2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

2012年04月01日号のレビュー/プレビュー

大西伸明 展 THROUGH

会期:2012/02/18~2012/03/17

ギャラリーノマル[大阪府]

日用品や工業製品、木や骨などの自然物をかたどり、その表層をトレースした立体作品で知られている大西伸明。本展では、彼が新たに考案した「スループリンティング」という技法で制作された新作が発表された。この技法はシルクスクリーンとステンシルの要素を併せ持っており、映像を版にして精密に図像を再現しつつ、その一部がまるで砂塵のようにぼやけている不思議なものだ。大西自身も確かな手応えを感じているようなので、今後この新技法がどのように変化・洗練されていくのか興味が尽きない。

2012/02/20(月)(小吹隆文)

ウメサオタダオ展 未来を探検する知の道具

会期:2011/12/21~2012/02/20

日本科学未来館[東京都]

民族学者の梅棹忠夫(1920-2010)の展覧会。京都に生まれ、アジアやアフリカ諸国へのフィールドワークを経由して、国立民族学博物館の創設に尽力し、やがて日本の文化行政のキーマンとなってゆく人生の軌跡を、数々の資料や書籍、道具、写真などで振り返った。梅棹の足取りを、簡素なベニヤの合板を円環状に組み立てることで表現した展示構成が、何よりすばらしい。そこに展示されていたのは、手書きのフィールドノートをはじめ、それらの情報を整理するための、いわゆる「京大式カード」など、いずれもコンピュータ時代以前の知的生産の現場を物語るアイテムばかり。その物体としての迫力のみならず、それらに滲み出ている肉体性の痕跡に瞠目させられる。京都を拠点にした長い活動を追っていくと、梅棹の活動領域が世界の周縁から政治の中枢へと転位していく過程が手に取るようにわかり、その変転に一抹の寂しさを禁じえないのは事実だとしても、その一方で梅棹の視線が(失明してもなお)つねに専門家の先の非専門家たち、つまりは私たちにまで及んでいたことも十分に理解できる。代表作『知的生産の技術』(岩波新書)は、インターネット時代になったいまとなっては、やや古色蒼然と見える印象は否めないにせよ、昨今の知的生産を貫く基本的な技術論としては依然として有効であるし、エッセイ「アマチュア思想家宣言」(『梅棹忠夫著作集』第12巻所収)は専門的な科学者の信用が失墜してしまった目下の転換期にこそ、広く読まれるべきテキストであると言える。これからの困難な時代を生きるには、梅棹忠夫が身につけていた身体的な知のありようが不可欠なのではないか。

2012/02/20(月)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00015602.json s 10025534

聖なる銀──アジアの装身具

会期:2012/02/08~2012/02/23

INAXギャラリー大阪[大阪府]

身を飾る道具を見て、アジアの民族文化の多様性と重層性に思いを馳せた。本展では、東アジア・東南アジア・中央アジア・南アジア・西アジアのアジア5地域における銀の装身具、約270点(日本宝飾クラフト学院コレクション)を展示。一口に身体を装飾するといっても民族によって飾る体の部位、方法、装身具自体の造形性も多種多様である。またそれがはたしてきた役割もさまざまだ。お守りとしての呪術的意味、宗教的意味、財産・投資的意味、権力的意味、儀礼用途、等々。同じ銀でも、銀地に模様の金鍍金が施されたもの、貴石が用いられたものもある。目を引き付けられたのは、トルクメニスタンの「背飾り」[図1]。ハート形の飾り板は、砂漠などで背後から病気や邪視に襲われないように、人を守護するという意味があるそうだ。この効果を増すのが、赤い石(紅玉髄)である。銀とは汚れのない、月にも類比されてきた金属。イスラム世界では幸福をもたらすと言われる。こうしてみると、この銀の煌めきは単に外面からではなく、内側、つまり使い手の長きにわたる歴史文化の厚みから放射されているように感じる。[竹内有子]

1──中央アジア/トルクメニスタンの「アシク」または「ゴジャ」と呼ばれる背飾り。W230×H105
撮影=熊谷順

2012/02/21(火)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00015764.json s 10025505

正木康子 展

会期:2012/02/21~2012/02/26

ギャラリーヒルゲート[京都府]

画廊の2フロアで水墨画の個展を開催。1階は《枯蓮連綿》シリーズの大作が中心で、絡み合う蓮の枝葉と湿潤な大気が尋常ではない妖気を放っていた。素材は、面相筆、茶墨、中国宣紙で、薄い層を何度も塗り重ねて空間の厚みと広がりをつくり出している。2階は彼女が蓮と出合う前に取り組んでいた作品で、墨と鉛筆による抽象的な画風が特徴である。圧巻はやはり1階で、横幅約5メートルの大作や、天地約4メートルの大作が所狭しと並んでいた。全体でひとつの世界観を表わしているせいか、まるで自分が絵の世界に入り込んでしまったかのような錯覚を覚えるほどだった。

2012/02/21(火)(小吹隆文)

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行き

会期:2011/12/10~2012/02/26

府中市美術館[東京都]

美術評論家の石子順造(1928-1977)の展覧会。石子の批評活動を「美術」と「マンガ」と「キッチュ」に分けたうえで、それぞれの空間に作品を展示した。静岡時代の石子が主導したとされる「グループ幻触」の作品を紹介したほか、中原佑介とともに石子が企画に携わった「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(東京画廊・村松画廊、1968年)を部分的に再現するなど、展覧会としてはたいへんな労作である。図録も充実しているし、何よりつげ義春の代表作《ねじ式》の原画を一挙に展示したところに最大の見所がある。にもかかわらず展覧会を見終えたあと、えもいわれぬ違和感を拭えないのは、いったいどういうわけか。その要因は、おそらく最後の「キッチュ」にあると思われる。石子が蒐集していたという大漁旗やステッカー、造花、銭湯のペンキ絵など、通俗的で無名性に貫かれた造形物の数々は、たしかに「まがいもの」のようには見える。けれども、美術館の中に整然と展示されたそれらには、「キッチュ」ならではの卑俗な魅力がことごとく失われており、むしろ寒々しい印象すら覚えたほどだ。これが「墓場としての美術館」という空間の質に由来しているのか、あるいは石子が見ていた「キッチュ」を現代社会が軽く追い越してしまったという時間の質に起因しているのか、正確なところはわからない。とはいえ、少なくとも言えるのは、私たちが注いでいる「キッチュ」に対する偏愛の情がまったく感じられなかったということだ。美術館が「キッチュ」や「限界芸術」を取り上げるとき、おうおうにして、このような白々しさを感じることが多いが、それは企画者の趣向というより、もしかしたら石子順造に内蔵された限界だったのかもしれない。オタク前夜の時代を切り開いた美術評論家としては注目に値するが、オタクが黄昏を迎え、代わって「限界芸術」という地平が見え始めているいま、石子だけを手がかりとするのは、いかにも物足りない。大衆文化を盛んに論じた鶴見俊輔、林達夫、福田定良、あるいは今和次郎らによる思想を総合的に再検証する仕事が必要である。

2012/02/22(水)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00015943.json s 10025535

2012年04月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ