artscapeレビュー

2012年10月15日号のレビュー/プレビュー

ビッグパレットふくしま

[福島県]

久しぶりに北川原温のビッグパレットふくしまを訪れる。改めてすごいスケールと迫力だ。十数年前とはいえ、まだ日本にお金があったと思わせる。さまざまな造形と構造と空間の試みを行なう。今はなかなかできない。羨ましくもある時代の産物だ。ここの展示ホールが3.11後の避難所になっていた状態を見ていないが(おそらく、今回もっとも天井が高い避難所になったいたと思われる)、近くに住宅展示場もあって対極的な環境といえよう。

2012/09/20(木)(五十嵐太郎)

Work in progress 2012

会期:2012/09/14~2012/09/28

MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w[京都府]

京都精華大学大学院芸術研究科版画コースの有志(在学生や修了生)による展覧会。版画作品といっても、版という概念自体を広く、多義的にとらえるもので、会場にはいわゆるスタンダードな版画のイメージの作品から写真やコピー、絵画の手法を用いた作品まで、それぞれの解釈で制作されたさまざまな作品が展示されていた。出品者の人数も多かったのだが、あまりにも多様な表現内容で少し戸惑った。版画という表現の広い解釈の可能性には面白さも感じるのだが、その分、なにが版画や版なのか、作家のこだわりやねらいはどこにあるのか理解し難いものもある。展示を見ただけではやや消化不良の思いもしたのだが、それが少しスッキリしていくようだったのが、その直後に会場で開催されたアートライターの小吹隆文さんとギャラリーオーナーの松尾惠さんによるトークイベント。その場にいたのはほとんどが今展に出品していた学生だったと思われるが、「版」という概念の指摘も踏まえたうえで各出品作家の表現の個性や魅力が引き出されたトークは、工芸と美術、現在の表現やアートシーンにも触れる幅広い内容でたいへん興味深く、なによりもこれから独自の世界を目指す(だろう)若い作家達への温かい眼差しがいっぱいに感じられるもので打たれるような思い。ここにいた学生たちが羨ましいほどだった。

2012/09/21(金)(酒井千穂)

グラインダーマン『bow-wow』

会期:2012/09/20~2012/09/23

象の鼻テラス/パーク[神奈川県]

グラインダーマンといえば、その名のとおりグラインダーをギュンギュン回して火花を散らせるちょっとアブないパフォーマンス集団だと思っていたら、ずいぶん変わったようだ。パフォーマンスは象の鼻テラスの屋外から始まるのだが、観客はまず初めに「空気を読んで行動するように」との指導を受け、パフォーマーが右に走っていけば観客も追いかけていき、パフォーマーに引っぱり出されれば黙って従うことになる。パフォーマーたちは忙しくテラスの内外を出たり入ったりするのだが、その動きは集団として統制はとれているもののダンスほど訓練されているわけでもなく、自由さも感じられない。いったいこれはダンスなのかパフォーマンスなのか、つまるところなにがやりたいのかいまひとつ伝わらず、中途半端感は否めない。グラインダーの一芸だけでは発展性がないかもしれないが、しかしグラインダーを取ったらタダの人(マン)ではシャレにならない。

2012/09/21(金)(村田真)

川田喜久治「2011-phenomena」

会期:2012/09/04~2012/10/31

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

1959年に東松照明、奈良原一高、川田喜久治、細江英公、佐藤明、丹野章によって結成された写真家グループ、VIVOは、日本の写真表現の歴史に偉大な足跡を刻みつけた。個々の映像表現のクオリティの高さはもちろんだが、日本の写真家たちの質の高い仕事を、国際的に認知させたという功績も大きい。だが、メンバーの年齢も今や80歳を超え、コンスタントに活動を展開しているのは東松、川田、細江の3人だけになった。そのなかでも最も意欲的な「現役の」写真家といえば、川田喜久治ということになるだろう。
昨年の「3.11」は、川田にも大きな衝撃をもたらしたようだ。展示されているのは、必ずしも2011年に撮影された写真だけではない。だが、「あの大震災に続く原発放射能の拡散」が、今回の「2011-phenomena」シリーズの引き金となり、彼の創作意欲にさらなる昂進をもたらしたことは間違いない。時代の底に潜む不安をスナップ的な写真を通してあぶり出していくことは、1970年代の連作「ロス・カプリチョス」以来の川田のメインテーマのひとつだが、それが「2011-phenomena」では、さらに強烈な毒々しい色彩をともなってエスカレートしている。特に目立っていたのは、テレビの画面や写真を複写し、モンタージュを繰り返してつくり上げていった作品群である。オバマ大統領、ビン・ラディン、ヒラリー・クリントンらの顔が引き裂かれ、変型しつつ増殖していく。日常のなかに潜む悪夢をキャッチする彼のアンテナの精度が、まったく衰えていないことがよくわかる。
宮城県山元町の沿岸部を襲った津波によって流出した写真を展示する「Lost & Found Project」に触発された一連の作品も興味深い。そのなかの母親と子どもが写っている記念写真に、川田は激しく揺り動かされ、「具象と抽象の間で新しいイメージを見せている」と感じた。その褪色し、なかば消失しかけた親子のイメージを引用した作品には、彼なりの「再生」のメッセージが託されているのではないかと思う。

2012/09/21(金)(飯沢耕太郎)

榎倉康二「記写」

会期:2012/09/04~2012/09/29

タカ・イシイギャラリー[東京都]

日本を代現する現代美術家のひとりだった榎倉康二は、写真に強い関心を抱き続けていた。彼は東京藝術大学写真センターの創設者であり、初代のセンター長をつとめた。1994年には齋藤記念川口現代美術館で「榎倉康二・写真のしごと 1972-1994」展も開催している。だが、今回タカ・イシイギャラリーで展示されたのは、「写真のしごと」、つまり作品として構想され制作されたのではなく、自作のインスタレーション作品のドキュメントとして撮影された写真群だ。1969年の椿近代画廊での個展「歩行儀式」から、1976年のときわ画廊での個展「不定領域」に至る展示の状況を、榎倉は自ら入念に撮影し、プリントしていた。そのなかには1971年の第7回パリ青年ビエンナーレ(同展には中平卓馬も参加していた)に出品した「湿質」「壁」のような、のちに彼の代表作と見なされるようになる作品の記録写真も多数含まれている。
彼はもちろんプロの写真家ではないから、技術的にはやや甘さがあるし、プリントも完成度の高いものではない。だが逆に、そこからは榎倉が写真に何を期待し、何を求めていたのかがいきいきと伝わってくる。作品を周囲の環境との相互関係のなかで捉えようとしていること、作品の質感やその周囲の光の状態への細やかな配慮、一枚の写真で完結させるのではなくシークエンス(連続場面)として提示していこうとする指向など、そこにはのちにくっきりと形をとってくる、「写真家」としての榎倉の特質がよくあらわれているのだ。残念なことに、榎倉は1995年に急逝してしまう。2000年代、つまりデジタル化以降に彼の写真がどんなふうに変わっていくのかを見届けたかったのだが、それは叶わなかった。

2012/09/21(金)(飯沢耕太郎)

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