2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

2013年08月15日号のレビュー/プレビュー

アンドレアス・グルスキー展

会期:2013/07/03~2013/09/16

国立新美術館[東京都]

グルスキーはドイツ写真の代表的アーティストで、80年代にベルント&ヒラ・ベッヒャーの下に学んだいわゆるベッヒャー・シューレのひとり。基本的に同じような要素(人、窓、商品、記号など)が無数に凝集した全焦点的な風景写真で知られる。風景写真といっても現実の風景ではなく、精巧にデジタル加工した人工的な視覚世界だ。その構築的な画面構成から彼の写真はしばしば絵画にたとえられる。たしかにオールオーバーな巨大画面は抽象表現主義を思わせるし、現代社会の一面をモチーフとしている点はポップアートを、無機質な繰り返しはミニマルアートを想起させずにはおかない。ジャクソン・ポロックの《ワン:ナンバー31》を撮った《無題VI》などは、自己言及的なコンセプチュアルアートだ。もちろんこの《無題VI》に明らかなように、絵画に比べれば物質性が希薄で、ふつうのストレート写真よりさらに透明度が高く、いってみれば表面しかない。それゆえに、大勢の人がうごめく職場を撮っても、大量の商品が並ぶマーケットを撮っても、はるか向こうまで続くゴミ捨て場を撮っても、それらの光景はシリアスな社会批判にはなりえず、どこか表層的でマンガチックで、笑いすら誘うのだ。ひとつ不思議に思ったのは、彼の作品は基本的に大型(2×3メートル程度)だが、展示ではときおり小さなサイズの作品(40×60センチ程度)が差し挟まれていること。カタログではすべてがほぼ同じ大きさに掲載されており、写された内容からサイズが決められたとも思えないのだ。ではなにがサイズを決めたんだろう。

2013/07/02(火)(村田真)

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アンドレアス・グルスキー展

会期:2013/07/03~2013/09/16

国立新美術館 企画展示室1E[東京都]

アンドレアス・グルスキーの日本における最初の本格的な展覧会である。オープニング・レセプションの会場は人であふれていて、写真・美術関係者の関心の高さがうかがえた。作品を見終えた後だったので、その群衆をやや上から撮影すれば、まさに会場に展示された写真のように見えるとつい考えてしまった。つまり彼の作品には、われわれの物の見方を変えてしまうような力が確かに備わっているということだろう。
言うまでもなく、形式、内容、手法において、グルスキーが1980年代から発表してきた作品群は現代写真の極限値を指し示すものと言える。形式という点においては、まず「大きさ」に圧倒される。縦横2~3メートル以上の「ビック・ピクチャー」がずらりと並ぶ会場は壮観であり、写真を見るという視覚的な体験のあり方を大きく更新した展示と言えるだろう。内容的には、彼自身の個人的な体験(「ガスレンジ」1980)から出発して、視覚的なスペクタクルを味わわせてくれる巨大建築物や大群衆(「パリ、モンパルナス」1993、「シカゴ商品取引所」1999)へ、さらに人間の視覚さえ逸脱してしまうイメージ(「オーシャン」2010)へと至る展開がめざましい。むろん、彼が1990年代以来、作品にデジタル的な画像処理を積極的に取り入れていることも、見逃せないポイントだろう。
グルスキーの作品は、現代美術の領域で高く評価されているが、今回あらためて代表作65点の展示を見て、彼はとてもいいドキュメンタリー写真家だと思った。その時代においてどのような出来事がどう起こっているかを、写真家の視点から再構築していくのがドキュメンタリー写真であり、必ずしも客観的な事実を再現・伝達するものではない。その意味で、グルスキーはアナログからデジタルへ、印刷媒体から美術館のようなスペースへと居場所を変えていった写真というメディアを、的確なやり方で使いこなしてきたドキュメンタリストであると言える。ただし、彼のような巨視的な見方のみが、現代社会に肉迫するドキュメンタリーの方法であるとは思えない。逆にごく微視的な対象とチープな見かけに、徹底してこだわり続けるのもありではないだろうか。

2013/07/02(火)(飯沢耕太郎)

メラニー・プーレン「High Fashion Crime Scenes」

会期:2013/07/01~2013/08/03

ヴァニラ画廊[東京都]

耽美・エロティシズム系の写真やイラストを展示してきた東京・銀座のヴァニラ画廊が、新橋寄りに移転して、今回のメラニー・プーレン展で本格的に活動を再開した(ブックショップも併設)。以前よりも大きなスペースなので、さらに意欲的な展示が期待できそうだ。
メラニー・プーレンは1975年生まれ、アメリカ・ニューヨーク出身の女性写真家。2005年にNazraeli Pressから写真集として刊行された『High Fashion Crime Scenes』は彼女の代表作で、きらびやかなハイ・ファッションを身に纏った女性たちが、さまざまな状況で「死んでいる」様子を撮影したシリーズだ。それぞれのシーンの設定には、ニューヨーク及びロサンゼルス市警の犯行現場写真ファイルを参考にしているという。似たような趣向の写真シリーズとしてすぐに思い浮かぶのは、伊島薫が1990年代から撮影し続けている「死体のある風景」である。伊島もまたファッション写真から出発した写真家なので、どうしても同じような場面設定になってしまう。プーレンはおそらく伊島の写真を知らなかったのではないだろうか。モードやファッションに対する意識を極度に洗練させていくと、否応なしに「死」のイメージを呼び寄せてしまうというメカニズムが働いているようにも思える。
プーレンは、「死体のある風景」を緊密にセッティングして撮影する伊島とは違って、より偶発的なスナップショットのように撮影している。またあえて死者たちの顔や身体の一部をカットして、それがどんな場面なのかを観客の想像力にゆだねることもある。個人的には、樽からハイヒールを履いた脚がぬっと突き出ている「樽女」の写真が好きだ。こういうエロティシズムとブラック・ユーモアの融合は、伊島にはないものだろう。

2013/07/02(火)(飯沢耕太郎)

元田久治「東京」

会期:2013/06/21~2013/07/14

アートフロントギャラリー[東京都]

元田は世界の有名建築を廃墟として描いてきたが、今回は東京の廃墟図をリトグラフによって発表している。東京駅、東京タワー、銀座4丁目、浅草雷門、新宿歌舞伎町、国会議事堂、東京ディズニーランド……、東京人ならだれもが知ってる風景が、あわれ廃墟と化しているのだ。よく見るといろいろ発見があって楽しい。東京駅は戦後すっかりなじんだ駅舎ではなく、復元したばかりの建物が廃墟化されていること。東京スカイツリーにはツタが絡まり、六本木ヒルズの森タワー屋上は箱庭になってスケール感を混乱させていること。崩れかけた二重橋はあるけど、廃墟となった御所や宮殿はないこと。絶妙なのは、自由の女神像。一見ニューヨークかと思ったら、背後に大きな橋と東京タワーが見えるのでお台場のレプリカとわかる。しかも橋やタワーは破損しているのに、この像はブロンズ製でサイズが小さいせいかまったく傷ついてない。芸が細かいのだ。「江戸名所図絵」ならぬ「東京廃墟図絵」。

2013/07/03(水)(村田真)

プーシキン美術館展 フランス絵画300年

会期:2013/07/06~2013/09/16

横浜美術館[神奈川県]

2年前に予定されていながら、東日本大震災(原発事故)のため延期とされていたプーシキン美術館展。さすがロシア、原発事故の怖さをよく知っていたようだ。展示は旧約聖書を題材としたニコラ・プッサンの古典的な歴史画に始まり、クロード・ロランの理想的風景画、シャルル・ル・ブランの《モリエールの肖像》、ギリシャ建築とピラミッドを隣り合わせに描いたユベール・ロベールの廃墟画、楽器と性愛を結びつけたルイ・レオポルド・ボワイーの恋愛画など、古典主義やロココの佳作が続く。とりわけブーシェのエロっぽい《ユピテルとカリスト》など、つい最近完成しましたみたいに色彩がみずみずしいので不思議に思ったら、画面にガラスを入れてないのだ。ところが、印象派をはじめとする19世紀以降の作品の多くにはガラスが入っていて、それ以前の作品より原色が多いはずなのにみずみずしさに欠けるように感じた。ガラス越しと生で見るのとこれほど見映えが違うとは驚き。ともあれ、19世紀以降も見どころは少なくない。印象派とほぼ同世代のルイジ・ロワールはイラストレーターとして知られていたらしいが、初耳。雨上がりの風景をとらえた巧みな表現はカイユボットに匹敵する。セザンヌの《パイプをくわえた男》はフォルムもプロポーションも常識破りだし、ゴッホの《医師レーの肖像》はアールブリュットの先駆ともいうべき色づかいだ。なるほど、彼らが20世紀絵画を先導したというのもうなずける。最後のほうにあったキスリングの《少女の顔》は、額縁が破損しているのでいかにもロシアらしいと思ったが、カタログを見るとこの作品、画家から寄贈される際に美術館が支払ったのは額縁代だけだったそうだ。その記念としてそのまま残してあるのかも。

2013/07/05(金)(村田真)

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2013年08月15日号の
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