 August 2017」、つまり1日のあいだに伸びたキュウリの蔓を撮影しており、「Mallorca」では海面の微妙な光の変化を捉えている。それでも、2枚の写真のわずかな違いに、野口が奇跡的な「不思議な力」を見出していることがはっきりと伝わってくる。宇宙大の遥かな距離から、日常の微妙な差異まで、彼女の写真の世界は、マクロコスモスとミクロコスモスのあいだを往還する自由さを手に入れつつある。沖縄での次の成果がとても楽しみだ。

Noguchi Rika“At the Bottom of the Sea #3”, 2017 C-print 90 x 135 cm
© Noguchi Rika

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

黑田菜月「わたしの腕を掴む人」

会期:2017/09/20~2017/09/26

銀座ニコンサロン[東京都]

黑田菜月は1988年、神奈川県生まれ。2001年に中央大学総合政策部を卒業後、写真家としての活動を開始し、2012年に第8回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した。そのころの彼女の写真は、自分の周囲に潜む「けはい」を繊細な感覚でキャッチした、センスのいい日常スナップだったが、まだひ弱さも感じさせた。だが、その後順調にキャリアを伸ばし、確信を持って自分のスタイルを打ち出していくことができるようになってきている。
今回の「わたしの腕を掴む人」は、中国の北京と上海で老人施設を取材した写真群をまとめたものだ。大きく引き伸ばされた老人たちのポートレートが中心だが、室内の情景、庭などの写真もある。認知症を含む老いの進行を注意深く観察し、撮影しているのだが、それをこれ見よがしに露呈していくような姿勢は注意深く回避され、全体的に受容的な眼差しが貫かれている。注目すべきなのは、むしろ写真と写真の間に置かれたテキストだろう。そこに記された内容も、直接的に彼らの状況を指し示すものではない。電車の中で何度も「富士山が見える」と話しかけてくる老女、「船が迎えに来た」と言って息を引き取った老人、日本に来て介護を学んでいる中国人との対話などが、淡々と綴られている。それらの言葉と写真との間合いが絶妙であり、観客を自問自答に誘うようにしっかりと組み上げられていた。
妄想と現実とのあいだを行き来するような構造を、写真とテキストでどのようにつくり上げていくかは、今後も 黑田の大きな課題になっていくのではないだろうか。次作も大いに期待できそうだ。なお、本展は10月19日~10月25日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

野村佐紀子「愛について あてのない旅 佇む光」

会期:2017/09/09~2017/10/22

九州産業大学美術館[福岡県]

九州産業大学美術館が企画する「卒業生─プロの世界」の第7回目として、野村佐紀子の個展が開催された。1967年、山口県下関市出身の野村は、1990年に九州産業大学芸術学部写真学科卒業後、荒木経惟に師事し、1993年ごろから写真家としての個人活動を開始する。1994年に最初の写真集『裸の部屋』を自費出版で刊行。以後20冊近い写真集を出版し、数々の展覧会を開催してきた。本展では、その野村の20年以上にわたる写真家としての軌跡を、約170点の作品で辿っている。
展示は3部構成だが、第2部の「あてのない旅」は8点のみの「間奏曲」とでもいうべきパートであり、その大部分は第1部の「愛について」と第3部の「佇む光」で占められている。基本的には既刊の写真集の流れに沿って過去の作品を見せる「愛について」と、「2013年以降の新作」を展示した「佇む光」ということになるが、作風的にそれほど大きな違いがあるようには見えない。闇の粒子を身に纏ったような男性の裸体写真を中心に、ごく近い距離感で撮られた室内の光景が配置されている。カメラが外に出る時にも、視覚よりも触感を強く感じさせる被写体の捉え方は共通している。近年はモノクロームだけでなく、カラー写真も多くなってきたが、それでも画面の質感にほとんど変わりがない。老人施設で撮影された異色のポートレートのシリーズ『TAMANO』(リブロアルテ、2014)や、珍しく女性のイメージを中心に構成された『Ango』(bookshop M、2017)などが外されているということもあるが、どちらかといえば野村の作品世界の均質性、一貫性が強調されていた。それほど大きな会場ではないので、その狙いは的を射ている。だが、次はもう少し大きな会場で、より広がりのある構成の展示を見てみたいとも思った。

2017/09/16(土)(飯沢耕太郎)

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