2018年06月15日号
次回7月2日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

岡上淑子コラージュ展──はるかな旅

会期:2018/01/20~2018/03/25

高知県立美術館[高知県]

1928年高知市生まれの岡上淑子は、1953年と56年に瀧口修造の推薦で、タケミヤ画廊で個展を開催し、その清新なフォト・コラージュ作品が注目された。だが、1957年に結婚して創作活動から遠ざかったこともあり、2000年に第一生命ギャラリーで44年ぶりの個展を開催するまでは「忘れられた作家」になっていた。だが、それ以後内外の美術館に作品が収蔵され、作品集も次々に刊行されるなど、再評価の機運が高まりを見せている。今回の展覧会には、彼女のコラージュ作品140点余りのうち80点が出品されていた。

あらためて展示作品を見ると、彼女の『ライフ』や『ハーパーズ・バザー』などの雑誌の図版を切り貼りしていく構想力と技術力とが傑出したものであったことがよくわかる。これまで岡上の作品については、文化学院デザイン科出身の若い女性が「頭のなかに描いた空想や夢」の産物という見方が一般的だった。ところが、今回作品を見て、彼女が戦後の日本の現実や当時の女性の社会的な立場をきちんと見つめて、むしろそれに対する反抗の思いを込めて制作していたのではないかと強く感じた。例えば、「戦場の歌」(1952)、「戦士」(同)といった作品にあらわれる、廃墟と化した戦場のイメージには、男性中心に進められた戦争への忌避の感情が滲み出ているようでもある。岡上は2012年のインタビューで「当時日本の未婚女性に押しつけられていた制約や慣習から解放された、独立した女性になること」を望んでいたと述べている。彼女の仕事をフェミニズムの先駆として位置づけることもできそうだ。

高知県立美術館には、石元泰博フォトセンターが設けられており、やはり高知県出身の彼の遺作3万5千点もコレクションされている。そちらでは、ちょうど平成29年度第3回コレクション展として「色とことば」展が開催されていた。樹木やビルなどのシルエットに多重露光で原色を重ね写した、遊び心あふれるユニークな作品群である。

2018/03/01(木)(飯沢耕太郎)

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荒木経惟「私、写真。」

会期:2017/12/17~2018/03/25

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

荒木経惟は2017〜18年に21回もの展覧会を開催した。その「大爆発!」の掉尾を飾るのが本展である。出品点数は何と952点。あの名作「父の死」(1967)と「母の死」(1974)から始まって、壁に大量の写真が直貼りで展示されている。「展覧会には必ず新作を出品する」という荒木の展示のポリシーはここでも貫かれていて、今回も「北乃空」、「北斎乃命日」、「恋人色淫」、「花霊園」と、2017年に制作された新作が並ぶ。京都旅行のスナップをネガでプリントした「センチメンタルな京都の夜」(1972/2014)、電通時代のスケッチブックに写真を貼り付けた写真帖「Mocha」、「赤札堂の前で」、「女囚2077」、「アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集」など、これまでほとんど発表されたことのない作品もある。荒木の過去・現在・未来を大盤振る舞いで見せつける力作ぞろいだった。

ちょっと気になったのは、丸亀出身の生け花作家・中川幸夫にオマージュを捧げた「花霊園」、急逝した編集者・和多田進の奥さんから贈られたハーフサイズのカメラで撮影した「北乃空」など、展示作品全体にタナトス的な雰囲気が強く漂っていたことだ。フィルムの高温現像で現実世界の眺めを変容させた「死現実」(1997)、銀色の「死」という文字を書き続けた「死空」(2010)も凄みのある作品だ。だが、エロスとタナトスの対位法(「エロトス」)は荒木の作品世界の基本原理であり、今回はたまたまその振り子がタナトス側に振れたということなのではないだろうか。次はあっけらかんとエロス全開の作品を見せてくれそうな気もする。

2018/02/28(水)(飯沢耕太郎)

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土田ヒロミ『フクシマ 2011─2017』

発行所:みすず書房

発行日:2018/01/25

土田ヒロミの執念が、大判ハードカバーの写真集として形になった。土田は東日本大震災の後、「ひとりの表現者としてどのように向き合えばよいのか」と悩み抜いていたが、まずは福島第一原子力発電所の大事故で避難指示が出た地域の「ボーダー線上を歩いてみることから始めよう」と心に決める。2011年6月から開始されたその撮影の作業は、6年越しで続けられ、今回写真集にまとめられた。

土田の方法論は明確である。デジタルカメラによって、風景の細部をきっちりと押え、ひとつの場所を何度も繰り返し訪れることで、定点観測的に画像が蓄積されていく。その結果として、いくつかの季節を経て微妙に姿を変えていく「フクシマ」のベーシックな環境が、撮影された日付と地名を添えて淡々と提示された。だが読者は、どうしてもそれらの一見静穏なたたずまいの写真群に、見えない放射能の恐怖を重ね合わせないわけにはいかなくなるだろう。さらに、2013年頃から開始された除染作業によって、大地は削り取られ、それらの土壌廃棄物を詰め込んだ「フレコンバッグ」が、あちこちの「仮々置き場」に不気味に増殖していく。時折あらわれる、白い防護服を来た人物たちの姿や、さりげなく写されている線量計なども、ここが「フクシマ」であるという現実を突きつけずにはおかない。

土田の代表作のひとつは、原爆が投下された広島のその後を検証した「ヒロシマ三部作」である。その彼が「フクシマ」に向き合い始めたことに、写真家としての役割を全うしようという強い意志を感じる。それは同時に「人類が直面している人と自然との関係の文明的危機」を受けとめ、投げ返そうという渾身の営みでもある。

2018/02/27(火)(飯沢耕太郎)

尾形一郎 尾形優「UNMANNED」

会期:2018/02/24~2018/03/31

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

尾形一郎と尾形優は、30年前に新婚旅行でベルリンに行った時に「ベルリンの壁やスターリン時代の超高層ビル、商店の存在しない街といった、価値観の転倒した世界」に大きな衝撃を受ける。その驚きを表現するために、87分の1スケールのキットを組み合わせて、鉄道が縦横に走る架空の街のジオラマをつくり始めた。最初のジオラマが完成した後、新たに住居を兼ねた「東京の家」を建てることが決まり、その一室に「もう一つの小さな都市」として、さらにスケールアップした新しいジオラマをつくることになる。それは最終的に2m×8mの大きさの精密なジオラマとして完成した。

今回のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムの個展「UNMANNED」には、このジオラマを4K撮影した画像を再編集した2点の映像作品が出品されていた。音のない光の動きだけに抽象化された作品と、走る列車から撮影された映像に、世界各地の都市で収録された音声を重ね合わせた2作品だが、特に後者の映像の面白さは特筆すべきものがある。「転倒する共産主義の世界、巨大な工場、終着駅、廃屋、団地、ガード下に広がる飾り窓……」といった眺めが、列車の走行とともに次々に展開し、めくるめくイメージの氾濫に身をまかせていると、ここには確かに「もう一つの小さい都市」が存在していると実感することができる。この作品の隠しテーマは「20世紀」ではないだろうか。資本主義と共産主義が火花を散らして対峙していたあの時代の感触が、まざまざと蘇ってきた。

ただ、僕はたまたま「東京の家」のジオラマを見ているのだが、それを体験しているか、していないかでは、作品の見え方にかなりの違いが出てくる。「東京の家」でこの作品を上映するのが一番いいのだが、それが難しければ、ジオラマの一部を移動して、映像と一緒に展示するのもひとつのやり方だろう。

Yu OGATA & ICHIRO OGATA ONO, “UNMANNED”, 2017, set of 2 4K videos, 12’15” each
© Yu OGATA & ICHIRO OGATA ONO / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

2018/02/24(土)(飯沢耕太郎)

野村恵子「OKINAWA」

会期:2018/02/07~2018/03/11

POETIC SCAPE[東京都]

野村恵子の写真集デビューは『Deep South』(リトルモア、1999)だが、それ以来ほとんどの写真集に沖縄で撮影された写真がおさめられてきた。この「日本の最南端、美しい珊瑚礁の海に浮かぶ大小の島々からなる、沖縄」(野村によるコメント)に対する思い入れは相当に深いものがある。そのひとつの理由は、母方のルーツが沖縄にあることだが、それだけではなく、南島の空気感や強烈な光と影のコントラスト、生々しい原色が氾濫する色彩感覚が、彼女の感性とぴったりシンクロしているからではないだろうか。ポルトガルの出版社、Pierre von Kleist Editionsから同名の写真集が刊行されたことを受けて開催された本展の、どの写真を見ても、沖縄を撮ることへの確かな安らぎと歓びとを感じとることができる。

だが、前作の『Soul Blue』(Silver Books、2012)からすでに5年以上が過ぎ、そろそろ安定した水準を突き抜けて次の世界へと出て行く時期に来ている。沖縄の人や自然はこれから先も撮り続けられるだろうし、「私の魂もいつか、この島に還ると思っています」という確信にも揺るぎないものがありそうだ。とすれば、いま野村に必要なのは、むしろ沖縄からできるだけ遠く離れてみることなのではないだろうか。それは彼女自身も自覚しているようで、狩猟をテーマにした新作が少しずつ形を取り始めているという。1990年代にデビューした野村と同世代の女性写真家たちの多くが、ちょうどいま成熟の時期を迎えつつある。次回の新作の発表に期待したい。

2018/02/22(木)(飯沢耕太郎)

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