artscapeレビュー

2011年09月15日号のレビュー/プレビュー

魔法のはさみ──今森光彦の切り紙美術館

会期:2011/08/17~2011/09/05

ジェイアール京都伊勢丹 美術館「えき」KYOTO[京都府]

写真家として知られている今森光彦氏が切り紙の作家としてテレビに出演していたり、本を何冊も出しているのは知っていたが、実際に作品を見るのはこれが初めて。「魔法のはさみ」というタイトルに惹かれて見に行った。おもに動植物や鳥、昆虫をモチーフにした切り紙作品約200点が展示された今展、まるで壁紙の模様のように背景まで美しくデザインされたものもあり、目を見張った。たった一色の色紙なのだが、季節感やさまざまな生き物の動きを想起させるあじわいのある作品で、動植物のユーモラスな表情や小さな昆虫の脚など、精緻な観察を裏打ちする表現が見事だった。一本のハサミからつくりだされる作品世界。技術的なことよりも、どこまでものびのびとして自由な印象のその想像力に感動したし壮快だった。

2011/08/22(月)(酒井千穂)

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イケムラレイコ「うつりゆくもの」

会期:2011/08/23~2011/10/23

東京国立近代美術館[東京都]

70年代初めから40年近くヨーロッパを拠点に活動してきたイケムラレイコの回顧展。展示は通常の回顧展とは逆に、まず新作・近作に始まり、徐々に時間をさかのぼっていき、最後に再び新作が見られるという構成だ。時代順に並べると、初期の作品を見ているうちに疲れてしまい、最後のほうは素通り同然になりかねない。若いころに傑作をものして名を成し、その遺産で晩年まで食いつないでいくような早熟型の物故作家の回顧展ならそれでもいいが、近年ますます特異な世界に突き進んでいる旬のアーティストであるイケムラの場合、やはり新作を真っ先に見せたいという同展の意図は正解だろう。事実、最後のほう(つまり初期)の80年代の作品は、当時ヨーロッパを吹き荒れていた新表現主義絵画となんら変わるところがないし、その手前の90年前後の作品は、山水画の構図や日本的な中間色を多用した和洋折衷様式で、(悪名高い)岡田謙三の「ユーゲニズム」を思い出させる。これらを最初に見せられたら、イケムラのイメージはまるで違ってしまうところだった。彼女が独自の世界を確立していくのは、その後(展覧会ではその手前の)90年代にテラコッタによる彫刻が登場し、黒い背景に横たわる少女のモチーフが現われ、キャンヴァスだけでなく目の粗いジュートに描くようになってから。最新作、つまり展覧会の最初のほうには再び「山水」のシリーズが登場するが、これはかつてのような和洋折衷とかユーゲニズムとはまったく違う世界になっている。これらを先に見られたことは幸いだった。

2011/08/22(月)(村田真)

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森下泰輔「濃霧」

会期:2011/08/18~2011/08/27

アートラボ・アキバ[東京都]

霧が立ちこめるギャラリーに入ると、テレビモニターからは福島第一原発の映像が流れ、ときおり不気味なノイズが発せられる。奥には金と銀に塗られた骸骨も立っていて、不穏な空気に拍車をかける。降り注ぐ原発からの放射線を使ってノイズを鳴らすという試みだそうだ。なるほど、これからはガイガーミュージックとも呼ぶべき新たなジャンルが確立されるかもしれない。立方体に近いコンクリート製のこのギャラリーも、映像で見慣れてしまったあの建屋の内部を連想させ、舞台としてはぴったり。作者によれば、このインスタレーションは日本の将来を暗示する「五里霧中」をコンセプトとしているという。

2011/08/23(火)(村田真)

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展2011

会期:2011/06/04~2011/11/27

ジャルディーニ(Giardini di Castello)地区、アルセナーレ(Arsenale)地区ほか[イタリア]

2006年以来、毎年この街を訪れている。だが、津波や冠水の被害を目撃した3.11以降に海からヴェネツィアを眺めると、怖さの感覚を拭いさることができない。岩手で防波堤に囲まれた、海が見えない海辺の街を数多く見た後だと、津波は来ないかもしれないが、ときどき冠水は起きて、被害は受けているにもかかわらず、防波堤どころか、水辺に手すりすらないことに改めて気づかされる。むろん、こうした土木的な要素を付加すれば、観光都市の風情は台無しになるだろう。ヴェネチアが選択した覚悟は興味深い。
美術展の全体テーマは、「イルミ・ネイションズ」である。イタリア館の中央にティントレットの作品を三つ配し、そのまわりに光などをテーマにした多様な作品群が展開。アルセナーレの会場にも、目玉の絵画と呼応する作品が点在し、展示を引きしめる。また今回のパラ・パヴィリオンの試みも興味深い。会場内に入れ子で小展覧会が開催されているかのようだ。ところで、クリスチャン・マークレーの作品「時計」には驚かされた。あらゆる映画から時計のシーンを抜き出し、24時間を構成し、会場でリアルタイムに上映する。全映画史が一日に凝縮されると同時に、今の時間と接続しているのだ。どうやって厖大な映画を収集したのだろう。もうひとつ特徴的なのは、女性のアーティストが多いこと。一方、日本人はゼロなのが寂しい。建築のビエンナーレだと考えられない状況である。
ジャルディーニ会場における国別では、圧倒的なドイツ館(ただし、教会空間の手法を利用しているのは、ずるいような気もするが)、フランス館、イギリス館が力作だった。日本館における束芋の展示は、曲面映像があの使いにくい空間にあうか心配していたが、鏡を効果的に使いつつ、中心に下のピロティに抜ける井戸をつくり、成功していた。それにしても、3.11以前に構想された街と水の映像は、予想以上に津波を連想させる。たぶん外国人はなおさらだ。しかし、これで作品の意味に幅が広がったと思う。
会場外のパヴィリオンでは、音をテーマにしつつ、喧騒の街に安らぎの場を与えながら、池田亮司ばりのサウンドからリサイクル品の楽器まで、いろいろな音を紹介した台湾が良かった。街に散らばった展示はすべてを訪れるのが不可能なくらい多いだけに、いまいちの作品も少なくない。が、その過程で初見の古建築に出会う。全然知らなかったが、素晴らしい教会の空間に感銘を受けると、ダメな現代アートの100万倍素晴らしい。そりゃそうだ。当時のすぐれたアーティストが参加しているし、凡庸な現代建築よりも、歴史に耐えて残っている古建築のほうがはるかにすぐれている。ともあれ、あいちトリエンナーレで試みている街なか展開は、本家のビエンナーレで大量に実践されていることを確認した。

写真:上から、Monica Bonvicini(アルセナーレ)、Song Dong(アルセナーレ)、ドイツ館、フランス館、日本館

2011/08/23(火)~08/26(金)(五十嵐太郎)

博物館網走監獄

博物館網走監獄[北海道]

なぜか網走なう。網走といえば監獄、そこで明治23年に誕生したという網走監獄の博物館を訪れる。「網走監獄博物館」ではなく、博物館を前にもってくるところに日本一有名な(悪名高いともいえる)監獄としての「どや感」が漂う。首都大学東京みたいなもんだ。ぜんぜん違うか。丘の中腹に移築または復元した監獄建築は重厚な存在感を放つが、囚人や看守のマネキンや当時の労働風景を再現したジオラマなどは、本来の意図とは別の哀れさを感じさせないでもない。館内の食堂で監獄食をいただく。受刑者と同じメニューだというが、麦メシに魚と副菜2品、みそ汁がついた定食は思ったより豪華。もっと質素かと思った。それでも700円(サンマ)か800円(ホッケ)もするのは高いのではないか。もっともこれは観光用の値段で、囚人用はもっと安上がりだろうけど。売店には「網走監獄」の商標が入ったグッズや、「出所しました」というキャッチコピー入りの商品が並び、他のミュージアムショップとはあきらかにベクトルが異なる。負のイメージを逆手にとった自虐戦略なのだ。

2011/08/26(金)(村田真)

2011年09月15日号の
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