毎月1日、15日号発行の美術館・アート情報をお伝えするWebマガジン(次回2月1日更新予定)

artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

村松卓矢『バカ』

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会期:2016/12/15~2016/12/23

大駱駝艦・壺中天[東京都]

まさかのトランプ大統領選勝利はいうまでもなく、世の中「バカ」がまかり通っている。そんな中での村松の新作タイトルが『バカ』。舞踏はあえて「バカ」になることで舞踏家が世界の暗部を照らし出してきた。だから村松のタイトルは舞踏の正統的な自己表現とも言えるのだが、なにぶん、愚かしさが世界のあちこちで幅を利かせている状況で舞踏の「バカ」はどう機能しうるのかが気になる。最初は魚、次に動物と人間と、ダンサーたちは顔にマスクをつけて踊る。村松演じる老人は次に現れる金属の爪をつけた人間(→ロボット)に座を奪われる。なるほど「生命の神話」とでも言えそうな物語が、本作の流れを作ってゆく。ロボットの次は、鬼の形相の白髪の女が座を奪い、その女によって老人に似た赤子(村松)が出産される。村松は寝そべって、「バカ」「アホ」などと罵る声を浴び続ける。最後は、体をあげ満面の笑顔でその声を受け止める。「笑顔」と言ってみたが、なんとも言えない「全肯定」の表情なのだ。その表情は、単に「バカ」を批判することも、事も、単に「バカ」を利用して生きることも超えて、あるいはそれらを包摂して、人類のバカさ加減とともに生きることを表明しているかのようだった。こういう表現が舞踏ならばできる。舞踏は強いと思わずにはおれなかった。日本のダンスを牽引してきた室伏鴻も黒沢美香もいない世界で、まるで草っ原のようだと思うこともあるのだけれど、大駱駝艦の底力を感じる。淡々と地道に一歩一歩進んでいる彼らは、時代錯誤のように思われることもあるやもしれない(来年は結成45年を迎えるそうだ)が、むしろ時代とちゃんと一緒に生きているのだ。

2016/12/22(金)(木村覚)

プレビュー:DANCE BOX ARCHIVE PROJECT vol.1 1995年のGUYS

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会期:2017/02/11~2017/03/05

アートエリアB1[大阪府]

関西ダンスシーンの中核を担ってきたNPO法人DANCE BOXは、20周年記念を機に、これまでの膨大で貴重なダンス関連資料を整理するとともに、舞台芸術関係者のみならず、さまざまな立場の人が活用できる仕組みの構築を目指して、「アーカイブ・プロジェクト」を立ち上げている。2016年10月には、「アーカイブ・プロジェクト vol.0」をアートエリアB1で開催。2014年のKOBE-Asia Contemporary Dance Festival #3で上演された、松本雄吉×垣尾優×ジュン・グエン=ハツシバによる『nước biển/ sea water』のアーカイブ展示を行なった。作品映像に加え、衣装、舞台美術、朗読テクスト、ミーティングの音声データなど、複合的な要素を展示空間に再配置し、モノと情報、記憶が交差する場をつくることを試みた。
「アーカイブ・プロジェクト」の本格的な始動となる今回の「vol.1」は、「1995年のGUYS~ダンスボックス設立前夜、関西のコンテンポラリーダンス激動の時代~」と銘打たれている。DANCE BOX設立のきっかけともなった、1995年に伊丹市のアイホールで行われた公演『GUYS』を基軸に展開する。冬樹、ヤザキタケシ、サイトウマコト、由良部正美ら、今も活躍するダンサーをはじめ、関西の男性ダンサー陣が一堂に出演した『GUYS』にまつわるさまざまな資料を振り返り、当時のアーティストが何を志向していたのか、そして彼らが現在に何をもたらしたのかを検証するとともに、関西ダンスシーンのこれからを考えるための場づくりを試みるという。本プロジェクトは、関西ダンスシーンの歴史的検証の場となるとともに、舞台芸術の記録・アーカイブのあり方をめぐって考える機会となるだろう。
また、90年代半ばの関西(とりわけ京都)では、アーティストたちが緩やかに連帯しながら、自分たちの手で環境作りを行なっていったことがひとつの動向として挙げられる。例えば、ダムタイプ周辺のアーティストたちが1992年に立ち上げた自主運営のアートセンター「アートスケープ」や、京都を拠点に活動するコンテンポラリー・ダンスカンパニーMonochrome Circusのメンバーが中心となって1995年に始めた国際ダンスワークショップフェスティバル「京都の暑い夏」がある。DANCE BOXの設立も、単にダンス分野の一団体の設立であることを超えて、そうした同時代的な動向の中で再考されるべきだろう。

関連レビュー

『nước biển/ sea water』特別展示上映 ダンスボックス アーカイブプロジェクト(高嶋慈):artscapeレビュー

2016/12/21(水)(高嶋慈)

プレビュー:山下残『悪霊への道』

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会期:2017/02/03~2017/02/05

アトリエ劇研[京都府]

コンテンポラリー・ダンサー、振付家の山下残と、バリ島という異色の組み合わせ。「あえてバリ島に縁が薄そうな振付家への委嘱作品。韓国のAsia Culture Center、Asian Arts Theatre(国立アジア文化殿堂 芸術劇場)とインドネシアのダンスキュレーター、ヘリー・ミナルティによるオリエンタリズム再考プロジェクト」とチラシには紹介されている。山下は、なじみのないバリ島に単身赴き、バリダンスを習いに行くも完全に観光客扱いされてしまう。伝統芸能が観光資源であり、植民地時代の支配を和らげる武器ともなったバリ島において、「コンテンポラリー・ダンサー」と名乗れば、伝統を侵しにきた「現代の悪霊」と見なされ、呪いをかけられる。だが、バリ島では良い霊も悪い霊も等しく祀ることで世界のバランスを保つという話を現地で聞いた山下は、「この島で自分の存在を認めてもらうには悪霊になるしかない」という逆説的な戦略を採ることを決めたというのが、本作の経緯だ。
山下には、異文化交流をテーマにした舞台作品への出演がこれまでにもある。KYOTO EXPERIMENT 2010で上演された『About Khon』では、タイの伝統舞踊「コーン」の踊り手のピチェ・クランチェンと「対話形式」のパフォーマンスを行ない、伝統と現代、アジアと日本といった文脈の差異、歴史的厚みに支えられた身体と技術的熟達を放棄した身体、といったトピックについて示唆的な対話を行なった。本作においても、「観光資源」としての「伝統文化」、異文化への眼差しがはらむエキゾティシズムの構造、「歴史」との切断の上に成立してきたコンテンポラリー・ダンスと伝統・歴史との(再)接続など、多角的な問題に対して、山下ならではのラディカルさとユーモアでもって、どう切り込むのだろうかと期待される。

2016/12/21(水)(高嶋慈)

南村千里『ノイズの海』

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会期:2016/12/15~2016/12/18

あうるすぽっと[東京都]

オーセンティックな芸術家像とは相容れない人物が(たとえば非西洋人が、女性が、そして障害を持つ人が)芸術の場を更新するという美術史ならば周知の傾向と並べてみるほかに、本作のダンスを受け止める術はない。南村千里の新作は、もし「ろう者でもあるダンス・アーティスト」という前提なしに見たら、ライゾマティクスのハイクオリティな装置による刺激的なイメージに圧倒される分、ダンスとしては印象に薄いという感想しか残らなかったかもしれない。ただし、この前提こそ看過できぬものなのだ。とはいえ、そうである限り、既存の批評軸で評定しても意味がないような気がしてくる。否定であれ肯定であれかつてのダンス史と向き合いながら、そこにない何かを提示することが通常、作家に求められているものだとして、南村の振り付けには歴史への応答が希薄で(南村が学んだイギリスにおける何らかの流派への応答は行なわれているかもしれないが、私はそこに疎い)、それより何かもっと別のトライアルに挑戦しているように感じる。ただし、それがどんなポイントなのか、俄かにはわからない。客席に注意を向けると、手話の手に気づく。聞こえない人が客席に存在することを前提に、普通はダンス公演を作らない。その「普通」に慣れた体で、聞こえない人とともに見ている目の前の光景を判断してよいものかどうか戸惑う。とはいえ、舞台には音声も用いられており、健常者の聴覚が無視されているわけでもない。だが、強烈な振動を伴う大音量もあり、そこでは「聞く」のとは異なる視聴(つまり振動を感じること)が想定されていそうだ。それを、さて、聞こえない人はどう「聞く(感じる)」のだろうと、耳を塞いで見たりするが、想像が膨らむだけで実感はわかない。聞こえない人にも聞こえる人にも開かれた公演であるということは、誰にとっても感知し得ない空白が必ず残るということでもある。この批評し難さ、批評の疎外状態が、まず、何よりも本作を興味深いものにしている。直接の関連があるかないかはともかく、今後「2020」へ向けて、このようなコラボレーションが顕著になることだろう。そうした傾向がダンスを変えていくのか、一種の流行に過ぎないのか。どっちに転ぶのかは、ダンスの内容もさることながら、観客の多様性をどう生じさせ、それによって鑑賞の質をどう変容させていくかという視点にオルタナティヴなダンスの道筋を見るか否かにかかっていることだろう。

2016/12/15(木)(木村覚)

ロミオとジュリエット

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会期:2016/12/10~2016/12/21

東京芸術劇場[東京都]

藤田貴大・演出「ロミオとジュリエット」@東京芸術劇場。誰もが知っている有名な物語のプロットだけに、おそらく可能な(ネタバレok)悲劇のエンディングから2人の運命の出会いの舞踏会に逆再生しつつ、同じセリフの反復を重ねていく実験的な構成である。舞台装置の転換がめまぐるしく、くるくると壁が踊るかのようだ。衣装はコムデギャルソン的な非対称や異物+かわいいで、これも印象に残る。

2016/12/11(日)(五十嵐太郎)

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2017年01月15日号