artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

バスコンセロス図書館、テオティワカン、ルフィーノ・タマヨ美術館、近代美術館

メキシコシティおよび近郊のポイントを手っ取り早く回るため、観光ツアーに乗る。まずは市の中心のメトロポリタン・カテドラル近辺の古代遺跡を見学。メキシコシティはかつてアステカの首都だったテノチティトランの廃墟の上に築かれた街なのだ。その周辺の古い建物が波打つように歪んでいるのは、テノチティトランが湖上に築かれた街で、スペイン人が湖を埋め立てた上に現在の都市をつくったため建物の自重で沈下しているのだという。

シティの北西部ブエナビスタ地区にあるバスコンセロス図書館へ。ここは見たかったポイントのひとつ。アルベルト・カラチの設計で2006年に開館したこの図書館は、日本でしばしば「空中図書館」と紹介されるように、壁がほとんどなく、梁や柱は鉄骨、床は擦りガラス、地下1階、地上3階の中央が吹き抜けで、上階に行くほど床と書棚が張り出してくるという構造なのだ。だから何十万冊もの本が向こうまで見通せ、全体が宙に浮いているような印象を受ける。その吹き抜けには鯨の骨格剥製が浮いているが、これはガブリエル・オロスコの作品。



バスコンセロス図書館 [筆者撮影]


残念なのは利用者がほとんどおらず、閑散としていること。聞くところによると、ここはメキシコでいちばん利用者の多い図書館らしいが、クリスマス休暇に入ったせいだろうか。そういえば街に本屋も少なく、メキシコ人はあまり本を読まないのかもしれない。そもそも館名になったホセ・バスコンセロスは、20世紀初めに文部大臣を務めた思想家で、1920年代のメキシコ革命の際に識字率を上げるため、図書館を整備し出版業を促進した。ほかにも芸術活動の支援にも力を入れ、そのひとつが壁画運動だったという。字を読めない人のために、壁画で自国の歴史や革命の意義を伝えようとしたのだ。メキシコ壁画運動というと、ホセ・クレメンテ・オロスコ、ディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロスの3巨匠が知られるが、彼らに場所(公共の壁)を提供したバスコンセロスがいなければ、壁画運動はどこまで実現したかわからない。

さらに北西へ車を1時間ほど走らせると、テオティワカンに到着。ここは巨大な遺跡で、南北5キロにわたり「死者の大通り」が貫き、その途中に太陽のピラミッド、突き当たりに月のピラミッドがそびえ立つ。不思議なのは、エジプトとはなんの交流もなかったはずなのに、紀元前後に天体観測に基づいて似たような巨大ピラミッドを築いたこと。文明・文化のシンクロニシティ(共時性)というほかない。異なるのはエジプトのピラミッドが綺麗な四角錐をなすのに対し、メキシコのそれは上が切り取られた台形(四角錐台)をしていること。この天辺の平らな場所には木造の神殿が建てられていたのではないかともいわれている。なるほど、植物素材の構築物だったら朽ちて残らないからな。同様に建造物の表面は赤く彩色されていたそうだが、現在ではほとんどその面影がない。もっとも現在の姿は後代に復元したもので、オリジナルは下層部にわずかに残るだけだという。



テオティワカン 太陽のピラミッド [筆者撮影]



テオティワカンの壁画 [筆者撮影]


シティに戻って、チャプルテペック公園内のルフィーノ・タマヨ美術館と近代美術館へ。タマヨ美術館はタマヨの作品を常設展示してるのかと思ったら、現代美術の企画展2本をやっていた。そのうち、世界各地で同じ曲を演奏してマルチスクリーンでシンクロさせるというラグナル・キャルタンソンの映像インスタレーションは、2017年のヨコハマトリエンナーレでも紹介されていた。展示室で5〜6人の男性に同じ曲を延々と演奏させていたり、おもしろいアーティストだ。そこから歩いて数分の近代美術館へ。フリーダ・カーロの代表作《2人のフリーダ》もあったが、閉館30分前だったので慌ただしく館内を一周して終わり。現代美術の振興に力を入れていることは伝わってきた。



ルフィーノ・タマヨ美術館 ラグナル・キャルタンソンの作品 [筆者撮影]


バスコンセロス図書館(Biblioteca Vasconcelos):https://bibliotecavasconcelos.gob.mx/
ルフィーノ・タマヨ美術館(Museo Tamayo):https://www.museotamayo.org/
近代美術館(Museo de Arte Modern):https://mam.inba.gob.mx/

2023/12/20(水)(村田真)

国立人類学博物館、フメックス美術館、ソウマヤ美術館

[メキシコ、メキシコシティ]

久しぶりぶりの海外旅行は初訪問のメキシコと、ついでに32年ぶりに寄るロサンゼルス(LA)。なぜメキシコかというと、まだ行ったことがなくて死ぬまでに訪れたい国のひとつだから。特に息子がメキシコを舞台にしたピクサーのアニメ「リメンバー・ミー」を見て気に入っていたし、ぼくも壁画運動に関心をもっていたし。今回は取材でも視察でもなく私的な家族旅行なので、見る場所も時間も限られていたためあまり深堀りはしていない。まあいつものことだが。

LA経由でメキシコシティに到着し、翌朝さっそく訪れたのが国立人類学博物館。噴水のある広い中庭を20を超す展示室が囲むメキシコ最大のミュージアムで、スペインに征服される16世紀以前の古代文明の遺物の多くが収められているという。ところが、入館しても館内マップがないので途方に暮れる。最近は紙ではなくネットで調べろということなのか。後でわかったことだが、メキシコのミュージアムはおおむねマップや展示情報などの紙媒体を用意していないのだ。仕方なく、片っ端から展示室を見ていく。

紀元前1200年ごろからメキシコ湾岸に興った、巨大な頭部だけの石像で知られるオルメカ文明をはじめ、現在のメキシコシティ近郊に栄えたテオティワカン文明、紀元前後にメキシコ南東部で盛衰を繰り返したマヤ文明、そして15世紀に中央高地で繁栄し、16世紀にはスペインに滅ぼされたアステカ文明などの石像、レリーフ、工芸品がうんざりするほど並んでいる。興味深いのは、これらの文明が時期的にも場所的にもあまり重なっておらず、線的に連続していないこと。その割に建築も彫刻も大雑把に見れば似たり寄ったりだし、モチーフもケツァルコアトルという鳥をはじめ、ジャガー、ヘビ、頭蓋骨とほぼ共通しているので、やはり文化的にはつながっていたのだろう。現在日本を巡回中の「古代メキシコ」展にもここから多くのコレクションが貸し出されているが、そんなことは微塵も感じさせないほど充実した展示だった。



国立人類学博物館中庭 [筆者撮影]



国立人類学博物館展示風景 [筆者撮影]


Uberで高級住宅地のヌエボポランコにあるフメックス美術館へ。ここは食品会社を経営する実業家が集めた現代美術コレクションを公開する私設の美術館で、ギザギザ屋根の建物はデイヴィッド・チッパーフィールドの設計。欧米の現代美術を中心に、3分の1くらいはメキシコのアーティストの作品を混ぜている。前庭には人工的に滝が流れているが、これはオラファー・エリアソンのインスタレーション。



フメックス美術館 手前はオラファー・エリアソンの作品 [筆者撮影]


その隣にはなんと形容したらいいのか、中央がすぼんだ銀色のスツールか金床みたいな建築が建っていて、これがソウマヤ美術館。実業家カルロス・スリムのコレクションを公開するために建てられたもので、ソウマヤとはカルロスの亡き妻の名前だそうだ。設計はメキシコの建築家フェルナンド・ロメロ。その外観とは裏腹に、展示は植民地時代から近代までのメキシコ美術および近世・近代のヨーロッパ美術と、オーソドックスな品揃えだ。両館とも裕福な実業家のコレクションを公開するもので、どちらも入場無料というのがありがたい。



ソウマヤ美術館 [筆者撮影]



ソウマヤ美術館 展示室 [筆者撮影]


国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropología):https://www.mna.inah.gob.mx/
フメックス美術館(Museo Jumex):https://www.fundacionjumex.org/en
ソウマヤ美術館(Museo Soumaya):http://www.museosoumaya.org/

2023/12/19(火)(村田真)

「Ground Zero」展

会期:2023/11/11~2023/12/10

京都芸術センター[京都府]

京都芸術センターのCo-program2023として採択された「Ground Zero」展は、マヤ・エリン・マスダが企画し、アートと建築の分野から国内外5人の作家が、アメリカ、ドイツ、福島などの原子炉をリサーチしながら、グラウンド・ゼロの現在地を探る骨太の企画だった。また毎週開催されるトークイベントでは、拙著『増補版 戦争と建築』(晶文社、2022)も参照されたということで、筆者も参加し、フォレンジック・アーキテクチャーのような調査型の現代アートの手法と課題について討議した。ちなみに、マスダを含む3名の参加者は、クマ財団を通じて知り合ったという。以下にそれぞれの作品を紹介したい。

建築や映像を通じて表現を行なう成定由香沙は、原爆を開発したマンハッタン・プロジェクトの実験都市のコクーン化された原子炉の外形を各地に転送し、その内部をデュシャン的な劇場としながら、不可視性をあぶり出す。せんだいデザインリーグ2021で日本二になった作品「香港逆移植 映画的手法による香港集団的記憶の保存」(香港をイギリスや中国に移植するパビオリンを提案)を想起させる大胆な計画である。山縣瑠衣は、衛星画像から「landsc(r)ape」的な大地の引っ掻き傷を探査し、水平の透視図法ではなく、完全垂直の視線による現代の風景「絵画」を描く。ゆえに、作品は壁掛けでなく、見上げるか、見下ろすかという鑑賞を要請する。設定された画素の解像度により、政治や軍事的な状況(機密、監視、空爆)もにじみ出る。成定と山縣は、いずれも表象の限界に挑戦する作品だろう。


成定由香沙による作品


山縣瑠衣による作品


山縣瑠衣による作品


イーデン・ソンヨン・キムは、カールスルーエの機能停止した旧原子炉と廃棄物所蔵施設の断片を撮影しつつ、冷戦下の核をめぐるさまざまなアーカイブを調査し、あえてアナログなブラウン管、アンプ、混乱したケーブルを使う映像のインスタレーションを設置した。これは政治と研究と芸術を架橋する試みである。キュレーションも担当したマヤ・エリン・マスダは、原発事故の後、被曝圏内の動物が屠殺されたことを受け、原子力がもたらすジオ・トラウマを想起させる、循環するミルク、蝕まれる植物、ただれた人工皮膚によって機械仕掛けのインスタレーションを展示した。また放射線がもたらす遺伝子変異、効果の遅延、皮膜に対して焦点を当てているのも興味深い。そしてビビアン・セレステ・リーの作品は、ロシアの凍死事件と福島の冷却失敗によるメルトダウンをつなぐ、アートならではの跳躍を試みるインスタレーションだった。空間を振動させる音響と凶器のような氷彫刻も導入し、南北二つのギャラリーを接続している。


イーデン・ソンヨン・キムによる作品


マヤ・エリン・マスダによる作品


ビビアン・セレステ・リーによる作品


ところで、同時期に京都芸術センターで開催された吉野正哲(マイアミ)「Cultural Canal Curriculum 〜文化の運河、あるいは河童曼荼羅〜」は、明倫小(会場はもともと小学校だった)の卒業生、松田道雄を掘り起こしつつ、舞台作品的な講演と朗読のワークショップによって新しい教育を試みる展示だった。吉野こと、マイアミとは高山建築学校で20年以上前に初めて会ったが、そこからの展開と学びで、イタリアなどオルタナティブな教育をテーマとし、大量の本を陳列する転用什器による調査型のインスタレーションになったという。


吉野正哲(マイアミ)「Cultural Canal Curriculum 〜文化の運河、あるいは河童曼荼羅〜」リサーチ成果発表会 展示風景



「Ground Zero」展:https://www.kac.or.jp/events/34621/
吉野正哲(マイアミ)「Cultural Canal Curriculum 〜文化の運河、あるいは河童曼荼羅〜」リサーチ成果発表会:https://www.kac.or.jp/events/34437/

2023/11/18(土)(五十嵐太郎)

アニッシュ・カプーア in 松川ボックス/オペラ『シモン・ボッカネグラ』/アニッシュ・カプーア_奪われた自由への眼差し_監視社会の未来

会期:2023/09/20〜2024/03/29
THE MIRROR[東京都]

会期:2023/11/15〜2023/11/26
新国立劇場[東京都]

会期:2023/11/23〜2024/01/28
GYRE GALLERY[東京都]


以前、筆者が監修した「戦後日本住宅伝説」展(2014)の調査で伺ったことがあった、宮脇檀の設計による住宅《松川ボックス》(1971)を再び訪れた。秋から清水敏男がディレクターを務めるアートギャラリー「THE MIRROR」として、内部が一般公開されたからである。コンクリートの箱の内部に木造のインテリアが挿入された入れ子状の建築は、変わらず心地よい居場所だったが、アニッシュ・カプーア展が開催されており、あまり見たことがなかった彼の激しく赤色が塗られた絵画作品は、空間を異化させるものだった。畳の上に置かれた鏡面状のオブジェも、ギャップが興味深い。この会場にヴェルディのあまり有名ではないオペラ『シモン・ボッカネグラ』(新国立劇場)が置かれていたのは、カプーアがその舞台美術を担当しているからだ。そして空間演出の予告編のように、この《松川ボックス》での展覧会を振り返ることもできる。


「アニッシュ・カプーア in 松川ボックス」展示風景


「アニッシュ・カプーア in 松川ボックス」展示風景


『シモン・ボッカネグラ』は、男ばかりが登場し、政争が軸になるというオペラには珍しい物語である。もっとも、鍵となる女性=アメーリアがひとり存在するので、逆に紅一点のソプラノも目立つ。そして主人公は、かつて政敵からひどい仕打ちを受けていたのだが、25年後に今度は逆の立場を経験する。さて、カプーアの美術は意外な起用だと思われるかもしれないが、すでにロンドンで上演された『トリスタンとイゾルデ』(2016)を彼は担当しており、今回のオペラが初めてではない。また演出のピエール・オーディは、彼と『ペレアスとメリザンド』や『パルジファル』でコラボレーションを経験しており、その特徴をよく知ったうえで依頼している。プロダクション・ノートによれば、ヴェルディのこの作品(「ボッカネグラ」は人名だが、直訳すると「黒い口」という意味)は、カプーアの抽象的かつ象徴的な表現に耐えるものだと考えたようだ。そしてオーディは、孤独と死がつきまとう主人公の人生を、エトナ山の近郊に住み、最後に火口に身投げした古代ギリシアの哲学者エンペドクレスに重ね合わせるという発想をカプーアに提示したという。

美術や衣装においてもっとも強烈な印象を与えるのは、赤・黒・白の3色だろう。赤と白は、物語の舞台となるジェノヴァの国旗、すなわち白地に赤い十字にちなむ。また黒は主人公の名前に含まれた色彩である。プロローグは、天井に届かんとする、おそらく10メートル以上の高さをもつ、赤と白の直角三角形のパネルが背景を構成していた。これらは港町ジェノヴァの船の帆を想起させるだろう。とりわけ異様なのは、第1幕から最後の第3幕まで、歌手たちの頭上にずっと存在している逆さの火山であり、その巨大さやぽっかりと穴が空いた火口、あるいは下降する運動によって、空間に緊張感をもたらしている。また幕間に現われる赤いイメージの不穏な背景幕は、《松川ボックス》で展示された絵画を想起させるだろう。そして最後は床面に溶岩のようなオブジェが広がり、吊られた火山が上昇すると、背後に巨大な黒い太陽が出現する。

かくして、絶えず舞台美術が凄まじい存在感を放っていた。初演(1881)のセットプランを見ると、総督宮殿の大会議室が細かい装飾とともにつくられていたが、今回はそうした具象的な表現とはまったく違う、カプーアの世界も巨大なスケールで楽しめるオペラになっている。


「アニッシュ・カプーア_奪われた自由への眼差し_監視社会の未来」展示風景


オペラを鑑賞した後、カプーアの個展「奪われた自由への眼差し_監視社会の未来」が始まったと聞いて、GYRE GALLERYに足を運んだ。壮大なオペラの舞台とは違い、小さい空間だが、そのサイズを生かしながら、『シモン・ボッカネグラ』の美術と共通するイメージの絵画や、どろどろした赤いインスタレーションを散りばめている。劇場では不可能だが、ギャラリーだと近距離で作品を鑑賞できることが嬉しい。またエスカレーターの吹き抜けにも、彼の作品が吊られていた。

ただし、ギャラリーで設定された主題は、監視社会と情動である。前者における現代社会の「ビックブラザー」(『1984』)から『シモン・ボッカネグラ』への補助線を引くのは難しいが、人間存在そのものに潜むカオティックな情動は、普遍的なテーマでもあり、オペラともなじむだろう。ダイナミックに舞台で展開されたカプーアの作品と、この展覧会を切り離して考えるのには、あまりに両者のイメージは似ている。


「アニッシュ・カプーア_奪われた自由への眼差し_監視社会の未来」展示風景



アニッシュ・カプーア in 松川ボックス:https://coubic.com/themirror/4453019/
オペラ『シモン・ボッカネグラ』:https://www.nntt.jac.go.jp/opera/simonboccanegra/
アニッシュ・カプーア_奪われた自由への眼差し_監視社会の未来:https://gyre-omotesando.com/artandgallery/anish-kapoor/

2023/11/06(月)、23(木)(五十嵐太郎)

東京近郊の展覧会(会場構成、インスタレーションの側面から)

[東京都]

10月から11月にかけて、建築家による注目すべき会場構成やインスタレーションが重なった。

西澤徹夫の「偶然は用意のあるところに」展(TOTOギャラリー・間)では、彼が数多く手がける美術展の会場構成のうちのいくつかも紹介されていた。筆者はそれらをすべて訪れていたので、もう存在しない空間を思い出しながら、上から鑑賞する不思議な体験だった。また既存のモノに手を加えるプロジェクト(京セラ美術館の増改築や一連の会場構成)や共同設計(八戸美術館)が多いことに加え、建築家の個展としては希有なことに、現代アート作品(曽根裕など)も同じ空間に展示されるなど、さまざまなレベルで他者が介入している。そして二つずつ作品を並べる分類の方法と類似したキャプションの文章も興味深い。ギャラリー・間は、必ずキュレーターが存在する美術展とは違い、建築家がセルフ・キュレーションを行ない展示をつくり上げるという独自の文化をもつが、ここまで第三者のような手つきで自作を再構成した展覧会は初めてである。


「西澤徹夫 偶然は用意のあるところに」展示風景(TOTOギャラリー・間、上階)


「西澤徹夫 偶然は用意のあるところに」展示風景(TOTOギャラリー・間、下階)


これと同時期に近くで開催されていた「Material, or 」展(21_21 DESIGN SIGHT)は、もっとハイテク系の素材が多いかと思いきや、自然の教えにインスパイアされたような内容が多い。安藤忠雄の個性的な空間に対し、別の建築を重ねたような中村竜治の会場構成が印象的だった。おそらく、展示物のほとんどが床置きになることを踏まえ(実際、壁や台はほとんど使われていない)、既存の高い天井を感じさせないよう、低い壁を走らせたのではないか。


中村竜治が会場構成を手掛けた「Material, or 」展示風景(21_21 DESIGN SIGHT)


「第八次椿会 ツバキカイ 8 このあたらしい世界 “ただ、いま、ここ”」(資生堂ギャラリー)でも、空間に対して、中村は奇妙な介入を試みている。会場に入って何か違和感があると思ったら、彼が作品として制作した2本の柱が増えていた。筆者が企画した「ほそくて、ふくらんだ柱の群れ」展(OPEN FIELD)でも、中村は円柱をテーマとしていたが、資生堂ギャラリーでは、いわば展示空間を偽装する角柱であり、きわめて不穏である。ほかにも杉戸洋や目[mé]の作品は、空間の使い方がユニークだった。


「第八次椿会」展示風景(資生堂ギャラリー)


アートウィーク東京では、山田紗子による二つの空間構成を楽しむことができた。保坂健二朗のキュレーションによる「平衡世界 日本のアート、戦後から今日まで」展(大倉集古館)は、12のテーマによって日本の戦後美術を紹介するものだが、伊東忠太の強いクセがある空間に対し、いかに現代アートを馴染ませるかが課題となる。そこで山田は、装飾的な肘木や円柱に呼応するように丸みを帯びた造形の白い什器を設計していた。


山田紗子が空間設計を手掛けた「平衡世界」展示風景(大倉集古館)


彼女のもうひとつのプロジェクトは、大倉集古館とまったく違うデザインの「AWT BAR」である。ホワイトキューブにおいて、直径13ミリメートルの細いスチールバーが縦横無尽に踊る線となって出現していた。抽象的なインスタレーションのようだが、小さいホルダーによってアーティストが提案したオリジナル・カクテルが宙に浮く。


同じく山田による空間設計の「AWT BAR」


中村や西澤の師匠でもある青木淳の退任記念展「雲と息つぎ ─テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編─」(東京藝術大学大学美術館陳列館)は、青木の自作は一切展示されていない。大学の研究室メンバーや中村らも参加し、建築家として会場となった岡田信一郎の設計による陳列館(1929)を丁寧に読み込み、建築家としてそれといかに向き合うかという態度が示されたインスタレーションである。それゆえ、改めて陳列館そのものをじっくりと観察する機会になった。


「雲と息つぎ」展示風景(東京藝術大学大学美術館陳列館)


ちなみに、「仮設的なリノベーション」は、筆者が芸術監督を務めたあいちトリエンナーレ2013における名古屋市美術館で彼に依頼したテーマでもある。新築をつくるだけが建築家の仕事ではない。ここで取り上げた展覧会は、既存の空間に対して介入することも、高度に建築的なデザインになりうることを示唆するだろう。


西澤徹夫 偶然は用意のあるところに:https://jp.toto.com/gallerma/ex230914/index.htm
Material, or :https://www.2121designsight.jp/program/material/
第八次椿会 ツバキカイ 8 このあたらしい世界 “ただ、いま、ここ”:https://gallery.shiseido.com/jp/tsubaki-kai/
平衡世界 日本のアート、戦後から今日まで(アートウィーク東京):https://www.artweektokyo.com/focus/
AWT BAR(アートウィーク東京):https://www.artweektokyo.com/bar/
青木淳退任記念展 雲と息つぎ ─テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編─:https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2023/11/clouds-and-breaths.html

2023/10/27(金)〜11/30(木)(五十嵐太郎)

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