2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

鈴木ノア「道化の森が眠る頃」

会期:2017/11/07~2017/11/19

Roonee 247 photography[東京都]

プラチナ・プリント、サイアノタイプ、ゴム印画法といった、いわゆる「古典技法」に対する関心が高まりつつある。いうまでもなく、その背景にあるのは、デジタル化によって撮影やプリントのプロセスが簡略化されたことに飽き足らなく思っている人が増えているということだろう。さまざまな手法を使って、銀塩写真をクオリティの高い画像に置き換える「古典技法」は、手間はかかるが、出来上がった時の喜びは大きく、しかもデジタル写真では難しい深みや手触り感のある作品を得ることができる。今回の、東京・小伝馬町のギャラリー、Roonee247で個展を開催した鈴木ノアもそのひとりで、彼女が使っているのは、日本では大正~昭和初期に流行したブロムオイル印画法だ。
ブロマイド印画紙の画像をいったん漂白して、レリーフ状になった画面に、絵具を筆で叩きつけるようにして付けていくこの技法は、相当高度なテクニックが必要だが、鈴木はほぼ完璧にその技術を習得している。とすると、次に必要なのは、どうしてもクラッシックな雰囲気になりがちなブロムオイル作品を、なぜいま制作しなければならないかという動機づけをもっと明確にし、「何をどう見せるのか」をさらに絞り込んでいくことだろう。今回展示された17点のなかでは、水面に波紋が広がる場面や、カラスを写しこんだ作品に、不可思議な「道化の森」を立ち上げようとする、独自の視点と切り口が備わっているように感じた。そのあたりをさらに深く探求して、よりスケールの大きな作品世界をつくり上げていってほしい。ブロムオイル印画法では、かなり大きな作品をつくるのも可能なはずなので、サイズをもっと大きくしてみることも考えてよいかもしれない。

2017/11/08(水)(飯沢耕太郎)

「鏡と穴─彫刻と写真の界面 Vol.5 石原友明」

会期:2017/10/28~2017/12/02

gallery αM[東京都]

光田ゆりのキュレーションによる連続展「鏡と穴─彫刻と写真の界面」も5回目を迎えた。これまではギャラリーの空間全体を使ったインスタレーション的な展示が多かったのだが、今回の石原友明展では、壁面に平面作品が、床には立体作品が整然と並んでいる。だが内容的には、写真と彫刻という異質なメディアの結びつき方がスリリングで、かなり面白い展示が実現していた。
石原は1980年代からセルフポートレート作品を繰り返し発表してきたが、今回もそのテーマを追求している。「透明な幽霊の複合体」(5点)は、自分の髪の毛をスキャニングし、キャンバスに紫外線硬化樹脂インクで拡大プリントした作品で、その質感の、グロテスクなほどの生々しさがただごとではない。一方、立体作品の「I.S.M」(2点)は「3Dプリンターを使った立体セルフポートレート」で、発泡スチロールを貼り重ねて、彼の身体の輪切りを再構築している。もうひとつ、「透明な幽霊の複合体」の制作過程の副産物というべき、皺くちゃにした髪の毛の画像のプリントを、広げてアクリルケースに収めた作品があり、こちらも銀塩写真の印画紙そのものの物質感がうまく活かされていた。
石原はもともと写真と現代美術の融合を推し進めてきた先駆者というべきアーティストのひとりである。その彼がいまなお写真に並々ならぬ関心を寄せ、「断片化されたからだを寄せ集めてひとつの体を作りだそうとする」ことに執着し続けているのがとても興味深い。その探求の作業は、これから先も多様な作品群として結実していくのではないだろうか。

2017/11/08(水)(飯沢耕太郎)

福岡道雄 つくらない彫刻家

会期:2017/10/28~2017/12/24

国立国際美術館[大阪府]

福岡の作品はこれを見るまで、「波」の彫刻と「何もすることがない」シリーズしか知らなかった。「波」のほうは黒い直方体の上面にさざ波だけを彫ったもので、「何もすることがない」はその言葉を黒い板いっぱいに延々と刻んだもの。どちらも無意味なことの繰り返しだが、こうした虚無感は若いころだれしも感染する症状であり、そんなものをいい年してつくり続けてるのはどんなやつだろうと興味があったのだ。福岡は1950年代、砂浜を手で掘った穴のなかに石膏を流し込み、砂だらけの彫刻を発表。最初から「彫刻をつくる」という意志は希薄で、「できちゃった彫刻」とでもいうべきか。この無作為の作為こそ彼の彫刻を貫く芯といっていい。60年代には屹立する男根状の彫刻になり、やがて地から離れて宙づりのバルーン彫刻に行きつく。ここで地中から始まって地上に直立し宙に浮くという物語が完成してしまい、魔が差したのか、70年ごろからウケ狙いの具象彫刻に走ったこともあった。
そんな制作に嫌気が差し、しばらく趣味の釣りに浸るが、やがて釣りをする自分を表わした「風景彫刻」を始め、そこから余計なものが削り取られて水面だけ残ったのが「波」のシリーズだ。福岡の名を全国区にしたのはおそらくこの「波」シリーズからだろう。これが20年ほど続き、90年代後半から「何もすることがない」シリーズが始まる。その外見はロゼッタストーンを思わせるが、数千年後これが発見されて解読したら「何もすることがない」という言葉が繰り返されるだけで、未来人はどう思うだろう。もし未来人がAIロボットだったら、この「無作為の作為」のジレンマを理解できるだろうか。いやロボットでなくても現代人でもどれだけ理解できるだろう。おっと展示はまだあった。粘土をこすって「ミミズ」に見立てたり、丸めて「きんたま」をつくったり、もっとちっちゃく丸めて「つぶ」にしたり。もうここまで来れば「何もいうことがない」。

2017/11/08(水)(村田真)

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金刀比羅宮高橋由一館

金刀比羅宮高橋由一館[香川県]

香川県一人旅。まずは高松空港から琴平へ。金刀比羅宮を初めて訪れた2000年、高橋由一の作品はまだ独立した館ではなく、風通しのいい学芸館てとこに人魚のミイラとか妖しげなものたちと一緒に展示されていた。閑散とした見世物小屋といった趣で、それはそれでなかなか風情があったが、このままだと作品が劣化しちゃうんじゃないかと不安も感じたものだ。と思っていたら、宮司の旧友でもあるアーティストの田窪恭治が文化顧問に就き、2004年の大遷座祭に向けて「琴平山再生計画」に着手。同じころ、由一に画塾設立の資金を融資した(その見返りに由一が作品を奉納したため、ここにたくさんある)当時の宮司を描いた肖像画《琴陵宥常像》も見つかり、これを含む計27点を常設展示する高橋由一館が建てられた次第。由一の絵ばかりが整然と並ぶさまはなかなか壮観だが、余計なもの(人魚のミイラみたいな)がなくて寂しい気もする。由一作品はけっこう日常的というか猥雑な環境が似合うのかもしれない。
所蔵作品の内訳は、風景画が最も多く15点、次いで静物画が《豆腐》など10点、肖像画は先の《琴陵宥常像》1点、風俗画は《左官》1点。風景画で特徴的なのは極端に横長の作品が多いこと。この地を訪れた際に描いた《琴平山遠望図》をはじめ、《愛宕望獄》《牧ヶ原望獄》《月下隅田川》《江之島図》《本牧海岸》《二見ヶ浦》《州崎》などがそう。特に《琴平》《愛宕》《牧ヶ原》の3点は左右端をぼかして描くことで、見る者の注意を画面中央に向けさせるテクニックを用いている。また、袋戸の小襖として描かれた《月下隅田川》は、薄明の隅田川の夜景を表現したもので、同時代のホイッスラーを思わせるモダンな作品。風景画ではこれがいちばん横長だが、静物画ではやはり小襖仕立ての《貝図》がさらに横長で、縦対横の割合が1対10以上。当時の日本家屋には絵を掛ける壁がなかったので、戸袋の襖に描いたのだろう。由一作品が美術館より世俗的な空間に合うのはそのためかもしれない。

2017/11/07(火)(村田真)

猪熊弦一郎展 戦時下の画業

会期:2017/09/16~2017/11/30

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

今回の香川県一人旅のメインはこれ。猪熊は1938年にフランスに遊学し、マティスに師事したり藤田嗣治と親交を結んだりしたが、40年に戦火を逃れて帰国。戦前からマティスやピカソばりの絵を描いていたのに、日本が開戦すると作戦記録画を描くよう期待され、中国、フィリピン、ビルマ(ミャンマー)などに派遣される。猪熊は記録画を少なくとも3点描いたが、現存するのは東近美の《○○方面鉄道建設》1点だけで、あと2点は行方不明。ひょっとしたらもっと描いていたかもしれないが、ほかの画家もそうしたように、敗戦時に自らの手で焼却してしまった可能性もある。だいたい3度も外地に派遣されながら3点しか制作しなかったというのは少なすぎる。解説によると、瀧口修造と福沢一郎が検挙されたあと、次は猪熊と佐藤敬が危ないといわれ、逆らえなかったらしい。
展示はフランスでの藤田との交流を示す作品や資料、日中戦争中の中国の子どもを描いた大作《長江埠の子供達》、外地でのおびただしいスケッチ、軍からの出品依頼書、佐藤敬の《クラークフィールド攻撃》、小磯良平の《日緬条約調印図》といった戦争画、そしてただ1点残された猪熊の記録画《○○方面鉄道建設》など、戦前から戦後までの足跡をたどっている。この幅4.5メートルある《○○方面鉄道建設》は、捕虜を死ぬほどこき使った過酷な労働で悪名高い泰緬鉄道の工事の様子を描いた横長の超大作。「○○方面」と地名が伏されているのは、おそらく秘密裏に工事が進められていたからだろう。マティスに学んだとは思えないリアリティに富んだ(つまり色もかたちも面白味のない)記録画。猪熊は生前、戦争画について語ることはほとんどなかったというが、例えば《長江埠の子供達》に比べれば気乗りがしなかったことはよくわかる。それでも描こうと思えば描けちゃうところがプロの哀しさというか。

2017/11/07(火)(村田真)

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