artscapeレビュー

2012年05月15日号のレビュー/プレビュー

斎藤春佳 個展「宝石と眼球が地中で出会ってもまっくら」

会期:2012/04/06~2012/04/26

トーキョーワンダーウォール都庁[東京都]

水流や植物や波紋を思わせる細かいカラフルな線描で画面を埋めていった絵。埋めていくといっても余白をたくさん残していて、それが彼女の絵の最大の特徴となっている。計画的というより場当たり的、というと聞こえが悪いので、予定調和的というより即興的な心地よさが伝わってくる。でもなにも考えないでこんな絵が描けるわけがない。かなり試行錯誤を積み重ねた人だろう。

2012/04/20(金)(村田真)

塩田千春──存在のあり方

会期:2012/03/08~2012/04/21

ケンジタキギャラリー東京[東京都]

天井からクモの巣のように黒いヒモのネットを垂らし、その下に黒く細い鉄棒でつくられマネキンのような女体彫刻が横たわっている。ネットの結び目からは黒いヒモが垂れ、女体彫刻の心臓部には細い鉄棒が何本か突き刺さっている。ネットから垂れたヒモが落下して女体に刺さったようなかっこうだ。これを、天から降ってくる“黒い雨”に打たれて倒れた人間と見るのはうがちすぎか。いずれにせよ、なにか恐ろしげな物語を可視化したようなインスタレーション。

2012/04/20(金)(村田真)

BEAT TAKESHI KITANO──絵描き小僧展

会期:2012/04/13~2012/09/02

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

2年前、パリのカルティエ現代美術財団で開かれ人気を集めたビートたけし=北野武の個展の帰国展。「ペンキ屋のせがれ」というたけしのアウトサイダーアートを思わせる絵画のほか、金魚の魚体にカバの頭部をつなげた異種交配のオブジェ、倒れて破損する縄文土器、絞首刑で死なない方法の図解、自動的に描けるポロック絵画など、一瞬のひらめきを深く考えずに立体化したような一発芸的作品ばかり。反射神経と瞬発力に特化しているという意味でこれは、アウトサイダーアートというよりストリートアートに近い。チラシには「アートって特別なものじゃなく、型にはまらず、気取らず、みんながすっと入っていきやすい、気軽なものであるべきだと思う」というたけしの言葉があるが、そんな「気軽なもの」だったら美術館は必要ないだろう。たしかにストリートアートに美術館は必要ない。今度はぜひ路上でカマしてほしい。

2012/04/20(金)(村田真)

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「復興─まちを再建するつながりの力─」展

会期:2012/03/20~2012/05/06

名古屋都市センター 11階 まちづくり広場[愛知県]

東日本大震災から1年後ということで企画されたもの。展示のヴォリュームや資料的な価値もあって、意欲的かつ大事な企画だが、展示のデザインがないのは残念だった。パネルによる研究発表のようになっている。むろん、ジャーナリスティックなものだけならそれでもよいかもしれないが、アート的な性格を伴う3.11メモリアルプロジェクトの瓦礫オブジェやアーキエイドの巡回も、この見せ方ではカッコ悪いし、あまり伝わらない。

2012/04/20(金)(五十嵐太郎)

齋藤さだむ「不在の光景」

会期:2012/04/03~2012/04/22

いわき市立美術館[福島県]

齋藤さだむが展覧会のリーフレットに寄せた「不在の光景」という文章で、こんなふうに書いている。
「写真とは、他の表現領域とは異なり、自分が生きている時間と空間のなかでの他者との一瞬の出会いである。そしてその偶然の出会いに気づき、意識することで他者はこちら側に滲入し、それによって出会いの一方の主体である自分自身を超えて何かが立ち現れてくることがあるのが、写真なのではないか」。
齋藤がここで書いている、「出会い」「滲入」そして何ものかの「立ち現れ」といった事態は、たしかに写真を撮るときに常に経験することであり、あらゆる写真に分有されているのではないかと思う。だが、そのような自己と他者との相互関係、相互浸透が、とりわけ研ぎ澄まされた、鋭角的な形で現れてくる状況があるのではないだろうか。齋藤が、今回の個展で展示した東日本大震災の被災地の光景などには、まさに写真特有の表現のあり方がくっきりと露呈しているように見える。
齋藤の撮影のスタイルは、これまでも自然と人工物の境界の領域に向き合い続けてきた技術と経験の蓄積を踏まえた、きわめて正統的な「風景写真」のそれである。だが、目の前の日常と非日常とが逆転した光景を、ひとまずは正確に写しとりながら、彼はやはりその先にある「何か」を無意識のアンテナで探り当てようと試みているように思える。いうまでもなく、それこそが「不在の光景」である。齋藤の写真を見る者は、そこに広がる胸を抉るような痛みをともなう眺めの彼方に、やはり自分にとっての「不在の光景」を立ち上げていきたいという衝動に駆られるのではないだろうか。
なお、同美術館では「光あれ! 河口龍夫─3.11以後の世界から」展が併催されていた。現代美術作家が、渾身の力で「3.11以後の世界」を再構築しようとした素晴らしい作品群だ。

2012/04/21(土)(飯沢耕太郎)

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