artscapeレビュー

2013年01月15日号のレビュー/プレビュー

坂野充学 個展 VISIBLE BRETH

会期:2012/10/14~2012/11/04

3331 Arts Chiyoda 1FメインギャラリーB[東京都]

映像作家の坂野充学による新作展。出身地の石川県白山市鶴来で4年間にわたるリサーチのうえ撮影した映像を、5面のスクリーンでそれぞれ同時に上映した。
映像は、民俗的な習俗や祭り、自然、文化、歴史をモチーフにした物語。役者による演技や、地元の民俗学研究者・村西博二による語りが、5つの時間軸でそれぞれ別々に、しかし時として交差しながら、進行していく。一つひとつのカットがじつに精緻で美しいため、写されている炎や水、風、緑や岩のイメージが脳内に次々と流入してくる感覚がおもしろい。
だからといってイメージだけが先行しているわけではなく、民俗的・歴史的な背景もたしかに伝わってくる。鉄の文化が大陸から伝わってきたとき、それを受け入れる土壌が整っていたことを、海岸の砂浜に鉄分が多く含まれていることから解き明かすなど、地理的な条件によって神話的な物語に十分な説得力を与えているのである。
場所の歴史を掘り起こすアート作品やアートプロジェクトは数多い。しかし、その深度を古代史や神話の水準まで到達させようとする作品は珍しい。東日本大震災によって現実社会の根拠が根底から覆されたいま、映像によって新たな神話的な物語を綴ろうとする坂野の作品は、ひじょうに大きなアクチュアリティーがある。

2012/11/02(金)(福住廉)

みちのく鬼めぐり

会期:2012/10/06~2012/12/02

東北歴史博物館[宮城県]

鬼についての展覧会。日本酒の「鬼ごろし」にはじまり、鬼の仮面、鬼を描いた錦絵、鬼にまつわる神社、地名、名所など、とにかく東北各地を中心に鬼のイメージを一挙に展示した。昨年、神奈川県立歴史博物館が「天狗」についての充実した展覧会を催したが、それに匹敵するほど見応えのある展覧会である。
鬼といえば、酒呑童子や邪鬼のように人間にとって邪悪な妖怪として理解されているが、本展に陳列された数々の鬼を見ると、必ずしも悪の存在とは限らないことがよくわかる。水不足に悩む村の上流でせき止められていた川の水を鬼が開通させたという伝説が残されているように、鬼はむしろ神に近い存在でもあった。つまり、鬼とは人間社会の周縁に広がる異界に住まう両義的な存在であり、そのことによってこの世の暮らしを合理的に機能させる神話的な存在でもあった。
かつて土門拳は、写真家の意図を超えた偶然性が写真に映りこむ事態を指して「鬼が手伝った」と言い表わした。このように鬼は神話的な存在として実在的に生きているというより、むしろ私たち自身が鬼を生かしながら私たちの暮らしをうまい具合に成立させているのである。山奥の空間的な周縁というより、日常生活の周縁のなかで生かしていると言ってもいい。
鬼が商品のなかに埋没しつつある現在、それを再び暮らしの周縁に取り出し、鬼をうまく生かす知恵を磨くことができれば、経済的な豊かさとは別の水準で、暮らしをより豊かにすることができるのではないだろうか。そのとき、アートはどんなかたちで関わることができるのか。

2012/11/16(金)(福住廉)

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混浴温泉世界2012

会期:2012/10/06~2012/12/02

別府市内各所[大分県]

大分県別府市で催されている国際展の2回目。「混浴」というフレーズに示されているように、現代アートをはじめ、ダンス、音楽、パフォーマンスなど、さまざまなジャンルをミックスした国際展で、温泉街や商店街、空き店舗、海岸の埠頭などに作品が展示された。
小沢剛が作品を展示したのは、別府のランドマークである「別府タワー」。もともと常設されている「アサヒビール」という電光掲示板の文字を任意に明滅させることで、「アサル(焼いた/スペイン語)」や「サール(公会堂の/フランス語)」など、世界各国の言語を次々と表示した。留学生をはじめ、多くの外国人が居住する別府の国際都市としての性格がよくわかる。その明滅にあわせながら単語を唄い上げた合唱団のパフォーマンスも、まるで別府タワーが擬人化されたようで、おもしろかった。
とりわけ印象に残ったのは、旧ストリップ劇場を舞台にした「永久別府劇場」。毎週末に大友良英や東野祥子など気鋭のアーティストが先鋭的なパフォーマンスを見せたが、ひときわ観客の度肝を抜いたのが、「The NOBEBO」による金粉ショー。全身に金粉を塗布した男女3人が、妖艶かつ恐ろしい身体表現を存分に見せつけた。皮膚呼吸が難しいからなのだろうか、身体からは尋常ではないほどの汗が滴り落ち、激しいアクションのたびに飛び散る汗に観客席は大きくどよめいた。ショーの斎藤さん「撮影タイム」が設けられていた点も、芸が細かい。
現代アートと大衆演芸の協演。そのような国際展がグローバルなコンテンポラリー・アートの規準から大きく逸脱していることは疑いない。けれども、逆に言えば、そのような特異な国際展だからこそ、凡庸なコンテンポラリー・アートには到底望めない魅力が生じていたこともまた事実である。日本という極東の島国で国際展を催す意義があるとすれば、それは本展や、越後妻有の「大地の芸術祭」のように、ローカリズムというより、もっと直接的にいえば「ガラパゴス化」を徹底的に追究するという方向の先にしかないのではないか。

2012/11/20(火)(福住廉)

TRANS ARTS TOKYO

会期:2012/10/21~2012/11/25

旧東京電機大学11号館[東京都]

取り壊しが決定している大学校舎を会場にした大々的な展覧会。地下から地上17階まで、6階をのぞくすべてのフロアで300名以上のアーティストが作品を展示した。学生や若手アーティストが大半だとはいえ、これだけ大規模に催された展覧会は他に類例を見ない。すべて見るにはそうとうの時間と体力を要するほど、作品の数は、おびただしい。
展示された作品は、美術、建築、デザイン、ファッションなど多岐にわたっていたが、なかでも最も光っていたのは、14階。ディレクターの中村奈央が、13人のアーティストの作品を縦横無尽に展示した。建物の構造上、どの階も同じような展示空間にしがちだが、中村は教室から廊下、トイレまで14階の空間を余すことなく使い切ったところがすばらしい。壁面の一部に穴を開けて作品を見せたり(臼田知菜美)、経団連のビルが望める窓に「無職」と達筆で書いたり(キュンチョメ)、廊下の全面にスプレーで名前を書かせて芳名帳としたり(キュンチョメ)、破壊されることを前提とした空間の使い方が、他の階とは比較にならないほど、抜群にうまいのである。
若手アーティストの作品が一同に会した意義は大きい。しかし、それと同時に、それらをオーガナイズしたディレクターやコーディネーターの才覚も評価すべきではないだろうか。

2012/11/22(木)(福住廉)

さわひらき

会期:2012/10/23~2012/11/24

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

近年めざましい活躍を見せているさわひらきの大々的な個展。神奈川県民ホールの展示空間をすべて使った大規模な展示で期待が高まったが、いまいち消化不良の感が否めなかった。それは、おそらく地下一階の大空間に展示された映像インスタレーションが、どうにもちぐはぐな印象を残していたからだ。空間の容量に対して映像のサイズがあまりにも小さかったからなのか、あるいは映像を投射する壁面の配置が中途半端だったからなのか。いずれにせよ、さわひらきの映像の夢幻性が十分に伝わらなかったように思われる。資生堂ギャラリー(「Lineament」2012)や水戸芸術館現代美術ギャラリー(「リフレクション」2010)での展示がすばらしかっただけに、今回の展示は惜しい。

2012/11/23(金)(福住廉)

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2013年01月15日号の
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