artscapeレビュー

2012年09月01日号のレビュー/プレビュー

新世代への視点2012

会期:2012/07/23~2012/08/04

ギャラリーなつか[東京都]

毎年夏、銀座・京橋の貸画廊が合同で企画している展覧会。12回目を迎えた。各画廊が推薦する40歳以下の新鋭作家による個展を同時期に催したが、とりわけ特定のテーマを設定しているわけではないにせよ、今回は全体的に見応えがあった。具象絵画では、安部公房の世界を彷彿させる杉浦晶(ギャラリーなつか)や日本画の手法によってロック少女を描く永井優(ギャラリーQ)、深い青を基調に夢幻的な光景を描く高井史子(gallery 21yo-j)、背景の墨絵の上に切り絵を重ねることでポップな図像を浮かび上がらせた劉賢(ギャラリイK)。抽象画では、色彩の自動運動により画面を構築する杉浦大和(なびす画廊)やさまざまな色合いの紙テープを同心円状に果てしなく巻きつけた内山聡(ギャラリー現)、ボールペンの緻密な描きこみを続ける大森愛(ギャラリー川船)。そして立体では、朴訥としながらもどこかで奇妙なおかしさを感じさせる木彫の長尾恵那(GALERIE SOL)やケント紙だけで精巧なオブジェを組み立てる伊藤航(ギャラリー58)、人間と動物を融合させたテラコッタによって人間社会を風刺した友成哲郎(ギャルリー東京ユマニテ)。とりわけ注目したのが、版画の原版と、それを転写した和紙をセットにして見せた本橋大介(藍画廊)と、日常の凡庸な不要物を構築した小栗沙弥子(コバヤシ画廊)。本橋は転写という版画のもっとも基本的な機能に依拠しつつも、それにとどまらず、原版をあわせて展示することによって、そこに時間性を巧みに導入した。版画はえてして無限反復という無時間性に陥りがちだが、本橋はそれを有時間性に落とし込むことによって逆に版画の可能性を切り開いた。レシートや領収証、紙袋などを構築した小栗のインスタレーションは、日常的な廃物利用という点ではいかにも今日的だが、小栗の真骨頂はむしろ小作品にある。ガムの包装紙だけを集積した小さな絵画は、その銀色が意外なほど美しい。文房具売り場に常設してある試し書きのためのメモ用紙をかき集め、そこに残された走り書きだけで画面を構成した作品もおもしろい。こうした作品がいずれも小栗の外部の他者に由来していることを考えると、おそらく小栗は描く主体をできるだけ放棄しながらも、それでもなお描くことが可能かと自問自答することに挑戦しているように思われた。

2012/07/28(土)(福住廉)

脱原発国会大包囲デモ

会期:2012/07/29

国会議事堂周辺[東京都]

国会議事堂を包囲した脱原発デモ。推定で20万人ほどが参加した。とりわけ国会議事堂の正面の車道には、文字どおり身動きが取れないほどの人が集まった。多くの参加者が懐中電灯やペンライトを持ち寄ったため、群集のなかにはおびただしい数の灯りが点滅していたが、その光は原発の危険性に恐怖や不安を抱く人びとの表われだった。だが、これまでのデモと同じように、このほかにもデモの随所ではさまざまなパフォーマンスが繰り広げられた。今回初めて見たのは、発泡スチロールを組み立てた神輿のパフォーマンス。表面の水色の模様から察すると、どうやらフクイチを模しているらしい。しかも一面はその模様によって野田首相の顔を描いているようだ。若者たちがこの神輿を路面に置くと、子どもたちが勢いよく破壊し始め、神輿はあっという間に骨組みだけになってしまった。爆発事故を再現しているのかと思ったら、それだけではなかった。あたり一面に飛び散った発泡スチロールの残骸を、周囲の野次馬たちが拾い集め、きれいに掃除したのだ。どこかから「政府はこれくらいちゃんと除染しろ!」と野次が飛ぶ。たしかに、そうだろう。だが、これは原発の爆発事故から除染作業までの過程を再現したパフォーマンスではない。そうではなく、そのすべての過程に私たちを巻き込むことで、それが決して他人事ではなく、むしろ私たち自身の問題であることを明確に示してみせたのだ。

2012/07/29(日)(福住廉)

國府理「ここから 何処かへ」

会期:2012/07/28~2012/09/09

京都芸術センター[京都府]

南北2つの展示室を舞台に、2点の作品が出品された。南ギャラリーでは、電動の軽トラックが微速で直径約6メートルの円を描いており、周回の途中でヘッドライト部から映像が投影されていた。北ギャラリーの作品は、巨大なパラボラに土が敷き詰められ、シロツメクサの種がまかれている。天井の照明は建物屋上に設置された風力発電機(これも作品)と連動しており、風力による光でシロツメクサの発芽を助ける仕組みになっている。國府の作品は主に機械を用いており、メカへの憧れと現代文明への警鐘を同時に含む点に特徴がある。本展は後者に重きを置いているようだが、風力発電の光があまりにもか細い現実を前に、むしろエコ原理主義への皮肉ではないかと勘ぐったりもした。

2012/07/30(月)(小吹隆文)

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藤永覚耶 展「とどまり ゆらめく」

会期:2012/07/31~2012/08/12

Gallery PARC[京都府]

森の情景や、植物、昆虫などのモチーフを、独自の技法で描き出す藤永覚耶。彼はまず、対象をピンボケで写真撮影し、その画像をもとにアルコール染料インクで点描画を制作、最後に溶剤をかけて画面を溶かしてしまう。もともとぼんやりとしたイメージは一連の作業を経てさらに抽象化し、画面上を光の粒が絶えず流動しているかのような絵画が出来上がるのだ。藤永のテーマは「個人の先入観や価値観をぬぐい去った等価な世界に立ち戻るような感覚」を表現することだが、彼は確かにその瞬間を捉えつつあるのではなかろうか。

2012/07/31(火)(小吹隆文)

キリコ Viewing_02

会期:2012/08/01~2012/08/18

Port Gallery T[大阪府]

祇園の舞妓だった祖母のアルバムと、彼女へのインタビューをもとに制作した私家版『見世出し』。その素材として使用した写真や構想ノートを展示した。もちろん、肝心の私家版を読むこともできた。キリコ特有の私小説的な作風はこれまでと同様だが、対象が自分ではなく祖母になったことで、過去の作品とは少々ニュアンスが異なっていたのもまた事実。特に、祖母が語る舞妓時代の華麗なる人脈や武勇伝は痛快の極み。時代がかった写真とともに読み進むことで、波乱万丈の一代記が味わえた。本作を通じて、彼女は新しい引き出しをひとつ増やしたと言えよう。

2012/08/03(金)(小吹隆文)

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