artscapeレビュー

2013年04月15日号のレビュー/プレビュー

ラファエロ

会期:2013/03/02~2013/06/02

国立西洋美術館[東京都]

今年はレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロと3大巨匠展が続くが、その第1弾。しかし「レオナルド展」なら前に「ミラノ アンブロジアーナ図書館・絵画館所蔵」、後に「天才の肖像」、「ミケランジェロ展」なら前に「システィーナ礼拝堂500年祭記念」、後に「天才の軌跡」というサブタイトルがつくのに、ラファエロはまんま「ラファエロ」だけでサブタイトルなし、「展」すらつかない。つまり、ラファエロがどれだけエライ画家なのか、なぜいま日本で開かれるのかという「言い訳」がいっさいないのだ。よっぽど自信があるのか、それとも放棄しているのか。でも正直な話、レオナルドやミケランジェロみたいな規格外の天才に比べれば、エリートコースを歩んだラファエロは優等生的だし、描く絵も聖母子像をはじめおとなしい印象があって、インパクトに欠けるのは事実。美術史への貢献度でいえば両先輩に勝るとも劣らないのにね。出品作品は60点余りだが、ラファエロの作品はデッサンも含めて20点ほど。大半が小品なのはしかたないが、むしろよく20点も集まったもんだと感心する。いちばんの目玉は、いかにもラファエロらしい優しさにあふれた《大公の聖母》だが、逆に魅力なさそうな女を魅力なさそうに描いた《エリザベッタ・ゴンザーガの肖像》や《無口な女》は、いかにもラファエロらしくなくて捨てがたい。ラファエロ以外の約40点は、画家だった父ジョヴァンニ・サンティや師匠ペルジーノから、同世代の画家作品、工房作品、弟子のジュリオ・ロマーノ、ラファエロの原画を元にした版画や陶器まで幅広く集めている。とくにラファエロの《美しき女庭師》を立体化したジローラモ・デッラ・ロッビアによるテラコッタや、のちにマネが《草上の昼食》で引用することになるラファエロ原案のマルカントニオ・ライモンディによる版画《パリスの審判》などは、画像のフィギュア化という意味でも、あるいは2次創作・3次創作の古典的実例としても注目に値する。

2013/03/01(金)(村田真)

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HOUSE VISION 2013 TOKYO EXHIBITION

会期:2013/03/02~2013/03/024

お台場・青海駅前 特設会場[東京都]

お台場の特設会場に建てた七つのパビリオンを家に見立て、それぞれ建築家と企業が組んで、あるべき「暮らしのかたち」を提案しようというもの。展覧会ディレクターの原研哉によれば「美意識は日本の資源であり、家はその発露の場」だという。屋内に半屋外の土間や縁側を設定し、「懐かしい未来」の家を考えるLIXIL×伊東豊雄、電動二輪をはじめ室内に電気カーが入れるようシームレスにしたホンダ×藤本壮介、集合住宅のプライベートな専有面積を最小にして共有部分を大きくとる未来生活研究所×山本理顕ほか、木材を基点にシンプルな「数寄の家」を発想した住友林業×杉本博司、柱や壁の代わりに家具で家を支える無印良品×坂茂、トイレを中心に家を考えるTOTO・YKK AP×成瀬友梨・猪熊純、既存のマンションをスケルトンの状態に戻して住空間を組み立てていく蔦屋書店×東京R不動産と、七つのパビリオンはどれも大胆な発想ながら実現できなくもなさそうな提案ばかり。いくつかに共通しているのは、住空間の内と外やプライベートとパブリックの境界を曖昧にする方向性だ。なるほど、これからそういう方向に向かうとすれば、アートもそれなりに変わっていかなければな。

2013/03/01(金)(村田真)

三田村光土里「夜明けまえ」

会期:2013/02/16~2013/03/16

GALLERY TERRA TOKYO[東京都]

三田村光土里は内外のギャラリーや美術館で、記憶を喚起し、攪乱する写真の力を巧みに利用したインスタレーション作品を発表してきた。この「夜明けまえ」のシリーズは、2011年に制作され、水戸芸術館現代美術センターで開催された「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」展で発表された。ところが、東日本大震災のため、展示が数週間で中止になってしまった。その再編集版が今回の展覧会である。
イタリアの小都市、プラートの広場にあるバッキーノ(バッカスの子ども)の噴水彫刻。その愛らしくも哀しげな顔のあたりを、「夜明けまえ」の薄闇の中でクローズアップで撮影し続けた映像作品を中心に、本、鏡、靴、バッグ、砂時計などが、床に散乱している。壁には、やはり闇に半ば沈み込んだホテルの部屋などで撮影された、モノクロームの写真作品が並ぶ。全体は黒で統一され、サティのピアノ曲をアレンジした音楽が流れている。
ギャラリーの空間そのものが、三田村が自らの記憶を甦らせるための儀式的な祭壇のような場所に変質させられているといってもよい。そのもくろみは、かなりうまくいっているのではないだろうか。観客もこのインスタレーションに、自分たちの記憶を重ね合わせることができそうだ。それは時に息苦しく、痛みをともなうものだが、どこか甘美でエロティックな感情を呼び覚まされるような体験でもある。

2013/03/01(金)(飯沢耕太郎)

森山大道「写真よさようなら」

会期:2013/02/16~2013/03/16

Taka Ishii Gallery[東京都]

ロンドン、テート・モダンでのウィリアム・クラインとの二人展も無事終わり、森山大道の仕事はさらに大きな広がりを持ち始めている。今回のTaka Ishii Galleryでの個展では、もはや伝説といってよい1972年の写真集『写真よさようなら』(写真評論社)の収録作から10点を展示していた。
『写真よさようなら』は、ある意味で森山の転機となった写真集で、全編「アレ・ブレ・ボケ」の極致と言うべき写真群で構成され、ラディカルな実験意識に貫かれていた(巻末に中平卓馬との対談「8月2日 山の上ホテル」をおさめる)。ところが、この写真集へのネガティブな反応が引き金となって、森山は長期にわたる「大スランプ」に陥ってしまう。1981年に『写真時代』に連載した「光と影」のシリーズで再起するまで、10年近くの苦闘が必要だった。今回あらためて見ても、苛立たしげな身振りで事物の表層を「擦過」していく森山の視線のあり方が、緊張感を孕んで極限近くまで達しつつあったことがよくわかる。唇、ジーンズ、自動車、印刷物の網目など、森山がそれ以後もずっと執着し続ける被写体が、確信犯的に選びとられているのも興味深い。
今回、もうひとつ注目すべきなのは、展示されているプリントが印画紙に引き伸ばされているのではなく、シルクスクリーンで刷られていることだ。森山は1970年代からシルクスクリーンの質感と表現力に着目し、実際に作品も発表してきた。印刷の網点でも印画紙の諧調でもない、シルクスクリーンに特有のぬめりを帯びた灰色~黒のトーンは、とても面白い効果をもたらしている。あの『写真よさようなら』が、新たな生命を得て甦ったと言えそうだ。

2013/03/01(金)(飯沢耕太郎)

空を拓く~建築家・郭茂林という男

会期:2013/02/02~2013/03/15

渋谷ユーロスペース

僕も協力でクレジットされたドキュメンタリー映画『空を拓く』を見る。霞ヶ関ビルや新宿副都心、台北の高層建築をとりまとめた台湾出身の建築家、郭茂林の生涯を追いかけたものである。彼は日本統治時代の台湾で末っ子として生まれ、普通の学校から東大助手を経て、日本の高度経済成長に伴い、人のネットワークを生かし、大型プロジェクトのフィクサーとして頭角を現わす。特に前半は、人を成長させていく、教育の力を思い知らされる。映画では、台湾の建築批評家、謝宗哲さんもコメントしていた。

2013/03/01(金)(五十嵐太郎)

2013年04月15日号の
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