2018年05月15日号
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artscapeレビュー

2011年07月01日号のレビュー/プレビュー

Chim↑Pom「REAL TIMES」

会期:2011/05/20~2011/05/25

無人島プロダクション[東京都]

東日本大震災以後、現地に乗り込んで現地の若者と共作した作品《気合い100連発》。円陣を組んだChim↑Pomと現地の若者たちが一言ずつ叫んでは「オーイ!」と声を合わせる。「がんばるぞ(オーイ!)」「早く水着の美女が見たいぞ(オーイ!)」「東北最高(オーイ!)」などの声が上がるなかで、一番「ぞくっ」としたのが「放射能最高(オーイ!)」の叫びだった。「最高」とは、放射能を賛美しているのでも現実から逃避しているのでもない、むしろ「負けないぞ」という意味で発せられているわけで、例えば「放射能上等」と言い換えてもいい表現だろう。あまた生まれ続けている「震災後のアート」のなかで、「放射能」と拮抗しつつ「生きよう」とする思いが作品化されたものをぼくはこれ以外に知らない。叫び声は前向きで明るいが、彼らの円陣が被災地の景色のなかであまりに小さく見えると、そのコントラストにまた「ぞくっ」としてしまう。Chim↑Pomのカメラは思いのほか冷徹だ。それは、話題になった《Level 7 feat.明日の神話》や《Without SAY GOODBYE》でも同様で、思いつきととられかねない彼らの行動とそれを撮る冷静なカメラアイとの二重性が、作品に複雑さを与えている。

2011/05/21(土)(木村覚)

Chim↑Pom展 「REAL TIMES」

会期:2011/05/20~2011/05/25

無人島プロダクション[東京都]

今回の個展でChim↑Pomは大きな達成を成し遂げたように思う。このたびの東日本大震災にアーティストとしていちはやく反応して個展を実現させたからではない。そこで発表された作品に、これまで社会的・政治的な問題に果敢に取り組んできた彼らの表現活動がある一定の成熟を迎えたことが明らかに伺えたからだ。たとえば《気合い100連発》。被災地でボランティア活動に従事するなかで知り合った現地の若者たちとともに円陣を組み、さまざまなメッセージをひとりずつ大声で連呼してゆく映像作品だが、あくまでも明るく元気でノリのよい雰囲気はこれまでのChim↑Pomと同様でありながら、これが瓦礫の山に漁船が転がる荒涼とした光景のなかで繰り広げられることによって、その裏面がこれまで以上に浮き彫りになっていた。「放射能最高!」という言葉と「放射能最高なんかじゃないぞ!」という言葉のあいだには、心の底にたちこめた哀しみを乗り越えることを願う、Chim↑Pomならではの「溌剌とした祈り」が垣間見えた。こうした作品には、突発的に生じた悲劇的な出来事を作品の主題として貪欲に回収しただけだという批判が想定されるが、本展で発表された作品は明らかにChim↑Pomがかねてから持続的に追究してきた問題の延長線上にある。被爆者団体の代表である坪井直氏の題字を被災地で拾った額縁に収めた《Never Give Up》は一連の「ピカッ騒動」を、福島第一原発近辺の植物を除染したうえで生け花とした《被曝花ハーモニー》は《クルクルパーティー》や《SHOW CAKE XXXX!!》を、意味的にも形式的にも引き継いだうえでそれぞれ発展させていることがわかる。なかでも、もっとも鮮やかに展開したのが、《Without Say Good Bye》だ。福島第一原発にもっとも近い農地に案山子を設置しにゆく、この映像作品の源にあるのは、《BLACK OF DEATH》だろう。双方はともに「自然」を相手にした映像作品という共通点があるが、後者がカラスの大群とともに街を疾走するのに対し、前者はそのカラスから畑を守る案山子を抱えながら道を歩き続けるという違いがある。後者がけたたましい鳴き声で満ち溢れていた反面、前者はほとんど乾いた足跡と息づかいしか聴こえないほど静寂に支配されている。この動から静への転換が、放射能汚染というかたちで自然から拒絶されてしまった、いやより正確に言い換えれば、私たち自身が自然を退けてしまったことに由来していることは間違いない。《Without Say Good Bye》は、3.11以後の日本社会を象徴する新しい記念碑である。新しいというのは、それを直接見に行くことができず、できるのは放射能から畑を守る案山子がいったい何を見ているのかを想像することだけだからだ。イマジネーションをたくましく鍛え上げなければ、いよいよ生き抜いていけない時代に入ったのだ。

2011/05/25(水)(福住廉)

TOKYO STORY 2010

会期:2011/04/28~2011/05/28

トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]

トーキョーワンダーサイトが主催するクリエイター・イン・レジデンス・プログラムで招聘または派遣したアーティストの活動を紹介する展覧会。国内外11人による作品が展示された。抜群だったのが、台湾に滞在して作品を制作した岩井優。現地の日本式住宅を舞台にした映像作品を空間インスタレーションとして発表した。壁に大胆に穿たれた大きな丸い穴をくぐりぬけると、赤く塗り上げられた室内に映像作品が置かれている。その映像は男女2人が丁寧に折り畳んだ布で家屋の床や柱をふくというものだが、これは近年の岩井が熱心に取り組んできた「クリーニング」の延長線上にあることは一目瞭然だった。ただ、これまでと比べて明らかに異なっていたのは、過剰と思えるほど耽美的な映像美。白い泡にまみれた手先の動きはエロティックですらあり、どうにも違和感を拭えない。ところが映像の終盤で、その布が広げられると日の丸と台湾の国旗であることが判明したから、この美とエロスが充溢した映像は日本と台湾双方における耽美的な愛国主義を暗示していたとも考えられる。だとすれば、ここで岩井が洗い出しているのは、台湾の土地に建造された日本式住宅に眠る植民地主義の痕跡と同時に、国民国家という人工的なフレームにいまも呪縛されている私たち自身なのかもしれない。このたび岩井優が到達したのは、美しさを耽溺する審美主義などではなく、台湾と日本に通ずる政治的社会的文脈だったわけだ。それを巧みに表現して見せたところに、現代社会が抱える同時代の問題に真摯に向き合うアーティストの誠実な態度が現われている。赤い室内から出て振り返ると、白い壁の中央に開けられた赤い丸は日の丸そのものに見えた。

2011/05/25(水)(福住廉)

100,000年後の安全

会期:2011/04/02

渋谷アップリンク[東京都]

放射性廃棄物をどのように処分するのか。原子力発電に依存する現代社会がいままさに直面している、この宿命的な問題について、フィンランドの事例から考えさせるドキュメンタリー映画。ほとんど地下都市といってよいほど巨大な地層処分施設に高レベルの放射性廃棄物を次々と埋蔵してゆき、一定の容量に達すると永久に封鎖するという計画の全体像を、じっさいの施設の様子と関係者の証言によって浮き彫りにした。機械的で人工的な映像美が放射性廃棄物の非人間的な一面を象徴していたが、それより際立っていたのは、それらが安全に保全されるために必要な10万年という時間についてあれこれ思考する専門家たちの想像力のありようだ。絶対的な危険に近寄らせないためには、将来の人類にどのような手段で伝えるべきなのか。言語なのかイラストなのか。いや、伝えるというより、むしろその存在じたいを完全に封印してしまうべきなのか。そのとき人類は地球上に生存しているのか。人類の文明社会の歴史をはるかに凌ぐほどの途方もないスケールで安全性について検討する専門的な想像力は、逡巡やためらいを露にすることも含めて、たしかに傾聴に値する。しかしその一方で、それが人類の生存の根幹を明らかに脅かす「負の遺産」であることを思えば、そもそも放射性廃棄物を後世に残すことのない世界を想像する必要があるのではないかと思えてならない。容易には解決し難い難問を、空間的には「地下」や「地方」へ押しつけ、時間的には「未来」へ先送りしたうえで成立する都市文明とはいったい何なのか? 豊かな想像力は、「正の遺産」を構想することに駆使したい。

2011/05/25(水)(福住廉)

没後100年 青木繁 展──よみがえる神話と芸術

会期:2011/05/27~2011/07/10

京都国立近代美術館[京都府]

39年ぶりにして過去最大規模、そして関西では初の青木繁展。主催者が謳う「最初で最後の~」が本当かはともかく、確かに見応えのある展覧会だった。私は過去に《海の幸》を何度か見たことがある程度のビギナーだが、《わだつみのいろこの宮》や《大穴牟知命》など、彼の絶頂期の作品を目前にすると、はっきりとテンションが上がった。なるほどこれが浪漫主義というものか。スケッチ、エスキース、最晩年の作品(画風が大きく変わった)、手紙などもしっかり揃っており、もう至れり尽くせりという感じ。満腹感に満たされて館を後にした。

2011/05/26(木)(小吹隆文)

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