2019年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

名作展 異国の情景 アジアへの熱情

会期:2018/09/18~2018/12/19

大田区立龍子記念館[東京都]

地下鉄浅草線の西馬込駅から徒歩15分の住宅地に建つ川端龍子の個人美術館。こじんまりした建物だろうとタカをくくっていたら、予想外に大きくてびっくりした。ただ大きいだけでなく、ジグザグのかたちをしているではないか。設計は龍子本人。ジグザグは超大作を描いたり展示したりするためかと思ったらそうではなく、タツノオトシゴ(龍)のかたちだそうだ。

今回展示されているのは、龍子が1930-40年代に盛んに訪れた南洋諸島や中国に取材した大作十数点。満州事変に始まり日中戦争、太平洋戦争と続く戦争の時代なので、戦争画もいくつか出ている。たとえば中国山中を飛ぶ日本の戦闘機を描いた《香炉峰》。幅7メートルを超す大画面に収めた原寸大の戦闘機は迫力満点だが、なにより奇妙なのは、機体が薄絹のようにシースルーなのだ。《水雷神》にも驚かされる。水中を行く魚雷を3人の青い水の神が後押ししているのだ。油絵の戦争画がおおむね事実に即したリアルな記録画を目指したのに対して、龍子は日本画では写実表現においてかなわないと思ったのか、自由奔放な発想で豪快に描いている。

戦争以外のモチーフもあるが、この時代に龍子の描いたアジアはいずれもきな臭さが漂い、広い意味で戦争画といっていいかもしれない。たとえば《源義経(ジンギスカン)》。義経が大陸に逃れてジンギスカンになったという伝説は、中国に侵攻したこの時代もてはやされたものだ。ここではラクダを描くことでモンゴルであることを表わしている。《朝陽来》は奇抜このうえない。山並みの尾根に延びる万里の長城はまるでタコの足だし、なにより朝日が山の向こうではなく、山と山のあいだから昇っているのだ。どういう発想だ!? これはもはや戦争画というより、幻想画というべきか。

2018/11/22(村田真)

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眠らない手:エルメスのアーティスト・レジデンシー展 vol.2

会期:2018/11/15~2019/01/13

銀座メゾンエルメスフォーラム[東京都]

いま、フランスでは工芸作家や職人が伝統技術や素材をベースに新たな表現を探る挑戦が顕著になっているという。これをフランス工芸作家組合は「ファインクラフト運動」と呼び、強く推進する。つまり工芸作家や職人のアーティスト化である。本展を観て、このファインクラフト運動をふと思い出した。

しかし本展の趣旨は少し異なる。エルメス財団が2014〜2017年に実施した、第2期「アーティスト・レジデンシー」で生まれた作品の紹介だ。これは世界中から9人の若手アーティストをエルメスのさまざまな工房に招聘して、職人と協働し、滞在制作を行なってもらうというプログラムである。それぞれの工房で扱う素材は、シルク、皮革、銀、クリスタルガラスと上質なものばかり。エルメスの卓越した職人技に触れながら、まったく自由な構想で、若手アーティストに作品づくりに集中してもらう。展示作品は、絵画を薄いシルクに分解プリントし重ね合わせた作品、カラフルな英国製の靴のオブジェ、皮革を寄木細工のように貼り合わせた絵画、謎めいた皮革道具一式、シルクの端切れを縫い合わせた、おぞましさを誘う人形の集合体などだった。vol.1では、ピュイフォルカの銀のスプーンをワイヤー状になるまで引き延ばした作品などがあった。

アナスタシア・ドゥカ、イオ・ブルガール / Anastasia Douka, Io Brugard
Installation view / 展示風景
©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

冒頭に述べたファインクラフト運動は工芸をベースにした創作性の拡張になるので、工芸作家や職人が素材とじっくり向き合った末、見た目に驚きのある作品を生み出す傾向にある。ところが、本展の展示作品は工芸の力を借りたとはいえ、若手アーティストの内面や概念をベースにした創作性の拡張になるので、一筋縄ではいかない。驚きの前に、正直、理解に苦しむ点は多かった。またエルメスの職人技をこんな風に惜しげもなく、若手アーティストの創作に利用してもいいのだろうかとさえ思ってしまった。もちろん企業には社会貢献としてメセナがあることは理解している。職人が若手アーティストに触発されたり、若手アーティストからの突拍子もない要求によって職人技が向上したりする相乗効果があることもわかる。いずれにしても高い企業文化と資金力がなければできないことだ。エルメス財団の懐の深さを感じた展覧会だった。

ルーシー・ピカンデ、アナスタシア・ドゥカ / Lucie Picandet, Anastasia Douka
Installation view / 展示風景
©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

公式サイト:http://www.maisonhermes.jp/ginza/le-forum/archives/761518/

2018/11/21(杉江あこ)

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バッドアート美術館展

会期:2018/11/22~2019/02/11

Gallery AaMo[東京都]

ひどい絵ばかりを集めた美術館が実在するそうだ。ボストンにあるバッドアート美術館で、通称MOBA(モバ)。コレクションは800点を超え、今回はそのなかから100点以上が初公開されている。会場は東京ドームシティ内のギャラリーアーモ。英語表記は「AaMo」で、AはArt、Amusementのイニシアル、aMoはand Moreだそうだ。展覧会も会場もキワモノっぽいが、これがなかなかアートについて考えさせてくれる。むしろキワモノゆえにアートの枠組みが浮かび上がってくる、というべきか。

ひとくちに美術作品といってもピンキリで、最良のものは美術館やギャラリーで見られるが、最悪のものはまとめて見る機会がない。ならば最悪のものばかり集めようというのがバッドアート美術館だ。でも最良に比べて最悪を決めるのは難しい。なぜなら最良のものは厖大な作品の山の頂点にわずかしかないけれど、最悪のものは広大な底辺に無数に存在するからだ。いや底辺だけでなく、頂点のすぐ下にとてつもない最悪の作品が埋もれているかもしれず、いってしまえば頂点を除くすべてに最悪の可能性があるのだ。そんな最悪の山からどれを選ぶのかが悩ましいところ。ウィキペディアの「バッドアート美術館」によれば、「オリジナルであり、かつ真面目な意図を持った作品でなければならないが、同時に重要な欠点をそなえていなければならず、何より人を退屈させるものであってはならない」というのが選択基準らしい。重要なのは最後の「人を退屈させない」ことだろう。「笑える」といいかえてもいい。

実際どんな作品が集まっているのかというと、端的にいえばヘタな絵、変な絵、失敗作など。大半は素人で子供の絵もあるが、わざとヘタに描いた絵や故意に笑いをとろうとした作品はNGだ(NGはノーグッドだがバッドではない)。抽象がないのはわかるが(退屈だから)、アウトサイダーアートがないのは意外だ。すでにアートとして認められてしまったからだろうか。作品の横にはタイトル、作者名、制作年、素材などを記したキャプションがついていて、曲がりなりにも展覧会の体をなしているが、ところどころ2段掛けにしてあるし、大半は額縁に入ってないし、額縁がついてるものもかなり安物だし、絵の脇にしりあがり寿によるツッコミのフキダシがついていたりもする。これってひょっとして、ナチスによる「頽廃芸術展」に似てなくないか?

「頽廃芸術展」は前衛嫌いのヒトラー率いるナチスが、おもに表現主義絵画を美術館から押収して「頽廃芸術」の烙印を押し、狭い会場に並べて壁に侮辱的なコメントを記して嘲笑の的にしたというもの。その後、作品は外国に安く売り飛ばしたり、焼却された例もあったという。もちろんバッドアート美術館の場合、本人や遺族の了承を得て収集・展示されているはずだが、作者の意に反して笑いのネタにされているものもあるんじゃないか。逆にいまの時代、これらの作品が高く評価され、億単位で売買される可能性だってないわけじゃない。……それはないか。

2018/11/21(村田真)

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岩根愛「FUKUSHIMA ONDO」

会期:2018/11/17~2018/12/02

Kanzan Gallery[東京都]

岩根愛は、青幻舎から上梓した『KIPUKA』におさめられた、深みと広がりを備えたハワイの写真群を、いくつかのギャラリーで断続的に展覧会を開催するという形で展開している。10月の銀座ニコンサロンでの「KIPUKA」展に続いて、東京・馬喰町のKanzan Galleryでは、「FUKUSHIMA ONDO」展が開催された(キュレーションは原亜由美)。

岩根はハワイの「BON DANCE」に魅かれて、2006年から取材を続けてきた。その過程で福島の相馬盆唄の唄、踊り、太鼓や笛などを伝え、「FUKUSHIMA ONDO」として流布させるきっかけをつくった日系一世の4家族にたどり着く。今回の展示の中心は、それらの一家を撮影した家族写真の画像を、彼らが過ごしていた居留地の草むらや森に投影した作品である。ほかに、やはり岩根が長年にわたって撮影してきた日系移民の墓石群や「マウイ島に残された最後のサトウキビ畑」の写真、キラウエア火山の溶岩流をテーマとした映像作品《Fissure8》などが展示され、会場の中央には「FUKUSHIMA ONDO」の踊り手たちの手の動きをクローズアップで捉えた、長さ5mのパネルが置かれていた。

銀座ニコンサロンの展示でも感じたのだが、複雑に枝分かれし、異なる地域や時代を飛び越え、結びつけていく「KIPUKA」の写真群を、それほど大きくないスペースで見せるのはやや無理がある。だが、あたかも巡礼のようにギャラリーを回っていくことで、観客は、大きな会場で作品を見るのとはまた違った視覚的体験を味わうことができるではないだろうか。東京・西麻布のKana Kawanishi Photographyでも、同時期にパノラマ作品を中心にした「KIPUKA—Island in My Mind」展が開催された(11月24日〜12月22日)。これらの連続展の延長として、例えばハワイや福島での同作品の展示も考えられそうだ。とはいえ、やはりもっと広いスペースで、まとめて作品を見てみたいという気持ちも抑えがたい。

2018/11/18(日(飯沢耕太郎)

みくになえ「glare」

会期:2018/11/14~2018/11/25

72 Gallery[東京都]

みくになえの写真展のタイトルになっている「グレア現象」というのは、「車のヘッドライトの光が重なる時、人の姿が見えなくなる」状況を指す言葉だという。みくには、自動車教習所で免許取得の講義を受けている時に教科書でこの言葉を知り、強いインスピレーションを受ける。そこから「ヘッドライトの光が重なる時、失われた魂が再び浮かび上がることもあるんじゃないか」と妄想を膨らませて制作を開始したのが、今回の出品作「glare」である。

みくにの作品は、筆者も審査員のひとりである第34回東川町国際写真フェスティバルの「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」でグランプリを受賞して、今回の個展が実現した。だが、今年8月の受賞時にはまだ作品のクオリティが不十分で、実際に展示ができるかどうかが危ぶまれていた。その後、カメラを精度の高い一眼レフに変え、連続撮影などの手法も取り入れ、さらにスライド上映や展示の仕方もブラッシュアップすることで、見応えのある展示が実現した。あくまでもカメラの機能に身を委ねて、「人の姿が見えなくなる」という現象そのものを定着した写真群は、意図的な「絵作り」を禁欲的に避けることで、逆に観客のイマジネーションを喚起する魅力的な作品として成立していた。ユニークな思考力と実践力とを併せ持つ写真作家の登場といえるだろう。

多摩美術大学芸術学科出身のみくになえには、制作行為をきちんと言語化できる能力も備わっている。今後はそれを活かして、テキストと写真(映像)とを融合させた作品に向かうことも考えられるのではないだろうか。

2018/11/17(土)(飯沢耕太郎)

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