2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ゴードン・マッタ=クラーク展

会期:2018/06/19~2018/09/17

東京国立近代美術館[東京都]

ゴードン・マッタ=クラークについては、切断系のいくつかの作品と、レストランを営む「フード」の活動は知っていたが、本展はほかに知らないプロジェクトがいろいろと紹介しており、ついに日本で彼の全貌に触れることができる貴重な内容だった。住居・空間・都市の空間と使い方に対するぎりぎりの挑戦は、建築では超えることが難しい一線を軽々と超えており、きわめて刺激的である。実際、彼は空き家に侵入して床や壁を切断したり、倉庫を改造したことによって、逮捕状が出たり、損害賠償請求が検討されている。美術館の依頼による仕事や許可を得たプロジェクトにしても、建築の場合、手すりなしで、人間が落下可能な穴をつくることは不可能である。とはいえ、リチャード・ウィルソン、川俣正、西野達、Chim↑Pom、L PACK、アトリエ・ワンの都市観察などを想起すれば、マッタ=クラークは現代アートのさまざまな活動を先駆けていたことがわかる。

彼は建築を学び、その教育を嫌い、父のロベルト・マッタと同じく、アートの道に進んだ。展覧会場の窓を破壊し、ときにはピーター・アイゼンマンを激怒させたこともある。が、やはりマッタ=クラークの作品はとても建築的だと感じさせる。円、球、円錐などのモチーフを組み合わせた切断の幾何学が美しいからだ。特に倉庫に切り込みを入れた「日の終わり」は、暗闇のなかに光を導き入れ、建築の破壊というよりも、空間の誕生を感じさせる。原広司の有孔体理論のように、閉ざされた箱に穴を開けること。その結果、光が差し込む(=開口の誕生)のは、建築の原初的な行為そのものではないだろうか。「日の終わり」は倉庫を聖なる教会に変容させたかのようだ。また内部の床や壁の切断も、垂直や水平方向に新しい空間の連続を生成している。彼の手法は、非建築的な行為と解釈されることが多いけれど、壊されゆく建築の内部に新しい建築をつくっているのだ。

早稲田大学建築学科小林恵吾研究室が製作した「サーカス」のダンボール模型(左)、美術館の前庭に展示された《ごみの壁》(右)


《スプリッティング:四つの角》


手前は「リアリティ・プロパティーズ:フェイク・エステイツ」、会場デザインは小林恵吾


《クロックシャワー》(写真右手)


「オフィス・バロック」(写真左手)と「市場」カテゴリの展示エリア(写真右手)


2018/07/07(土)(五十嵐太郎)

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川崎祐「Scenes」

会期:2018/06/26~2018/07/13

ガーディアン・ガーデン[東京都]

川崎祐は1985年、滋賀県生まれ。2017年の第17回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した作品に、撮り下ろしの写真を加えて本展を構成した。

「家族」は若い写真家たちにとって目新しいテーマとは言えないが、川崎の写真を見ていると、まださまざまな可能性を孕んでいるのではないかと思えてくる。写真「1_WALL」展の審査員のひとりだった姫野希美(赤々舎)が、「清々しさと異様さが同時に立ち上がった」と評しているが、確かに川崎が「家族」に向ける眼差しには独特の質感が備わっている。特徴的なのは、父、母、姉だけではなく、滋賀県長浜市の実家とその周辺の光景をかなり執拗に撮影していることだ。その観察力の緻密さは特筆すべきもので、その結果として、ドリルやスパナなどの工具、マヨネーズのチューブ、皮を剥がされて干涸びたライムとかが散乱する、猛々しいほどの生気に満ちた「Scenes」の様態が、くっきりと浮かび上がってきている。川崎の狙いは明らかで、「家族」も、それらのモノたちも、どこか荒廃の気配を漂わせる田園風景も、等価な構成物として、彼のカメラの前で「清々しさと異様さが同時に立ち上が」る眺めを形作っているということを言いたいのだ。

会場には、本展のために書き下ろしたという、「不完全な円の縁で」と題するエッセイとも小説ともつかない文章をおさめた小冊子も置いてあった。なかなかの文才なので、ぜひ「家族」についての文章も書き継いでいってほしい。テキストと写真が半々くらいの分量の「写真集」を見てみたい。

2018/07/06(金)(飯沢耕太郎)

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広川泰士「Portraits」

会期:2018/06/18~2018/08/12

写大ギャラリー[東京都]

ファッションや広告の世界で活動しながら、日本各地の原子力発電所の施設を撮影した「STILL CRASY」(1994)、東日本大震災以後の日本の風景の変貌を緻密な描写で捉えた「BABEL」(2015)など、志の高い写真シリーズで知られる広川泰士。その彼の1970年代からの写真家としての軌跡を、「Portraits」という括りで概観する興味深い企画展である。

ファッション・広告写真家がポートレートを撮影すると、往々にして被写体を「ねじ伏せる」ような強引な撮り方になりがちだ。だが、広川の作品を見ると、まずはモデルたちに向き合って、彼らが発するエネルギーを受け止め、柔らかに絡めとっていくようなやり方をしているのがわかる。特にモデルが単独ではなく複数の場合、その気配りがうまく働いている。イッセイミヤケやコムデギャルソンなどのファッションを身にまとった「普通の人々」を撮影した『sonomama sonomama』(1987)や、芸能人や文化人の「家族」にカメラを向けた「家族の肖像」(1985~)の頃から、その傾向ははっきりとあらわれていて、広川のトレードマークと言えるような、群像のポートレートの撮影のスタイルが確実に形をとっていった。その手法は、震災以後に福島県相馬市や宮城県気仙沼市で撮影された、被災者の家族のポートレートにも見事に活かされている。

広川は「Portraits」のモデルたちに対して、風景に対峙するときとはまた違った、好奇心を全開にしたオープンな態度で接している。それが、のびやかな開放感につながっているのではないだろうか。彼の鍛え上げられたカメラアイは、これから先も厚みと多様性を備えた、クオリティの高い作品に結びついていきそうだ。

2018/07/03(火)(飯沢耕太郎)

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岡本神草の時代展

会期:2018/05/30~2018/07/08

千葉市美術館[千葉県]

出品目録を見ると、作品数は計166点というからかなり大規模。でも「─の時代展」と題されているように、岡本神草だけでなく同時代の菊池契月、甲斐庄楠音、稲垣仲静、梶原緋佐子といった日本画家の作品も含まれていて、神草だけだと123点。しかも前期と後期で展示替えがあり、おまけに前半は大半がスケッチや下絵に占められ、ようやく本画が登場したと思ったら途中でぷっつり終わってしまい、ややハンパというか、たっぷり見せていただきました的な充実感は少ない。もっともそれは企画者のせいではなく、神草自身が若くして突然亡くなってしまったからであり、また量的な充実感はなくても、質的には数点ながら満足のいく作品があったことは特筆しておきたい。

さて、神草といえばなんといっても“デロリ系”の女性像に期待したわけだが、京都市立絵画専門学校の卒業制作で描いた《口紅》(1918)を最初のピークとして、特有の妖艶かつ不気味な表情は《拳を打てる三人の舞妓の習作》(1920)に受け継がれていく。ところがその後リアルな陰影表現を採り入れ、《仮面を持てる女》(1922)や《五女遊戯》(1925)などに変容。これはこれで妖艶なのだが、昭和に入るとまたスタイルが変わり、《化粧》(1928)、《婦女遊戯》(1932)といった浮世絵風のフラットな表現に回帰し、その翌年38歳で急逝してしまう。ハンパ感が否めないのはそのためだ。したがって、もっとも妖艶で不気味な魅力を発散させていたのは大正期で、それは甲斐庄楠音の《横櫛》、丸岡比呂史の《夏の苑》、稲垣仲静の《太夫》など、同世代の画家たちにも当てはまる。そして彼らも昭和に入るとあっさり系に転じてしまうのだ。考えてみればこれは岸田劉生をはじめとする洋画家にもいえることで、ここに大正と昭和の時代精神がはっきり表れているような気がする。

2018/07/03(村田真)

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縄文—1万年の美の鼓動

会期:2018/07/03~2018/09/02

東京国立博物館[東京都]

「日本の美」はしばしば、桂離宮に代表されるような質素きわまりない「ワビサビ系」と、日光東照宮に見られるような過剰なまでの「装飾系」の両極に分けられてきた。古代でいえば前者が弥生文化、後者が縄文文化であり、現代でいえば前者がもの派、後者が岡本太郎か。だから岡本太郎が縄文土器を「再発見」したというのはうなずける。でも、どっちかというと日本人に人気があるのはワビサビ系であり、装飾過剰系より日本的であると感じてしまいがちだ。そんなわけで太郎に見出されるまで縄文は長いあいだ博物館の隅に眠っていたわけだが、ここにきてにわかに巻き起こった縄文ブーム。この「縄文展」がブームをあおったのか、それとも「縄文展」がブームに乗ったのかは知らないけれど、いずれにせよ時宜にかなった企画といえる。

出品点数は国宝6件を含む約200点。しかも国宝指定はこの20年ほどのあいだのことで、つい最近の出来事なのだ。地図を見ると、縄文土器や土偶の多くは東日本から発掘されていて「ざまあみろ」と思う。だいたい弥生以降つねに文明文化は西日本が中心で徐々に東進してきたことになっているが、実はそれ以前は1万年ものあいだ東日本が中心だったと聞くとちょっとうれしくなる。デカイ顔をした関西人に対する東日本の逆襲というか。いや別に関西を嫌ってるわけじゃないけれど。

展示は初期のころのまだ装飾の少ない土器や石斧、装身具などから始まり、やがて「縄文」の名の由来になった縄模様が現れ、なんでこんな使いにくいゴテゴテの突起を施したのか首をひねりたくなる火焔型土器にいたる。実用性より装飾性を重んじるというのは、よっぽど生活に余裕がないとできないこと。数千年前の日本は自然も豊かで、日本人の想像力も豊かだったのだ(まだ「日本」じゃなかったけどね)。そのことを証してくれるのが、同時代の海外の土器との比較だ。ここでは中国、インダス、メソポタミア、エジプトの4大文明とその周辺の土器、および弥生土器を集めて比較している。なるほど、海外の土器には彩色したものはあるけれど、火焔型土器ほどの過剰な装飾は見られず、まったく日本独自のものであることがわかる。なにか美術史のスタート地点でドーピングを犯してしまったか、ハデなフライングをやらかしてしまったような目立ち方。でもこれが残念ながら続かず、弥生以降ワビサビ系が日本美の主流になっていくのだ。

そして最後は土偶。縄文で国宝第1号となった《縄文のビーナス》をはじめ、やけにモダンな《縄文の女神》、座って両手を合わせた《合掌土偶》、「太陽の塔」のルーツともいわれる《ハート形土偶》や《筒形土偶》、そして宇宙人がモデルと噂される《遮光器土偶》まで、よくこれだけ集めたもんだとホメてあげたい。それにしてもこれらの土偶に見られる顔貌や身なり、デザインは実に多彩で、どっちかといえば洗練されているというよりドン臭いけど、それだけにアヴァンギャルドで現実離れしていて、たしかに宇宙人をモデルにしたとか宇宙人がつくったとかいわれるのもわかる気がする。その他、さまざまな顔の土面や。耳、鼻、口のかたちの土製品、イノシシやサルなどの土製品、男根を思わせる石棒など、知られざる縄文美術に触れることができた。帰りにショップをのぞいてみたら、松山賢のプチ縄文土器や土偶を売っているではないか。縄文展のお土産に現代アートとは、東博もずいぶんユルくなったもんだ。

2018/07/02(村田真)

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