2018年06月15日号
次回7月2日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

内藤廣《富山県美術館》

富山県美術館[富山県]

2017年度のグッドデザイン賞において建築ユニット長を担当し、審査に携わったのだが、受賞展で審査レビューを行なったとき、地方の建築ががんばっていることに気づかされた。今回、ベスト100に入った建築7作品は、陸前高田、福山、太田、奈良、天理、熊本の三角港など、すべて東京以外であり、しかも駅前が多かったからである。これは逆に言うと、東京から面白い建築があまり出ていないことを意味する。トークの4日後に《富山県美術館》を訪れ、改めて地方の時代を痛感した。これは内藤廣の設計だが、道路側のファサードは大きなガラスの開口があり、一見、彼らしくないデザインのように思われる。だが、川や運河環水公園に隣接する場所のポテンシャルを生かしていること、富山の産業に縁が深いアルミニウムや杉材などを活用したテクスチャーのモノ感、土を盛るなどランドスケープ的な外構のデザインなどにやはり内藤の個性が感じられる。

まず最初に先行オープンし、多くの人が訪れたというオノマトペの屋上に登ってみた。ここは無料ゾーンだが、佐藤卓がデザインしたユニークな遊具群は本当に集客力がある。3階に降りると、レストランには行列ができており、ここでランチを食べようというもくろみはかなわなかった。空間の特徴としては、外部から複数のアクセスを設けていること、展示室の周囲を自由に歩けること、視線が貫通し、眺望を得られる廊下の存在などによって、立体的な《金沢21世紀美術館》のようにも思えて興味深い。いずれも高い集客を誇る美術館だが、エレベータ、エスカレータ、階段、そして屋外階段などのルートから屋上庭園に誘う富山の仕掛けはお見事である。なお、常設展示は、アートとデザインをテーマに掲げるように、椅子やポスターの名作コレクションを明るい展示室に配する一方、富山生まれの瀧口修造コレクションを閉じた箱に入れることで、メリハリを効かせている。

2017/11/09(木)(五十嵐太郎)

ウォーターフロント・シティ横浜 みなとみらいの誕生

会期:2017/10/07~2018/01/08

横浜都市発展記念館[神奈川県]

初めてみなとみらい21地区のエリアに足を踏み入れたのは、まだ筆者が学部生だった1989年の横浜博覧会である。いまから振り返ると、丹下健三による横浜美術館などを除くと、博覧会では仮設の建築群が並び、まだほとんど何もない土地だった。その後、1993年に横浜ランドマークタワーが登場し(あべのハルカスに抜かれるまで日本一位の超高層だった)、2004年にはみなとみらい線が開通し、内藤廣、早川邦彦、伊東豊雄らが駅のデザインに関わっていた。「みなとみらいの誕生」展は、近代の歴史(埋め立てや造船所の移転)や計画の経緯を通覧できる企画だが、このように新興都市の近過去をたどっているだけに、記憶に照らし合わせながら鑑賞することができる。それにしても、いまでこそひらがなの地名は増えたが、1981年にこの名前に決まったのは早い。ましてや、「みらい」という言葉まで使っており、横浜の都市計画の実験場だったと言える。

なかでもいくつかの計画図が目を引いた。ひとつは、1960年代に浅田孝が関わった頃に描かれた広場的な遊歩道を挟む中規模の建築群である。これはヒューマンなスケールをもち、ヨーロッパの都市的な印象を受けた。そして1980年代に大高正人は海辺の輪郭に柔らかい曲線を導入し、囲み型の街区プラン(一部は高層)を提案している。中層の建築群による囲み型は、幕張ベイタウンを想起させるだろう。現在、みなとみらい21地区は、高層のオフィスやホテル、そしてタワーマンションが林立し、ショッピング・モール的な商業空間の風景が出現している。つまり、想定されなかった未来が実現した。さらに子どもの増加から学校が建設され、1万人を収容できる音楽アリーナや2,000人規模のライブハウス型のホールも2020年にオープンする予定だ。既存のクラシック音楽のための横浜みなとみらいホールとあわせると、ちょっとした音楽の街となり、これも予期しなかった未来だろう。

2017/11/07(火)(五十嵐太郎)

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三井嶺《神宮前スタジオ A-gallery》

[東京都]

筆者が公募の審査を担当した今年のU-35展において、ゴールドメダルに選ばれた建築家の三井嶺が設計した《神宮前スタジオ A-gallery》に立ち寄る。裏原宿から少し奥に入ったところに建てられた1970年代のモダンな住宅のリノベーションである。外観はほとんど手を加えず、本棚、和風の意匠、コンクリートの基礎の一部を残しつつ、床を外して吹抜けを設けている。が、なんといっても最大の特徴は、ステンレス鋳物による列柱を階段の両側に挿入したことだろう。柱は極細だが、決してミニマルなデザインではなく、エンタシスがつき、ゆるやかにふくらみ、柱の上下にも家具的な装飾をもつ。あまり見たことがない構造柱の意匠とプロポーションだ。なお、鋳物による構造補強は、彼がU-35展に出品した江戸切子店の《華硝》でもパラメトリック・デザインを用いながら、効果的に挿入されている。ともあれ、いずれも人間が手で持って搬入できるメリットがあるという。

U-35展のシンポジウムにおいて、三井は空間よりも、構造と装飾に興味があると発言したことが印象的だった。が、彼が東京大学の藤井研で日本建築史を修士課程まで学び、茶室の論文を執筆し、それから構造がユニークな坂茂の事務所で働いた経歴を踏まえると、納得させられる。微細な装飾をもつ鋳物の柱は、モノであることを強調し、現在の流行とまったく違う。それゆえに、もし遠い将来に鋳物の柱だけが遺跡のように発掘されたら、未来の歴史家はおそらく時代判定を見誤るだろうと、彼は述べている。身近な周辺環境やコミュニティばかりが注目されるなか、こうした超長期的な視野をもった建築家は貴重だろう。また看板建築の補強や家屋のリノベーションにパラメトリック・デザインを絡ませるのも、新しい感覚である。なお、神宮前スタジオの柱は、構造力学上、中央の一番太い部分の直径が重要であり、上下の両端は細くても強度を落とさないという。

2017/11/03(金)(五十嵐太郎)

「移動する建築」都市設計コンペ&「みんなのヒミツ基地」まちづくりアイデア募集 二次審査会&表彰式

坂の上の雲ミュージアム[愛媛県]

松山の駅前の花園町通りやロープウェー通りなどを見る。ストリート沿いに良好な景観や歩行者の空間をつくりながら、照明やファニチャーによって、デザイン性も確保している。さて、今回の松山訪問の目的は、アイデア・コンペではなく、花園町通りや温泉エリアで実際に制作する「移動する建築」都市設計コンペの6組の二次審査を行なうためだった。会場は坂の上の雲ミュージアムであり、モバイル茶室、帯、円筒、屋台、マルシェ、雲など、多様な案がそろった。審査の結果、花園町通りではキム・テボンによるまちを旅する4つの屋台が、飛鳥乃温泉エリアではバンバタカユキらによる浮かぶ雲のプロジェクトが最優秀に選ばれた。

写真:上・中=花園町通り 下=ロープウェー通り

2017/10/29(日)(五十嵐太郎)

《はーばりー》《今治市公会堂》《愛媛信用金庫今治支店》

[愛媛県]

今治にて、昨年はオープン前で外観のみ見学した原広司のみなと交流センター《はーばりー》を訪問する。実際に屋上のデッキまで歩くと、本当に船のイメージであることがわかる。宇宙船みたいな図書館とか、ロケット発射場みたいな高層ビルとか、ある種の浪漫主義的なテイストが原建築に感じられる。昨年は内部に入れなかった丹下健三の《今治市公会堂》も、ちょうど子どものダンス・コンテストのリハーサル中で見ることができた。天井は構造があらわになったオリジナルの形状を維持しつつ、座席は現代の仕様に変えられていた。また丹下による《愛媛信用金庫今治支店》は、遠景から見ると、頂部の持ち上げた屋根の造形がカッコいい。

写真:上=《はーばりー》 中=《今治市公会堂》 下=《愛媛信用金庫今治支店》

2017/10/28(土)(五十嵐太郎)

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