artscapeレビュー

2011年10月15日号のレビュー/プレビュー

蔵真墨「蔵のお伊勢参り 其の七! 京都・大阪」

会期:2011/09/09~2011/10/08

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

蔵真墨から送られてきた展覧会のDMに「悪意ではなく愛です♡」と添え書きがあった。どういうことかといえば、以前彼女の作品について書いた時に、「悪意に満ちた」というような言い方をしたことがあったからだ。「蔵のお伊勢参り」シリーズの番外編というべき、今回の「京都・大阪」の写真群を見て、たしかに彼女の作品には「悪意ではなく愛」がくっきりと刻みつけられていることがわかった。路上にたむろする人々の仕草や表情を、どちらかといえばネガティブに捉えているように見えるのだが、むしろそこにあふれているのは、そのようにふるまってしまう人間たちへの、慈しみや許しの感情なのかもしれないとも思った。
それに加えて、蔵には純粋な好奇心、この現実世界のあり方をとことん探求しようという強い意欲がある。路上スナップには、路上でしか育ってこないものの見方を鍛え上げていくという側面があるのだが、残念ながら、近年そのような志向がやや弱りつつあるのではないかと感じる。よく指摘されることではあるが、路上スナップの撮りにくさが、それに拍車をかけているともいえるだろう。そんな時代状況において、蔵のがんばりは特筆に値する。路上スナップの面白さは、数10年というスパンを経なければ見えてこないところがある。50年後、この「蔵のお伊勢参り」のシリーズを見直せば、たとえば2010年代の都市の住人たちが携帯電話をどのように使用していたのかを知るための、貴重なヴィジュアル資料としても活用できるのではないだろうか。
なお写真展にあわせて、原耕一の装丁で、同シリーズの87点を集成した写真集『蔵のお伊勢参り』(蒼穹舍)が刊行された。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

石川直樹「8848」

会期:2011/09/09~2011/10/22

SCAI THE BATHHOUSE[東京都]

前回の同じ会場での個展「POLAR」(2007年)でも感じたのだが、石川直樹はSCAI THE BATHHOUSEと相性がいいのかもしれない。東京・谷中の元銭湯だった天井の高い建物の壁面にゆったりと並べられた作品の雰囲気が、彼の柔らかく伸び縮みする眼差しのあり方にぴったりしているのだ。
彼にとっては2度目になる、世界最高峰、エベレスト登頂の記録というテーマもよかったのではないか。人類学的な志向が強い「ARCHIPERAGO」(2009年)や「CORONA」(2010)年は、視点の拡散によって落着きがなく、締まりのない写真の羅列になってしまっていた。今回の「8848」では、めざすべきエベレスト山頂の三角形のイメージが、何度も繰り返し登場してくることで、写真にくっきりとした方向づけができている。何といっても、標高8,000メートルを超える場所の、極限に近い状況が写真に写り込んでくることで、ぴんと張りつめた空気感が展示全体を引き締めていた。石川直樹には、やはり「冒険家」のポジションがよく似合うということだろう。
それにしても、いつも感じることだが、旅の途上で出会った現地のシェルパ族の人々との交友や、準備段階での日常的な場面の写真は必要なのだろうか。これらの写真を入れ込むことが、どうもある種の決まり事のようになっているように見える。石川にいま必要なのは、何を見せて何を落とすのかをより厳密に判断していく、制作行為におけるストイシズムではないかと思う。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

驚くべき学びの世界展 in 京都

会期:2011/09/09~2011/09/19

元・立誠小学校[京都府]

第二次世界大戦直後の北イタリア、レッジョ・エミリアで、村の人々が戦車や軍用トラックを売り払い、手づくりで始めた「自分たちの学校」が、今展で紹介された「レッジョ・エミリア・アプローチ」のはじまりだそう。この日まで私はその名も知らなかったのだが、アートを通して子どもの可能性を引き出す教育実践として、世界中で注目を浴びている幼児教育だという。今展で紹介されたのは、2000年以降にここで実践されている最新のプロジェクトやテーマに関するもので、会場には、制作環境や素材にふれ、指導者と関わり合う子どもたちを映し出したドキュメンタリー映像や、解説パネル、素材のサンプル、制作物などが展示された。沢山の人たちが訪れていたこの会場、教育関係者が多いのだろうか、解説を読みながら熱心にメモを取っている人の姿もあった。「場所」や「モノ」との対話を重視して行なわれるこの教育方法、子どもたちの反応など、確かにどれも興味深い。しかし展示物のほとんどが二次資料で複製可能なものばかりだ。1,200円の入場料は高すぎる。

2011/09/17(土)(酒井千穂)

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Dance&Peopleワークショップ「からだをつかってあそぼ」

会期:2011/09/17, 10/22, 11/26, 11/27, 12/10

大山崎ふるさとセンター3階ホール[京都府]

「Dance&People」は、五島智子氏が介護の仕事の経験をもとに立ち上げた任意団体。介護現場での重度身障者の身体介護は、介護する側とされる側のデュエットそのものであると考えたことがきっかけだったという。これまでに、見える人と見えない人によるダンスワークショップや、シニアを対象にした企画など、さまざまなワークショップやそのコーディネイトを行なってきた。大山崎ふるさとセンターで月に一度開催されている「からだをつかってあそぼ」は、参加年齢や性別、障害などは不問。この日はじめて見学させてもらった。ナビゲーターであるコンテンポラリーダンサーの黒子沙菜恵さんに誘導されながら、7名の参加者が音や音楽にあわせて踊ったりポーズをとったり、ペアになり、さまざまなアクションをしている。この即興の動きがじつにドラマチックで、二人組のコンビネーションとチームワークを見ているだけでも面白い。また、会場の窓のすぐそばを、新幹線がしょっちゅう豪速で通過する、という光景もすごい! 一瞬、凄まじい風圧(と音)が会場を走り抜けるのだが、それがとても刺激的。環境と身体(や感覚)のつながりの奥深さも感じるワークショップだった。この日は見学だけだったが、チャンスがあればぜひ実際に参加してみたい。

2011/09/17(土)(酒井千穂)

高松次郎「言葉ともの─純化とトートロジー」

会期:2011/09/16~2011/10/30

NADiff Gallery[東京都]

以前、高松次郎の1972年のサンパウロビエンナーレの出品作「写真の写真」を集成した写真集『PHOTOGRAPH』(赤々舎、2004)を見て、そのかっこよさに痺れた。写真を使うコンセプチュアル・アートの作家は榎倉康二、野村仁などかなりたくさんいるが、高松の写真作品には単純な概念のイラストレーションという役割を超えた、写真そのものとしての魅力があるように感じる。その魅力がどこから来るのかと問われると、なかなか答えるのがむずかしい。だが、そこには写真のクリアーで明晰な描写と、物体の配置のどこか謎めいた魔術性とが、強い説得力を持つかたちで共存している。今回のNADiff Galleryでの個展出品作のほとんどは、ドローイングやコラージュ作品なのだが、そのなかに1点だけ含まれていた写真作品「椅子とレンガ(複合体)」を見て、やはり写真家としての高松次郎は再評価されるべきであると思った。
この写真作品は1972年に発表(1980年に一部再制作)された「複合体〈椅子とレンガ〉改題」を撮影したものだ。会場には同作品も展示されていたので、写真と実物とを比較して眺めることができた。何の変哲もないパイプ椅子の、ひとつの脚の下にレンガが置かれ、その奥のもうひとつの脚が空中に浮いている。それだけのシンプルな状況を、何の操作も加えず撮影しただけの作品なのだが、何度も言うようにそれが奇妙な魅力を発している。撮り方が平静なだけに、逆に狂気めいた微妙なズレがより強く浮かび上がってくるのかもしれない。高松の写真の仕事を、もう一度きちんとまとめて見直すと、日本の写真表現の見過ごされがちな水脈のひとつが姿をあらわすような気もする。

2011/09/18(日)(飯沢耕太郎)

2011年10月15日号の
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