2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

中島那奈子「イヴォンヌ・レイナー『Trio A』『Chair/Pillow』ショーイング」

会期:2017/10/12~2017/10/14

京都芸術劇場大春秋座(京都造形大学内)[京都府]

ダンス研究者の中島那奈子が代表者を務める研究プロジェクトのイベント「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(10/11-15)のなかのショーイングのプログラムを見た。レイナーを軸としてポストモダンダンスを回顧するとともに、そこに「老い」というテーマを盛り込んだ意欲的な研究企画であり、とくにこれまでの類似のイベントと異なるのは、レイナーと活動を共にしているEmmanuéle Phuon氏を招聘して、レイナー直伝の振り付けが日本在住のダンサーたちに施されたことだ。『Trio A』は、6人のダンサーが舞台に登場した。5分強の振り付けは、最初はデュオで、次には一人は踊りもう一人はその踊り手の目を見つめる形で、その次は最初に二人が踊ると、残りのメンバーがそこに加わるという構成で、踊られた。5日間という短期間の猛特訓の末、実施されたパフォーマンスは、『Trio A』がきわめて緻密に構成された振り付け作品であることを強烈に印象づけた。ポスト・モダンダンスというと「ノン・ダンス」や「日常性の導入」といった先入観があるけれども、目前で展開された『Trio A』はいかにダンサーの肉体と精神を酷使する「ダンス」であるかを知らしめた。ダンサーの一人、神村恵に聞いたことをベースに筆者なりに説明すると、ひとつのフレーズごとに様式の違う動きを連ねながら(例えば、「モダンダンス」→「バレエ」→「日常の動作(足踏み)」を3秒ごとに切り替えながら)、同時にそれぞれの様式のもつ審美性をしっかりキャンセルしていく。それによって「モノトーン」の「流れ」を生み出す。そうすると「非ダンスのダンス」が立ち上がる、というわけだ。短期間の特訓では、100%それが実現できてはいなかったかもしれないけれども、どんなダンスを実現せんとしているのかは、見ていて掴むことができた。上演された『Chair/Pillow』は、タイトル通り、椅子と枕を使って8人ほどのダンサーがユニゾンで踊る作品。アップテンポの曲をバックに踊るので、ミュージカルのダンスとしてみれば見えなくもない。これも基本的には、いかにグルーヴ(つい踊ってしまう身体)をキャンセルするかが、振り付け指導の要点だったようだけれど、これが随分と難しかったようで、どこまでレイナー固有のダンスが実現されていたのかは、不確かなところがある。駅前留学的な「短期速習」で生まれた「ポスト・モダンダンス」は、それでも、十分に興味深いものだった。50年前のアメリカ合衆国の前衛作家たちの試みから、私たちが何を継承し、何を置いてゆくか、それは50年前のアメリカの状況といまの日本の状況とがどう異なるかを参加したダンサーたちが自分の身体を通して問い、また彼らがその相違や違和感から何を発見するかにかかっていることだろう。「非ダンスのダンス」というひねくれが今日、どんな活用可能性を秘めたものであるのか。このプロジェクトのインパクトが、じわじわと今後の日本のダンス・クリエイションに影響を与えていくことを期待する。

2017/10/14(土)(木村覚)

柴幸男『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』

会期:2017/10/07~2017/10/15

東京芸術劇場シアターウェスト[東京都]

ジャンル:パフォーマンス
池袋の東京芸術劇場は、シアターが複数ある。そして、地下一階のシアターイーストとシアターウェストは同じ規模で隣り合っている。本作はこの二つのシアターを同時に使用し、一つの戯曲を上演する。「一つの戯曲」と書いたが、テーマは重なるものの、二つのシアターでは異なるキャストが異なるセリフで上演が行われているらしい(観劇後、F/Tのサイトにて公開されている戯曲を見ると、シアターイースト側とシアターウェスト側に分かれて会話を交わすところ以外は、同一の戯曲だったようだ。そのことは観客は知らない)。それを観客はどちらかのシアターを選んで鑑賞する。両会場をつなぐ扉は頻繁に開き、顔は見えないけれども、反対側から役者が呼びかけあったりするので、向こうで起こっていることをいつも少しだけ意識するような演出が施されている。テーマは「距離」。ぼくが見たシアターウェストでは西子(端田新菜)が誕生の産声をあげるところから物語は始まった。語られるのは、隣人の死の場面。自分の誕生とともに母が死に、小学生のときにウサギが死ぬ。友人は遠方に引っ越してしまい、そこで起こった地震によって瓦礫の下敷きになる。自分は安全に生きている。その周りで大切な人たちが命を奪われてゆく。隣人の死といえども他人の死だ。一定の距離が残って消えない。ここに距離というテーマの発生源がある。西子が隣人と踊る場面では、二人を挟んでひも式のメジャーが伸びていた。「距離」をめぐり、第一部では誕生から思春期までの出会いと別れが描かれ、第二部では母となって息子と旅をし、第三部では目の見えない車椅子の老女となってもう一人の若い頃の自分と対話する。トータルで75分だから、三部のうちどの逸話もとてもコンパクトに整理されていて、走馬灯のごとくスピーディーに展開する。ある場面で、英語字幕に「in the distance, there is no sorrow」と出てきた。もとのセリフはこうではないけれど、要するに「距離があるので、悲しみが存在しない」という意味だ。「悲しくない(からよかった)」とも読めるが、「悲しむことができない(からつらい)」とも読める。人生の機微がコンパクトに描かれるから、エモーショナルな気持ちになりかける。けれども「距離」がそこへ没入するのを妨げる。なんとも不思議な舞台だった。
公式サイト:https://www.ft-wkat.com/
フェスティバル/トーキョー(F/T)17 公式サイト:http://www.festival-tokyo.jp/

2017/10/12(木)(木村覚)

フェスティバル/トーキョー17「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」

会期:2017/10/07~2017/10/15

東京芸術劇場 シアターイースト、シアターウエスト[東京都]

柴幸男「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」を東京芸術劇場のイーストとウエストで続けて観劇した。当事者ではない悲劇への距離を題材とし、たえず劇場の外/隣を想像させる刺激的な試みである。すなわち、舞台は大きな物語の一部でしかない。実際、時々左右の劇場をつないで両サイドの俳優が会話したり、旅行の場面などでは反対側の舞台に俳優が移動していた。先に見たせいもあるが、イーストの方が印象に残る。後でウエストを見ると、思っていたのとちょっと違っていた(イーストで見ることができなかったものが補完されるのかと想像していたため)。

2017/10/09(月)(五十嵐太郎)

大駱駝艦・天賦典式 創立45周年『超人』

会期:2017/10/05~2017/10/08

世田谷パブリックシアター[東京都]

本作は一週間前に上演された『擬人』の続編である。『擬人』は殺気立った音響の中で、ときに「コ・ロ・ス(殺す)!」と叫ぶアンドロイドのごとき「擬人」たちのテンションが印象的だった。『超人』も『擬人』を引き継ぎアンドロイドのごとき一段の群舞から始まる。ショーケースに閉じ込められた人形。そのなかに麿赤兒がいる。もうここには人間らしき存在はいない。アンドロイドだけの世界。そこで、アンドロイドは相撲を取る。その様は意外にも滑稽で、前編のシリアスさに比べるとほのぼのとしている。アンドロイドもまた人生を無為に遊ぶものなのか。ラストシーンは麿がアンドロイドたちが引く乗り物の上に立ち、ポーズを決めて舞台を周回する。「超人」をめぐる白熱のストーリーを期待していたのだが、麿の存在感自体がここでのスペクタクルとなった。物語はあるようで存在せず、その分、キャッチーな活人画が提示される。ダンスというのは不思議な表現で、話が転がってゆき、登場人物がそれによって心の変化を経験するといったこととは無縁でよいのだ。そうした話の次元とは別の次元で、肉体は脈動し、死とともにある生を生きており、ダンスはその肉体のドラマこそ舞台に提示するものなのだ。最終的に「麿赤兒ショー」と化すことに違和感がないのは、その肉体のもつ圧倒的な存在感を見せつけられるからであり、私たち観客はまさにこれを見に来たのだと納得させられてしまうからだ。『超人』には、ここ最近の大駱駝艦らしい「父殺し」のモチーフは影を潜め、それとは正反対の超人=麿の力が輝く舞台になっていた。
公式サイト:http://www.dairakudakan.com/rakudakan/2017/anniversary_45th.html

2017/10/05(木)(木村覚)

プレビュー:KOBE - Asia Contemporary Dance Festival #4 家族の系譜

会期:2017/11/03~2017/11/25

ArtTheater dB KOBE、旧K邸、駒ヶ林会館、ふたば学舎 講堂[兵庫県]

第4回目を迎える舞台芸術祭「KOBE-Asia Contemporary Dance Festival」(通称「アジコン」)。「家族の系譜」をテーマに、日本、インドネシア、ヴェトナムのアーティスト計13組が参加する。主催のNPO法人DANCE BOXの拠点である神戸の新長田は、在日コリアンやヴェトナム移民などの住民が多く、下町の雰囲気と「マルチ・エスニック・タウン」の性格が混在する町。人の移動の背景にある、文化的ルーツとその変容、家族の系譜、歌や踊りのなかに身体化された記憶といったトピックスに焦点を当てたプログラム構成となっている。
インドネシア・パプア地方出身のジェコ・シオンポは、動物から着想を得た動きとヒップホップを混ぜ合わせた「アニマル・ポップ」というスタイルで知られる。滞在制作で結成した「アニマル・ポップ・ファミリー・コウベ」が劇場から町中へと繰り出し、祝祭的な空間を出現させる。アジア諸国の舞台芸術関係者が集う集合体「アジア女性舞台芸術会議実行委員会」からは、祖母の洗骨の儀式を記録したヴェトナム在住のグェン・チン・ティの映像作品と、矢内原美邦が在日ヴェトナム人の女性たちの声を拾い集めて描いた戯曲が上演される。また、新長田で暮らす多様な人々による民謡や踊りの現場へ赴き、身体が記憶している所作や風習のありようを探るプロジェクト「新長田ダンス事情」では、演出家の筒井潤が新作を発表する。
「家族」および既成の概念への問い直しという面では、ダムタイプ『S/N』のヴィデオ・ドキュメンタリー上映、結成20周年を迎える男女のデュエット、セレノグラフィカが古民家で静かに紡ぐ男女の時間、ダンサーで振付家の余越保子による映像展示とパフォーマンスがある。余越は、4名のアーティストが瀬戸内海の島でともに暮らしながら撮影した映画と、その映画をテクスト化したライブパフォーマンスを発表。また、黒沢美香と両親の記念碑的ダンス公演『まだ踊る』の舞台裏を追ったドキュメンタリーを展示し、戦後の現代舞踊界を牽引し続けたダンスファミリーの軌跡を提示する。
芸術祭の期間中は、子どもたちを恐怖に陥れた目黑大路の「妖怪ショー」がアジアの妖怪を新たに加えて上演。また、近年、ダンスの継承の現場における「師匠とダンサーとのやり取り」を時にユーモラスにメタ化して提示している山下残は、アルゼンチン、イスラエル、オーストラリア、トーゴ、日本からなる国内ダンス留学@神戸 六期生が出演する新作を発表する。
会場は、ブラックボックスの劇場空間であるArtTheater dB KOBEに加え、古民家や商店街の中でも行なわれる。約1カ月の開催期間を通して、身体表現を介して新長田という場所の多層性に触れる機会ともなるだろう。

公式サイト:https://kacdf2017.wixsite.com/2017

2017/09/30(土)(高嶋慈)

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