2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

THE ドラえもん展 TOKYO 2017

会期:2017/11/01~2018/01/08

森アーツセンターギャラリー[東京都]

ドラえもんとは、言うまでもなく日本の大衆文化を代表するアイコン。他の主要な登場人物も含めて、これほどあらゆる世代に知られ、親しまれ、愛されているキャラクターは他に類例がないのではないか。逆に言えば、にもかかわらず、ポップ・アートのなかにそれほど回収されていないのが不思議である。
本展はドラえもんをテーマにした企画展。「あなたのドラえもんをつくってください」という依頼に応えた28組のアーティストによる作品が展示された。著作権の問題をクリアしているからだろうか、それぞれのアーティストが思う存分ドラえもんと対峙しながら制作した作品は、いずれもすがすがしい。
ドラえもんという記号表現を自分の作品に有機的に統合すること。おそらく、本展のように強いテーマ性をもった企画展を評価する基準は、そのように与えられた外部要因と自分の内側にある内部要因との整合性にあるように思う。その縫合がうまくいけば作品として成立するし、失敗すれば破綻する。じつに明快な基準である。
例えば村上隆は、これまでマンガやアニメーションの記号表現や文法を巧みに回収してきたせいか、そうした有機的な統合をじつにスマートに成し遂げてみせた。背景をマットな質感で、キャラクターを光沢のある質感で、それぞれ描き分けるなど、いつもながらに芸が細かい。近年は牛皮を支持体にして大規模な絵画を手がけている鴻池朋子も、藤子・F・不二雄の丸みを帯びた描線を牛皮に取り入れることに成功している。全裸のしずかちゃんが双頭のオオカミの口に咥えられて連れ去られてゆく光景は、脳裏に焼きつくほど、じつにおそろしい。村上も鴻池も、ドラえもんを取り込みつつ、それに呑まれることなく、自分の作品として完成させていた。
とりわけ群を抜いているのが、しりあがり寿である。そのアニメーション映像は、「劣化」というキーワードによって、ドラえもんと自分の絵をシームレスに統合したものだからだ。自分の絵をドラえもんに合わせるのではなく、ドラえもんを強引に自分の絵に取り込むわけでもなく、コンセプトを設定することで双方を有機的に媒介してみせた手並みが、じつに鮮やかである。自虐的に見えるようでいて、「劣化」に一喜一憂する現代社会を笑い飛ばす批評性もある。しりあがりの作品こそ、現代美術のもっとも核心的な作品として評価すべきではないか。

2017/11/13(月)(福住廉)

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北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃

会期:2017/10/21~2018/01/28

国立西洋美術館[東京都]

19世紀後半ヨーロッパをブームに巻き込んだ「日本趣味」を検証する展覧会は、88年の「ジャポニスム展」をはじめいくつか開かれてきた。でも考えてみると、ジャポニスムの展覧会というのは難しいものだ。ジャポニスムにも段階があって、最初は日本の美術工芸品を集めて家に飾ったり、それをそのまま絵に描いたりしていた。有名なのはモネが和服姿の夫人を描いた《ラ・ジャポネーズ》や、今回出品されている『北斎漫画』をパクった絵皿などだ。
この段階なら影響関係は見ればわかる。だが次の段階になると、じつはこの段階から本当のジャポニスムが始まるのだが、印象派をはじめとする画家たちが浮世絵などの色や構図を学び、それを自らの表現に採り入れていく。いわば日本美術を内面化していくわけで、パッと見ただけでは影響関係はわかりにくい。「ジャポニスム展」の難しさはここにある。わかりやすくするには影響を受けた西洋の作品と、影響を与えた日本の作品を並べて比較できるようにすることだ。これはテマヒマかかる大変な作業だが、今回の「北斎とジャポニスム」はそれを実現した。しかも日本側は北斎ひとり。つまり北斎ひとりが西洋の近代美術をどれほど感化したかがわかるのだ。
例えばドガの《背中を拭く女》の横に、よく似たポーズの女性を描いた『北斎漫画』を並べ、モネの《陽を浴びるポプラ並木》の横に北斎の《冨嶽三十六景》の1枚を置く。これなら影響関係が一目瞭然。しかし度を超すと首を傾げたり、笑い出したくなるような比較も出てくる。いい例がメアリー・カサットの《青い肘掛け椅子に座る少女》と、『北斎漫画』に描かれた布袋図で、確かにポーズは似ているけれど、可憐な少女とでっぷりした布袋は似ても似つかない。きわめつけはスーラの《尖ったオック岬、グランカン》と北斎の波涛図。これもかたちはそっくりだが、スーラは岩、北斎は波を描いているのだから似て非なるもの。ところが驚いたことに、この対比は以前からよく知られていたらしい。そんな逸話も含めて、キュレーターの情熱が伝わってくる展覧会なのだ。

2017/11/11(土)(村田真)

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国産アニメーション誕生100周年記念展示 にっぽんアニメーションことはじめ ~「動く漫画」のパイオニアたち~

会期:2017/09/02~2017/12/03

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

日本で最も古いアニメーション作品は、1917年(大正6年)1月に浅草で公開された「凸坊新畫帖、芋助猪狩の巻(でこぼうしんがちょう、いもすけいのししがりのまき)」と考えられている。この作品は天然色活動写真株式会社(天活)の制作で、作者は漫画家の下川凹天だった。興味深いことに、同じ年のうちに日本活動写真株式会社(日活)では北山清太郎が、小林商会では幸内純一と前川千帆が、それぞれアニメーション作品を制作し公開している。いまから100年前、1917年になにが起きたのだろうか。この展覧会は多彩な史料によって、日本のアニメーション草創期の姿を探ろうという企画だ。
展示は3つのセクションで構成されている。セクション1は、4人のパイオニアたちのプロフィールと主要な仕事の紹介。セクション2では、1917年前後のアニメーションに関する記録や証言を時系列に提示し、日本初のアニメーション作品公開への道筋を辿る。セクション3では、海外作品も含め、戦前期の漫画とアニメーション、それらに登場するキャラクターたち──具体的にはディズニーの「ミッキーマウス」や、田河水泡の「のらくろ」など──との交流関係が考察されている。
日本のアニメーションの始まりについては、まだまだ明らかになっていないことが多く、史料が発見されるたび、研究が進むたびに、その歴史は少しずつ改訂されている。たとえば、かつて最も早く封切られた作品は下川凹天「芋川椋三 玄関番の巻」と考えられてきたが、近年になって1917年1月に封切られた下川「芋助猪狩の巻」がそれより早かったことが明らかになっている。また従来、日本アニメーションのパイオニアは、下川、北山、幸内ら3人とされてきたが、小林商会のアニメーション制作において前川が幸内と対等な関係で作品制作にあたっていたとのことで、新たに彼の名前をパイオニアたちの中に加えることにしたという。さらに、初期アニメーション研究の困難は、史料において確認されている作品の多くが失われ、現存していないことにある。そうした研究の現状と困難を、この展覧会ではとても興味深い方法で提示している。すなわち、現時点における最新の情報を提示するために、展示室の壁面を年表に見立て、1916年10月から1918年8月までの日本のアニメーション関連の史料、証言などのコピー、それら史料に対するコメントなどを貼り、ケースに雑誌記事等の文献史料を並べているのだ。この方法ならば、仮に展覧会期間中に新たな史料が発見されたとしても、年表にそれを挿入すればよい。不明点が多いことはアニメーション史に不案内な者にとってはやや不親切かもしれないが、研究としてはとても誠実な方法だ。
ところで、なぜ1917年だったのか。解説によれば、1914年に始まった第一次世界大戦の影響でヨーロッパの映画産業が停滞し、映画会社の海外作品配給に影響したことや、フィルム価格の高騰が経営に影響したこと、新たな集客の試みとして映画会社がアニメーションに注目した可能性が指摘されている。制作にあたったパイオニアたちにとっては、なぜ1917年だったのか。彼らはいずれも画家、漫画家であり、映画制作との関わりはなかった。幸内と前川の関係を除くと、パイオニアたちが日本最初のアニメーション制作にあたって相互に交流した形跡はない。誰が「最初のアニメーション作家」になっても不思議ではなかった。輸入アニメーションはすでに1910年代から公開されており、パイオニアたちは当然これらの作品に触れている。津堅信之氏の研究では北山清太郎が輸入アニメーションを初めて見たのは、自ら制作を始める前年1916年のことだという(『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』臨川書店、2007年)。「年表」にこれら前史を加えると1917年という年の意味がより明確になるかもしれない。
もうひとつの疑問は、これらパイオニアたちの仕事は、その後の日本のアニメーションにどのような影響を与えたのかという点だ。それというのも、北山を除く3人は1年経たずしてアニメーション制作から撤退してしまったからだ。また影響を考える上ではそれが技術なのか、表現なのかという点も考える必要があろう。研究のさらなる進展が待たれる。
なお、川崎市市民ミュージアムが所蔵する下川凹天関連資料を紹介する「『漫画家』下川凹天 その、テンテンたる生涯」展が併催されているほか、未だ発見されていない下川凹天作品を現代のアニメーション作家たちの感性で蘇らせた「下川凹天トリビュートアニメーション」の上映が行われている。[新川徳彦]


会場風景

2017/10/08(日)(SYNK)

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神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」

会期:2017/09/16~2017/10/15

神戸港、神戸空港島[兵庫県]

1858年に結ばれた日米修好通商条約に基づいて、1868年に開港した神戸港。我が国を代表する港湾の開港150年を記念して、地元作家を中心とした芸術祭が開かれている。参加作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、西野康造、西村正徳など日本人作家16組と、中国・韓国の作家3名だ。会場は「神戸港」と「神戸空港島」の2エリア。ただし、神戸港エリアの一部はポートライナーという交通機関で神戸空港と繋がっており、「神戸港」と「ポートライナー沿線」に言い換えたほうがいいかもしれない。芸術祭の目玉は、アート鑑賞船に乗って神戸港一帯に配置された作品を海から鑑賞すること。港町・神戸ならではの趣向だ。しかし残念なことに、取材時は波の調子が悪く、アート鑑賞船は徐行せずに作品前を通過した。通常は作品の前で徐行してじっくり鑑賞できるということだが、自然が相手だから悪天候の日は避けるべきだろう。一方、意外な収穫と言ってはなんだが、ポートライナー沿線の展示は、作品のバラエティが豊かであること、主に屋内展示でコンディションが安定していること、移動が楽なこともあって、予想していたより見応えがあった。神戸空港という「空の港」と神戸港(海の港)を結び付けるアイデアも、神戸の未来を示唆するという意味で興味深い。会場の中には神戸っ子でも滅多に訪れない場所が少なからずあり、遠来客はもちろん、地元市民が神戸の魅力を再発見する機会に成ればいいと思う。

2017/09/15(金)(小吹隆文)

六甲ミーツ・アート 芸術散歩2017

会期:2017/09/09~2017/11/23

六甲山カンツリーハウス、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲有馬ロープウェー、六甲ガーデンテラス、六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲ケーブル、天覧台、TENRAN CAFE、六甲山ホテル、六甲山牧場(サテライト会場)[兵庫県]

神戸市の六甲山上に点在するさまざまな施設を会場に行なわれる芸術祭「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」(以下、「六甲~」)。その名の通り、散歩感覚で山上を歩き、芸術作品との触れ合いながら、六甲山の豊かな自然環境や観光資源を楽しめるのが大きな魅力だ。今年は39組のアーティストが参加し、例年のごとく多彩な展示が行なわれている。筆者のおすすめは、六甲山カンツリーハウスの川島小鳥、六甲高山植物園の豊福亮と楢木野淑子、六甲オルゴールミュージアムの奥中章人と田中千紘、六甲山ホテルの川田知志である。一方、今年の展示は全体的に小ぶりで、やや地味な印象。「六甲~」自体も2010年の第1回から8年目を迎えたこともあり、そろそろマンネリ回避策を考えねばならない。具体的には、これまでの総括と、新たなテーマ設定、目標設定だろう。それと関係しているのかもしれないが、第1回から企画制作を担当してきた「箱根彫刻の森美術館」の名が今回から消えていた。筆者は、この芸術祭のクオリティーが保たれてきたのは、彼ら美術のプロたちの存在が大きかったと思っている。今後の「六甲~」はどこへ向かうのだろう。若干の不安を覚えたのもまた事実である。

2017/09/08(金)(小吹隆文)

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