artscapeレビュー

2012年02月15日号のレビュー/プレビュー

宮北裕美「S・P・A・N・K」展

会期:2012/01/14~2012/01/29

MEDIA SHOP[京都府]

ダンサー、振付家として京都を拠点に活動している宮北裕美が初めての個展を開催。黒い紙にペンやパステルで描いた小さなドローイング作品が展示されていた。昨年から少しずつ描きためていたというそれらには一枚ごとに日付も記されている。展覧会のタイトルに似合うようなイメージを選んで展示したというが、一見、落書きのように画面のあちこちに散りばめられた線や図形、ユーモラスで奇妙な生き物たちのモチーフは、よく見るとどれも丁寧に描かれていて、音や光が勢いよく弾けるイメージ、というよりも、むしろ緩やかなリズムを感じる散文のような印象のものが多かった。絵はお世辞にも上手いとは言えない(失礼)。ただ、よくある「ヘタウマ」とか、意図的にかわいらしくアレンジされたものとは違う、なんとも言いがたい魅力があった。絵のなかの登場者や言葉のような模様を眺めていると、宮北の記憶、彼女だけが「所有」している物語や光景に想像が掻き立てられていく。初日には、宮北がサウンドアーティストの鈴木昭男さんと昨年から定期的に行なっているパフォーマンスセッション《空っぽ「ぽんぽこりん♪」》のライブイベントも開催された。二人のアーティストはそれぞれの音や動作にべったりと合わせるでもなく、かといって勝手気ままに踊ったり演奏している様子でもない。つかず離れず、音とダンスという互いの一瞬の印象から閃いたものを表現しているように見える。緊張感はあるのが、迷いはない。宮北の絵にも通じる雰囲気だ。


パフォーマンスセッション《空っぽ「ぽんぽこりん♪」》の風景。宮北裕美(左)と鈴木昭男(右)

2012/01/14(土)(酒井千穂)

LOST & FOUND

会期:2012/01/11~2012/02/11

AKAAKA[東京都]

宮城県亘理郡山元町は東日本大震災の大津波で大きな被害を受けた地域である。町の面積の50%が浸水し、死者・行方不明者あわせて600人以上に達した。震災直後から、ボランティアが拾い集めた写真を洗浄し、カメラで複写することによって元の持ち主に返すという「思い出サルベージアルバム」プロジェクトがスタートする。現在まで、アルバム約1,100冊、写真約19,200枚が、持ち主の手に戻ったという。今回の展示はそのプロジェクトにかかわってきた写真家の高橋宗正を中心に企画されたもので、ほとんど画像が消えかけたサービスサイズのプリント約1,500枚と、被災者の方たちから借りてきたという結婚式の記念写真などが展示されていた。
このような写真の洗浄・修復のプロジェクトには強い関心があった。今回の震災によって、記憶を保存し、再生する器としての写真の役割があらためて大きくクローズアップされたからだ。だが一方で、プリントをきれいにデータ化したり、修復したりすることについてはやや疑問もあった。写真を流された人たちにとって、それはむろんとても大事なことだが、泥や砂をかぶったままの写真そのものもきちんと残しておいてほしいと思っていたからだ。それらは未曾有の震災の「小さな記念碑」の役割を果たしつづけるはずだ。その意味で、今回の「LOST & FOUND」展は時宜を得た好企画だと思う。
壁に小さな透明の袋に入れられてびっしりと並んでいるプリントを見ていると、その表面のダメージが一つひとつ微妙に異なっていることに気がつく、画面の大部分が残っているものは稀で、多くは画像がほとんど消えて真白の印画紙に戻りかけている。その空白、さまざまな色や形の染み、そして消えかけている人物や光景のたたずまいが、奇妙に「美しく」感じられる。あえてひんしゅくを買いかねない言い方をすれば、津波は恐るべきアーティストでもあったということだろう。展覧会のチラシに「この写真展で展示されるのは誰かの作品ではありません」とあった。これはむろん、写真の撮り手が無名の町民であり、著名な写真家の「作品」などではないかという意味だが、穿った見方をすればこれらは「津波の作品」とも言えるのではないだろうか。あまりお近づきにはなりたくない、強烈過ぎる個性のアーティストではあるが、その破壊力は逆説的に生産力でもあるということが、くっきりと見えてきたように感じた。
なお「LOST & FOUND」展は、これ以降、ロサンゼルスやパリでも開催する予定があるという。海外の観客がどのような反応を示すのかが興味深い。

2012/01/14(土)(飯沢耕太郎)

ERIC『LOOK AT THIS PEOPLE』

発行所:赤々舎

発行日:2011年12月1日

香港出身で日本在住の写真家、ERICの新作写真集。ERICはこれまでずっとストリート・スナップ一筋に撮影し続けており、今回のシリーズもその延長線上にある。ただ前作の『中国好運』(赤々舎、2008)などと比較すると、同じく白昼の至近距離からの人物スナップでも、なんとなく印象が違ってきているように感じる。今回、彼が撮影したのは中国雲南省で、山岳民族の姿が目立ち、「水かけ祭」や「泥塗り祭」などの珍しい行事が残っている地域だ。中国人の彼にとってもエキゾチックな場所と言えるだろう。被写体との距離感のとり方にやや戸惑いを感じている様子がうかがえる。それだけでなく、以前のぎらつくような挑戦的なパワーがあまり感じられない。それは別にマイナスではなく、むしろ彼のスナップシューターとしての能力が、さまざまな被写体に自在に対応できる段階にまで達していることを示しているのではないだろうか。いかにも穏やかな、ゆったりとした生き方を感じさせる雲南の住人たちに、ERICも柔らかな眼差しで応えているように感じた。
本書の刊行記念ということでAKAAKAの2階で開催された先行販売イベントでは、ERICが2011年秋に撮影したタイの洪水のスナップ写真も見ることができた。こちらも実に面白い。タイの人々が、あたかも洪水を心から楽しんでいるような、笑顔のあふれる表情で写っている。発泡スチロール製のボート(?)が行き交い、主婦が腰まで水につかって買い物に行くような非日常的な街の様子と、彼らの屈託のない、祝祭的な雰囲気のアンバランスさがなんともシュールだ。ぜひ、写真集や写真展のかたちで公開してほしい。

2012/01/14(土)(飯沢耕太郎)

松井冬子 展 世界中の子と友達になれる

会期:2011/12/17~2012/03/18

横浜美術館[神奈川県]

評判はよいようだが、表現やテーマの新しさ、現代性はあまり感じられなかった(むろん、本人のスター性はわかるが)。死と言われても、表現がベタ過ぎるというか。メメント・モリは古来のテーマだし、解剖学の職人的な描写はフィレンツェのラ・スペコラの方がすごいし、エロ・グロな感じは昔の日本で流行っていた。ただし、展示空間の構成やキュレーションは楽しめた。彼女の芸大修了作を中心に据え、その制作過程を示し、まるで巨匠の回顧展のようだ。

2012/01/14(土)(五十嵐太郎)

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鈴木昭男×宮北裕美×鈴木孝平「新春!こころのかくれんぼう」(コレクション展 第1期 関連イベント)

会期:2012/01/15

京都市美術館[京都府]

宮北裕美の個展に行った翌日だが、コレクション展 第1期「京都にさぐる 美術の『こころ』」を開催中の京都市美術館でも宮北と鈴木昭男、そして映像作家の鈴木孝平によるライブパフォーマンスが行なわれるというので見に行った。美術館の敷地内をめぐるというツアー形式。らせん階段のある一階ホールに観客が集まり、赤いリンゴ(レプリカ)を手に持った宮北が登場して静かにパフォーマンスが始まったのだが、しばらくすると彼女の姿は消え、ホールに設置された巨大スクリーンに別の場所で踊っている宮北が映し出された。そこに階段の上から鈴木昭男が現われて、過去の展覧会カタログを載せた台車とハタキをつかったパフォーマンスや創作楽器アナラポスの演奏などが行なわれ、その後、一般鑑賞者のいる展示室を通り抜けて、美術館の外、別棟のレクチャールームへと移動するという流れ。宮北と鈴木昭男の真剣な(?)鬼ごっこのような掛け合いを遠巻きに見ながら、観客も二人にぞろぞろとついて行くことになるのだが、面白かったのは観客のなかに小さな子どもがいて、最後には出演アーティストよりも注目を集めていたこと。レクチャールームに集まった人々が着席し、静かに会場の様子を見守るなかで「ねえ、なんで電気消えたの?」「ねえ、なんで寝てるの?」というかわいらしい声が立て続けに聞こえてくるから、一斉に失笑が起こる。「ハーメルンの笛吹き」についてきた子どものような大人の集団が、ここで別の「笛吹き」にさらわれた、という感じだった。美術館に眠る「こころ」や「記憶」を掘り起こすというテーマがあったこのイベント。想定外のハプニングもあって予定通りとはいかなかったようだが、それでも参加者のいろいろな「記憶」を刺激するものになって、その結果は吉と出ていた気がした。


ライブ風景。宮北(左)と鈴木(右)

2012/01/15(日)(酒井千穂)

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