artscapeレビュー

2011年10月01日号のレビュー/プレビュー

知子の部屋

会期:2011/09/04

新港ピア[神奈川県]

横浜発のフリーペーパー「HAMArt!」が企画したトークイベント。BankART 1929が主催する「新港村」の一角を借りて、日本ソーラークッキング協会代表の鳥居ヤス子をゲストに招いて話を聞いた。ソーラークッキングとは、文字どおり太陽の光を熱に変換して調理すること。鳥居は、さまざまな装置をみずから開発することで太陽光エネルギーを暮らしのなかに取り入れており、そのユーモアあふれる温かな話を聞くと、おのずと自分でもやってみようという気になる。エネルギー問題は社会的公共的な問題であると思いがちだが、じつはきわめて個人的な問題でもあるわけだ。その意味で言えば、ソーラークッキングはDIY文化の一部としても考えることができるし、脱原発運動にとってのモデルにもなりうることがわかった。脱原発運動にとって重要なポイントが、これからの未来社会を構想していくことと、これまでのライフスタイルを反省していくことにあるとすれば、鳥居がすでに実践しているソーラークッキングは、電力に依存した現在の暮らしを個々の水準で塗り変える可能性を含んでいるからだ。今後は「ソーラークッキング」を、「スローライフ」や「ロハス」、あるいは「マクロビオティック」といった文化や暮らしをめぐる思想とともに、たんに消費のためのキーワードに終始させるのではなく、脱原発社会という目標に向けて練り上げる実践が必要とされるのではないだろうか。

2011/09/04(日)(福住廉)

第6回 金の卵 オールスター デザイン ショーケース

会期:2011/08/25~2011/09/04

AXISギャラリー[東京都]

共通テーマは、「日常/非常 ハイブリッド型デザインのすすめ」。東日本大震災をふまえ、非常時にデザインにはなにができるのかについて、学生たちが提案する。
 多くの人々は日常の利便性を大きく損なってまで非常に備えることをしないし、できない。国家単位でも、家庭単位でも、個人単位でも、起こりうるかもしれない非常事態に対しては、日常とのコストのバランスを考えながら備えることになる。
 そこで「ハイブリッド型デザイン」である。つまり、日常における利便性を持ちながらも、非常時にはそれに対応しうる複合的な機能を持つデザインであれば、わずかな追加コストで非常に備えることができる(はずである)。ローソクとしても使えるクレヨン、簡単な操作でパーティションに変形できる学習机など、さまざまなアイデアが光る。プロダクトによる提案ばかりでなく、知識や知恵の伝達をデザインする試みもある。非常時には手元に残された品でさまざまな事態をしのがざるをえない。「活用マーク」は、レジ袋やガムテープなどのありふれた日用品を非常時に応用するためのさまざまな使いかたを示すもの。ほとんどコストをかけずに、あらゆるものをハイブリッドなプロダクトに変えてしまおうという優れた提案である。また、殺伐となりがちな被災地での食事の風景に暖かさを演出する「はなぜん」など、非常を日常に引き戻すためのプロダクトにも優れた発想が見られた。
 本展は神戸にも巡回する(2011年10月8日~16日、KIITO[神戸商工貿易センタービル26階])。[新川徳彦]

2011/09/04(日)(SYNK)

ミクニヤナイハラプロジェクト No5『前向き!タイモン』

会期:2011/09/01~2011/09/04

こまばアゴラ劇場[東京都]

ともかく速くて、速くて、速いのだ。セリフはもちろんのこと、ダンスの振付家でもある矢内原美邦らしく、演劇でありながらセリフ内容とはほとんど関係ない動き(振り付け)もすべて、役者三人の役者のパフォーマンスは唖然とするほどに速い。この傾向は、矢内原が演劇を上演し始めた頃から、おそらく『3年2組』(2005)のときからある。だから演劇五作目を見る観客にとって了解ずみのことではある。しかし、それにしても、速い。速くて、しかも噛まない。速くて噛む、ということが当初はあった。噛む=身体の不能状態を露呈させる=身体のリアリティをあらわにする、といった解釈は当初はありえたが、いまその余地はない。速くて噛まない。すると、速さのもつ独特のグルーヴが強く感じられてくる。意味が理解できるかできないかの境で高速連射される言葉たち。ああ、なんだかこの感覚あれに似ている!と思った。「あれ」というのは、早口なアニソンたち。「もってけ!セーラーふく」(『らき☆すた』)でも「Utauyo!! MIRACLE」(『けいおん!』)でも「ヒャダインのじょーじょーゆーじょー」(『日常』)でもいいんだけれど、こうした曲の早口部分を聴くときのなんともいえない快楽、聞き取れそうで聞き取れないあたりで耳が漂う快感、それに近いなにかを、役者三人の演技に感じたのだ。近年、早口のアニソンが当たり前になったもとには、おそらく初音ミクの存在があるのだろう。機械的な再生のテクノロジーが早口の面白さを引き出したに違いない。とはいえ機械ではなく人力でそれをやるところに独特のグルーヴが(より濃厚に)生まれると人が考えているからこそ、そうした音楽は全面的に初音ミク化されずにいるのだろう。矢内原の演劇で感じるのも人力の面白さ。それにしても、はじめから終わりまで、延々と早口なのだ。舞台上の光景はもちろんのこと、演劇に「振り付け」のみならず「早口」という強烈なアレンジメントを組み込む、矢内原の強引で暴力的な発想に、観客は唖然としてしまうのである。

ミクニヤナイハラプロジェクトvol.5「前向き!タイモン」予告編

2011/09/04(日)(木村覚)

平松伸之 展

会期:2011/09/03~2011/09/24

CAS[大阪府]

平松伸之の作品は、自分の記憶が正しければ過去に一度しか見たことがない。2000年に国立国際美術館で行なわれた「空間体験《国立国際美術館》への6人のオマージュ」だ。その時、平松は美術館の展示室を駐車場へと変貌させる荒技を見せ、多くの人を驚愕させた。私自身、当時の記憶が鮮明だったので、今度は何をしでかすのかと期待して出かけたのだった。しかし、展示されていたのはカラオケ屋で見かけるような安っぽいミュージックビデオであった。作曲・演奏共に平松自身で、クオリティは決して低くない。しかし、ヒット曲のエッセンスをそこかしこに注入した楽曲にはオリジナリティがなく、聞けば聞くほどその無意味さに脱力感が広がるのだ。このえも言われぬ感情は何だ? 11年前の作品とは全然傾向が違ったが、やはりこの人はただ者ではないと、改めて確信した。

2011/09/05(月)(小吹隆文)

ハローキティアート展

会期:2011/08/24~2011/09/05

松屋銀座8階催事場[東京都]

会場はふたつのテーマで分かれている。前半は「博物館」。1974年に誕生したハローキティは今年で37年目。これまでにつくられたキャラクター商品の数々は、すでにひとつの歴史をつくっている。現在のキティでさえも、未来の人々から見ると博物館に収蔵されていてもおかしくないというのが展示コンセプトなのだそうだ(ちなみに、展示のディレクションは佐藤卓氏である)。博物館ゾーンの壁面は濃茶色に塗られ、廊下といくつかの小部屋で構成されている。廊下の壁面には、代々のキティをモチーフにしたシルクスクリーン作品と、それぞれの時代の代表的な商品が展示され、ハローキティの歴史と変化を追う。小部屋には硝子をはめたレトロな木製の展示台があり、懐かしのキティグッズの数々が収められている。展示台の上には天井から浅い傘のついた照明が下がり(ただし、白熱灯ではなく最新のLED電球)、夏休みに避暑地の古い博物館を訪れたような感覚になる。そして、驚くべきはご当地キティの展示である。壁に掛けられた無数の標本箱を覗くと、中には小さなキティたちが採取地(!?)を記した紙片とともに針で留められているのだ。そして、会場後半のテーマは「美術館」。明るい大広間に、ハローキティデザイナーの山口裕子氏がイチゴをテーマに制作したキティの油彩画と立体作品が展示されている。
 展示はふたつに分かれているが、両者はけっして別々のものではない。山口裕子氏は、1980年に三代目のハローキティデザイナーに就任して以来、30年以上にわたってキティの物語と世界観を創り出してきた人物である。山口氏は、全国各地で開催されるサイン会やファンとの文通を通じて、人々がキティに求めるものをリサーチし、時代の流行を取り入れ、ターゲット層を拡大しながら、世界的な人気アイドルであるハローキティをマネジメントしてきた。その山口氏が創り出したアートである。ほかのアーティストやブランドとのコラボレーションによって生み出された、パラレルワールドのなかのキティではない。ここに現われたキティたちはアートというカタチをとっているが、過去から未来へと連なる同じ時間軸上に存在する次のキティたちの正統な原型なのだと思う。2011年10月1日~11月6日、福岡アジア美術館に巡回。[新川徳彦]

2011/09/05(月)(SYNK)

2011年10月01日号の
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