2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

映画監督・佐藤真の新潟──反転するドキュメンタリー

会期:2017/09/15~2017/10/15

砂丘館ギャラリー[新潟県]

『阿賀に生きる』(1992)、『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)といった、日本のドキュメンタリー映画の歴史に残る傑作を残し、2007年に亡くなった映画監督・佐藤真。没後もその仕事の見直しが粘り強く進められ、2016年には多くの関係者が原稿を寄せた評論集『日常と不在を見つめて──ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社)が刊行された。今回の企画は、佐藤とは縁が深い新潟の地で、彼の業績を振り返るもので、筆者も9月24日に「佐藤真と写真」と題するギャラリートークに参加させていただいた。
旧日本銀行新潟支店長役宅を改装した砂丘館には、『阿賀に生きる』のスチール写真(撮影=村井勇)をはじめとして、佐藤の著書、関連資料などが展示されていた。そのなかには、牛腸茂雄の写真集『SELF AND OTHERS』(白亜館、1977)におさめられたポートレート写真(プリント=三浦和人)もある。佐藤は砂丘館館長の美術批評家、大倉宏の示唆で新潟県加茂市出身の牛腸の存在を知り、彼の写真に強く惹きつけられて映画『SELF AND OTHERS』を制作するに至った。また、長岡市で歯科医院を営みながら、明治30年代~大正時代に膨大な数のガラス乾板の写真を遺した石塚三郎にも関心を抱き、彼の記録写真をベースにした映画も構想していた。その石塚の写真も今回の展示作品のなかに含まれていた。
こうしてみると、佐藤はドキュメンタリー映画作家として活動しながら、無意識のレベルでの視覚的な認識を基本とする、写真表現の可能性にも大きな刺激を受けていたことがわかる。1990年代後半には、当時構想していた『東京』と題するオムニバス映画の準備も兼ねて、自ら東京の街を徘徊してスナップ写真を撮影している(『日常と不在を見つめて』に収録)。佐藤真の映画と写真との関係については、まだいろいろなことが見えてくる可能性がありそうだ。牛腸茂雄についての強いこだわりは、映画『SELF AND OTHERS』に結実したのだが、石塚三郎の写真は、結局映画には使われることなく終わった。そのあたりも含めて、また別の機会に「佐藤真と写真」を総合的に検証する機会をつくっていただきたいものだ。

2017/09/24(日)(飯沢耕太郎)

進藤環「仙人のいる島」

会期:2017/09/16~2017/10/14

ギャラリー・アートアンリミテッド[東京都]

進藤環はこれまで自作の写真を切り貼りしてコラージュし、架空の風景を組み上げていく作品を発表してきた。ところが、今回東京・六本木のギャラリー・アートアンリミテッドで開催された新作展では、展示されたほとんどの作品が「ストレート写真」だった。コラージュの手法を用いた2点も、ほとんど操作の跡は見えない。
作品のスタイルが変わったのは、おそらく今回のテーマ設定によるところが大きいのではないだろうか。進藤は3年ほど前に岡山県笠岡市の北木島を訪れ、周囲から「仙人」と呼ばれる不思議な老人に出会う。そのたたずまいに惹かれて、島を再訪して彼のポートレートだけでなく、住居や周囲の風景を撮影した。主題となる被写体が限定的である場合、コラージュによって再構築する必然性はなくなる。実際、今回のシリーズでは、「ストレート写真」が違和感なく目に飛び込んできた。モノクローム中心の緻密な画面構成、丁寧なプリントも、テーマにふさわしいものになっていた。3年前に、九州産業大学芸術学部写真、映像メディア学科の講師として福岡に移り住み、制作の環境が大きく変わったことも、作風の変化に影響しているのではないかと思う。
ただ、このまま全面的に「ストレート写真」に移行する必要もないだろう。次に何を撮影するかで、コラージュの手法が再び復活することがあるかもしれない。よりフレキシブルに、新たな領域にチャレンジしていってほしいものだ。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

野口里佳「海底」

会期:2017/09/09~2017/10/07

タカ・イシイギャラリー 東京[東京都]

昨年、12年間在住したベルリンから、沖縄に移って制作活動を再開した野口里佳の新作展である。水中で撮影された「海底」のシリーズを見て、野口が1996年に第5回写真新世紀展でグランプリを受賞した「潜ル人」を思い出した。潜水夫をテーマとするこの作品で、彼女は重力のくびきから離れた「異世界」の光景を出現させたのだが、その初心が今回のシリーズにもずっと継続していることが興味深い。野口にとって、写真とは現実世界のあり方を変換させる装置であり続けてきたということだ。太陽の届かない「海底」をライトで照らしながら作業するダイバーの姿は、あたかも宇宙人のようであり、その変換の振幅は相当大きなものになっていた。
ところが、同じ会場に展示されていた2枚組の「Cucumber」や「Mallorca」では、その変換の幅はかなり小さい。「Cucumber」では「21 August 2017」と「22 August 2017」、つまり1日のあいだに伸びたキュウリの蔓を撮影しており、「Mallorca」では海面の微妙な光の変化を捉えている。それでも、2枚の写真のわずかな違いに、野口が奇跡的な「不思議な力」を見出していることがはっきりと伝わってくる。宇宙大の遥かな距離から、日常の微妙な差異まで、彼女の写真の世界は、マクロコスモスとミクロコスモスのあいだを往還する自由さを手に入れつつある。沖縄での次の成果がとても楽しみだ。

Noguchi Rika“At the Bottom of the Sea #3”, 2017 C-print 90 x 135 cm
© Noguchi Rika

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

黑田菜月「わたしの腕を掴む人」

会期:2017/09/20~2017/09/26

銀座ニコンサロン[東京都]

黑田菜月は1988年、神奈川県生まれ。2001年に中央大学総合政策部を卒業後、写真家としての活動を開始し、2012年に第8回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した。そのころの彼女の写真は、自分の周囲に潜む「けはい」を繊細な感覚でキャッチした、センスのいい日常スナップだったが、まだひ弱さも感じさせた。だが、その後順調にキャリアを伸ばし、確信を持って自分のスタイルを打ち出していくことができるようになってきている。
今回の「わたしの腕を掴む人」は、中国の北京と上海で老人施設を取材した写真群をまとめたものだ。大きく引き伸ばされた老人たちのポートレートが中心だが、室内の情景、庭などの写真もある。認知症を含む老いの進行を注意深く観察し、撮影しているのだが、それをこれ見よがしに露呈していくような姿勢は注意深く回避され、全体的に受容的な眼差しが貫かれている。注目すべきなのは、むしろ写真と写真の間に置かれたテキストだろう。そこに記された内容も、直接的に彼らの状況を指し示すものではない。電車の中で何度も「富士山が見える」と話しかけてくる老女、「船が迎えに来た」と言って息を引き取った老人、日本に来て介護を学んでいる中国人との対話などが、淡々と綴られている。それらの言葉と写真との間合いが絶妙であり、観客を自問自答に誘うようにしっかりと組み上げられていた。
妄想と現実とのあいだを行き来するような構造を、写真とテキストでどのようにつくり上げていくかは、今後も 黑田の大きな課題になっていくのではないだろうか。次作も大いに期待できそうだ。なお、本展は10月19日~10月25日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

プレビュー:藤倉翼作品展「NEON-SIGN」

会期:2017/10/13~2017/10/31

vou[京都府]

都市の歓楽街を彩るネオンサイン。それは20世紀の消費文化を代表するシンボルのひとつだが、近年は新技術の普及やネオン管職人の減少により、その姿を消しつつある。北海道・札幌を拠点に活動する写真家、藤倉翼は、一時代を築いたネオンサインへのオマージュとして、写真を元にした半立体作品を制作した。それはネオンサインを真正面から撮影し、LEDを仕込んだ特注額に額装したもの。LEDはコンピューターのプログラムで不規則に明滅し、リアルなミニチュアのような作品が出来上がる。ネオンサインをモチーフにした作品を聞くと、消費社会を批評したポップアートが思い浮かぶ。しかし藤倉はそうした皮肉っぽい視点ではなく、ネオンサイン=近代の工芸品としてリスペクトを捧げているのだ。作品のなかには道頓堀のグリコなど、関西人にとっても思い入れの深いモチーフもある。実物を見たら衝動買いしてしまうかもしれない(もちろん値段次第だけど)。


©藤倉翼

2017/09/20(水)(小吹隆文)

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