artscapeレビュー

2011年06月01日号のレビュー/プレビュー

イェンス・ブラント展「BRAND G-PLAYER4」

会期:2011/05/07~2011/05/28

CAS[大阪府]

現在、大気圏上を周回する人工衛星は約1,200もあるそうだ。そのどれかをランダムにキャッチし、人工衛星をレコード針に、地表をレコード盤の溝に見立てて、地球の音をサウンドアートとして提示したのが、イェンス・ブラントの作品《BRAND G-PLAYER 4》だ。作品は2種類あり、ひとつは既成のオーディオを流用した外観で、もうひとつはスマートフォンのアプリケーション仕立てとなっている。また、リアリティを追究して商品カタログを製作するなど、芸の細かさにも感心した。スケールの大きさと、ディテールへのこだわり、その両方が高い水準で両立した個展だった。

2011/05/09(月)(小吹隆文)

臨生のアート 精神病院内での芸術活動:1968-2011

会期:2011/05/10~2011/05/19

Galerie Aube(ギャルリ・オーブ)[京都府]

美術家の安彦講平が約40年間にわたり精神病院で続けてきた〈造形教室〉から生み出された作品を展覧。驚いたのは、作品の多くが典型的なアール・ブリュット風ではなかったことだ。事前説明なしに出合ったら精神病の人が制作したとは思わなかったかも。どのようなメソッドが用いられたのかは分からなかったが、自分自身がステレオタイプなアール・ブリュット観に侵されていたことを自覚した。

2011/05/10(火)(小吹隆文)

吉田重信「臨在の海」

会期:2011/05/10~2011/05/22

立体ギャラリー射手座[京都府]

吉田重信は光をテーマにした作品で知られる作家だが、近年は大量の子どもの靴と暗闇と赤色の照明を用いて、ジェノサイドや児童虐待問題を想起させるインスタレーションを発表している。本展でも、約1,000もの白菊を暗闇の中に配置し、一隅を赤色の照明で照らすインスタレーションを発表。死と再生を同時に想起させる重厚な表現を展開した。会場の立体ギャラリー射手座は本展をもって42年の歴史に終止符を打つので、その手向けの意味合いもあるのだろう。また、吉田は福島県いわき市在住で、東日本大震災では市内沿岸部が甚大な津波の被害を被った。そして、現在も続く福島第一原発の事故は誰もが知るところである。本展の作品は震災前から準備していたものだが、その性格上、被災者へのレクイエムと取ることもできる。実際、画廊の床にはいわき市の海岸で採取した砂が敷き詰められており、画廊の外に向かって歩む子どもの靴が付け加えられたことにより、その意味合いが一層強調されていた。

2011/05/10(火)(小吹隆文)

ゴーゴーミッフィー展

会期:2011/05/03~2011/05/15

大丸ミュージアム梅田[大阪府]

誰しも子どものころ「うさこちゃん」の絵本に一度ならずとも親しんだだろう。本展はそのミッフィー生誕55周年を記念し、初期から近作まで8作の絵本原画やスケッチなど、約200点の日本初公開作品が展示された。たんなる有名絵本作家としてではなくて、グラフィック・デザイナーとしてのディック・ブルーナの本領を充分に堪能できる展覧会だ。父が経営する会社で手掛けた、ペーパーバック《ブラック・ベア》シリーズの装丁とポスター・デザインの数々。簡潔にして目をひきつける、ヴァラエティに富んだ作品には目を瞠らされる。手掛けた装丁は2,000冊余り。彼はいつも作品をすべて読了してからデザインをしたという。そのとおり、小説の作品世界を端的に且つ暗示的に表現しながら、読者が自由に想像力を働かす余地を残している。アート・ディレクターの職を辞した後、絵本作家となったが、彼の信条は変わらない。絵本の判型はすべて正方形、使われる色彩は6色のみ、考え抜かれたうえで描かれた黒い輪郭線。極限に単純化された線にはかすかに震えるような手の跡が見え、ミッフィーたちのわずかな表情の変化さえも描き分けている。「デザインはシンプルであることが一番大事。完璧であるだけでなく、できるだけシンプルを心がける。そうすれば見る人がいっぱい想像できるのです。これがわたしの哲学。」これはブルーナの言葉。うさぎ年生まれの彼に、これからもまだまだ頑張ってほしい。[竹内有子]

2011/05/11(水)(SYNK)

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愉快な家展──西村伊作の建築

会期:2011/03/05~2011/05/19

INAXギャラリー大阪[大阪府]

文化学院の設立者として知られる西村伊作の、快適な住まいを追求した試みと建築作品を紹介する展覧会。西村がフリーハンドで書いた図面のパネル・建築写真を見て、大正デモクラシーの時代における生活改善、文化的に快適な生活を提案したその活動の意義を改めて考えさせられた。著述家として名を成し、住宅建築の第一人者とみなされた西村の実践は、勇壮な使命感を感じさせず軽やかだ。著書『楽しき住家』(1919)に掲載された《自邸III》の手書きの平面図が表わすように、愉快な生活を営む細々とした工夫を、日々の生活のなかから楽しんで創案したように思える。家長を中心とする間取りを排して、家族の団欒を主体にした居間中心の間取りへ。百年前に、自前でつくった給排水システム、庭には野菜畑や果樹園があって、自給自足のできる暮らし。そしてその建築は、なによりも芸術と生活に密着している。絵画と陶芸を嗜み、建築と教育活動に邁進していった西村は、すべて独学であっただけでなく「自らの手でつくること」を重視している。本展で展示された、彼の簡素でいてあたたかみのある家具──青のタイルを張った化粧台や機能的な青色の居間用椅子──、子どもにデザインした洋服、照明などのアイディアを書きとめたスケッチブックなどを見るにつけ、彼が自分の手を動かして一つひとつ身辺の事物をつくり、理想郷を創りあげていったことがわかる。加えて、ユートピア的社会主義者の姿、日本の土着的な要素を残した趣ある建築、実直な家具、富本憲吉との交流。これらはみな、西村とウィリアム・モリスとの影響関係を思い起こさせる。そのとおり、筆者は本展の資料から、英国と日本なのだから一見まったく違うのだが、西村自邸とモリスの《レッド・ハウス》──あの詩情あふれる夢のような住まい──に共通する精神性を見た。[竹内有子]

2011/05/12(木)(SYNK)

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2011年06月01日号の
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