artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性

会期:2023/07/01~2023/08/27

東京ステーションギャラリー[東京都]

彼のような人物を「異才」と呼ぶのだろう。大正時代に妖艶な女性像で名を馳せたと思ったら、芝居にハマってみずから女装したり、映画界に進出して時代考証家として衣裳づくりを担うなど「迷走」した日本画家、甲斐荘楠音のことだ。「妖艶な」と述べたが、彼の描く女性像は妖艶というだけでは物足りないグロテスクさを伴っている。そんな美学を岸田劉生は「デロリ」と表現したが、これは「サラリ」の逆で、デロッとした粘着質な濃い表現を指す。20年ほど前に郡山市立美術館で「再発見、日本の姿:キーワードはデロリ」という展覧会が開かれ、ぼくは見逃したのだが、その後『芸術新潮』の「デロリ特集」で初めて甲斐荘を知り、衝撃を受けた。だから甲斐荘と聞くと反射的に「デロリ」というキーワードが浮かんでしまうのだ。それはともかく。

作品はほとんどが大正時代に描いた女性像。まず目につくのが《横櫛》で、同題作品が2点あるが、ゾッとするのは京都市立絵画専門学校研究科に在籍中の最初のほう(1916)で、にっこり微笑む女性の目の下に褐色のクマがあってホラーなのだ。その2年後に描かれた《横櫛》(1918)は色や細部が異なるだけでまったく同じ構図の女性像だが、清楚な大正の美人画として仕上げている。同一人物だとしたらよけい怖い。

《白百合と女》(1920)と《女人像》(c. 1920)はどちらも女性と花の取り合わせで、やはり謎の微笑みを浮かべている。前者の白百合は西洋では純潔の象徴とされ、聖母マリアのアトリビュートでもあるから、腹がふっくら膨らんだこの女性は処女懐胎か。《島原の女(京の女)》(1920)は伏し目の太夫を描いたものだが、わずかに微笑むその容貌はどこかで見たことがあると思ったら、レオナルド・ダ・ヴィンチの描く女性像、とりわけ《聖アンナと聖母子》のアンナによく似ているではないか。どうも甲斐荘の女性像には日本画・美人画に収まらない、西洋の古典に通じる水脈が流れているのかもしれない。

もっとエキセントリックな作品に《幻覚(踊る女)》(c. 1920)がある。炎のように赤い衣装を着けて舞う女性は口も目も赤く縁取られ、伸ばした手の影が背後の壁から伸びている。ホラー映画の見過ぎではないか。《春宵(花びら)》(c. 1921)は、豪勢な髪飾りをつけたふくよかな太夫が、盃に落ちた桜の花びらを拾おうとし、左下の禿と思しき少女がやはり笑いながらそれを受けようとしている。不気味なのはふたりとも微笑むのではなく、口を開けて笑っていること。フォッフォッフォッと笑い声が聞こえてくるようだ。なんなんだこれは!?

以上はすべて大正期の作品で、昭和に入ると作品はめっきり減り、戦争が近づくにつれ映画にのめり込んでいく。同展では、これまでほとんど知られることのなかった映画の衣裳考証家として、彼のデザインした衣裳とその映画ポスターを並べて展示している。関わった映画は「雨月物語」や「旗本退屈男」シリーズなど計236本に及ぶが、ここでは省略。

最後は再び日本画に戻り、《畜生塚》(c. 1915)と《虹のかけ橋(七妍)》(1915-1976)という2点の大作が紹介される。《畜生塚》は未完の大作だが、さまざまなポーズの裸体の女性20人ほどを描いた奇怪な群像だ。右から2人目はやはりレオナルドの聖母を思わせるが、中央の人物を抱える集団はミケランジェロのピエタを、全体としてはやはりミケランジェロの未完の壁画《カッシーナの戦い》の下絵を彷彿させる。一方、《虹のかけ橋(七妍)》のほうは逆に着飾った7人の女性の群像だが、驚くことに大正時代から60年以上にわたり断続的に描き続けてきたという。《畜生塚》と違い、せっかく絢爛豪華な衣装を描いたのだから死ぬまでには完成させたかったに違いない、というのは貧乏人の考えか。いずれにせよ常人ではない。


公式サイト:https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202307_kainosho.html

関連記事

「再発見、日本の姿:キーワードはデロリ」展|木戸英行:RECOMMENDATION(1999年10月15日号)

2023/06/30(金)(村田真)

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蔡國強 宇宙遊 ─<原初火球>から始まる

会期:2023/06/29~2023/08/21

国立新美術館[東京都]

会場に入ると、仮設壁が取り払われて広大な展示室の向こうまで一望できる。こんな使い方は初めてじゃないかしら。作品は壁に沿って時計と反対周りにほぼ時系列に並び、中央には屏風絵やネオンによるキネティック・ライト・インスタレーションが置かれ、とてもにぎやかだ。

タイトルの「原初火球」とは宇宙の始まりを告げる大爆発=ビッグバンのことで、日本で最初に開いた個展のタイトルでもあった。つまり「〈原初火球〉から始まる」と題したこの展覧会は、中国を出て日本でデビューし、ニューヨークに移住して世界に活動の場を広げていった蔡の原点ともいうべき「原初火球」展を軸に構成されているのだ。それは、各章立てが「〈原初火球〉以前」「ビッグバン:〈原初火球:The Project for Projects〉」「〈原初火球〉以後」「〈原初火球〉の精神はいまだ健在か?」とされていることからも明らかだろう。日本で回顧展を開くなら、自分をデビューさせてくれた日本および「原初火球」展を軸に構成したいという蔡の義理堅さが伝わってくる。

同展に先立ち、いわきの海岸で「満天の桜が咲く日」と題する花火イベントを実現させたのも、その記録映像を含めて展示室裏の休憩室のスペースで「蔡國強といわき」と題した特集展示を行なっているのも、日本滞在中にお世話になったいわき市民に対する恩返しの意味があるだろう。カタログのなかで蔡は「一人のアーティストの成長とは、故郷であれ異郷であれ、なんと多くの人々の支援の上に成り立っていることだろう」と書いている。この1行だけでもアーティストとしての揺るぎない自信と、支えてくれた人たちへの感謝の念が伝わってくる。

さて、最初の展示は、来日以前に制作した絵画や火薬を使った作品のほか、父がマッチ箱に描いたドローイングもあり、かなり文化度の高い家庭に育ったことがうかがえる。火薬は早くから作品に使用していたが、それは中国人が発明した三大発明のひとつだからであり、使い方ひとつで善にも悪にも転じる両義的な存在だからであり、また、初期のころから美術の枠にとらわれない自由な発想を持っていた蔡にはうってつけの素材だったからでもあるだろう。

1986年に来日。滞日中の最大の成果が1991年に開いた「原初火球」展だ。これは「プロジェクトのためのプロジェクト」と銘打たれているように、彼が構想していたプロジェクトのうち7つを選んで火薬を使って描き、屏風に仕立てて放射状に並べたもの。このうち「大脚印」「ベルリンの壁を再現する」「烽火台を再燃する」などは「外星人のためのプロジェクト」と称し、火薬を爆発させることで地球外からも観測できる壮大なプロジェクトだった。

その後も「外星人のためのプロジェクト」は増えていくが、そのなかで実現したものに「万里の長城を1万メートル延長する」、「天地悠々」、「地球にもブラックホールがある」などがある。「万里の長城を1万メートル延長する」は1993年、長城の西端からゴビ砂漠に1万メートルの導火線を引いて爆発させ、瞬間的に長城を延長させた。「天地悠々」は1991年に福岡で、「地球にもブラックホールがある」は1994年に広島で、それぞれ実現している。また「大脚印」は「歴史の足跡」に名を変えて、2008年の北京オリンピック開会式で火薬による巨大な足跡が出現したことは、多くの人の記憶に焼きついているはずだ。展示室奥の壁に貼り出されている33メートルにおよぶ作品は、この「歴史の足跡」のためのドローイングだ。

その手前にあるアインシュタイン、UFO、宇宙人、惑星などの輪郭に沿ってネオンがさまざまな色に変化するキネティック・ライト・インスタレーションは、2019年にメキシコ・チョルーラ市の屋外で、2021年には上海の美術館で公開された《未知との遭遇》という作品。これは初めて見た。最終章で蔡は、AI、VR、NFTなどの最新技術を採り入れた作品を試みているが、彼の真骨頂がこれからも仮想現実ではなく、現実に火薬を爆発させることにあり続けるのは間違いない。いや間違っても爆発はVRで済ませようなんて思うなよ。



蔡國強《未知との遭遇》展示風景[筆者撮影]


公式サイト:https://www.nact.jp/exhibition_special/2023/cai/

2023/06/28(水)(村田真)

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原田裕規「やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようでごいす」

会期:2023/06/20~2023/07/09

日本ハワイ移民資料館[山口県]

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本からハワイへ渡り、多くがサトウキビ畑や製糖工場での過酷な労働に従事した移民。半ば忘却された彼らの生と記憶を、「声」としてどう可視化し、継承することが可能か。原田裕規の本個展で発表された映像作品「Shadowing」シリーズは、英語の音声を聞きながら復唱する学習法「シャドーイング」を戦略的に用いて、歴史や主体の多層性と重ね合わせながら、身体行為を通した記憶の継承について考えさせる、非常に秀逸な作品だった。

展示会場の日本ハワイ移民資料館は、かつて5,000人を超える島民がハワイへ渡った、山口県の周防大島にある。渡米後に成功した貿易商が建てた大正期の和洋折衷住宅に、当時の生活道具、農具、衣服、写真などの資料が展示されている。本展の主催は周防大島地人協会で、ハワイのカウアイ島との姉妹島縁組60周年を記念し、山口出身の原田に作品制作を依頼した。キュレーションは高知県立美術館主任学芸員の塚本麻莉。



日本ハワイ移民資料館(旧福元邸) [撮影:松見拓也 ]


映像作品「Shadowing」は4点で構成され、基本的に同じ構造をもつ。少年、女性、壮年期の男性らが一人ずつモニターに映り、子ども時代に寝る前に不思議な体験談を聞かせてくれた祖父の思い出、ハワイ風の鶏すき焼き「チキンヘッカ」の由来や個人的な記憶、移民が生み出した合理的な衣服「カッパダチ」の作り方などを英語で語る。だが、彼らの表情の動きはぎこちなく人工的だ。さらに非実体性を感じさせる演出が、2種類の「声」である。ハワイ在住の日系アメリカ人が読み上げる台本を、原田自身が「シャドーイング(復唱)」した音声が追いかけるように響く。映像の人物は、ハワイの日系アメリカ人をモデルに制作したCG画像であり、フェイストラッキング技術によって原田の口の動きと連動させて表情を動かしている。原田自身の「影」「分身」ともいえるアバターだ。台本は、朗読を担当した日系アメリカ人自身の思い出、周防大島出身の民俗学者・宮本常一のエッセイ、文献資料などを基に再構成されている。



原田裕規「Shadowing」(2023)


一見シンプルな映像に、さらに複雑な奥行きを与えるのが、映像に付された「日英字幕」の仕掛けである。画面に登場する人物は「一人」だが、「祖父の語った体験談」が口調を真似て入れ子構造で語られたり、子ども時代に家族と食べた「チキンヘッカ」の思い出の語りが、「どうやって代用の食材で日本の鍋料理をつくったか」という考案者の語りにスライドし、語りの主体は「私/他者」「現在/過去」の境界を曖昧に揺らぎながら往還する。ここで、「祖父」「チキンヘッカの考案者」といった「他者」「過去」の語り手のパートには、「標準的な英語/日本語」ではない字幕が付けられていることに注意したい。音声を聞きながら字幕をよく見ると、例えば「the」は「da」、「that」は「dat」、「matter」は「matta」と表記され、日本語話者には難しい子音の発音が訛ったり脱落していることに気づく。これらは、移民の母語と英語が接触してできた混成語「ピジン英語」である(対応する日本語字幕は山陽地方の方言になっている)。



[撮影:松見拓也 ]


ここで、「シャドーイング」すなわち「声をなぞる」という行為は、本作を多重的な意味へと拡げていく。まず、「英語の発音を追いかけて反復する学習法」という第一義的な意味は、移民1世たちの英語習得過程そのものを示す。そして、祖父母の代になった彼らが話すピジン英語の訛りが、「子ども時代の記憶」として、3世さらには4世によって語られ直され、「現在語られる正しい英語の発音」のなかに残響のように響き続ける。それは、祖先や先人たちの影を追う「ピジン英語のシャドーイング」という形の記憶の継承だ。実際の日系人の声を通して、ひとつの語りのなかに複数の言語と世代が混じり合う。さらにその語りを、日本語訛りの英語で原田がシャドーイングする。それは、輪郭線が曖昧に重なり合った、聴きとりにくい声だ。だが、現在の日本社会で半ば忘れられて亡霊化した日系移民の記憶を現在に継承することは、こうした複数の声と主体が混じり合う語りによってこそ可能なのではないか。「単一の声」ではないこと。それは、「ハワイ移民の生と記憶」が、ひとつの明確な声に集約できない複雑さとともにあることの示唆でもある。



[撮影:松見拓也 ]


そして、「英語字幕をわざわざ併記する」仕掛けにより、映像を見る私もまた、「注意深く英語音声を聞く」ことを余儀なくされ、「頭の中でのシャドーイング」を始めている。あなたの声もここに重ねてほしい、という要請。もしくは、あなたの声も重ねて良いのだ、という承認。「影としてのアバター」は、移民1世、その子孫たち、原田と無数の他者を受け入れながら「記憶の継承の器」となり、その末端には鑑賞者自身も連なっていくのだ。

「他者の声をなぞることで記憶を継承する」試みは、例えば山城知佳子の映像作品《あなたの声は私の喉を通った》(2009)と共通する。サイパン戦の生存者の老人の証言を、山城がなぞり直すこの作品では、あくまで「老人と山城」という「一対一の関係」に閉じられていた。一方、原田作品では、アバターすなわち実体のない亡霊的存在が、「声の分有を通した記憶の継承」のための装置として効果的に機能する。

「影」はまた、自分自身の身体から切り離せない存在でもある。自分がどこへ行こうとも、身体の後ろにくっついてくる「影」。それは、移民自身が属していた文化、言語、共同体、記憶といったアイデンティティを形づくるもののメタファーでもある。故郷の生活様式を保ちつつ現地の風土に合わせて変容していく「料理」や「衣服」についての語りはその一例を示す。

そして、語りと展示空間の相関性も本展の大きなポイントである。料理の語りはハワイで使用された調理道具やストーブが展示された台所で、衣服の語りはハワイから持ち帰った洋服やトランクが展示された衣裳部屋のような部屋で展開される。生活道具で満ちた空間が、「もう一つの声」として立ち上がる(語りと空間の相関性が立ち上げる磁場は、例えば、出撃前の特攻隊員が泊まった元料理旅館を舞台に、隊員たちの遺書、戦争イデオロギーを思想的に支えた京都学派、文化人が担ったプロパガンダについての重層的な語りが展開するホー・ツーニェンの映像作品《旅館アポリア》[2019]とも共通する)。



[撮影:松見拓也 ]



[撮影:松見拓也 ]


日本ハワイ移民資料館は、モノや文字資料は溢れているが、(シアターコーナーの映像の一部をのぞき)日系移民自身の語る声の展示はない。そうした「肉声の不在」を補完する役割ももつ本展は、「原田裕規というアーティストの個展」ではあるが、常設化がふさわしいと思われる意義をもっていた。

原田はこれまで、収集した膨大なアマチュア写真を素材に、写真それ自体には写らない無数の亡霊的存在──撮影者、現像業者、写真に眼差しを注いだ者、「ファウンドフォト」として作品化するアーティスト、それを展示するキュレーターなど──を示唆するシリーズ「心霊写真」を展開してきた。本展では、「匿名的な無数の亡霊的他者」が「ハワイ移民」としてひとつの焦点を結んだといえる。

関連レビュー

あいちトリエンナーレ2019 情の時代|ホー・ツーニェン《旅館アポリア》 豊田市エリア(前編)|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年09月15日号)
原田裕規「心霊写真/マツド」|高嶋慈:artscapeレビュー(2018年09月15日号)

2023/06/25(日)(高嶋慈)

本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語

会期:2023/06/16~2023/09/24

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

本橋成一とロベール・ドアノーの二人展が開催されると聞いたときには、どちらかと言えば危惧感のほうが大きかった。1940年、東京・東中野生まれの本橋と、1912年、パリ郊外・ジャンティイ生まれのドアノーでは、世代も育ってきた環境も時代背景もまったく違っていて、二人の写真がどんな風に融合するのか想像がつかなかったのだ。

ところが、本展を見るなかで、その作品世界の「交差」が意外なほどにうまく成立していることに驚かされた。本展の出品作は「第1章 原点」「第2章 劇場と幕間」「第3章 街・劇場・広場」「第4章 人々の物語」「第5章 新たな物語へ」の5部構成になっている。それらを見ると、例えば炭坑夫(第1章)、サーカス(第2章)、市場(第3章)、家族(第4章)など、二人の写真家に共通するモチーフが、たびたび現われてくることに気がつく。第5章だけが、やや異なる世界を志向しているように見えるが、本橋とドアノーの被写体の選択の幅がかなり重なり合っていることがよくわかった。

だが、何よりも「交差」を強く感じるのは、ドアノーの孫にあたるクレモンティーヌ・ドルディルが本展のカタログに寄稿したエッセイ(「それでも人生は続く」)で指摘するように、「二人に共通しているのは、人々の仕事の現場と道具の中とにともに身を置いて撮影している」ということだろう。そのような、被写体に寄り添い、いわば彼らと「ともに」シャッターを切るような姿勢こそ、本橋とドアノーの写真が時代と場所を超えた共感を呼び寄せるゆえんなのではないだろうか。

このような、二人の写真家同士の思いがけない組み合わせを求めていくことは、東京都写真美術館の今後の展示活動の、ひとつの方向性を示唆しているようにも思える。本橋とドアノーのようなカップリングは、もっとほかにもありそうだ。


公式サイト:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4534.html

2023/06/25(日)(飯沢耕太郎)

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許家維+張碩尹+鄭先喻「浪のしたにも都のさぶらふぞ」(後編・第二部その2)

会期:2023/06/03~2023/09/03

山口情報芸術センター[YCAM][山口県]

中編から)

後編では、本展第二部の《浪のしたにも都のさぶらふぞ》について、モーションキャプチャやVRのもつ批評的意図の観点から百瀬文やホー・ツーニェンの近作と比較し、さらに多角的に掘り下げる。

3DCGの映像制作において、身体運動をトラッキングするモーションキャプチャセンサーを付けたアクターの身体は、通常は表に出ず、透明化されている。「アクターの身体をあえて見せる」演出によって、そこにどのような力学が作動しているのかをメタ的に可視化する姿勢は、例えば百瀬文の2チャンネルの映像作品《Jokanaan》(2019)とも共通する。左画面に映るモーションキャプチャスーツを付けた男性パフォーマーの動きが、右画面に映るサロメの3DCGアニメーションを生み出すことで、「ファム・ファタル」という性的幻想が男性の身体によってまさに再生産される構造を批評的に暴き出し、最終的に「視線と欲望の主客」の逆転を企てる(詳しくは、『百瀬文 口を寄せる Momose Aya: Interpreter』[美術出版社、2023]所収の拙論を参照)。

一方、本作では、アバターの生成が、人形遣いの操る人形から生身の女性パフォーマーに取って代わられる。その交代劇が「鬼女への変貌」と同期することは、中編で見たように、「人形」としてモノ化され、操られることに対する「怒り」を表明した逆転劇ともとれる(さらにここには、「文楽」のジェンダー構造に対する批評も読み取ることができる。兵庫県の淡路人形浄瑠璃、徳島県の阿波人形浄瑠璃など地方の郷土芸能では、太夫、三味線、人形遣いに女性の演じ手がおり、本作の太夫と三味線奏者も女性だが、文楽協会に所属する技芸員による「文楽」はすべて男性で演じられる。国立文楽劇場が次世代の人材を育成する文楽研修生の応募資格も、いまだに「男性限定」である)。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]


だが、白い衣装をまとった全身にモーションキャプチャセンサーを付けたパフォーマーの姿は、前半で人形遣いが操っていた「人形」のそれと酷似することに注意したい。自らが操る仮想世界を体験するためのVRゴーグルは、「目隠し」にも見える。果たしてパフォーマーは、アバターを操っている(だけ)なのだろうか? 見えない人形遣いに自分自身も操られているのだろうか? 終盤、もがき苦しみながら取り外すモーションキャプチャセンサーは、支配と束縛の装置でもある。束縛から自らを解放し、「VRへの没入」から脱出したパフォーマー。「現実」への生還を物質的に支えるのが、救命装置=筏としての畳の床だ。一歩前に出て畳のフチに立ったパフォーマーは、だが、まだ「舞台」という限定された空間の中に捕らわれてもいる。

パフォーマーが後ろを振り返ると、海上を漂う畳の映像がスクリーンに映り、極めて多義的な示唆を与える。その畳は、水中/VRに投げ出された者を救う救命装置=筏を暗示する。同時にそれは、蕪島の洞窟の中で太夫と三味線奏者が座っていた畳の舞台ともつながり、「救済」から「破壊」へと意味を反転させる。戦争末期、蕪島の洞窟には特攻艇が格納され、周防灘に進攻してきた敵艦への特攻を任務とし、ベニヤ造りのボートにエンジンと爆雷を搭載していたという。そして、この救命艇/特攻艇である畳は、アバターを操る/操られる、見る/見られるという構造や境界線が曖昧になった「舞台」であり、さらに私たち観客が靴を脱いで座っている「畳敷きの客席」でもある。「舞台」を見ていた私たちもまた、現実と仮想空間、人形/人形遣いの境目がつかず、無限に広がるようで限定された空間の中に無意識のうちに閉じ込められていたのだ。畳に座る私たちは救助された生還者なのだろうか。それとも、「海上を漂う無人の畳/特攻艇」に、見えない特攻隊員の代わりに乗り込んでいるのだろうか。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


このように、「日本の植民地支配の歴史をVRを通して問う」批評性や、「何が時代を駆動させるエンジンなのか」という根本的な問いは、2021年に同じくYCAMでの個展で発表されたホー・ツーニェンの近作《ヴォイス・オブ・ヴォイド―虚無の声》とも共通する。映像とVR体験で構成されるこの作品では、戦争の動力源としてのイデオロギーと思想が俎上に乗せられる。VRのひとつでは、真珠湾攻撃の約2週間前に行なわれた、京都学派の思想家4名による座談会が擬似体験できる。ヘーゲルの歴史哲学を批判的に乗り越え、没落したヨーロッパに代わって日本が歴史の推進力を担うべきと説き、戦争の道義的目的を理論的に正当化しようとする議論。だがその議論を聴くためには、「VR内で鉛筆を持つ手」を動かし続け、「座談会の速記者」の身体に憑依しなければならない。手の動きを止めると、速記者の大家益造が自らの中国戦線体験を詠んだ歌集から、戦場の凄惨さ、反戦、京都学派への辛辣な批判を詠んだ短歌が聴こえてくる。別のVRでは、学徒動員が迫った戦局悪化の状況下、「国家のために死ぬことで個人が神となる」という論理を若い学生たちに語った田辺元の講演を読み上げる声が響くなか、観客は「海上を飛ぶ戦闘ロボット」に乗り込むが、やがてその機体はバラバラに崩壊していく。「VR世界への没入=身体の一時的消滅」のリテラルな実践が、「英霊」になる擬似体験と戦慄的に重なり合う。この戦闘ロボはガンダムの量産型ザクを思わせるビジュアルだ。またホーは、続編といえる「百鬼夜行」展(豊田市美術館、2021-2022)では、さまざまな妖怪を、プロパガンダ装置、監視網、石油資源を目的とした侵略、歴史の健忘症などに読み替え、アニメーションで表現した。

かつて日本が侵略したシンガポールと植民地化した台湾という、現在の日本の「外部」から、VRというテクノロジーを介して歴史を再批評すること。本展の作家の一人である許家維とホーは、アジア・アート・ビエンナーレ2019(台中)の共同キュレーションを務めている。戦闘ロボット、アニメーション、妖怪、人形浄瑠璃といった「日本のアイコニックな文化や伝統芸能」を巧みに織り込みながら批評する姿勢も共通項といえる。時代を駆動させるエンジンとしての思想、砂糖、そしてVRのソースコード。ゲームやエンタテインメントの印象が強いVRだが、兵士やパイロットの戦場シミュレーション訓練など軍事利用目的で開発された歴史ももち、この観点からも許とホーの関心が重なる。そして許たちの本展は、「台湾」からの視点と「日本」からの視点の片方だけでは不十分であり、歴史を複眼的に見ることの重要性を改めて示してくれる。

なお、製糖業が近代化と植民地主義、移民労働と不可分であることを、「かつてハワイのサトウキビ畑に移民労働者を送り出した側」の視点から扱うのが、同時期に山口県の周防大島の日本ハワイ移民資料館で開催された原田裕規の個展である。「アバター」を用いる批評的意図の違いも興味深く、同評をあわせて参照されたい。

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2023/06/24(土)(高嶋慈)

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