2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2011年12月15日号のレビュー/プレビュー

アーヴィング・ペンと三宅一生

会期:2011/09/16~2012/04/08

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

アーヴィング・ペンは1983年、『ヴォーグ』誌のためにはじめて三宅一生デザインの服を撮影した。これをきっかけにして、世界的に著名なファッション・フォトグラファーとデザイナーの交友が生まれ、1987年以降、ペンは毎年春と秋2回のコレクション作品の撮影を担当するようになった。さらにペンが撮影した写真は、田中一光のデザインによって大判のポスターに仕上げられる。1999年までに、ペン撮影の写真は250点にまで増えていた。今回の展示は、この二人の巨匠の「Visual Dialogue」の成果を、一堂に会するものである。
とはいっても、堅苦しい回顧展ではない。三宅が東京でデザインした服が、パリコレクションで発表され、さらにニューヨークのペンのスタジオに運ばれて撮影されるまでを、軽やかなタッチで描いたアニメーションが上映され、ペンが撮影した写真も、横長の大きな画面にプロジェクションして見せていた(会場デザイン・坂茂)。そのことによって、彼らの「対話」が、弾むような歓びと愉しみに満ちたものであったことがよく伝わってくる。また、ペンの三宅のデザインに対する解釈も通り一遍のものではなく、むしろそのポリシーをより過剰に、誇張して表現しているのが興味深かった。白バックの画面を極端に単純化するとともに、モデルの顔にメーキャップを施すことで、彼女たちも服の一部に組みこんでしまうように演出しているのだ。それでいて、1980年代のモノクローム、モノトーンから、90年代のカラフルなプリーツ素材を使った自由なふくらみのある表現への変化が、見事に捉えられていた。さすがというしかない。
会場には、アーヴィング・ペンの代表的な写真作品も並んでいた。1939年頃に撮影された「眼鏡屋のショー・ウィンドー」から、亡くなる3年前の「ベッドサイド・ランプ」(2006)まで。それらを見ると、あらためてエレガンスとグロテスクのせめぎ合いが、彼の作品世界の根幹であったことが浮かび上がってくる。

2011/10/01(土)(飯沢耕太郎)

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試写「ブリューゲルの動く絵」

会期:2011/11/01

六本木シネマート[東京都]

ブリューゲルの絵画《十字架を担うキリスト》に想を得た映画。1枚の絵から物語を紡ぎ出す手法は、フェルメールの名画をもとにした『真珠の耳飾りの少女』をはじめしばしば見られるが、これは絵に触発されたというより、画面のなかに入り込み、絵をそのまま動かしたような映画だ。そもそも《十字架を担うキリスト》という絵そのものが、さまざまなドラマを同時多発的に描き込んだ迷宮のような絵物語になっていて、見ていて飽きることがない。ゆるやかな丘陵を舞台に数百もの人物がこまごまと描かれ、それぞれ馬に乗ったりケンカしたり遊んだりしている。この絵はいったいなにを描いたんだろう?と考えてしまうが、題名を見ると宗教画。しかし肝腎のキリストが見当たらない。目を凝らしてよーく探すと、ようやく画面中央に小さく描かれているのが見つかる。最初これを見たとき、もっとも伝えたい主題をあえて隠すように描くこんな描き方もあるのかと感心しましたね。ブリューゲルの生きた16世紀ネーデルラントは、宗教改革を進める隠れプロテスタントとそれを弾圧するカトリックの支配者が争っていた時代。だから、どうやらプロテスタントに共感していたらしいブリューゲルは、わざと主題を隠したり、キリストの受難をプロテスタント迫害に重ねたり、多様な解釈が可能なアレゴリーを用いたりした。それゆえに彼の絵にはナゾが多く、またそれが彼の絵の魅力にもなっているのだ。だから彼の絵は極端にいえば、そのまま動かすだけで1本の映画やドラマになってしまうのだ。この映画はそんな映画だといえる。まあブリューゲルの絵やキリスト教の歴史に興味ない人には退屈な映画だろう。

2011/11/01(火)(村田真)

津田直「REBORN “Tulkus’ Mountain(Scene1)”」

会期:2011/10/29~2011/11/26

hiromiyoshii[東京都]

清澄白河のhiromiyoshiiで開催された津田直の新作展。被写体になっているのは、ヒマラヤの仏教国ブータンの森と人々である。
以前の「SMOKE LINE」(2008)などでは、津田の作品を見るときの視線の運動は横方向への広がりが意識されていた。ところが今回のシリーズでは、森の樹木にしても、仏塔にしても、少年僧にしても、縦方向に垂直に伸びあがっていくように撮影されている。そのことによって、天から地へ、逆に地から天へというエネルギーの流れがはっきりと写り込んでいるように感じる。それがよく表われているのは、樹木と僧侶たちとを撮影した写真を5組、二段に重ねるように配置した展示のパートで、ここには明らかに樹木のたたずまいと僧侶たちのたたずまいに共通する要素を抽出しようという意図がうかがえる。このような照応関係は、入口近くに展示された赤い布を吊り下げたインスタレーションと、その対面に置かれた樹の枝から地面に垂れ下がるサルオガセの写真にも感じる。展示の全体に、人間と自然(植物)との、循環しつつ伸び広がっていく、緊密な関係の網の目が投影されているが、それこそが津田がブータンで見出しつつある「再生(REBORN)」の原理なのだろう。
もっとも、それは最初の段階にとどまっていて、まだまだこの先がありそうだ。Scene2、Scene3と回を重ねていくにつれて、その全体像が姿を現わしてくるのではないだろうか。

2011/11/02(水)(飯沢耕太郎)

米田知子「Japanese House」

会期:2011/10/29~2011/12/03

シュウゴアーツ[東京都]

津田直の展示を見てから、hiromiyoshiiの一階下のシュウゴア─ツへ。米田知子の新作は、戦前の日本統治時代に建てられた台北の日本家屋を撮影している。これらの11点の作品は.2010年に台北で開催された「クアンデュ・ビエンナーレ」の出品作である。
蒋介石政権時代の参謀総長、王叔銘将軍の家、太平洋戦争終結時の総理大臣だった鈴木貫太郎の家、台北北部の北投温泉にあった日本家屋などの部屋の内部を、米田は大判カメラで細部まで舐めるように撮影している。これらの家々はすでに住む人がいなくなって打ち棄てられたり、台湾人が住みはじめて改装されたりして、かなり様相が変わってきている。だが建物の部屋の造りや装飾には、明らかに「Japanese House」としての名残りが、遺香のように漂っているのが見えてくる。その微妙な気配を捉えるため、米田は薄い皮膚をそっと引き剥がすように、部屋の表層の連なりを繊細な色調のプリントに置き換えていく。その「歴史の表層化」とでもいうべき作業によって、普通なら見過ごしてしまうような埃や染みや引っ掻き傷のようなものが、見る者の記憶とシンクロし、過去の時間に引き込んでいく重要な要素として浮上してくる。その微妙な手つきは、さらに洗練の度を増してきているように感じた。津田直の展示もそうなのだが、日本の写真家(写真を使うアーティスト)の隙のない細やかなインスタレーションは、ひとつのスタイルとして定着しつつあるのではないだろうか。

2011/11/02(水)(飯沢耕太郎)

シンポジウム「縄文/創造の原点から」

会期:2011/11/02~2011/11/03

青森県立美術館[青森県]

県立美術館のシンポジウム「縄文/創造の原点から」に国際的なビエンナーレやコミッショナーを経験したキュレーターが集まった。筆者はヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2008やあいちトリエンナーレ、南條史生はシンガポール・ビエンナーレの立ち上げ、逢坂恵理子は横浜トリエンナーレの推移、植松由佳はヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2011の日本館について語る。モデレーターは飯田高誉が務め、青森でも国際芸術祭の開催を目指しているという。実はひとつの国のなかの複数の都市がビエンナーレを開催しているのはめずらしく、意外にも日本の数はかなり多いらしい。

2011/11/02(水)(五十嵐太郎)

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