artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

カタログ&ブックス | 2022年9月15日号[近刊編]

展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます





性と芸術

著:会田誠
発行:幻冬舎
発行日:2022年7月21日
サイズ:20cm、212ページ

日本を代表する現代美術家会田誠の23歳の作品「犬」は、2012年の森美術館展覧会での撤去抗議はじめ、これまでさまざまに波紋を呼んできた。その存在の理由を自らの言葉で率直に綴る。人間と表現をめぐる真摯な問い。






ゲルハルト・リヒター 絵画の未来へ (現代美術スタディーズ)

著:池田修
発行:水声社
発行日:2022年8月10日
サイズ:A5判、164ページ

「絵画の終焉」がささやかれて久しい現代においてなお、絵画を描きつづけること。写真を描きうつす〈フォト・ペインティング〉から、デジタルイメージをもちいた近作〈ストリップ〉まで、多岐にわたる作品を横断し、リヒターの制作理念を明らかにする。






石が書く

著:ロジェ・カイヨワ
訳:菅谷暁
発行:創元社
発行日:2022年8月24日
サイズ:B5判変型、136ページ

風景石、瑪瑙、セプタリア(亀甲石)など、特異な模様をもつ石。それらは人の想像力にどう働きかけてきたのか。石の断面の模様と、抽象芸術作品が交わる地点はあるのか。聖なるもの、遊び、神話、詩学、夢といったテーマを縦横に論じてきたカイヨワが、自らの石コレクションをもとに、「石の美は、普遍的な美の存在を示している」と論じた、他に例を見ない論考。1975年に新潮社から翻訳が刊行されながら、長らく日本語では入手困難であった美しい名著を、新たな翻訳で刊行。






ドイツ演劇パースペクティヴ

著:寺尾格
発行:彩流社
発行日:2022年9月9日
サイズ:四六判、415ページ

「現代」とは、近代との区別における「いま・ここ」の視点の強調である。1945年、1968年、1989年の区切りを経て、ニューヨークで起きた9.11に3.11の東日本大震災。収束をみないコロナパンデミック。相互に関連する「ポスト(~以後)」を第二次世界大戦からフクシマを視野に、ドイツ語圏の現代演劇が日本において持つ「意味」を考える。





日本の中のマネ 出会い、120年のイメージ

企画・監修:小野寛子
発行:平凡社
発行日:2022年9月12日
サイズ:B5判、216ページ

19世紀フランスを代表する画家エドゥアール・マネの日本における受容について、洋画黎明期から現代の美術家たちが手掛けた作品や美術批評を通して考察する。





ル・コルビュジエ (講談社学術文庫)

編:八束はじめ
発行:講談社
発行日:2022年9月12日
サイズ:A6判、224ページ

20世紀を代表する、最も有名な前衛建築家、ル・コルビュジエ(1887-1965)。
「全ての建築家にとっての強迫観念(オブセッション)」「近代建築の言語そのもの」……。
スイスの若き時計工芸家は、なぜこれほどまでの世界的名声を勝ち得たのか。
師との出会いと決別、数多のコンペティション落選や学界との論争、生涯転身し続けた作風の背景――。
建築界の巨匠を“人文主義者”という視点で捉え直し、豊富な図版と共に、その全体像をクリアに描き出す!






クィア・アートの世界 自由な性で描く美術史

著:海野弘
発行:パイインターナショナル
発行日:2022年9月14日
サイズ:B5判変型、480ページ

すべてのアートは自由でクィア(ちょっと変わった、不思議)だ!これまで語られてこなかった、新しく〈クィア〉な美術の世界。








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2022/09/14(水)(artscape編集部)

公文健太郎『NEMURUSHIMA』

発行所:Kerler

発行日:2022年

公文健太郎はここ数年、精力的に写真集を刊行し、写真展を開催している。『耕す人』(平凡社、2016)、『地が紡ぐ』(冬青社、2019)、『暦川』(平凡社、2019)、『光の地形』(平凡社、2020)と続くなかで、彼が何を求め、何を伝えたいかも少しずつ見えてくるようになった。一言でいえば、日本の風土とそこに住む人々との関係を、写真を通して探求することといえるだろうか。かつて濱谷浩が『雪国』(1956)や『裏日本』(1957)などで試みたテーマの再構築ともいえそうだ。

今回、ドイツの出版社Kehrerから刊行された『NEMURUSHIMA(眠る島)』もその延長上にあるシリーズで、瀬戸内海の離島、手島(香川県)を撮影している。日本列島を巨視的な視点で見直そうとした濱谷浩とは対照的に、島というそれほど大きくないテリトリーを対象とすることで、多彩な地形、植生がモザイク状に絡み合う「小宇宙」の様相が、より細やかに浮かび上がってきた。特に今回は、人の暮らしのあり方を多めに組み込んでいることで、「土地と人の営みのつながり」を捉えようとする公文の意図が、よりくっきりとあらわれてきているように感じた。ややセピアがかった調子に傾きがちな彼のプリントワークが、このところずっと気になっていたのだが、それも写真一枚ごとに丁寧にコントロールされてきている。

こうなると、『耕す人』以来のシリーズをまとめて見る機会がほしくなってくる。美術館のような、大きめなスペースでの展示が実現できるといいのだが。

2022/09/02(金)(飯沢耕太郎)

カタログ&ブックス | 2022年9月1日号[テーマ:紙と文字と本と──立花文穂の表現の「触感」が立ち上がる5冊]

紙や活版活字を用いたコラージュなど、視覚・触覚を喚起する平面作品や書籍の仕事で独自の立ち位置を築くアーティスト/デザイナー立花文穂。『風下』(2011)、『KATAKOTO』(2014)、『書体』(2018)、『傘下』(2020)など、セルフパブリッシングや少部数で発行されるアートピースのような本も数多く手掛けてきた立花ですが、水戸芸術館現代美術ギャラリーでの「立花文穂展 印象 IT'S ONLY A PAPER MOON」開催(2022年7〜10月)に際し、彼の関連書のなかでも比較的入手しやすく、そして特にいま触れておきたい5冊をご紹介します。

※本記事の選書は「hontoブックツリー」でもご覧いただけます。
※紹介した書籍は在庫切れの場合がございますのでご了承ください。
協力:水戸芸術館現代美術センター


今月のテーマ:
紙と文字と本と──立花文穂の表現の「触感」が立ち上がる5冊

1冊目:かたちのみかた

著者:立花文穂
発行:誠文堂新光社
発売日:2013年3月16日
サイズ:19cm、151ページ

Point

立花が美術大学で教えていた際の、演習やワークショップでの実践の記録。自分の手や身近なものを「みる(観察する)」ことを出発点に、何かを作る際の身体性や想像力の働かせ方、感覚の研ぎ澄ませ方に至るまで、そのレッスンの射程は広大。立花文穂展の展示室全体にも、本書のエッセンスが散りばめられています。


2冊目:球体 volume4(2009) 運動〈特集〉

責任編集とデザイン:立花文穂
発行:ヨシモトブックス
発売日:2009年12月
サイズ:23cm、228ページ

Point

責任編集とデザインを立花が務める形で2007年に刊行開始した雑誌『球体』。各号ごとの遊びのある造本も魅力的ながら、特集内容も「文字」(1号)、「東北圏」(2号)、「機会」(最新9号)など、その時期ごとの立花の興味の変遷が物体として刻まれています。この4号ではテーマ「運動」のもと横尾忠則も登場。


3冊目:谷川俊太郎詩選集 1(集英社文庫)

著者:谷川俊太郎
編集:田 原
発行:集英社
発売日:2005年6月
サイズ:16cm、271ページ

Point

父親が製本所を営んでいたという話とともに、本というメディアへの思い入れを過去にもたびたび語り綴っている立花。立花文穂展にも、彼が装丁を手掛けた本/装画として使用された作品が展示されており、この選集通しての装画となったドローイング「変体」「変々体々」も、展示会場でその実物が観られます。



4冊目:自炊。何にしようか

著者:高山なおみ
発行:朝日新聞出版
発売日:2020年10月20日
サイズ:22cm、375ページ

Point

料理家・高山なおみが一人暮らしになり、家で自ら作って食べるレシピを集めた一冊。カバーの鈍い質感の黒インクの光沢とラップに包まれたごはんのコントラストは、立花の近年の装丁仕事のなかでもとりわけ書棚で目を惹きます。高山の過去の著作ではほかに『料理=高山なおみ』『高山なおみの料理』なども立花による装丁。



5冊目:Leaves 立花文穂作品集

著者:立花文穂
発行:誠文堂新光社
発売日:2016年5月11日
サイズ:24cm、316ページ

Point

装丁家としての側面に光が当たることも多い立花ですが、そのキャリアの始まりは95年、佐賀町エキジビットスペースでの作家としての個展から。本書は、立花が一貫して収集を続けている紙や本・活字を用い再構築した平面作品群を、制作当時の随筆などと併せて再録したもの。立花の表現の原点に触れられる気がする一冊です。







立花文穂展 印象 IT'S ONLY A PAPER MOON

会期:2022年7月23日(土)~10月10日(月・祝)
会場: 水戸芸術館 現代美術ギャラリー(茨城県水戸市五軒町1-6-8)
公式サイト:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5185.html


[展覧会図録]
『球体 9:機会 オポチュニティーズ』

アナログ LPレコード2枚組(付録:ポスター9種)完全限定生産盤
責任編集+アートワーク:立花文穂
小説『ズトチ』:立花英久
ギター:畑俊行
ピアノ:野村卓史
発行:TACHIBANA FUMIO PRO
価格:9,999円(税込)

2021年の東京ビエンナーレでのインスタレーション「オポチュニティーズ」。会期終盤、活版印刷機をJR総武線の御茶ノ水駅~秋葉原駅間の高架下スペースに運び込み、『楽機』と称して、IL TRENOのギター畑俊行とピアノ野村卓史が参加しセッションを行ないました。そのときの録音をプレスした2枚組のレコードです。
水戸芸術館現代美術ギャラリーでは、第5室で『球体 オポチュニティーズ』が展示されています。レコードのabcd面が順番にかけられ、多様なスピーカーから流れる音を、大きな空間全体で浴びることができます。


水戸芸術館ミュージアム・ショップ コントルポアンで先行販売中。


2022/09/01(木)(artscape編集部)

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ルネ・デカルト『方法叙説』(講談社学術文庫)

翻訳:小泉義之

発行所:講談社

発行日:2022/01/11

古今東西の哲学書のなかでも、デカルトの『方法叙説』(1637)ほど広く知られているものはそうそうないだろう。同書の「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum; Je pense, donc je suis)」という言葉は、哲学や思想にまったく興味がない人であっても、どこかで一度は聞いたことがあるはずだ。

同時に本書ほど、その知名度に比して読まれていない本もあるまい。世間では「我思う、ゆえに我あり」という定式──ないしキャッチフレーズ──だけが一人歩きしているきらいがあるが、『方法叙説』の内容は、そのようなひとつの文章によって要約しうるものではまったくない。

今年のはじめ、講談社学術文庫に加わった本書は、そのあまりにも有名な古典の新訳である。巻末の訳者解説によれば、20世紀後半だけにかぎっても、本書の日本語訳は6種類におよぶという。訳者の小泉義之(1954-)は『ドゥルーズの哲学』(講談社学術文庫、2015)をはじめとする現代フランスの哲学・思想をめぐる仕事によって知られているが、最初の本である『兵士デカルト』(勁草書房、1995)をはじめ、デカルトを中心とする近世哲学が元来の専門である。

そもそも『方法叙説』とはいかなる書物か。若き日のデカルトは母国フランスで学業を修めたのち、「文献による学問」を捨て兵士としてオランダ、ドイツに赴いた。その間も、デカルトは「世界という大きな書物」(17頁)に学びつつ思索を続け、最終的に9年間の放浪を経てオランダに隠棲することになる。本書は、デカルトがそれまでの20年におよぶ精神の遍歴を綴ったものであり、間違っても第四部に登場する「私は思考する、故に、私は存在する」(45頁)というひとつの命題に収斂するものではない。

知られるように、そもそも本書は『屈折光学』『気象学』『幾何学』という三試論に先立つ「方法」についての概説であった(従来、方法「序説」という日本語訳が採用されてきたのもそのためである)。しかし、以上のような成立経緯をもつ『方法叙説』は、デカルトという人間の半生を綴った自伝的な書物でもある。げんにかれはこう言っている──「この叙説で、私が辿ってきた道の何たるかを示し、私の人生を一枚の絵画のように表象することができれば、私としてはとても喜ばしい」(12頁)。そう、本書は何よりもまず、40歳になったデカルトがおのれの半生を振り返りつつ書いた「一枚の絵画」なのだ。じっさい、全六部からなる本書を虚心坦懐に読んでいくなら、そこで第一にせり上がってくるのはデカルトというひとりの人間の肖像にほかならない。

この小泉義之訳の『方法叙説』──ちなみに、本書のタイトルが方法「序説」でない理由は訳者解説で説明されている──は、これまで同書を手にとり挫折した人にとっても、あるいは人生のどこかの段階で同書を読んだことのある人にとっても、ひとしく参照に値する一冊である。全体を通してきわめて行き届いた訳注を含め、本書はいわゆる学術書の翻訳作法に則っているが、そこに不必要な読みにくさはまったくない。なおかつ、エティエンヌ・ジルソンやフェルディナン・アルキエによる定評ある註解書にもとづいた訳注の数々は、あるていど専門的な内容を期待する読者の期待にも応えうるものである。

2022/08/18(木)(星野太)

川端茅舎『川端茅舎全句集』(角川ソフィア文庫)

発行所:KADOKAWA

発行日:2022/01/25

ホトトギスの同人であった俳人・川端茅舎(1897-1941)の作品は、これまで長らく歴史の影に埋もれてきた。その(ほぼ)全作品を収めた『川端茅舎句集』(角川文庫、1957)が刊行されたのはすでに半世紀以上前のことであり、以来、この俳人の作品集が新たに編まれることはなかった。本書はその『川端茅舎句集』を底本としつつ、これに然るべき増補改訂を施した待望の一冊である。

東京・日本橋に生まれた茅舎(本名:信一)は若くして俳句を始め、18、19歳のころには『ホトトギス』をはじめとする雑誌に投句を始めた。やがて頭角を現した茅舎は、高浜虚子の愛弟子にして、ホトトギスを代表する同人のひとりとして長く活躍した。35歳で脊椎カリエスを患ってからはおおむね病床で過ごすも、44歳で没するまで、闘病しつつ作句に励んだことで知られる。

川端茅舎は、美術とも縁の深い俳人である。日本画家・川端龍子(1885-1966)を兄にもち、本人もまた洋画家を志して岸田劉生に師事していたこともある(しかし闘病のため画家になることは断念)。塚本邦雄の『百句燦燦──現代俳諧頌』(講談社文芸文庫、2008)をはじめ、茅舎の作品を論じた文章のなかにしばしば絵画的な比喩が散見されるのも、おそらくそのあたりの事情に起因していると思われる。ちなみに『ホトトギス』に連載された茅舎の「花鳥巡礼」(本書195-335頁)は、古今の句の鑑賞という体裁をとりながら、デューラー、シャヴァンヌ、ロダンといった芸術家の名前がたびたび登場する不思議なエセーである。茅舎という俳人は、そうした近代芸術の素養を──実作者として──身につけていた数少ない人物であった。

その肝腎の俳句については、ここにいくつか抜粋してもよいが、やはり本書でその全体を味わっていただくに如くはない。私見では、茅舎の句がまとう何とも言えぬ気魄は、やはりその多くが長い闘病生活のなかで詠まれたという点に起因しているような気がしてならない。

たとえば茅舎は「花鳥諷詠」のなかでこんなことを言っている──「俳句は花鳥を諷詠する以外の目的をば一切排撃する事によって、種々雑多な目的を持った他の芸術と毅然と対している。又僕はかような啓蒙めく言葉を繰返しておきたい」(201頁)。この勇ましい文章は、茅舎の偽らざる本心であっただろう。だが、かの人の境遇を知るわれわれの目から見れば、この言葉はいささか皮肉な響きをともなわざるをえない。なぜなら現実の茅舎は、こうした「花鳥」をじかに愛でうる状況には必ずしもなかったからである。あらためて繰り返せば、茅舎は俳句が「花鳥を諷詠する」以外のいっさいの目的を排するという点で、それが「種々雑多な目的を持った他の芸術と毅然と対している」と考えた。しかしその「花鳥」は、長らく病に臥していたこの俳人にとって、接近したくても叶わぬ超越的な位相にあった──おそらく、そのように言うことができるのではないだろうか。

ここで大方の読者は、茅舎と似た境遇にあった正岡子規のことを思い浮かべるかもしれない。だが、晩年をほぼ仰臥で過ごさざるをえなかった子規とはまた異なり、茅舎は10年におよぶ闘病の間にしばしば著しい回復を見せ、時には地方に吟行することもあった。その意味で、茅舎の作句の「凄味」(松本たかし「解説」177頁)は、子規の晩年における「写生」の壮絶さとは前提を異にしている。いずれにせよ、茅舎にとっての俳句が「花鳥を諷詠する以外の目的をば一切排撃する」ものであったにせよ、そのような断言の背後にはいくつもの含みや捻れがある。そのことが、虚子に「花鳥諷詠真骨頂漢」(48頁)と言わしめたこの俳人の句を、唯一無二のものとしているように思われる。

2022/08/18(木)(星野太)