2018年06月15日号
次回7月2日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ミリアム・カーン「photographs」

会期:2018/03/10~2018/05/12

ワコウ・ワークス・オブ・アート[東京都]

ミリアム・カーンは1949年、スイス・バーゼル出身の女性アーティスト。ユダヤ系の出自や、フェミニズムをバックグラウンドにしながら、外界と内面世界の狭間で形をとる幻想的なドローイングで知られている。WAKO WORKS OF ARTでの展示は3回目で、2012年の個展のタイトルは「私のユダヤ人、原子爆弾、そしてさまざまな作品」で、前回2016年のタイトルは「rennen müssen 走らなければ」だった。

カーンは1979~80年頃から「自分のアーカイブ」として自作を写真で撮影するようになった。その後、1990年代にスイスの山中のブレガリアで暮らすようになると、身近な環境や、ハイキングの途中で出会った景色を「ローライの小さなカメラ」で撮影し始めた。近年はデジタルカメラを使って、「チープなプリンター」で出力したりすることもある。今回の展示には、そうやって撮影・プリントされた写真が単独で、あるいはドローイングと組み合わされて並んでいた。また、画像を連続的にモニターで上映するインスタレーションもあった。

ドローイングと比較すると、カーンの「photographs」は、軽やかな「思いつき」の産物に見える。プリントのクオリティにはあまりこだわらず、写真を自由に並べることで、イメージ相互の響きあいを楽しんでいる。写真にさらに色鉛筆で加筆した作品もある。まだドローイングと写真との関係性が突き詰められているわけではないが、ユニークな作品世界に成長していきそうな予感を覚えた。この方向を極めていけば、ゲルハルト・リヒターやサイ・トゥンブリーのように、「写真家」としても高い評価を得るようになるのではないだろうか。

2018/04/11(水)(飯沢耕太郎)

写真都市展 ―ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち―

会期:2018/02/23~2018/06/10

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

ウィリアム・クラインは「20世紀を代表する写真家」で、「写真、映画、デザイン、ファッションのジャンルを超えた表現と、ニューヨーク、ローマ、モスクワ、東京、パリなどの世界の都市を捉えた作品で、現代の視覚文化に決定的な影響を与え」たそうだが、どこがいいんだかピンと来ない。でも展覧会は評判がいいので行ってみたら、クライン以外の日本人の作品が展示構成も含めてとても刺激的だった。

たとえば安田佐智種の《Aerial》は、超高層ビルなどの高所から都市の俯瞰写真を何百枚も撮り、撮影者の足元が消失点(そこだけ白く抜けている)となるように組み合わせた放射状の風景写真。《みち(未知の地)》は、東北の被災地の家が建っていた跡を歩きながら真上から撮影し、つなぎ合わせたもので、どちらも作者の拠って立つ足元を意識させる。西野壮平も都市の断片を歩きながら何千枚も撮って組み合わせ、再構築しているが、こちらは多焦点的で時間軸も組み込んだ未来派的写真といえる。勝俣公仁彦も、同じ場所から異なる時間に長時間露光で撮影した写真を組み合わせたシリーズを発表。静止画像が積層されて時間を与えられ、都市が動いているように感じられる。

彼らは写真を、1点の固定した場所から切り取った一瞬のイメージという既成観念から解き放ち、それこそ都市生活のなかでいつも感じているような多焦点的、持続的な経験を濃密に味わせてくれた。展示方法もすばらしい。仮設壁ならぬ太い仮設柱に展示したり、台の上面に貼りつけたり、印画紙の四隅を天井から吊るして宙に浮かせたり、あえて引きのない狭い通路の両側に大作を展示したり、多彩な写真に見合った多彩な展示で見る者を飽きさせない。満足して帰ろうとしたら、窓から藤原聡志の超巨大な画像が、まるで布団でも干すように垂れ下がっているのが見えた。唐突感がすばらしい。

2018/04/11(村田真)

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吉野英理香「MARBLE」

会期:2018/04/07~2018/05/19

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

吉野英理香のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの3回目の個展となる本展のタイトルは、「光の中できらめく結晶石」を意味するというマーブル(大理石)から採られている。「日々のなか」で見出された事物のかけらを、拾い集めていくやり方に変わりはない。だが、2014~17年に撮影された作品から、17点を選んだ今回の展示作品の多くは、金属やガラスの輝き、鮮やかに色づく花々、光の戯れなど、彼女自身が「自由と希望を見出すカギ」と表現するような、美しく、肯定的なイメージに傾いているように思えた。

その「レンズを通して見た光の結晶」を切り出す手つきは洗練されていて破綻がない。前作の「NEROLI」(2016)では、どちらかといえば「匂い」への反応が強調されていたが、今回はより視覚的なアプローチになっている。写真作家としての安定した水準を保つことができる段階に達しているので、安心して写真を見ることができる。だが逆に、このまま洗練の度を強めていっていいのだろうかという疑いも生じてきた。吉野の写真がモノクロームからカラーに変わったのは、2011年の写真集『ラジオのように』(オシリス)からだが、その頃はまだネガティブで不透明な日常の厚みが、そのまま生々しく露呈していた。そこからノイズを削ぎ落としたことで、作品世界がやや小さくまとまってきている。ここで立ち止まることなく、五感のすべてを開放することで、安らぎと危険とが両方とも含まれているような、流動的な世界の像を定着していってほしいものだ。

2018/04/07(土)(飯沢耕太郎)

インベカオリ★「理想の猫じゃない」

会期:2018/04/04~2018/04/10

銀座ニコンサロン[東京都]

インベカオリ★の今回の個展は、ここ数年神保町画廊ほかで開催された展覧会の出品作の集大成である。そこに展示された30点余りの作品を見て感じたのは、彼女の写真の世界が、まさに真似しようのない独擅場になってきているということだ。

黒いスーツにタイトスカートのOL風の女性が、路上でラーメンのどんぶりを抱えていたり、日本髪の女性がフルヌードで雑多なものが溢れる室内に立っていたり、赤いドレスの女性が、水を張った風呂に半ば体を沈めてクリームソーダを啜っていたりするシチュエーションは、普通にはまずありえないものだ。そんな場面を撮影すれば、大抵はシュルレアリスム的な異化効果が生じるだろう。ところが、インベの写真を見ていると、それらがまったくリアルな、「ありそうな」状況に思えてくる。なぜそうなるのかといえば、彼女がモデルたちと話しながら決めていくという場面設定が、ほぼ完璧だからに違いない。むろん最終的にシャッターを切るのはインベ自身だから、彼女のこう撮りたいという確信が、ただならぬ精度に達しているということでもある。ここ数年、彼女の占い師的な察知能力には、さらに磨きがかかってきているようだ。

結果的に「あなたはなぜあなたになったの」という問いかけの答えとして設定された場面は、不気味なほどリアルに、その人が持つ「独特な言葉や価値観」の表現として成立することになった。彼女の写真を見ていて、だんだん怖くなってくるのは、ここまで「私」が剥き出しになってしまうと、それ以上さらけ出すと危険な領域にまで達してしまうではないかということだ。とはいえ怖いもの見たさで、その先も見て見たい気もしてくる。残念だったのは、赤々舎から出る予定だった2冊目の写真集が、展覧会の会期には間に合わなかったこと。ぜひ早めに刊行してほしい。なお、本展は5月7日~16日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/04/05(木)(飯沢耕太郎)

吉田謙吉「満洲風俗・1934年」

会期:2018/04/03~2018/05/06

JCIIフォトサロン[東京都]

今和次郎とともに「考現学」の創始者として知られる舞台美術家の吉田謙吉は、1934年8月に雑誌『経済知識』の特派員として満洲各地を旅した。大連、奉天、新京、哈爾濱、撫順と回るあいだに、吉田は目にしたものを、愛用のライカⅡ型で逐一撮影している。その一部は帰国後、「満洲国視察画報」(『経済知識』1934年10月号)という記事に掲載されるが、吉田はそれとは別に、都市ごとに密着焼き(コンタクト・プリント)を貼り込んだ写真帖を製作していた。今回のJCIIフォトサロンでの展覧会では、遺族の元に残されていた写真帖のページを切り離してスキャンし、少し大きめにプリントして展示していた。

それらを追っていくと、1920年代半ばに登場したドイツのエルンスト・ライツ社製のライカが、いかに革新的な小型カメラだったのかが見えてくる。吉田が街を歩き、何かに目を留めてシャッターを切る──その動作や呼吸がそこにいきいきと、あたかも一緒に体験しているような生々しさで伝わってくるのだ。むろん、「考現学」の調査で鍛え上げた観察力が大きく働いていることは間違いないが、それ以上に路上のスナップ撮影にのめり込んでいく彼の心の弾みが、写真の一枚一枚に宿っているようだ。

もうひとつ、このような展覧会を見ると、デジタル化がもたらした、精度の高い複写・再現の技術の可能性を強く感じる。ライカ判(24×36ミリ)の小さいコンタクト・プリントをさらに引き伸ばすと、満洲の街角の情景の細部がありありと浮かび上がってくるのだ。古写真や古い雑誌などの画像から、精細な情報を引き出してくるスキャニングや複写の技術の進化によって、新たな写真展示の形式が生まれつつあるのではないだろうか。

2018/04/04(水)(飯沢耕太郎)

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