2019年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

改組 新 第5回 日展

会期:2018/11/02~2018/11/25

国立新美術館 [東京都]

タイトルの「日展」にたどり着くまでに「改組」「新」「第5回」と障害物が邪魔をする。あるいは勲章のつもりか。改めてチラシを見直したら、赤地にでかく白抜きで「日展」とあり、その下に「111」「since 1907」とあった。1907年に始まり111回目という意味だ。いっそアニュアル展として「日展2018」とかにしたほうが「ナウ」くね?

いつものように日本画から見る。まず驚いたのは、フルーツやプリンから流れる汁で泳ぐスクール水着の子供たちを描いた三浦弘の《ハッピーモーメント》と、プールで泳ぐ女性たちと揺らめく水面をとらえた井上律子の《READY TO GO》。2点は似ているわけではないけれど、どちらも色が明るくポップで、どちらも幸田千衣の「泳ぐ人」を思い出したのだ。この主題、この色彩、このスタイル、ぜひ「洋画」に転向してほしい。というか、早く「日展」から足を洗ってインディペンデントで活躍してほしい。田島奈須美の《月の妖精「ナンナ」》も色鮮やかでポップでマンガチックで、とても日本画とは思えない。というか、日本画である必然性が感じられない。早く「洋画」に転向してほしい。

変わったところでは、池田亮太の《空き地》はほとんど真っ黒。よくよく観察すると家のかたちが現れ、民家に囲まれた空き地らしきものが見えてくるが、パッと見真っ黒。よくこんなの出したなあ、というか、よくこれで入選したなあ、日展も変わったもんだと感心する。最後に、伊砂正幸の《green day》。画面を4×5に20分割し、各小画面に緑を基調に魚や鳥やドアノブや人間の足などを描いている。これもよく入選したなあ。はっきりいって、洋画部門にこんな冒険作は1点もなかった。果たして「洋画」が立ち腐れているのか、それとも「日本画」が解体し始めているのか。

2018/11/02(村田真)

プレビュー:マーク・テ+YCAM共同企画展 呼吸する地図たち

会期:2018/12/15~2019/03/03

山口情報芸術センター[YCAM][山口県]

マレーシアを拠点とする演出家、リサーチャーのマーク・テを共同キュレーターに迎えた展覧会。マーク・テは、演劇作家、映画監督、アクティビストらが集うマレーシアのアーティスト・コレクティブ「ファイブ・アーツ・センター」のメンバーでもある。日本ではこれまで、TPAM──国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2016とKYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNで『Baling』を、シアターコモンズ ’18では『バージョン2020:マレーシアの未来完成図、第3章』を上演。レクチャー・パフォーマンスの形式でドキュメント資料や出演者自身の個人史を織り交ぜながら、マレーシアの近現代史を複眼的に検証する気鋭のアーティストだ。

本展では、東南アジアと日本のアーティストやリサーチャーが、各国の歴史、文化、政治、経済、日常生活などを独自の視点でリサーチし、自らの言葉で語りかけるレクチャーやレクチャー・パフォーマンス作品が、12週にわたって主に毎週末に開催される。以下、その一部を紹介する。

シンガポールのアーティスト、ホー・ルイアンは、TPAM 2016や「サンシャワー : 東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」展で発表した《Solar: A Meltdown》が記憶に新しい。このレクチャー・パフォーマンスでは、アジアやアフリカなどに赴いた植民地主義時代の欧米人が、熱帯の太陽がもたらす「汗」を徹底して隠蔽したこと、その背後には「団扇で涼を送る」現地労働者と家庭の清潔さを保つ女性たちの労働があったことが指摘される。本展での上演作品《アジア・ザ・アンミラキュラス》では、1997年のアジア通貨危機を出発点に、ポップカルチャーにおけるアジア経済の未来主義の出現、発信、流通をたどるという。また、シンガポールの歴史学者のファリッシュ・ヌールは、200 年前の地図に焦点を当て、英領ジャワにおける植民地時代の地図製作の役割や地図と権力の関係を紐解く。ジャカルタを拠点とするイルワン・アーメット&ティタ・サリナは、東南アジアの海上交通の要衝、マラッカ海峡における国境の支配に対し、密輸、転覆工作、宣誓といった行為からヒントを得て、シンガポールの国境を通過するための8つの方法を提案する。一方、演出家の高山明は、国籍という概念を超えて暮らす海上生活者から着想し、移動性、越境、侵入、ハッキングなどの視点から参加者とリサーチを行なうワークショップ「海賊スタディ」を実施する。また、キュレーターの小原真史は、1903年に大阪で開かれた第五回内国勧業博覧会で「人間の展示」が行なわれた人類館と新たに発見された写真を中心に、近代日本の自己像と他者像について考察する。

シアターコモンズ ’18や来年開催されるシアターコモンズ ’19がレクチャー・パフォーマンスに焦点を当てているように、従来の舞台公演とは異なるこの形式も浸透しつつある。社会批評や表象分析、歴史研究といった硬派な主題のなかに、映像や身体性、アーティストならではの新鮮な視点や想像力の契機を持ち込むことで、見る観客の能動的な思考が促される。また、マーク・テ自身もそうだが、アーティスト、研究者、演出家、キュレーターといった職能的なカテゴリー区分を流動化させていく側面も持つだろう。

さらに本展では、これらに関連した映像インスタレーションやドキュメンテーションも上映される。カルロス・セルドランは、スペインとアメリカの統治、日本軍の占領、戦後政権の復興などさまざまな歴史的事象によって上書きされてきたマニラの史跡についてのパフォーマンス・ツアーの映像を上映する。ヴァンディ・ラッタナーは、カンボジアのクメール・ルージュ政権下で亡くなった姉に向けて語るヴィデオ・インスタレーション『独白』を上映する。やんツーは、自らがロードバイクで移動して集めた地形データからフォントを生成するソフトウェアを自作。VRを使った主観視点で、山口の地形からフォントが生成される過程を追体験できる作品を展示する。3がつ11にちをわすれないためにセンター(せんだいメディアテーク)は、市民、専門家、アーティスト、スタッフが協働し、復興のプロセスを独自に記録したアーカイブを活用した展覧会「記録と想起・イメージの家を歩く」より、小森はるか+瀬尾夏美、鈴尾啓太、藤井光の3つの映像作品を抜粋して展示する。

このように本展は極めて多様な切り口から構成されるが、植民地支配から現代に至るまで、金融、移民、翻訳などさまざまな交通と地政学的なポリティックスを再検証し、国境によって分断化・固定された静的な地図ではなく、多中心的で有機的、動的なネットワークとしての「地図」がどう構築されていくのか。毎週末、山口に通いたくなる充実したプログラムに期待がふくらむ。

関連レビュー

KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN マーク・テ『Baling(バリン)』|高嶋慈:artscapeレビュー

SPIELART マーク・テ『VERSION 2020 - THE COMPLETE FUTURES OF MALAYSIA CHAPTER 3』|山﨑健太:artscapeレビュー

シアターコモンズ ’18 マーク・テ/ファイブ・アーツ・センター「バージョン2020:マレーシアの未来完成図、第3章」|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/10/30(火)(高嶋慈)

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SOME Planning by THINKS ARTISTS

会期:2018/10/13~2018/11/04

アートラボはしもと[神奈川県]

八王子から相模原にかけての地域には多摩美、造形、女子美など美大が点在する。郊外なので工場跡や空き倉庫も多く、家賃も安いため、卒業後もこの地に留まり共同でスタジオを借りて制作を続けるアーティストが少なくない。そうしたスタジオ24軒が同時期に創作の場を公開する「SUPER OPEN STUDIO 2018」が開かれている。その中心的展示がこの「SOME Planning by THINKS ARTISTS」だ。さっそく文句をいうが、なぜアルファベットを使うのだろう? 外国人だけに見てほしいならそれでもいいが、大半は日本人のはず。日本人の脳ではアルファベットだとパッと見わかりづらいし、なにより目立たないので損だと思う。ダサいかもしれないが、カタカナか日本語表記に改めるべきだ。

ともあれ、その拠点となるアートラボはしもとではダイジェスト版ではないけれど、全館を使って各展示室ごとにテーマを設け、計33人の選抜アーティストの作品を紹介している。展示室でおもしろかったのは「169.8cm」をテーマにしたC室。久野真明の《「169.8cm」のための看板》は、木枠を継ぎ足した上にキャンバスを載せて看板をつくり、鏡文字で「169.8cm」と書いている。おそらく作者の身長とおぼしき高さのこの看板、作者の自画像と見ることもできる。久村卓の《展示のためのベンチ》は幅と色の異なる木材を座面に用いたシンプルなベンチ。タイトルの「展示のための」とは、これが展示作品であると同時に、展示するために使ったベンチとも、展示を見るためのベンチとも、逆に座ったら壊れるので見るだけのベンチとも読め、きわめて曖昧な存在になっている。今井貴広の《ほころびと永遠》と《呼気を巡る》は、この展示室に使われているアルミサッシを延長させたり、壁のひびに同調するような細工をしている。空間にツッコミを入れてる感じだ。

個々の作品では、パウロ・モンテイロの小さな金属の固まりを床に置いた作品や、大野晶の粘土による板状のミニマルな作品はいまの時代、なんとなく懐かしさを覚える。小林丈人はひらがなをモチーフに絵を描いているが、木材を立体的に組み立ててキャンバスを被せ、その上にひらがなを描いた小品が新鮮だ。最後の部屋は宮本穂曇と箕輪亜希子の2人だが、宮本の絵はオーソドックスながら、いやオーソドックスゆえもっとも魅力あるペインティングになっていた。一方、箕輪は天井から床に2本の角材を10脚ほど立て、その間に高さが異なるようにベニヤ板を張って文章を書いている。文章の内容はともかく、2本の角材とベニヤ板の組み合わせがギロチンのように見えて仕方なかった。意図したのだろうか。

これが屋内の展示で、屋外ではまた別企画の「野分、崇高、相模原」という野外展が開かれている(といってもここには2点だけで、ほか数カ所のスタジオでも開催)。ひとつは草むらにゴロンと置かれた小田原のどかによる子供の首像。長崎で被爆した天使の首を石膏で模造した「記念碑」だそうだ。一般に記念碑は土地に根づいた「不動産美術」だが、これは移動可能な「動産美術」としての記念碑。もうひとつはキャンバス画と割れた絵皿をなかば土中に埋めた水上愛美の作品(もう1点あったようだが見逃した)。なにか災害の後のようにも見えるし、数百年後に発掘された遺物のようでもある。前者が「不動産美術の動産化」であるとすれば、後者は「動産美術の不動産化」といえないこともない。

ところでこのアートラボはしもと、初めて訪れたが、2階建てで観客席のついたレクチャールームはあるわ、バス・トイレ完備のゲストルームはあるわ、いったいなんの建物だったんだ? 聞いてみたら、隣にそびえるタワーマンションのモデルルームを兼ねた事務棟だったらしい。作品の展示場所としてはけっこう広いし、生活感もあるのでアーティストにとってはチャレンジングな空間だ。でも隣接する広大な商業施設アリオ橋本に比べればざっくり100分の1程度だし、だいたい「アートラボ」としていつまで借りられるのかちょっと心配ではある。

2018/10/29(村田真)

アッセンブリッジ・ナゴヤ2018

会期:2018/10/06~2018/12/02

名古屋港〜築地エリア一帯[愛知県]

名古屋港から築地口エリアで展開されている、「アッセンブリッジ・ナゴヤ2018」を訪れた。音楽とアートの活動の拠点となる《港まちポットラックビル》(旧・文具店)は、2階のプロジェクト・スペースで残念ながら今度、解体されることになった旧潮寿司の建物(L PACK)、3階のエキシビジョン・スペースで失敗した名古屋オリンピックの誘致(山本高之)と戦時慰安婦(碓井ゆい)など、リサーチをもとに忘れられていた歴史をたどる作品を展示していた。20年間空き家になっていた潮寿司はL PACKによって改造・運営され、アルファベット化した「UCO」という名の社交場/カフェスペースとして使われていたが、土地の所有者が手放すことになり、あわせて隣接する小さなボタンギャラリー(旧・ボタン店)も閉じることになった。渡辺英司が監修していた後者では、1階の「殿様のわらじ」展でアーティストや市民の値段をつけた作品を並べ、2階の記録展では、これまでの展示からお気に入りのものをドキュメントブックとして自分で製本し、持ち帰ることができるワークショップがなされていた。いずれも2年半前に初めて訪れた場所であり(そのときはアーティスト・ブック展を開催していた)、リノベーション後の状態しか知らないのだが、空き店舗の活用法として魅力的だっただけに惜しまれる。

さて、これらの建物の裏側には、かつて賭博場に使われたという家屋があり、港町の歴史を感じさせる。しかし、ここも消える予定であり、街の記憶が欠けていく。かといって、新しい再開発が待っているわけでもなく、商店街では空き店舗が増えているらしい。今後、あいちトリエンナーレとは別の枠組で運営されているアッセンブリッジ・ナゴヤが、地域の資源を生かしながら、どのように展開していくかを注目したい。ちなみに、賭け事という意味では、ボートピア名古屋(場外舟券発売場)が設置されたことから交付される環境整備費が、まちづくり事業に使われ、ポットラックなどのイベントに使われている。

2階のL PACKの展示


3階の碓井ゆいの展示


「UCO」の内部


「UCO」の背後


ボタンギャラリー記録展

2018/10/27(土)(五十嵐太郎)

TOKYOGRAPHIE 2018

会期:2018/10/26~2018/12/25

フジフイルム スクエアほか[東京都]

毎年春に京都を舞台に開催されている「KYOTOGRAPHIE」(京都国際写真祭)も今年で6回目を迎え、国際的な写真フェスティバルとして定着しつつある。今回、都内の各会場で開催された「TOKYOGRAPHIE」は、その「KYOTOGRAPHIE」の「SPECIAL EDITION」という位置づけのイベントである。オープニングプログラムとしてフジフイルム スクエアで開催された「深瀬昌久 総天然色的遊戯」展をはじめとして、小野規、ギデオン・メンデル、リウ・ボーリン、ジャン=ポール・グード、宮崎いず美らの展示は、いずれも今年の「KYOTOGRAPHIE」で開催された展覧会の再構成、あるいは縮小版であり、京都に足を運んだ者にとって新味はない。むろん、東京で初めて展示を見る観客にはありがたいイベントだが、できればもう少し独自の企画に力を入れてほしかった。

「TOKYOGRAPHIE」で初めて見ることができたなかでは、林道子の「Hodophylax~道を護るもの~」と関健作の「GOKAB~HIPHOPに魅了されたブータンの若者たち」(どちらもフジフイルム スクエア)が面白かった。林と関は、「KYOTOGRAPHIE 2018」のポートフォリオレビューで大賞と特別賞を受賞しており、このような形で作品のお披露目ができたのはとてもよかったと思う。ニホンオオカミ(Hodophylaxはその学名)と日本人との関わりを文化史的に跡づけていく林の作品も、ブータンの若者たちの生き方を思いがけない角度から浮かび上がらせた関の作品も、ドキュメンタリー写真の新たな方向性を示す力作であり、会場構成もきちんと練り上げられていた。まだいろいろな可能性がありそうなので、今回だけでこの企画を終わらせるのではなく、来年以降もぜひ続けて開催していただきたい。

2018/10/27(土)(飯沢耕太郎)

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