2019年03月15日号
次回4月3日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

終わりのむこうへ : 廃墟の美術史

会期:2018/12/08~2019/01/31

渋谷区立松濤美術館[東京都]

展示の出だし(18世紀のユベール・ロベールやピラネージなど)と終わり(現代の元田久治や野又穣など)は、お約束のラインナップであり、とくに目新しくはない。が、本展をユニークなものとしているのは、日本の近代における廃墟の受容を検証していることだ。なるほど、西洋の廃墟は石や煉瓦の構築物であるから、朽ち果てても全部が消滅することはなく、部分的に残存し、かつての姿をしのぶことができる。一方、日本の場合、木造の建築は跡形もなく消える。例えば、平城宮跡には礎石が並んでいるだけで、あとは100%復元し、ピカピカの大極殿院や朱雀門がたっており、廃墟の情緒を感じることは難しい。もちろん、ヨーロッパでも廃墟の美は近世に発見されたものだが、日本では近代にその概念を輸入する以前は、積極的に廃墟をモチーフにした絵画はなかった。したがって、磯崎新が言及するような廃墟は、きわめて西洋的な廃墟である。

本展でも江戸時代の歌川豊春による《阿蘭陀フランスカノ伽藍之図》など、西洋から輸入された銅版画を参考に描いた作品はあるが、色使いを含めて、だいぶ印象が違う。また明治時代にアントニオ・フォンタネージが工部美術学校で教鞭をとるにあたって、廃墟のデッサンを持ち込み、学生らにその模写をさせていた資料は興味深い。本展によれば、百武兼行によるイギリスの風景画こそが、日本人が初めて意識的に描いた廃墟の絵だという。日本画でも廃墟を描くようになるが、このあたりのパートが本展の白眉だろう。またシュルレアリスムは、西洋でも日本でも廃墟をモチーフとする多くの作品をもたらした。気になったのは、関東大震災や太平洋戦争により都市が灰燼に帰した風景が出現したことは、はたしてどれくらい画家に影響を与えたのかということ。このあたりはむしろ、「ゴジラ」をはじめとして映画や漫画などのサブカルチャーが受けとめたのかもしれない。

2019/01/17(日)(五十嵐太郎)

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鈴川洋平「Apocalyptic Sounds」

会期:2019/01/05~2019/01/22

銀座ニコンサロン[東京都]

鈴川洋平は1979年、新潟県生まれ。2005年に東京綜合写真専門学校を卒業し、2010年代以降に写真新世紀などいくつかの公募展で入賞を重ねてきた。

デジタル化によって画像の自由な加工・修整が可能になったことで、思いついたアイディアを精度の高い写真作品として落とし込めるようになった。鈴川が今回銀座ニコンサロンで発表した「Apocalyptic Sounds」では、「シュレーディンガーの猫」として知られる思考実験が作品のベースになっている。「シュレーディンガーの猫」というのは、「自分をとりまく小さな世界を一つの箱と仮定すると、そこには様々な可能性、選択肢が内在していて、それらの数の分だけ今とは違った僕が存在している」という考え方で、仮想世界、多次元宇宙といったかたちで多くの映画、小説、ゲームなどに取り入れられている。鈴川は、風景や事物をスナップショット的に撮影するだけでなく、それらを巧妙に加工し、彼なりの仮想世界を構築していく。そこで重要な役割を果たすのが、黒いキャップ、ボーダーシャツ、ジーンズの鈴川本人と思しき人物で、彼が狂言回しとなることで、物語がスムーズに展開していた。

発想も、それを写真化していく手続きも、会場のインスタレーションも、かなり高度なレベルに達している。ただどうしても、ありがちなアイディアをなぞっているという既視感が生じてしまうことも否定できない。この種の作品の場合、もう一ひねり、二ひねり加えていかないと現実世界と拮抗する、仮想世界そのもののリアリティを獲得するのはむずかしそうだ。さらにもう一段ギアを上げていってほしい。なお、本展は1月31日~2月13日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/01/16(水)(飯沢耕太郎)

三好耕三「繭 MAYU」

会期:2019/01/08~2019/02/23

PGI[東京都]

三好耕三は1980年代から大判ビューカメラでの撮影を続けている。一般的に、建築写真などで使用するビューカメラは4×5インチ判のフィルムサイズだが、三好はそれより一回り大きい8×10インチ判のカメラを常用してきた。ところが近年、さらにもう一回り大きな16×20インチ判で撮影することが多くなってきている。年齢とともに、体力の問題もあって撮影機材は小さくなるのが普通だが、三好はまったく逆なわけで、ある意味特異な体質の持ち主といえるだろう。フィルムサイズを大きくすることのメリットは、むろん画面の精度が増すということだ。とはいえ、機材が大きすぎて扱いにくくなり、被写界深度(ピントが合う範囲)も狭くなるというデメリットもある。今回の「繭 MAYU」シリーズを見ると、三好が長所も短所も含めて16×20インチ判のカメラの特性を最大限に活かすことで、新たな被写体に向き合っていることがわかる。

さて、今回のシリーズのテーマである生糸の原料となる繭玉は、どこか神秘的な被写体である。カイコの蛹を内に秘めた繭玉は、見る角度や光の状態によって千変万化し、シンプルだが豊かなヴァリエーションを見せる。三好はそれらが「蔟(まぶし)」と称される枡状の区切りの中に一個一個おさめられ、息づいている様を丁寧に撮影している。三好自身の言葉によれば、養蚕農家に通うことは、「少しわくわくの誘惑と、なのになんだか少し物思いになってしまう訪問」なのだそうだ。たしかに、会場に並んでいる写真を見ていると、繭玉が発する不可思議な気配を、「わくわく」しながら全身で感じ取り、シャッターを切っていく写真家の姿がありありと浮かび上がってくる。同じ会場で開催された「RINGO 林檎」(2015)、「On the Road Again」(2017)などの展示もそうだったのだが、三好の近作には「撮る」こと、「プリントする」ことの歓びが溢れ出している。そのことがしっかりと伝わってきていた。

2019/01/11(金)(飯沢耕太郎)

野村恵子『Otari - Pristine Peaks』

発行所:スーパーラボ

発行年:2018

野村恵子の写真家としてのキャリアにおいて、ひとつの区切りであり、新たな方向に一歩踏み出した、重要な意味を持つ写真集である。写真の舞台になっているのは、山深い長野県北安曇郡小谷村。「厳しくも豊穣な山の自然とめぐる季節の流れの中で」暮らす住人たちの姿が、新たな命を妊ったひとりの若い女性を中心に描かれる。特に注目すべきなのは、狩猟と祭礼のイメージである。農耕民とはまったく異なる原理に貫かれた、まさに日本人の暮らしの原型といえるようなあり方をしっかりと見つめ、写真に残しておこうという意欲が全編に貫かれている。

いわば、濱谷浩が『雪国』(1956)や『裏日本』(1957)で試みた、民俗学をバックグラウンドとするドキュメンタリー写真の現代版といえるのだが、野村の写真は、若い女性の身体性を強く押し出すことで、「女性原理」的な視点をより強く感じさせるものになっている。プライヴェートな関係性にこだわってきた、これまで野村の仕事と比較すると、風土性、社会性へもきちんと目配りしており、緊張感を孕みつつ、気持ちよく目に馴染んでいく写真集に仕上がっていた。

なお、野村は入江泰吉記念奈良市写真美術館で古賀絵里子との二人展「Life Live Love」(2018年10月26日~12月24日)を開催した。同展にも本書の作品の一部が展示されていた。

関連レビュー

野村恵子×古賀絵里子「Life Live Love」|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/12/30(日)(飯沢耕太郎)

中井菜央『繡』

発行所:赤々舎

発行日:2018/12/03

中井菜央の写真はこれまで何度か目にしたことがあるが、公募展に応募されたポートフォリオや写真展に並んだ作品を見て、いつもどこか物足りなさを感じていた。よくまとまった、志の高い作品なのだが、着地点が定まっていない印象をずっと持ち続けてきたのだ。だが、今回赤々舎から上梓された写真集『繡』のページを繰ると、もやもやしたものが払拭され、中井にとっての写真のあり方が、一本のクリアーな筋道としてすっきりと見えてきたように感じた。「写真集を作る」ということが、ひとりの写真家を大きく成長させるという有力な証左ではないだろうか。

中井が「ポートレート」を撮り始めたきっかけは、祖母のアルツハイマーの症状が進行していったことだった。亡くなるまでの数年間に撮影された写真群には、「祖母自身が培ってきた自己イメージの祖母でも、私のうちに蓄積されて北イメージの祖母でも、また、新たなイメージの祖母でもなく、しかし『祖母』としかいいようのない個の存在」が写り込んでいた。中井はやがて、その「個の存在」は「意味よりも先行し、かつ強い」と確信するようになる。その認識を敷衍することで、被写体の幅は、身近な他者の「ポートレート」から、モノ、植物、小さな生きもの、都市や森の光景などにまで広がっていった。

写真集には、それらがまき散らされるように配置されている。だが、写真を見ているとそれぞれが勝手な方向を向いているのではなく、見えない糸でつなぎ合わされているように見えてくる。それもそのはずで、中井の関心は次第に「個の存在」そのものより、むしろそれらが絡み合い、重なり合うことで形成される、「人が意図せず、束の間で解ける関わり、結び目」に向けられていったからだ。その「結び目」を嗅ぎ当てる能力が、以前より格段に上がっていることに瞠目させられた。一冊にまとめるタイミングと方向性はこれでいいのだが、ここから先をもっと見てみたい写真集でもある。

2018/12/29(土)(飯沢耕太郎)

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