2018年12月01日号
次回12月17日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

クロダミサト「裸婦明媚」

会期:2018/10/05~2018/10/21

神保町画廊[東京都]

クロダミサトは昨年から今年にかけて、SNSでモデルを募集して、6回にわたってヌード撮影のセッションをおこなった。今回の個展では、19名の女性たちをiPhoneで撮影した写真、600枚を、11×11センチの大きさにプリントして展示している。撮影場所は、写真展の会場になった神保町画廊であり、打ち合わせや準備等を入れると実際に撮影できる時間は30分くらいだという。

このシリーズは、ありそうであまりない取り組みだと思う。女性のヌードは、おおむね性的な欲望の対象として消費されるか、美的なフォルムや陰影を追求するかのどちらかになりがちだ。だが、クロダのヌードはことさらにエロスを強調しているわけでも、リアルなオブジェとして描写しているわけでもない。等身大の女性たちの「からだ」のあり方を、とても丁寧に、その細部にまで視線を届かせながら押さえている。個々の写真には、名前や年齢や日付けなどのデータは一切省かれているが、それもかえってよかったのではないだろうか。写真を見ながら、自分自身で意味付けしていかなければならないことで、写真(被写体)と観客との間に自発的な対話が成立していた。

大学時代の同級生をモデルに撮影した2011年の写真集『沙和子』以来、クロダは『沙和子 無償の愛』(2013)、『美しく嫉妬する』(2015)と、ヌード写真集の発表を積み重ねていった。そこで培われていった、モデルとの距離感を細やかにコントロールしていく撮影法が、本シリーズでも充分に活かされている。

2018/10/17(水)(飯沢耕太郎)

ハービー・山口「時間(とき)のアトラス」

会期:2018/10/17~2018/11/10

Kiyoyuki Kuwabara AG[東京都]

ハービー・山口の写真展も、ありそうであまりない展示だった。東京・馬喰町のKiyoyuki Kuwabara AGの会場の壁には、写真のフレームが21個並んでいた。それそれのフレームには、対になった2枚のプリントがおさめられている。なぜ2枚なのかといえば、「相似形のテーマ」で撮影された写真を、対比するように並べるというのが今回の展覧会のコンセプトだからだ。

例えば、東京・五反田で撮られた写真には日の丸の旗が、ロンドンの写真にはイギリス国旗が写っている。京都とモロッコの写真を繋いでいる「相似形のテーマ」は石の階段だ。ほとんど同じポーズで窓から顔を出している人物を写した中目黒の写真には老婆が、フィンランドの写真には少女が写っている。東京とパレスチナで、赤ん坊を抱く若い母親を撮影した写真もある。寺山修司の写真と、パンクロッカーのジョー・ストラマーの写真を見て思わず唸ってしまった。二人ともテーブルの上に足を投げ出しているのだ。

「相似形のテーマ」を膨大な量の写真群から見つけ出し、その取り合わせを考えて写真を選び、並べていくハービー・山口の眼力と手際は鮮やかとしか言いようがない。しかも、それらが意地悪で批評的な視点ではなく、あくまでも「幸せそうな人々や、美しい人々や光景の写真を撮る」というポジティブな狙いで選ばれているところに、彼の写真家としての真骨頂がある。見れば見るほど、味わい深い、深みのある感情の波動が伝わってくるいい展覧会だった。誰でも同じようなことは思いつきそうだが、おそらく実際に写真を並べてみるとスカスカになってしまうのではないだろうか。ハービー・山口の写真家としての50年近い経験の厚みが、豊かな膨らみを持つ展示に結びついていた。

2018/10/17(水)(飯沢耕太郎)

《太田市美術館・図書館》「本と美術の展覧会vol.2 ことばをながめる、ことばとあるく─詩と歌のある風景」

会期:2018/08/07~2018/10/21

太田市美術館・図書館[群馬県]

筆者が教鞭を執る東北大学で、《太田市美術館・図書館》のまわりに新しい文化施設をつくる設計課題を出していたことから、受講している学生向けの見学会を開催した。やはり図書館とカフェは人が集まるキラーコンテンツであり、駅前のロータリーを削ってでも、この施設をつくった当初の目的通り、ちゃんと賑わっている。しかも天気が晴れだと、屋上庭園をぐるぐる歩くのも気持ちがよい。雑誌の取材にあわせて、ちょうど設計者である平田晃久も訪れていた。この美術館も、開館記念展の「未来への狼煙」以来、地域の文化資源を発見するジャンル横断的な展覧会を企画しており、学芸員の小金沢智にその意図をうかがった。やはり、アーツ前橋と同じような動機をもっており、さまざまな制限があるなかで、太田市という場の独特な箱=空間で何ができるかを考え、横断的な企画を実行するに至ったようである。こうした方向性は、現代の地方都市における美術館のモデルになっていくかもしれない。

今回は本と美術の展覧会の第二弾として、「ことばをながめる、ことばとあるく─詩と歌のある風景」展が開催されていた。言うまでもなく、本と美術の切り口は、互いに絡みあう美術館・図書館の建築の空間形式から着想したものである。また美術館エリアは、高さのレベルの異なる、離れた3つの白い箱と途中のスロープから構成されていることから、それぞれ地上階から順番に最果タヒの詩×三人のグラフィック・デザイナー(佐々木俊、祖父江慎、服部一成)、詩人の管啓次郎×佐々木愛の絵画、そして知られざる明治生まれの地元の短歌作家、大槻三好・松枝夫妻の作品×イラストレーター・惣田紗希という三部構成をとっている。またスロープには、図書館から借りた関連図書を並べている。今年、東京オペラシティアートギャラリーでも谷川俊太郎の展覧会に挑戦していたが、ここでは太田市という地域性を強く意識しながら、さまざまな方法による言葉の世界の視覚化を提示した。

《太田市美術館・図書館》の屋上(左)、図書館エリア(右)


「ことばをながめる、ことばとあるく」展


2018/10/14(日)(五十嵐太郎)

愛について アジアン・コンテンポラリー

会期:2018/10/02~2018/11/25

東京都写真美術館[東京都]

今年、東京都写真美術館事業企画課長からブリヂストン美術館副館長に転じた笠原美智子は、東京都写真美術館の学芸員として、ジェンダーやセクシュアリティをテーマにした多くの展覧会を企画してきた。今回の「愛について アジアン・コンテンポラリー」展はその置き土産と言うべきグループ展で、現代アジアの女性アーティストたちにスポットを当てている。出品作家は笠原が選出した中国のチェン・ズ(陳哲)、シンガポールのジェラルディン・カン、台湾のホウ・ルル・シュウズ(侯淑姿)、在日コリアン3世のキム・インスク(金仁淑)、韓国のキム・オクソン(金玉善)、そして東京都写真美術館学芸員の山田裕理が選出した大阪出身の須藤絢乃の6人である。

いうまでもなく、日本を含めて、アジアの女性は長く社会的に抑圧されてきた歴史を持つ。女性アーティストたちもむろん例外ではない。今回の出品作家の多くは、それぞれの精神的、肉体的な違和感や苦痛を起点として、写真作品のテーマを選び、自己と社会との関係のあり方を細やかに再組織化し、提示しようとしている。むろん国や地域によって生の条件は異なっているが、アーティスト自身の身体性が、作品の中に不可欠の要素として組み込まれていることで、男性作家とは違った、直接的で生々しいメッセージが伝わってきた。

家族のポートレートを演出して撮り続けるジェラルディン・カン、中国の内戦を逃れて台湾に渡った住人たちの住む「眷村」をテーマとしたホウ・ルル・シュウズ、在日コリアンとして直面したアイデンティテイの多様化に着目する金仁淑、自身を含めて外国人と結婚した韓国人のカップルを撮影したキム・オクソン、そしてジェンダーの違和感を梃子に変身型のセルフポートレートを制作し続ける須藤絢乃と、それぞれクオリティの高い作品が並んで見応えがあった。だが特に注目したのは1989年、北京生まれのチェン・ズの展示だった。

自傷行為をテーマとした作品で、2011年に第3回三影堂撮影大賞を受賞してデビューしたチェンは、今回「我慢できる」と「蜜蜂」の2作品を出品した。傷口を抉るような痛々しいイメージと、美の極致とでも言うべき完璧な画面構成とが合体して、繊細なストーリーが織り上げられていく。今回はアジア各国に目配りしたやや総花的な展示だったが、東京都写真美術館にはさらに積極的に、「アジアン・コンテンポラリー」の写真作品をより深く掘り下げた企画を期待したい。

2018/10/06(土)(飯沢耕太郎)

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倉谷卓「Ghost’s Drive」

会期:2018/09/26~2018/10/09

銀座ニコンサロン[東京都]

目の付け所のよさを感じる写真展だった。1984年、山形県生まれの倉谷卓は、故郷に近い山形県遊佐町で、お盆の時期にオモチャの自動車を軒先に吊り下げる習慣があることを知る。それらを同町の友人の助けを借りて、3年余りにわたって撮影したのが、今回展示された「Ghost’s Drive」のシリーズである。

同地域では、以前はナスやキュウリなどを供えるとともに、水草で編んだ「精霊馬」を吊り下げていたのだという。ところが、それをつくる職人が少なくなったことと、移動の手段が馬から自動車に変わったこともあって、戦後の一時期からオモチャの車が普通になった。先祖の霊が自動車に乗って訪れるという発想自体が面白いが、それぞれの家ごとに、さまざまな種類の車が吊り下げられているのが目を引く。赤い車が多いのは、「故人が乗っていた、憧れていた車」ということのようだ。電車やバスなどもあるが、これはご先祖さまの数が多いので、一度に乗ることができるようにという理由だという。タクシーには料金の千円札が挟み込まれている。飛行機やヘリコプターなどまである。

倉谷の撮影ぶりは、肩の力を抜いた軽やかなもので、吊り下げられたオブジェの「ポップでシュール」な雰囲気がうまく捉えられている。「Ghost’s Drive」というタイトルも気が利いている。民俗行事が時代の変化とともに現代化していくプロセスは、ドキュメンタリー写真のテーマとしてもっと広く取り上げられてもいいのではないだろうか。なお、本展は10月25日~11月7日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/10/02(火)(飯沢耕太郎)

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