2019年03月15日号
次回4月3日更新予定

artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

日本・デンマーク国交樹立150周年記念 デンマーク・デザイン

会期:2017/11/23~2017/12/27

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]

日本・デンマーク国交樹立150周年を記念して開催される展覧会のひとつ。展示はミッドセンチュリーを中心に概ね時代別に、19世紀後半から現代までの家具、食器、照明、家電、日用品、グラフィックなどのデザインを辿る。第1章は「国際的評価を得た最初のデンマーク・デザイン」。1775年に設立されたロイヤル・コペンハーゲンと、1853年に設立されたビング・オー・グレンダールの磁器が紹介されている。第2章は「古典主義から機能主義へ」は、20世紀初頭の古典古代から着想を得たコーオ・クリントとその弟子らによる幾何学的でシンプルな家具や照明器具。第3章「オーガニック・モダニズム─デンマーク・デザインの国際化」では、デンマーク・デザインの黄金期と呼ばれた1950~70年代までの有機的なフォルムを持った多彩なデザイン。第4章は「ポストモダニズムと現代のデンマーク・デザイン」。イーレク・マウヌスンの「バキュームジャグ」、ウアスラ・モンク=ピーダスンによる食器セット、ビオミーガ社の自転車などが紹介されている。
19世紀の磁器は20世紀のデザインにどのような影響を与えたのだろうか。王立磁器製作所のフィリプ・スコウは、1890年の美術工芸博物館(現在のデンマーク・デザイン博物館)の設立に携わり、またビング・オー・グレンダールの美術監督だったピートロ・クローンは同館の初代館長に就任している。この博物館のコレクションが後のデザイナーたちを刺激し、20世紀のデンマーク・デザインの土台をつくった。デンマーク・デザイン博物館のクレスチャン・ホルムステズ・オーレスチンによれば、デンマーク・デザインは「徹底して他の時代、他の文化の類型と形態の研究にその基礎を置くデザイン文化」だという。そして、20世紀のデンマーク人デザイナーの多くが職人としてのバックグラウンドを持っていたこと、彼らが美術工芸博物館内に設置されていた美術工芸学校に入学するためには、職人の徒弟修了証明書が必要だったことを指摘している。じっさい、第1章から第4章まで、時系列に並んだ家具や食器、照明器具には、(ヴェルナー・パントンの仕事を除くと)極端な様式や素材感の違いを感じないのは、デンマークのデザイナーが「過去の優れた作例を改良し、より上質なものへと改善することによって同時代の文化に適合させる」ことを旨としていたからだろう。そしてこうした方向性は「意識的な選択ではなく、優れた職人技の他には何も持ち合わせていなかったが故の必要性に駆られてのこと」。1950年代にアメリカで北欧デザインを紹介する巡回展が開催されるとデンマーク・デザインに対する需要が高まったが、デンマークでは「もともとハンドメイドを想定してデザインされた製品を、生産工程のすべてもしくはその半分が機械生産でも対応可能なものに改良し」「ハンドメイドの質をもった工業デザインを手に入れた」のだ。オーレスチンはジャスパー・モリスンや深澤直人の「原型となる古い作例を改良し、洗練を加える」という手法に、デンマーク・デザインの特徴との類似を指摘している(本展図録、23-27)。
デザイン史として、特に興味深いのはデンマーク生活協同組合連合会(FDB)によって1940年代に開発された家具「フォルゲムーブラ」の事例だ。多機能でありながらシンプルなデザイン、そして安価な家具は、当初はターゲットとした労働者たちに受け容れられなかったという。というのも、「労働者たちは自分たちが『労働者らしく』見られることを望まず」「よく知られたトリクルダウン理論に従うように、気品に満ちた古典的な家具もしくはその模造品に囲まれたブルジョワ的な暮らしを熱望し」たからだ。代わりにフォルゲムーブラを好んだのは「建築家やデザイナー、芸術家、知識人たち」だった(本展図録、18-19頁)。デザインは社会階層のアイデンティティでもある。
1970年代になるとデンマーク家具の国際的な人気は衰える。展示や図録では背景を掘り下げていないが、「1950年代の後半に入るとデンマーク家具の評判が上がり需要に供給が追いつかなくなったことで、質の悪いものが出回り世界市場でのトラブルのもとに」なったのだ。また家具のマイスターが建築家やデザイナーと組もうとしなくなったために、人材が育たず、1970年代、80年代は空白の時代になってしまったということだ(島崎信『デンマーク デザインの国』学芸出版社、2003年9月、46頁)。
本展の家具の展示ではものを並べるだけではなく、テーブルや椅子、絵画などを組み合わせてインテリアのイメージを再現しているほか、ハンス・ウェグナーがデザインした数種類の椅子に座ることができるコーナーが設けられている。[新川徳彦]


会場風景

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塩川コレクション──魅惑の北欧アール・ヌーヴォー「ロイヤル・コペンハーゲン ビング・オー・グレンタール」|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

アンデルセン展|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2017/11/22(水)(SYNK)

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六本木開館10周年記念展 フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年

会期:2017/11/22~2018/01/28

サントリー美術館[東京都]

2010年に国立セーヴル磁器製作所と国立セーヴル陶磁美術館が統合され「セーヴル陶磁都市」という組織になった。本展は「セーヴル陶磁都市」が所蔵する優品によってその創立から現在までを回顧する展覧会だ。展示は18世紀、1740年にセーヴル磁器製作所の前身としてヴァンセンヌ城の塔内に設立された軟質磁器の製作所から始まり、19世紀、20世紀、そして現代まで、4つの章で構成されている。
展示で興味深い点が3つある。1つは中国風の絵付。16世紀にポルトガルが、17世紀にはオランダが東洋から磁器をもたらしたことで、ヨーロッパの王侯貴族の間で東洋磁器の収集熱が高まり、磁器製造を試みる者も現れた。ヨーロッパで最初に硬質磁器の焼成に成功したのは、1710年、ザクセン公国のマイセン磁器製作所。ヨーロッパ人の憧れは東洋磁器だったので、マイセンでは当初中国や日本の磁器の写しがつくられた。遅れて1740年にフランス・ヴァンセンヌに設立された磁器製作所では、カオリンを用いた硬質磁器の製造は1770年まで待たなければならなかったが、当初はやはり中国風の絵付が行われていた。面白いことに、これら中国風の絵付は中国磁器からの写しではなく、マイセン磁器からの写しだった。すなわち東洋磁器への憧れは、セーヴルにおいてはマイセン磁器を通じて間接的に表現されていたことになる。その後、1751年、ルイ15世の寵姫ポンパドール夫人がセーヴル磁器に興味を示すようになると、セーヴルではマイセン磁器の模倣を止めて、夫人の好みに応えた独自のスタイルを創出してゆく。
2つめはフランス革命の影響。革命期にセーヴルでは一時的に製造が止まってしまうが、その後は国有の製作所として存続する。王侯貴族が放逐されて、社会階層には大きな変化が生じ、セーヴル磁器の顧客たちも変化したはずだが、第1章(18世紀)から第2章(19世紀)までに、目立った断絶は感じない。もちろん19世紀初頭の新古典主義様式や産業技術をモチーフとした絵付など、表面的な変化はある。1900年パリ万博の際にはアール・ヌーヴォー様式への転換が行われている。しかし凝った器形、手の込んだ絵付、すなわち製品のクオリティ、ひいてはコストが変化したように見えないのだ。マイセンでは19世紀になるとややシンプルな器形と装飾の製品が現れており、そこに顧客階層の変化がうかがわれるのだが、セーヴルでは現代に至るまで、常に最上級の技術が投入され続けている。どうやらセーヴルにおいてつくられる製品の数は限定されており、クオリティや価格という点でマーケットに合わせる必要がないことが背景にあるようだ。現代でも年間の生産量は数千ピース。その25%程度は政府機関や大使館など公的機関に収められ、一般の人々の手にはほとんど渡らないのだそう。そのため、セーヴル磁器の歴史はマーケットとの関係よりも、ポンパドール夫人の干渉にもあるように、ディレクターに左右されるところが大きい。本展第2章では、革命後、19世紀前半において所長を務め製作所を黄金期へと導いたアレクサンドル・ブロンニャール(1770-1847)の貢献に焦点が当てられている。
3つめは外部の美術家たちとの協同。1904年には日本人の彫刻家 沼田一雅がセーヴルに滞在して磁器製造法を学び、原型を提供している(沼田一雅はその後1921年にもセーヴルに滞在している)。アール・デコ様式の旧朝香宮邸(現 東京都庭園美術館)の装飾を手がけたアンリ・ラパンが絵付をした壺もある。現代においては、アーティスト、デザイナー、工芸家と協同した作品づくりが積極的に行われており、そこには日本人も含まれている。草間彌生とコラボレーションしたオブジェが展示されているが、これはわずか18ピースのみが制作されたそう。そこにはビジネスを超越したセーヴルの妥協のないものづくりの姿勢がうかがわれよう。[新川徳彦]

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IMARI/伊万里──ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2017/11/21(火)(SYNK)

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橋本優子『フィンランド・デザインの原点──くらしによりそう芸術』

発行:東京美術

発行日:2017/04

日本でとても人気が高いフィンランドのデザイン、そのフィンランドらしさとはなにかということについて、宇都宮美術館の橋本優子学芸員が歴史的視点から紐解く1冊。
フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、デンマークのモダン・デザインは、しばしば「北欧デザイン」と総称される。しかしその風土、国家の成り立ち、産業には大きな違いがあり、その違いがこれらの国々のデザインに反映していることが見えてくる。本書は最初にフィンランド・デザインのフィンランドらしさの背後にある地理的条件、スウェーデンとロシアによる支配と1917年の独立、近代化の過程について解説した後、第1章ではテキスタイルやプロダクトのデザイン、第2章では建築を取り上げて「フィンランドらしさ」の特徴を知り、第3章でフィンランド・デザインの源流、背景にある民族アイデンティティについて読み解いてゆく。
本書を通じて繰り返し語られるのは「地域性」「独自性」と「普遍性」だ。工業化、大量生産、大量消費を前提に登場してきたモダン・デザインにおいては「普遍性」が課題となる。しかし普遍的デザインの前提には、時代や風土によって異なる人間がいる。そうした違いを前提にしてすべての人にとってよいデザイン──ユニヴァーサリティ──に先鞭を付けたのがフィンランドの独自性であり、フィンランド・デザインのフィンランドらしさだという。しかし、それはどのように具体的な形となってフィンランド・デザインに現れているのか。それがおそらく第3章で語られる「冬景色」「森と湖の国」「雪・氷の世界」そして民族叙事詩『カレヴァラ』ということになろうか。
図版が充実している本書であるが、入門書として読むにはややハードルが高い。できれば橋本学芸員が企画に関わり2012年から2013年にかけて巡回した「フィンランドのくらしとデザイン」展の図録と合わせて読むことで、フィンランド・デザインについてより理解が深まると思う。個人的には、本書がフィンランド・デザインにおける企業とインハウスデザイナーの重要性に触れている点と、ムーミンに触れていない点を評価したい。他方で、ノキアのプロダクトについてもフィンランド・デザインの文脈で読み解いてもらえないものだろうかと思う。[新川徳彦]

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森と湖の国──フィンランド・デザイン|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2017/11/20(月)(SYNK)

カタログ&ブックス│2017年11月

展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。

写真の理論


編訳:甲斐義明
発行:月曜社
発行日:2017年10月20日
定価:2,500円(税別)
サイズ:四六判、312ページ

写真史と写真の論理を読み解くための重要論考(ジョン・シャーカフスキー、アラン・セクーラ、ロザリンド・クラウス、ジェフ・ウォール、ジェフリー・バッチェンの5篇)の翻訳。編訳者による詳細な解説や写真理論のブックガイドも収録。カバーの写真は森山大道による《ニエプスの窓》。


現代建築家コンセプト・シリーズ
403architecture[dajiba] 建築で思考し、都市でつくる


著者:403architecture[dajiba]
発行:LIXIL出版
発行日:2017年9月15日
定価:1,800円(税別)
サイズ:A5判、160ページ

21世紀に入って経済成長の神話が崩れ、都市回帰と地域再生の動きが同時に進み、建築が大きな転換点を迎えるなか、403architecture [dajiba]は2011年に静岡県浜松市を拠点に活動をスタートし、約6年の間に50のプロジェクトを完成させてきた。彼らは、敷地やプログラム、クライアントが異なるそれぞれのプロジェクトのなかに「材料転用」「既存応用」「慣習ずれ」「新旧混成」「等価空間」「単位反復」という性格を見出し、新たな建築的価値を浮かび上がらせる。これら6つの「タグ」は、これからの建築が求める複層的な価値観を示すとともに、建築という創造の歴史との豊かな接続を物語っている。
本書では、6つのタグによる作品分析、6つのタグの歴史的解釈を行なうとともに、イギリスの建築家集団「Assemble」とのメール対談では、建築活動の世紀的な転回を語りあう。建築はこれからどのような意思とともにあるべきか。ここにひとつのモデルが示される。

ありふれたものの変容──芸術の哲学


著者:アーサー・C・ダントー
翻訳:松尾大
装丁:服部一成
発行:慶應義塾大学出版会
発行日:2017年10月31日
定価:4,600円(税別)
サイズ:四六判、372ページ

1960年代初め、アンディ・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》が「芸術」として提示されたとき、このような、平凡なものと区別のつかないアート作品の出現が、新しい芸術の理論を要請した。本書は、その理論的構築のために捧げられた、20世紀美学最大の成果である。
ダントーは、芸術の理論に属するものを、伝統的にそれと混同されてきたものから区別しようと試みる。そして、芸術の表象を独自に解釈し、メタファー、表現、様式を体系的に説明する。
ウォーホル、リキテンスタイン、ブリューゲル、ボルヘス、カポーティ……豊富な例を引きながら、なぜ「ありふれたもの」が「芸術」に変容したのか、芸術をどのように定義できるのか、哲学的に明らかにしていく。

アイデアスケッチ──アイデアを〈醸成〉するためのワークショップ実践ガイド


著者:James Gibson、小林茂、鈴木宣也、赤羽亨
発行:ビー・エヌ・エヌ新社
デザイン:田中佐季
発行日:2017年10月20日
定価:2,300円(税別)
サイズ:B5判、144ページ

プロセスからデザインすることで、アイデアとチームを同時に醸成できる。
地方都市にありながらも全国から異才が集結する学校IAMAS(イアマス)。そこで培われた視覚的ブレインストーミング手法「アイデアスケッチ」のノウハウを、誰もが実践できるようわかりやすく解説。新規事業開発担当者のみならず、ビジネスの領域でファシリテートしたいデザイナーやエンジニアも必携の一冊。


藤森照信展──自然を生かした建築と路上観察


発行:水戸芸術館現代美術センター
発行日:2017年10月5日
価格:2,000円(税別)
サイズ:B4判変、160ページ

藤森建築の魅力が満載! 写真を多数掲載し、藤森照信自身が執筆した作品解説は読み応え充分。建築作品や茶室、家具、素材見本まで内容盛りだくさんの一冊です。


天野尚 写真集──アート オブ ネイチャーアクアリウム


発行:アクアデザインアマノ
発行日:2017年11月8日
価格:2,500円(税別)
サイズ:278×250mm、160ページ

水景クリエイターとして、写真家として、61年の人生を駆け抜けた天野尚。没後2年となる今年、新しい作品集が出版となります。この作品集は天野がレイアウトを制作し、大判フィルムで水景を撮影してきたネイチャーアクアリウムの作品を軸に、おもに超大判フィルムで撮影された生態風景写真の代表作を交えながら、表現者としての天野 尚の世界をまとめた一冊です。
作品集としては、ネイチャーアクアリウムの代表作はもちろん、前々作『ガラスの中の大自然 1985-2009』、前作『創造の原点』に未収録の作品も収録し、これらを補完するものとなります。また、これまでの作品集に掲載されていた水景写真は、天野がこだわってきた大判フィルムの持ち味を最大限に引き出すためそのほとんどをスキャニングからやり直し、最新の技術で印刷しています。アナログの臨場感にあふれた水景を、ぜひご覧ください。


2017/11/14(火)(artscape編集部)

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戦後の蘭字─アフリカと中東へ輸出された日本茶─

会期:2017/10/07~2017/12/10

フェルケール博物館[静岡県]

工業化以前、茶は生糸に次いで明治期日本の主要輸出品であった。「蘭字(らんじ)」とは、輸出茶の梱包に貼られた商標のことである。開港当初、静岡の茶は横浜で加工されて海外へ輸出されたが、明治32年に清水港が開港場に指定され、1906年(明治39年)に茶の輸出が開始されると、茶の再製加工、輸出の中心は静岡に移り、横浜で行なわれていた蘭字の印刷も静岡で行なわれるようになった。明治期には浮世絵の技術を用いて木版で摺られていた蘭字だが、大正から昭和初期にはオフセット印刷によるものも登場。戦後、茶輸出が衰退する1965年ごろ(昭和30年代)まで制作されていた。フェルケール博物館では、これまでにも常葉大学元教授の井手暢子氏の研究を元にして、主に明治期の蘭字を紹介する展覧会が企画されてきたが、2015年秋に開催された展覧会前後に日本紅茶株式会社および富士製茶株式会社の戦後の蘭字が多数発見、寄贈され、輸出茶商標の研究がさらに進みつつある。今回の展覧会は、これら新発見の戦後の蘭字に焦点を当て、その一端を紹介するものだ。
戦前期までの蘭字と、戦後期の蘭字の違いはなにか。印刷方式についてはすでに戦前からオフセット印刷が用いられている。展示品にはフルカラー印刷のものも見受けられるが、数色の特色版を用いているものも多い。特色版でもグラデーションに網点を用いているものもあれば、線画の密度で濃淡を表現しているものもある。大きな違いは図案だ。「蘭字」とは字義通りならばオランダ語のことだが、欧文一般を指す。日本茶は主に北米に輸出されていたために、茶商標としての蘭字には図案と英語によるブランド表記が行なわれていた。しかし、戦後は北米向け輸出が減少し、フランス領北アフリカに比重が移る。それに伴って言語はフランス語あるいはアラビア語が用いられるようになった。図案にはアラブ人の姿やエジプトの風景、動物などが描かれ、日本をイメージさせる意匠はほとんどない。それどころか、JAPANあるいはJAPONの文字をほとんど見ることができない。吉野亜湖氏の論考によれば、戦後北アフリカ市場で日本茶が受け入れられたのは日本の人件費が安く、低価格であったため。しかし日本茶は品質が悪いと評価されていて中国茶の水増しに用いられていたために、日本産であることを主張する必要がなかったのだという(本展図録、72頁)。また本展にはデザインがフランスの商社から支給されていたことを示す史料も出品されている。
10月21日に開催された同展関連シンポジウムでは、経済史、広告・マーケティング史、印刷史、デザイン史など、さまざまな視野からの報告と討論が行われ、蘭字デザインの研究は逆にそれらの歴史分野を補完する役割があるだろうことが示された。とくに興味深かったのは、ロバート・ヘリヤ氏の報告だ。ヘリヤ氏は、1869年(明治2年)に創業した日本茶輸出商社ヘリヤ商会の創業者、フレデリック・ヘリヤ氏の子孫で、現在はウェイク・フォレスト大学の准教授。報告は蘭字や広告を通じてアメリカにおける日本茶のマーケティングの様相を追うもので、19世紀末の日本の輸出茶が北米市場においてブランド力を持っていたこと、同時期にインド、セイロン茶がアメリカにおいて日本茶や中国茶に対してネガティブ・キャンペーンを展開していたことなどが示された。シンポジウムにおいて今回の展示の中心である戦後の蘭字についてはほとんど言及がなかったが、史料が発見されたばかりであり、貿易史料などと照合することで、これからより具体的な市場とデザインの関係が見えてくるだろうことを期待する。[新川徳彦]


会場風景

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2017/10/21(土)(SYNK)

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