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2011年10月15日号のレビュー/プレビュー

第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展帰国展「家の外の都市の中の家」

会期:2011/07/16~2011/10/02

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

東京オペラシティのヴェネチアビエンナーレ帰国展へ。最後に設置された北山恒の壁面模型や廊下の都市比較分析が付加された以外は、日本館の展示内容(アトリエ・ワンの《自邸/事務所》と西沢立衛と《森山邸》)とほぼ同じである。総じて分析的かつ説明的な展示だったが、約1/2の森山邸の巨大模型は、キャプション一切なしで、都市との関係性をもっともよく示していた。

2011/09/03(土)(五十嵐太郎)

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I love Hokkaido art──札幌ビエンナーレ・プレ企画から開催に向けて

会期:2011/09/04

新・港村(新港ピア)Dゾーン[神奈川県]

3年後のスタートを予定している札幌ビエンナーレのプレイベントのひとつ。出演は、北海道のB級観光スポットを拡声器でレクチャーするサラリーマン風の山下智博、プロレスの司会者ながらしゃべくりの足らなさを連続受け身でカバーする祭太郎、陶器製の縄文太鼓をみずから焼いて演奏する茂呂剛伸、という3人の大道芸っぽいパフォーマンス。苦笑も含めて笑い声が新・港村に響く。札幌ビエンナーレは大丈夫だろうか……。

2011/09/04(日)(村田真)

せんだいスクール・オブ・デザイン 2011年度春学期特別講座「復興へのリデザイン」最終回「環境に応答する」

会期:2011/09/04

東北大学工学部センタースクエア中央棟DOCK[宮城県]

せんだいスクール・オブ・デザインの「復興へのリデザイン」の最終回「環境に応答する」で、中谷礼仁と宮本佳明をゲストに迎え、司会を務めた。前者は非常時のセットの組み換えによるシステムのリデザインやズレへの態度を、後者は現地への出入りを通じての思考と実践について語る。中谷による、誰もが同じことを急いで行なう必要はなく、自分はじっくりと考えていくという、思考における時間のスケールの長さに共感した。

2011/09/04(日)(五十嵐太郎)

Sculpture Times #1 FROM NUDE

会期:2011/09/01~2011/09/06

上野の森美術館ギャラリー[東京都]

東京藝大彫刻科の若手教員を中心とした15人のグループ展。「ヌード」といえば、彫刻のみならず美術全般の基本中の基本。だからさまざまなヌードがずらりと並ぶはずだと期待して見に行ったら、裸体像もあるにはあるが、たんに角材を立てたものや、石を彫って家型に組み立てたもの、山岳風景を彫った石彫もあった。ざっと見たところ、裸体像はおよそ半数しかない。だから期待はずれだったかといえばそんなことはなく、だから楽しかったんだけどね。ヌードばかりでなかったのは、タイトルに「FROM」がついてるからだ。この「FROM NUDE」にもっともふさわしいと思ったのが、イチジクの葉をモチーフにした森一朗のセラミック作品。イチジクの葉は「恥」を知った人間が全裸の下腹部を隠すために用いた道具なので、まさに「ヌードから」。さて同展のもうひとつの試みは、展覧会に合わせてタブロイド判の小冊子を発行したこと。『Sculpture Times』の命名もおそらくこの「新聞」にダブらせているのだろう。気鋭の批評家のエッセイや芸術学科の学生の解説を載せているが、残念なのは、なにについて書いてあるのかさっぱりわからなかったり、ハナから人に読んでもらう(理解してもらう)姿勢に欠けた「名文」もあること。モッタイナイ。

2011/09/06(火)(村田真)

秦雅則「埋葬」

会期:2011/09/02~2011/09/14

新・港村(新港ピア)/Under 35 GALLERY[神奈川県]

横浜トリエンナーレの一環として、さまざまなジャンルのアートや文化振興企画を展開している新・港村。その一角のUnder 35 GALLERYは、「35歳以下の現代美術家、写真家、建築家をそれぞれ紹介していく連続個展シリーズ」である。8月6日~17日の西原尚に続いて、秦雅則の展示がスタートした(奥村昂子展を同時開催)。
秦はこの欄でもたびたび取りあげてきたが、僕が今一番注目している若手写真作家のひとりだ。2008年に写真新世紀でグランプリを受賞してデビューし、東京・四谷の企画ギャラリー・明るい部屋の活動を通じて、その表現力に磨きをかけてきた。今回の「埋葬」シリーズを見ても、瘡蓋を引きはがすように心理的なズレや歪みを暴き立てていく作品によって、誰も真似ができない領域に踏み込みつつあるように感じる。秦はこのところずっと、エロ雑誌をスキャニングした画像を微妙にずらしたり組み合わせたりしながら、架空の女の子のイメージを増殖させる作品を発表してきた。今回の展示はその集大成というべきもので、A5判ほどのサイズの小さな写真を300枚以上、フレームにおさめて壁にびっしりと並べ、床にはやや大きめのサイズの写真を12点、やはりフレームにおさめて置いていた。ピースサインで決めている裸の女の子のポーズの能天気さと、身体の各パーツを寄せ集めたゾンビのような土気色の肌とが合体して、悪趣味の極致としかいいようのない強度に達している。ここまで気持ちが悪いグロテスクなイメージ群を見せつけられると、逆に妙な快感が生じてくるのが不思議だ。
秦雅則の作品はどう見てもおさまりが悪い。だが、逆にいつでも分析・分類が不可能であることの凄みを感じてしまう。

2011/09/06(火)(飯沢耕太郎)

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