2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2012年07月15日号のレビュー/プレビュー

横須賀功光 展

会期:2012/05/16~2012/07/21

エモン・フォトギャラリー[東京都]

横須賀功光(よこすか・のりあき)が2003年に亡くなってから、もう10年近くになる。彼は1937年の生まれだが、同世代の森山大道、中平卓馬、荒木経惟らが元気に仕事を続けているのと比較すると、60歳代の死去はやはり早すぎたという思いが拭えない。その意味で今回の展覧会のように、彼の1970~80年代の代表作をあらためて見直す機会を持つのはとてもいいことだと思う。こんな写真家がいたということを、記憶にも記録にも留めておきたいからだ。
今回の展示作品は「壁」(1972年)と「光銀事件」(1989年)の2つのシリーズ。特に裸体の男女がコンクリートの壁の前でパフォーマンスを繰り広げる「壁」は、あらためて見て、ぴんと張りつめた緊張感が漂ういい作品だと思った。この頃の横須賀は、広告・ファッションの世界で次々とヒット作を連発する人気写真家だったが、一方でこの「壁」のように、卓越したテクニックを駆使して人間の身体の極限状況を定着するようなプライヴェート・ワークにも果敢に取り組んでいた。このシリーズはニコンサロンでの個展「壁があった」で最初に発表され、「岩」「射」「城」「亜」など他の漢字一文字のタイトルを持つ作品とともに、山岸章二編集の写真集『射』(「映像の現代9」中央公論社、1972)におさめられる。今回は1500×1500ミリの大プリントに引き伸ばされて展示されていたが、そのことによって彼の緊密な画面構成と的確な演出力がよりくっきりと表われてきているように感じた。
1980年代の「光銀事件」になると、その緊張感はやや弛み、画面全体にふわふわと漂うような浮遊感が生じてきている。ソラリゼーションの効果を巧みに活かしながら、洗練されたエロティシズムの世界が織り上げられていくのだ。どちらを評価するかは好みが分かれそうだが、僕は「壁」の荒々しい実験意識により共感を覚えた。そこには同時代の森山大道や中平卓馬の「アレ・ブレ・ボケ」の写真に通じる、ざらついた空気感が漂っている。

2012/06/01(金)(飯沢耕太郎)

TRACK──西野達《ホテル ゲント》ほか

会期:2012/05/12~2012/09/16

シタデル公園周辺、ゲント大学周辺、旧市街中心部、トルハウス、マチャリハウス、ガスメーター・サイト[ベルギー・ゲント]

ゲントへ。駅を出て振り返ると、時計塔が仮設構築物で囲まれ、宿泊可能なホテルになっている。これはTRACKの最大の目玉になっている、西野達の作品だ。彼らしく、都市でもっとも目立つランドマークを巧みに使っている。TRACKは、1カ所だけを会場としたマニフェスト9とは対照的に、街なか展開のアートプロジェクトだ。ほかにも集合住宅のユニットを縮小コピーした家をツリーハウスにしたり、教会内部に作品を設置したり、歴史のある空き家を不気味な空間に変えるマーク・マンダースのインスタレーションなど、さまざまな作品がある。現在は公園内の駅舎を再利用したS.M.A.Kが拠点になっているが、箱が先にあって街なか展開ではなく、むしろ順番が逆だという。

写真:上・中=西野達《ホテル ゲント》、下=ベンジャミン・ヴァードンクによるツリーハウス

2012/06/01(金)(五十嵐太郎)

写真の現在4 そのときの光、そのさきの風

会期:2012/06/01~2012/07/29

東京国立近代美術館 ギャラリー4[東京都]

案内状などで展覧会の出品者の顔ぶれを見て、これくらいの展示だろうと値踏みをする。その予想はあまり外れないのだが、この展覧会は違っていた。どちらかといえば地味な作品を発現する写真家が多いし、展示そのものもたしかに派手ではないのだが、いぶし銀の輝きを発する充実した内容だったのだ。おそらく有元伸也、本山周平、中村綾緒、村越としや、新井卓という5人の写真家たちの作品世界が、共鳴しつつ、互いに相乗効果を発揮して絶妙のアンサンブルを奏でたということだろう。
展示のポイントは2つある。ひとつは新井を除いた4人が、いわゆる自主運営ギャラリーを拠点として写真作家としての活動を開始し、現在でもそれを継続している者が多いということだ。有元は四谷でTOTEM POLE GALLERYを運営し、本山と中村は新宿のphotographers' galleryのメンバーだった。そして村越は2009年、清澄白河にTAPギャラリーを立ち上げ、現在もそこで精力的に作品を発表している。新井のみが自主運営ギャラリーとは直接かかわりがないが、彼のダゲレオタイプという19世紀の古典技法への強いこだわりをみると、自分たちの独立した場を確保して展示活動を行なうという自主運営ギャラリーの精神を共有しているようにも思えてくる。
もうひとつは、出品作家が展示作品を制作、あるいは決定していった時期が、ちょうど「3.11」と重なりあっていたということだ。村越は福島県須賀川市の出身であり、中村は仙台に実家がある。新井卓の近作の大判ダゲレオタイプ作品は、東北の太平洋沿岸の被災地で撮影されたものだ。有元や本山も、震災を契機に自らの写真のスタイルを見直し、変えていこうとしている。この2つの要素がうまく絡み合い、写真家たちが覚悟を決めて展覧会に臨んだことが、緊張度の高い展示を実現できた最大の理由だろう。どの写真家の展示もベスト・パフォーマンスといってよい出来栄えだったが、特に本山周平が沖縄中城城跡公園で撮影した200カットを撮影順に展示した、「世界I」(2005年)の突き抜けたインスタレーションが印象に残った。

2012/06/02(土)(飯沢耕太郎)

タムトリ展「未来ちゃんの未来」

会期:2012/06/01~2012/06/24

blind gallery[東京都]

なかなか面白いアイディアの企画展だ。昨年出版されて、写真集としては異例の大ヒットになった川島小鳥の『未来ちゃん』(ナナロク社)。そこに掲載されている佐渡島在住の女の子「未来ちゃん」の写真に触発されて、タイ・バンコク在住の漫画家、アニメーター、タムくんことウィスットポンニミットが、イラストを書き下ろした。タムくんの原画と、その発想の元になった川島の写真を並べて展示してある。
写真と漫画という組み合わせが、ありそうであまりないことに加えて、二人の作品の関係が絶妙で、見ていてとても楽しい。写真の場面をそのまま再現するのではなく、「未来ちゃん」は少し成長して少女になり、SF的な設定の下にいろいろな冒険を繰り広げる。タムくんの、のんびり、ほんわかとした画風が、川島の写真の世界をうまく引き継いで増幅させている。こういう企画は、もっと続いていくといいと思う。つまり、今度は川島が「未来ちゃんの未来」の姿を撮影して、タムくんのイラストをさらに発展させていくのだ。
また、他の写真家と漫画家同士の組み合わせというのも考えられそうだ。たとえば、荒木経惟の『センチメンタルな旅』や『愛しのチロ』だったら、漫画家は誰がいいだろうかなどとつい考えてしまった。

2012/06/02(土)(飯沢耕太郎)

第7回ベルリン・ビエンナーレ

会期:2012/04/27~2012/06/01

KW Institute for Contemporary Art[ドイツ・ベルリン]

政治色を強く打ち出した過激な内容で話題になったのが、ベルリン・ビエンナーレである。メイン会場のエントランスには、ここはミュージアムではなく、活動の場なのだと書かれており、あちこちにアジテーションのチラシが貼られ、絶えず討議が行なわれていた。学生運動が盛んだった頃の大学のキャンパスのような雰囲気であり、個人的には駒場寮の空間が思い出される。次のビエンナーレのディレクターは動物にやらせろ、といった落書きで埋め尽された元教会の会場も強烈だった。巨大画面に投影された妊娠から出産までのジョアンナ・ラジコフスカによる映像作品《born in berlin》は、ただのプライベートな出産ビデオのようでもあり、これもアートか? という古典的な問いを発する。もっとも印象的だったのが、道路を黒い壁で遮断した作品だ。本当によく実現させたと感心したのだが、車の交通を止め、しかも街の階層の差も可視化している。その結果、この壁はまわりの憎悪を引き受け、落書きだらけになっていた。実際、この作品は広く物議をかもし、近くの商店の売上げも落ちたことから、会期の終了を待たずに撤去される。だが、与えられたハコの中で60年代の熱気を再現したような他の作品や活動に比べて、社会と直接的に向きあい、破壊されたという点において黒い壁の試みを評価したい。ベルリン・ビエンナーレのキュレーターであり、美術家のアルチュール・ジミエフスキーと面会する機会を得たが、アートはツールだと言い切っていた。

写真:上=落書きだらけの教会、下=道路を遮断した黒い壁

2012/06/02(土)(五十嵐太郎)

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