2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

遠藤利克展─聖性の考古学

会期:2017/07/15~2017/08/31

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

美術館の個展なのに、出品はわずか12点。でも作品の総重量でいえばこれほど重い個展もないだろう。いや物理的に重いだけでなく、見たあとこれほどずっしりと重く感じる個展も少ない。作品の大半は木の彫刻で、表面が焼かれて黒く焦げている。形態は大きく分けると舟のかたち、円筒形またはドーナツ型、箱型などだ。円筒形といっても、例えば《空洞説(ドラム状の)─2013》は高さが2メートル以上あるので内部をのぞくことはできず、中央がやや膨らんだ黒い壁の周囲を回るだけ。圧巻は、薄暗い部屋に12個の巨大な円筒を円形に並べた《無題》。並べ方はストーンヘンジを、12という数は時計を思い出させ、時間とか永遠を想起させる。遠藤は火や水といったエレメンタルな要素を用いて、モダンアートで切り捨てられた物語性や神話的思考を甦らせたといわれるが、それと同時に、もの派以上にモノそのものに語らせることのできる作家だと思う。
今回は水を使った作品も2点出品しているが、そのうちの《Trieb─振動2017》は、手前から鏡、水の入った壷を2個並べ、奥に鉄の壁を立てている。壁に近づくとなにかモワッと圧力を感じた。おそらく壁の向こうに大量の水がたたえられているに違いない。これまで遠藤は何度か土中に大量の水を蓄えるインスタレーションを発表し、水の気配を感じてほしいみたいなことを述べていたが、ぼくはいままでまったく気配を感じることができなかった。ところが今回、初めて「圧」を感じることができた。なぜか一歩前進したような安心感を覚えると同時に、そこに立ってることが恐ろしく感じたりもした。

2017/08/09(水)(村田真)

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渡辺篤個展「わたしの傷/あなたの傷」

会期:2017/08/04~2017/08/27

六本木ヒルズA/Dギャラリー[東京都]

渡辺は自身の深刻な「ひきこもり」体験から、心の傷をテーマに作品制作を続けるアーティスト。昨年の「黄金町バザール」でも発表したプロジェクト「あなたの傷を教えてください」は、広く募集した「心の傷」を円形のコンクリートに記したもので、内容は失恋、虐待、イジメ、性同一性障害などさまざま。それをそのまま見せるのではなく、いったんハンマーで割って、金継ぎの技法で修復するところに心の傷の「経験者」渡辺のアーティストたるゆえんがある。今回はそのシリーズに加え、ひきこもっていた実家のモルタル製のミニチュアを壊して金継ぎで再生した作品や、それを母とともに修復する映像、そして1畳サイズのコンクリートの部屋に1週間閉じこもるというパフォーマンスを、3年後に再演した《7日間の死》のドキュメントも出品。小さな密閉空間に閉じこもるという行為は昔から修行としても行なわれてきたし、現代でも飴屋法水みたいにパフォーマンスとして行なうアーティストもいるが、ひきこもりが閉じこもるというのは説得力がある。でも再演するというのはどうなんだろう。いっそ3年にいちどトリエンナーレ方式で閉じこもるというのもおもしろいかもしれない。それにしても一番の驚きは、恰幅がよく人当たりもいい渡辺がひきこもりだったという事実だ。

2017/08/06(日)(村田真)

ねぷた祭

[青森県]

平川の新市庁舎コンペの審査後、弘前に移動し、ねぷた祭を見たが、初めての経験である。まず驚かされるのは、歩道で場所とりを行ない、勝手に椅子を置き、市民が観覧している公共空間の使い倒し方だった。ねぷたのパレードは車道を使うわけだが、歩道を占拠し、観客席に変容させるプログラムの書き換えである。そしてヤンキー魂溢れる、ねぷた群のダイナミックな可動デザインは、まさにヤンキーバロックだ。下手な現代美術よりも迫力があり、しかも圧倒的な大衆性を獲得している。

2017/08/05(土)(五十嵐太郎)

神になったオオカミ~秩父山地のオオカミとお犬様信仰~

会期:2017/07/15~2017/09/03

埼玉県立川の博物館[埼玉県]

ニホンオオカミが最後に捕獲されたのは、1905(明治38)年、奈良県東吉野村。いまからおよそ110年も前の出来事である。以来、公式には「絶滅」したとされているが、目撃談や遠吠えの証言がなくはないことから、野生のニホンオオカミの生存を信じている人は、いまも少なくない。本展は、動物としてのオオカミと信仰としてのオオカミの両面から人間とオオカミの関係性を探り出したもの。国内では3体しか現存していないというニホンオオカミの剥製をはじめ、頭蓋骨、神社の護符、奉納された絵馬、民話や童話などの資料が展示された。小規模とはいえ、密度の濃い充実した展観である。
恐怖の対象であると同時に崇拝の対象でもある両義性。日本人にとってオオカミは襲われる可能性が高い野生動物であり、にもかかわらず、あるいはだからこそというべきか、神聖な動物でもあった。言い伝えられている民話や童話の多くは、人間を襲う凶暴な動物としてではなく、人間に近しい動物としてオオカミを表象している。人間がオオカミを助け、オオカミもまた人間を助けるような互恵的な関係性が語られているのだ。あるいは奥多摩や秩父には畑を荒らす猪や鹿を退治する「お犬さま」としてオオカミを崇める信仰がある。本展で詳しく紹介されているように、三峯神社は全国の「お犬さま」にお赤飯をお供えする「お焚上祭」を毎月19日に現在も行なっている。この日、全国各地に潜んでいるオオカミがお赤飯を食べるために集まってくるというのだ。
むろん科学的な観点からこの信仰の非現実性を批判することはたやすい。けれども信仰の醍醐味は科学の客観的な世界観とは本来的に別次元にあるのであり、私たちの現実社会が科学だけでなく信仰によっても重層的に構成されているのだとすれば、オオカミの信仰をたんなるロマンティシズムとして切って捨てることはできなくなる。むしろ、そこには科学的な世界観には到底望めない深さと広がりがあるのではないか。
本展では、三峯神社の「お焚上祭」や動物園で飼育されているオオカミの生態が映像で紹介されている。注目したのは、そのモニターを囲む壁面に展示された写真。いずれも雪深い秩父や奥多摩の山肌を写した写真で、かつて、そしてもしかしたらいまも、オオカミが棲息していると言われるエリアである。なだらかな稜線が重なる景色はいかにも典型的な冬の山だが、不思議なことに、映像を見ながらそれらの写真を一瞥すると、その山肌がオオカミの躯体に見えるのだ。冬枯れの黒い木立がオオカミの体毛のイメージと重なるのかもしれないし、山脈の量塊性がオオカミの力強い筋肉の剛性を連想させるのかもしれない。いずれにせよ重要なのは、オオカミは単なる動物にすぎないわけではなく、そのイメージが山あるいは自然そのもののイメージと重複するという事実である。自然のなかにオオカミが生きているというより、オオカミのなかに自然があると言ってもいい。
それは、自然科学的には「絶滅」したのかもしれない。だが信仰やイメージのうえでは、いまも確かに「生きている」のである。瀕死の現代美術が目指すべきはオオカミなのではないか。

2017/08/04(金)(福住廉)

ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス

会期:2017/08/04~2017/11/05

横浜美術館+横浜赤レンガ倉庫1号館+横浜市開港記念会館[神奈川県]

2001年に始まったヨコトリも6回目。国際展の歴史の浅い日本では一番の先輩格だが、そんな威厳を微塵も感じさせないのは、いつまでたっても足元がふらついているからだ。振り返ってみて、これほど会場が定まらない国際展も珍しい(もちろん毎回開催都市を変えていく国際展は別だが)。1回目は横浜パシフィコ+赤レンガ倉庫など、2回目は山下埠頭3、4号上屋、3回目は新港ピア+日本郵船海岸通倉庫など、毎回会場選びに苦労していた。主導権が国際交流基金から横浜市に移った4回目から、ようやく横浜美術館がメイン会場として使われるようになったが、サブ会場は日本郵船海岸倉庫、新港ピア、そして今回の赤レンガ倉庫と一定していない。
会場が定まらないと安定感に欠けるが、逆に美術館がメイン会場として固定してしまうとまた別の問題が出てくる。それはさまざまな意味で美術館の企画展に近づいてしまうということだ。ディレクターはほかの国際展と同じく毎回異なっているが、4回目以降は逢坂恵理子館長が展覧会を統括してきた。それはそれで悪くないが、今回は3人いるディレクターのうち逢坂館長と柏木智雄副館長が美術館の人で、外部からは三木あき子のみ。また、実際に展覧会をつくるキュレトリアル・チーム11人中9人が同館学芸員に占められているので、国際展というよりゲストキュレーターを招いた美術館の特別展といった趣なのだ。おまけに2週間に一度だが休館日も設けられ、ふだんの美術館とあまり変わらない。さらに参加アーティストも毎回ほぼ減少していて、今回は39組。第1回の109組に比べると約3分の1だ。やはり国際展というのは非日常的な時空を味わえる一種のお祭りだと思うので、ウンザリするほどの質と量で迫ってほしかった。横浜市のイベントというにとどまらず、日本を代表する国際展を目指すならば。
でも本当のことをいえば、見る者にとってそんなことはどうでもよくて、いかに展覧会を楽しめるかが重要なのだ。今回はタイトルが「島と星座とガラパゴス」というもので、自己と他者、個人と社会といった関係における「孤立と接続」がテーマといっていいだろう。こうしたテーマだと国家や宗教、戦争、差別、難民などを扱うポリティカルな作品が多くなりそうだが、これは世界的な傾向だ。もっとも目立つ美術館正面の外壁と円柱に飾られたアイ・ウェイウェイの救命ボートと救命胴衣を使ったインスタレーションは、まさに難民問題を扱ったポリティカルな作品。さすがアイ・ウェイウェイと思う反面、いくら目玉アーティストだからといってこんな目立つ場所に設置すると、色彩がハデなだけに建築の装飾にしか見えなくなってしまう。もっと効果的な展示場所はなかったのか。アイ・ウェイウェイは館内にもう1点、磁器でつくったカニの山を出しているが、タイトルの《He Xie》はこのカニの名であると同時に、中国語で「検閲」を意味するネットの隠語「和諧」と同音であるという。いかにもアイ・ウェイウェイらしいが、しかし中国語を理解しない者にとって解説がなければ単なるカニの山だ。
今回いちばんおもしろかったのは、レーニンの肖像画をベースにしたザ・プロペラ・グループの連作。旧ソ連時代に描かれたレーニン像を集めて頭部に糸で“植毛”し、ディカプリオ主演の映画の1シーンに見立てている。例えば《映画『インセプション』のコブに扮するレーニン》とか、《映画『タイタニック』のジャック・ドーソンに扮するレーニン》とか。いわば社会主義のシンボルを資本主義の走狗ともいうべきハリウッド映画に転換させているのだが、そんなことより、ハゲ頭のレーニンに髪を生やすとディカプリオになるという驚き! これは笑える。これと似たものに、クリスチャン・ヤンコフスキーの連作がある。そのうちのひとつは《重量級の歴史》と題されたもので、ワルシャワにある社会主義の遺産というべきモニュメントを重量挙げの選手たちが持ち上げようとしている写真と映像だ。このようにポリティカルな主題をシリアスにではなく、笑いに包んで提供する。これが成熟した社会の成熟したアートというものだ。
もうひとつ、これは個人的な趣味でもあるが、身の回りのあらゆるものを一つひとつキャンバスに描いて室内を再現したドン・ユアンの作品がおもしろかった。テーブルや椅子、窓、花瓶、靴、照明、料理まで、それぞれ1枚ずつキャンバスに描いて生活空間のように並べているのだ。あらゆるものが情報化される現代において、あらゆるものを絵画化しようというアナログかつアナクロな試みといえる。ほかに、開港期の横浜にスポットを当てたサム・デュラントや、横浜出身の岡倉天心をクローズアップした小沢剛など地元ネタにも惹かれるものがあった。逆につまらなかったのは、いっぱいあるが、ひとつ代表的なものを挙げれば、カールステン・ヘラー、トビアス・レーベルガー、アンリ・サラ&リクリット・ティラヴァーニャによるコラボレーション。4人とも人気アーティストなのでなにをやるかと期待したら、かつてシュルレアリストたちが展開したゲームにならい、リレー方式で制作した版画を展示しているのだ。本人たちは楽しかったかもしれないが、4人も集まってこれかよ、というのが正直な感想だ。きっとアートフェアに出したら高く売れるだろう。国際展は美術館の企画展でもなければアートフェアでもないのだ。


左=ザ・プロペラ・グループ《映画『J・エドガー』のJ・エドガー・フーバーに扮するレーニン》。
右=ドン・ユアンのインスタレーション「おばあちゃんの家」シリーズ。窓も椅子も照明もすべて絵画。

2017/08/03(木)(村田真)

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