2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

プレビュー:大坪晶「Shadow in the House」

会期:2018/01/06~2018/02/18

アートラボあいち[愛知県]

大坪晶の写真作品《Shadow in the House》シリーズは、時代の変遷とともに所有者が入れ替わり、多層的な記憶を持つ家の室内空間を被写体としている。歴史の痕跡の記録であると同時に、ダンサーが室内で動いた身体の軌跡を長時間露光撮影によって「おぼろげな影」として写し込むことで、何かの気配や亡霊の出現を示唆する。それはまた、複数の住人の記憶が多重露光的に重なり合い、もはや明確な像を結ぶことのできない記憶の忘却を指し示すとともに、それでもなお困難な想起への可能性を開いてもいる。大坪は近年、日本各地に残る「接収住宅」(第二次世界大戦後のGHQによる占領期に、高級将校とその家族の住居として使用するため、強制的に接収された個人邸宅)を対象とし、精力的なリサーチと撮影を続けている。
《Shadow in the House》は写真作品だが、ダンサーとの協同作業や、「接収住宅」の所有者の遺族や管理者への聞き取り、接収関連資料のリサーチなども含む複合的なプロジェクトである。筆者はリサーチや批評文の執筆というかたちで参加している。今回のアートラボあいちでの個展では、新たに愛知県内で撮影した4件の接収物件についての新作が発表される。合わせて、接収関連文書、手紙、占領下の名古屋にあった「アメリカ村」の地図、占領期の雑誌などの資料と、「接収住宅」に関わった個人の思い出の品や写真なども展示される予定だ。パブリックな記録と個人の記憶が交差する地点から、「住宅」という私的空間における異文化の接触、それがもたらした建築的・文化的・身体的な戦後日本の変容、記憶の継承について考える機会となるだろう。

関連レビュー

大坪晶|白矢幸司「Memories and Records」|高嶋慈:artscapeレビュー

2017/11/27(月)(高嶋慈)

渡部敏哉「Somewhere not Here」

会期:2017/11/04~2017/12/03

POETIC SCAPE[東京都]

渡部敏哉は1966年福島県生まれ。多摩美術大学在学中の1990年に「期待される若手写真家20人展」(PARCO主催)に選出されるなど注目を集めるが、同大学卒業後は広告代理店に勤めて、しばらく写真作品を発表しない時期もあった。2013年、東日本大震災後に故郷の福島県浪江町をカラー写真で撮影した「18 months」のシリーズをPOETIC SCAPEで展示して「再デビュー」を果たす。
今回発表された「Somewhere not Here」は、2010年頃から撮り続けられているモノクローム作品である。「18 months」が、原発事故によって立ち入りが制限されて非日常化した街並を、むしろ平静に日常的な視点で捉えたシリーズであるのに対して、「Somewhere not Here」では「日常を被写体としながらも、その奥底に見え隠れする不明瞭なもの」を浮かび上がらせようとしている。具体的な方法論としては、デジタルカメラの画素をわざと荒らしたり、フィルターによる赤外線撮影を試みたりすることで、見慣れた眺めを、どこか不吉な空気感が漂う「ここではないどこか」の光景に変質させている。そのような、一見対照的なアプローチを同時に展開しているところに、渡部の写真家としての奥行の深さを見ることができるだろう。
ただ、2016年に「Steidl Book Award Japan」に選出され、2018年に写真集が刊行される予定という「18 months」と比較すると、「Somewhere not Here」はまだ完成途上という印象を受ける。一点一点がかなり独立しており、それぞれに物語性を感じるので、それら全体を統合するテキストをつけるということも考えられるのではないだろうか。

2017/11/26(日)(飯沢耕太郎)

鈴木サトシ「わかれ道」

会期:2017/11/22~2017/11/28

銀座ニコンサロン[東京都]

鈴木サトシは1936年、広島県尾道市生まれ、岡山県瀬戸内市牛窓町在住の写真家である。石津良介に師事して、1970年代から作家活動を開始し、ニコンサロンやほかのギャラリーでたびたび個展を開催している。90年代に発表した「近視眼」シリーズは、日常の事物をひと捻りして「現実にないオブジェ」に変貌させて撮影したユニークな作品だった(日本カメラ社から写真集『近視眼』、『近視眼サクヒンX』として刊行)。
6回目になるという今回の銀座ニコンサロンでの個展でも、独特の視点で切り取られた写真が並んでいた。ここ数年、両親、親友、愛猫などの死去が相次いだのだが、そんななかで「わかれ道」の光景が気になりだしたのだという。たしかに、道が二つに分かれている場所に立つと、どこか宙吊りになったような不思議な気分を感じることがある。鈴木の写真に写っている「わかれ道」は、左右だけでなく上下に分かれていたり、さらに3本、4本と枝分かれしていたりして、それぞれに固有の表情があり、じつに味わい深い眺めになっていた。展示されていた36点のなかに、1枚だけモノクロームではなくカラー写真が混じっている。画面の中央に赤い鳥居があるので、あえてカラーでプリントしたのだという。そんな融通無碍のアプローチを含めて、一点一点見ていくと、じわじわと面白味が増してくる。80歳を超えても、柔軟な思考力、創造力に衰えはないようだ。なお、本展は12月21日~29日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2017/11/22(水)(飯沢耕太郎)

渡辺眸「TEKIYA 香具師」

会期:2017/11/18~2017/12/22

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

渡辺眸は東京綜合写真専門学校写真芸術第二学科(夜間部)に在学中に、ふとしたきっかけから「TEKIYA」を撮影するようになった。テキヤ=香具師(やし)とは、いうまでもなく祭りや縁日などに移動式の屋台を出して商売する商人たちだが、アウトロー集団との強いつながりを持つことが多く、一般的にはやや危険でいかがわしい存在とされている。渡辺は「うずまく男たちの熱気と狂気と惰気」に惹かれて、彼らを撮り始めるのだが、当然ながらその過程では一筋縄ではいかない出来事がいろいろあったようだ。
だが、4年間撮り続けた写真群をまとめた今回のZEN FOTO GALLERYでの写真展、および地湧社から刊行された同名の写真集を見ると、彼女が取り立てて身構えることなく、絶妙の距離感を保って彼らに接していることがわかる。渡辺のカメラワークは、ほかの写真家たちとやや違ったところがあって、新宿の雑踏や東大闘争の現場のような、沸騰するエネルギーの渦中にあればあるほど、淡々とした日常の空気感が浮かび上がってくるような写真を撮ることができる。とはいえ、冷ややかに醒め切っているのかといえばけっしてそうではなく、体温を感じ取ることができる関係のあり方はきちんとキープしている。「TEKIYA」のシリーズでいえば、写真に写る男女の表情や身振りから滲み出てくる、エロティックとしか言いようのない気配が印象的だった。
「TEKIYA」は渡辺の実質的なデビュー作というべきシリーズである。今回の展覧会と写真集によって、1960年代後半の東京の空気感を体現する貴重なドキュメントでもある本作が、初めてまとまったかたちで発表されたのはとてもよかった。

2017/11/21(火)(飯沢耕太郎)

橋口譲二写真展 Individual─日本と日本人

会期:2017/11/06~2017/12/20

写大ギャラリー[東京都]

橋口譲二は1987年から、のちに「日本人シリーズ」と呼ばれるようになる写真を撮影し始めた。全国各地の17歳の男女を撮影した『十七歳の地図』(文藝春秋、1988)を皮切りに、『Father』(同、1990)、『Couple』(同、1992)、『職 1991-1995 Work』(メディアファクトリー、1996)、『夢』(同、1997)と、次々に写真集として刊行されたこのシリーズは、橋口の代表作というだけでなく1980~90年代のドキュメンタリー写真の方向性を指し示す記念碑的な大作となった。
今回の写大ギャラリーでの展覧会は、5部作が一堂に会した初めての展示の試みだという。それらを通観すると、橋口がこのシリーズを通じて何を目指していたのかが、あらためてくっきりと浮かび上がってくる。まず目につくのは、テーマ設定の鮮やかさと、それを実際に形にしていくプロセスの細やかさである。例えば、パートナーとして人生を歩んでいるカップルを撮影した『Couple』の場合、結婚はしていないということが前提となっている。さらに男女のカップルだけではなく、ゲイのカップルも被写体として登場してくる。『職 1991-1995 Work』では、その職業について間もない新人と、何十年もその仕事を続けてきたベテランとが対比される。さらに、撮影する場所を注意深く選択しているだけでなく、同時に行なわれるインタビューでの質問も練り上げられている。今回の展示では、「今日の朝食」というすべての作品に共通する質問の答えしか読むことができなかったのだが、その内容も毎回微妙に変えている。
そのような細やかな配慮によって浮かび上がってくるのは、いうまでもなくこの時期の「日本と日本人」の、リアルな手触り感を備えた実像である。6×7センチ判、あるいは4×5インチ判のモノクローム写真は、ややノスタルジックなほどに「あの頃」の空気感を呼び起こす。そのことをきちんと確認できてよかった。むろん、いま「日本人シリーズ」を再構築しようとするなら、まったく別の方法論が模索されるべきだろう。それでも、この橋口の労作は、まさに「個」としての日本人のあり方を探求する営みの、原点に位置づけられるべき作品といえる。

2017/11/16(木)(飯沢耕太郎)

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