2018年07月01日号
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artscapeレビュー

2012年11月01日号のレビュー/プレビュー

神戸アートマルシェ2012

会期:2012/09/28~2012/09/30

神戸メリケンパークオリエンタルホテル12階[兵庫県]

現在関西では毎年京阪神でアートフェアが開催されており、一見盛況を感じさせるものの供給過剰も囁かれている。「神戸アートマルシェ(以下、KAM)」は3つのフェアのなかで最も小規模だ。しかし、今年のKAMを観賞して、地方発の小規模アートフェアのサバイバルについて考えさせられた。KAMの選択は地元密着である。KAMでは画廊だけでなく、地元兵庫県の丹波焼の若手有志や神戸芸術工科大学の参加を受け入れている。また、販売の中心価格帯は10万円以下で、裕福なコレクターでなくても手の届く作品が多かった。主催者はKAMを、神戸に現代アートのマーケットをつくるための種まきと位置付けており、参加画廊も背伸びをしていない。この堅実な姿勢には好感が持てたし、他のアートフェア主催者にも参考になるのではないか。

2012/09/28(金)(小吹隆文)

リレートーク 50 years of galerie 16

会期:2012/09/25~2012/09/29

galerie 16[京都府]

今年で開廊50周年を迎えた同画廊が、5日間にわたるリレートークを行なった。内容は、1960年から2000年以降を10年区切りで1日ずつ振り返るというもの。オーナーと画廊スタッフ、司会進行役のほか、年代ごとに毎夜異なるゲストが複数名招かれた(筆者も2000年代のゲストとして参加)。平日夜の開催ゆえ動員を心配したが、いざ始まってみると会場は連日満杯で、毎回3時間以上もトークが繰り広げられる熱のこもった5日間となった。地元現代美術史に対する関心の高さを実感する一方、関西の現代美術画廊史の包括的なアーカイブ化が必要だと感じた。

2012/09/29(土)(小吹隆文)

横尾忠則 葬館@豊島へ

会期:2012/09/07~2012/10/08

SCAI THE BATHHOUSE[東京都]

アーティストにとって「老い」とは何なのだろうか。横尾忠則の同ギャラリーでの4年ぶりとなる個展を見て、思わず考えてしまった。なぜなら、横尾の新作には、以前にも増して、老いてなおますます盛んな創作意欲が明らかにみなぎっていたからだ。むろんY字路のシリーズに不穏な雰囲気がないわけではない。けれども描写された絵の根底には、それをはるかに凌駕して絵を描く喜びが充溢していた。展示されたすべての絵は、それぞれ巧妙に描き分けられている。ただ、その絵の向こう側には、嬉々として絵筆を振るう横尾の同じ姿がたしかに感じられるのだ。画家としての爛熟、いやいや、むしろ画狂と言うべきなのか。やがてどんな画境に到達するのか、今後がますます楽しみである。

2012/09/29(土)(福住廉)

人生、いろどり

会期:2012/09/15

シネスイッチ銀座[東京都]

「葉っぱ」で年商2億を成し遂げた実話をもとにした劇映画。徳島県上勝町を舞台に、おばあちゃんたちが自発的に新商売に踏み出した無謀な試みと挫折、そして成功の物語を描く。それぞれ性格の異なる役柄を演じた吉行和子と中尾ミエ、そしてとりわけ富司純子の演技がすばらしい。限界集落や老人といった現代社会の周縁が叛乱するという痛快な物語もおもしろい。
だが、この映画を凡百のサクセス・ストーリーから明確に一線を画しているのは、それが登場人物の内側に広がる陰を巧みに描写しているからだ。女社会に率先されることをよしとしない男社会の家父長的な面子、女社会のなかでも決して他人に明かせない恥の意識。心の奥底に本音を畳み込みながら、それぞれ男社会と女社会に帰属することで保たれる共同体の均衡。この映画の視点は、かねてから日本社会の秩序を再生産してきた自己の内部と外部に通底するこの「制度」を、外側から是非を問うのではなく、あくまでも内側から生環境として描くリアリズムに置かれている。
かたちこそ異なるとはいえ、都市社会における共同体の条件もこれとおおむね大差ないことを考えると、成功するにせよ失敗するにせよ、私たちが生きるうえで格闘しなければならないのは、他者を蹴落とすマネーゲームのルールなどではなく、みずからにまとわりつくこの暗い陰なのだ。その陰があってこそ、彩りが鮮やかに輝くことを描いた傑作である。

2012/10/01(月)(福住廉)

動く絵、描かれる時間:ファンタゴマスリア

会期:2012/09/28~2012/10/17

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

横浜市民ギャラリーの恒例企画展「ニューアート展NEXT」。今回は、映像表現をテーマに、金澤麻由子とSHIMURA brosがそれぞれ映像インスタレーションを展示した。とりわけ印象深かったのが、後者。いくつかのシリーズを発表したが、なかでも映像を物質化した作品が秀逸だった。
ブラックキューブに入ると壁面に一点の光が映っているが、それが何の図像なのかまったくわからない。プロジェクターから投射されていることはわかるが、音もないから映像作品なのかどうかすらおぼつかない。すると、突然機械音とともに会場の一角から煙が吹き出しはじめた。それとともに目の前の光点がしだいに縦に広がってゆき、やがて細い線となってはじめて気がついた。煙はプロジェクターから投射される光を物質として際立たせるための仕掛けであることを。
会場内に充満した煙は、暗闇では視認することができないが、光線の周囲を激しく揺れ動いているのがはっきりと見える。まるで一枚の帯のようだ。
しばらくして光線が左右にゆっくり動き出すと、その先にはいくつもの鏡面が設置されていたため、光線は会場内を乱反射し始め、光の帯は幾重にも重層化した。光に包まれる経験はとくに珍しくもないが、何本もの光の帯に身体を貫かれる経験はそうそうない。
光と闇で構成されている映像。映画では自明視されている大前提を、映画とは異なるかたちで浮き彫りにした、アートならではの作品である。しかも、それをこれほどシンプルに表現した作品はほかに知らない。「混浴温泉世界2012」でアン・ヴェロニカ・ヤンセンズが似たような作品を発表していたが、SHIMURA brosのほうが視覚的にもコンセプトの面でもすぐれていたように思う。

2012/10/03(水)(福住廉)

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