2018年06月15日号
次回7月2日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

名古屋城 本丸御殿

[愛知県]

名古屋城にて、6月に全体を一般公開する本丸御殿を見学した。名古屋城は、1945年まで天守も本丸御殿も残っていたが、空襲によって焼失し、戦後に天守を鉄筋コンクリート造で復元し(1959年に完成)、本丸御殿は木造で復元している。数年前に表書院までが一部公開されたときに訪れて以来だが、今回は取材のため、工事中の上洛殿も足を踏み入れることができた。ここは将軍を迎えるために増築された一番奥のエリアであり、欄間の彫刻、折上格天井の装飾など、もっとも豪華絢爛な空間をもつ。なお、本丸御殿は近代を迎えると、陸軍、宮内省、名古屋市と管轄が変遷しているが、焼失前に調査が行なわれたおかげで、実測図面、野帳、写真などの資料が数多く残されていたこと、また江戸時代にあまり使われなかったことで保存状態が良かったことや、戦時下に障壁画を外して避難させていたことによって、精度が高い復元が可能だったことは特筆に値する。

本丸御殿では、近世書院造という一定の型を反復しながら、奥性や雁行の配置、床と天井の高さや仕上げによる空間の差異を演出している。すなわち、垂直方向の空間表現が強い西洋建築とは違い、平屋のなかで展開する日本的な空間の格式の表現が行なわれている。これは接客の儀礼を重んじる武家の慣習が、空間デザインに結実したものだ。したがって、部屋ごとに同じ部位がどのような違いをもっているかを注目すると興味深い。障子からの明かりや、なまめかしく照り返す金箔など、昔の光の感覚もうかがえる。同じ近世の書院造という点では、寛永期の状態に復元した本丸御殿を、明治以降も豪華な装飾を加えた二条城の二の丸御殿と比較できるだろう。本丸御殿は遺構の礎石が残る敷地に、大規模な木造建築を復元した大変な工事だが、次は天守も木造で復元する日本初のプロジェクトに取り組む予定だ。都市のシンボルである城にかける名古屋の気合いの入れ方は半端ではない。


天守

表書院 一之間から上段之間を見る

左=玄関 一之間、《竹林豹虎図》、右=対面所 上段之間

2018/03/02(金)(五十嵐太郎)

BankARTスクール2018 2月-3月期 横浜建築家列伝vol.4 五十嵐太郎+磯達雄

会期:2018/02/12、02/26

BankART Studio NYK[神奈川県]

筆者が建築ジャーナリストの磯達雄と担当するBankARTスクールの横浜建築家列伝のシリーズ、第4弾が行なわれた。2月12日は坂倉建築研究所の萬代恭博を招き、お話しいただく。1960年代に建設された神奈川県庁の新庁舎の免震による増改築プロジェクト(場所を移転し、高層ビルを新しく建てる横浜市庁舎とは対照的)、シルクセンター、ポストモダンの時代を反映し、装飾的な記号を導入した人形の家や山下公園再整備など、横浜の作品をひもときながら、同時代の渋谷や新宿のプロジェクトが紹介された。改めて坂倉準三は、日本では珍しく単体としての建築を終わらせず、都市デザインを展開しようと考えていた建築家だということがよくわかる。また興味深いのは、かといって丹下健三とは違い、家具レベルのヒューマン・スケールも同時に設計したり、鉄道会社や百貨店など、民間の事業に取り組んでいたことだ。

2月26日は、tomato architecture(冨永美保+伊藤孝仁)をゲストに迎えた。富永はまだ20代だから、シリーズでは最年少だろう。《CASACO》ほか、東ヶ丘のまちにおける一連の仕事や真鶴の改修など、せざるをえないリノベーションの世代である。《CASACO》は筆者が企画した「3.11以後の建築」展の「住まいをひらく」のセクションに入るようなプロジェクトであり、この展示を契機に着想した「リレーショナル・アーキテクチャー」の概念にどんぴしゃの活動を行なう。実際、彼女が東京藝術大学の助手を務めたときの被災地の雄勝町でのヒアリングが影響したらしい。冨永が学部3年次に企画した建築女子展で初めて知り、その後、2011年にせんだいデザインリーグで審査を担当したときに日本一に選ばれたが、味のあるドローイングは変わらない。伊藤孝仁は筆者がお題を決めたTEPCOインターカレッジデザイン選手権のコンペで2度優秀賞を獲得していた。学生のときから間近で目撃した建築家である。

2018/02/26(月)(五十嵐太郎)

姫路の建築《姫路モノリス》《アルモニー・アッシュ》《姫路文学館》ほか

[兵庫県]

建築合宿の講評に参加し、明石に足を運ぶ機会があったので、姫路で久しぶりに建築めぐりをした。ピンポイントでは何度か来ていたが、一日かけてまわるのは学生のとき以来である。太平洋戦争時に空襲を受けたけれど、爆撃で狙われないよう黒く塗られた姫路城は無事だったし、地震はなく、《姫路モノリス》(旧逓信省の施設、1930)や《アルモニー・アッシュ》(旧三和銀行、1959)など、近代建築もウエディングの施設などに転用されながら、いくつか残っている。また丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄らが手がけた現代建築もある。特に1991年にオープンした安藤の《姫路文学館》(1991)は、彼にとっても初期の公共建築であり、屋外の空間を歩く体験が楽しい傑作だ。今回、気になったのは、戦後に登場した昭和建築が消えようとしていたことである。例えば、村野藤吾が設計し、長く親しまれてきた《ヤマトヤシキ百貨店》(1951)は、いよいよ2月末で閉店だった。

1966年の姫路大博覧会にあわせて、駅前と手柄山の会場をつなぐ建設されたモノレールは、1970年代には運休していたが、現在も街中にモノレールの橋脚が残り、シュールな風景を生みだしていた。支えるものがなく、橋脚だけが並んだり、建物を貫く橋脚群も目撃した。ただし、公団と駅を合体した《高尾アパート》は最近、解体されたようである。手柄山中央公園の回転展望台も、博覧会の施設だった。上部は約14分で一周する回転レストランになっており、コアの部分はエレベータと螺旋階段のみで、トイレは外部のものを使う。アーチなどの曲線が印象的なデザインは、昔懐かしい未来を連想させる。しかし、これも3月には閉鎖するという。展望台の向かいには姫路市立平和資料館と、不戦を意味すべく刀を地中におさめた造形の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔があるのだが、ほとんど来場者がいなかった。まさに昭和は遠くになりにけり、という趨勢を実感した。


《ヤマトヤシキ百貨店》


モノレール橋脚跡



手柄山中央公園 回転展望台(姫路博テーマ塔)

2018/02/23(金)(五十嵐太郎)

香港と深圳の新しい名所《オーシャンターミナル・デッキ》《深圳海上世界文化芸術中心》ほか

[中国]

深圳都市建築ビエンナーレが開催されているタイミングで数年ぶりに香港を訪れた。香港から深圳に移動するには、現在もいったんは電車を降りて、パスポート・コントロールを歩いて通過するが、将来これがなくなれば、2つの都市はさらに一体感を強めるだろう。今年は急激な都市化を象徴する城中村を会場としており、展示そのものよりもビエンナーレを口実にして、普段は立ち入らないようなエリアを体感できたことが印象深い。足を運んだ南頭古城も、古い城を村が包み、さらにその周囲が完全に都市化した場所だった。また昨年オープンしたばかりの槇文彦が設計した《深圳海上世界文化芸術中心》は、周囲がテーマパーク的なエリアで、派手な建築が並ぶだけに、モダニズムをベースにした白い建築がさわやかに映った。歴史的なコンテクストがないなかで、周辺環境と応答しつつ、あちこちに出入り口を設け、内部にも抽象的ながら、街並みのような空間をつくっている。

一方、香港の九龍サイドにあるハーバーシティのモールを抜けて、大型客船が横付けするオーシャンターミナルの先端にノーマン・フォスターによる増築が行なわれ、《オーシャンターミナル・デッキ》として昨年オープンした。素晴らしいデザインである。立地の良さを最大限に生かし、乗船客やレストランの客だけでなく、誰にでも開かれた香港の絶景を堪能できる空間的な仕掛けを、いくつかの高さのレベルで付加している。無駄な装飾やわざとらしい造形はない。建築家とは、かくあるべきだという見本のような作品である。話題の美術館、《M+》のオープンは遅れていたが、工事現場の横に「M+パヴィリオン」が設置されているのを知り、見学した。西文化区はまだ開発中のため、けっしてアクセスは良くない。公園を抜けると、途中から柵で構成された迷路を歩く。ヴェネツィアビエンナーレ国際美術展に参加したサムソン・ヤンの個展を開催しており、災害支援ソングをネタにしたおもしろい作品で、空間のつくり込みもよかった。

《オーシャンターミナル・デッキ》



《深圳海上世界文化芸術中心》


「M+パヴィリオン」

2018/02/21(水)(五十嵐太郎)

「せんだい・アート・ノード・プロジェクト」第2回アドバイザー会議

会期:2018/02/12

せんだいメディアテーク[宮城県]

せんだいメディアテークにて、アートノードのアドバイザー会議に出席した。この日は2017年度の活動と2018年度の計画が報告され、川俣正の貞山運河にかける「みんなの橋」の進捗状況(ちょうど7階にて展示中だった)、藤浩志による「雑がみプロジェクト」、東北リサーチとアートセンター(TRAC)のイベント、複数の企画者によるTALKシリーズなど、多様なプロジェクトが動いていることがうかがえる。もっとも、メディアとしてのタブロイド紙やホームページなどを閲覧しないと、それぞれの企画の参加者に対し、これらが全体としてアートノードという枠組のアイデンティティをもっていることが理解しにくいのではないかと思った。こうした疑問に対して、せんだいメディアテークはあえてそれでよいと考えている。すなわち、もともと全国で乱立する芸術祭とは一線を画するべく、特定の期間に展示とイベントが集中させて、ピークをつくる方法を避け、リサーチをベースにした複数のプロジェクトがいつも同時進行しているスタイルを選んだからだ。

会議の終了後は、TALKシリーズを運営した7名による総括の公開会議が行なわれた。いわば反省会をかねたメタ・イベントなのだが、予想以上に参加者が多く、市民の関心の高さを感じた。これも改めてギャラリー、古書店+カフェ、舞台制作などを営むメンバーが一堂に会して、全体を俯瞰すると、アート、音楽、文学、映画、民俗学など、多様なジャンルのイベントがあちこちの場所を活用しながら開催されていたことがわかる。おそらく、それぞれの個性的な企画者に参加者もついていると思われるが、アートノードを契機にして、普段は聴講しなかったようなタイプのトークにどれくらい足を向けたのかが興味深い。それこそが結節点としてのアートノードである。もちろん、企画者同士が同じ場を共有し、交流することも、これまであまりなかったから、まずはその第一歩となった。


展示風景

川俣正「みんなの橋プロジェクト」(左)と「みんなの船」(右)の構想模型

2018/02/18(日)(五十嵐太郎)

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