artscapeレビュー

2013年09月15日号のレビュー/プレビュー

畠山直哉「BLAST」

会期:2013/08/20~2013/09/07

Taka Ishii Gallery[東京都]

石灰岩採掘のための爆破現場をリモート・コントロールのカメラで撮影した「BLAST」シリーズは、畠山直哉にとって重要な意味を持つ作品である。同じく石灰岩の鉱山を撮影した「Lime Hills」をはじめとする彼の初期作品は、細部まで厳密に構築された画面構成に特徴があった。被写体を、その周辺の環境を含めてあたう限り精確に写しとっていくその手つきには揺るぎないものがあったと思う。ところが、1995年から開始されたこの「BLAST」のシリーズでは、写真家としてのコントロールが不可能な状況を相手にしなければならなかった。2,000トンを超えるという大岩が吹き飛ばされて宙を舞う爆破現場はあまりにも危険すぎて、自分の手でシャッターを切ることができないのだ。それゆえ、このシリーズでは、爆破の様子がどう写っているのかはフィルムを現像・プリントしてみなければわからない。このような不確定な状況に身を委ねざるを得ない撮影を経験したことで、揺らぎ、偶然性、無意識などを積極的に取り込んだ新たな撮影のシステムが模索されていくことになる。そのことが、畠山の作品世界を一回り大きなものにしていったのではないだろうか。
このシリーズを集大成した写真集『BLAST』(小学館)の刊行に合わせて開催された今回の個展では、これまでの展示とは違うタイプの作品が選ばれている。画面全体がブレていたり(地面を転がってきた岩が三脚に当たったのだという)、地平線や空の部分がなく、画面全体が「オールオーバー」に岩石のかけらに覆われたりしているような作品だ。全体として、さらに不確定性が増大しているように感じる。畠山自身が写真集の「ながいあとがき」で述べているように、故郷の陸前高田市の実家が「3.11」の大津波で流失したという出来事が、「BLAST」の全体を見直す契機になっているのは間違いないだろう。シリーズそのものにはとりあえずの区切りがついたようだが、写真を通じて自然と人間との関係を探求していく彼の営みは、今後も粘り強く続けられていくのだろう。

畠山直哉
「Blast #14117」2007年
ラムダプリント、100 x 150 cm
Courtesy of Taka Ishii Gallery

2013/08/24(土)(飯沢耕太郎)

わた死としてのキノコ 今村源/オディロン・ルドン 夢の起源

静岡市美術館[静岡県]

会期:
わた死としてのキノコ 今村源:2013/8/6~10/27
オディロン・ルドン 夢の起源:2013/6/29~8/25

静岡市美術館へ。今村源「わた死としてのキノコ」展は、エントランスの空間を思い切り使う気持ちのいいインスタレーションである。漫画『悪の華』でも頻出するルドンの展覧会は、岐阜県美術館のコレクションに、作家の地元ボルドー美術館からの出品を加え、ルドンという画家の個性がどう形成されたかを細かく検証する。

写真:わた死としてのキノコ会場風景

2013/08/24(土)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2013 モバイル・トリエンナーレ

会期:2013/08/23~2013/08/25

穂の国とよはし芸術劇場プラット[愛知県]

豊橋に移動し、モバイル・トリエンナーレの会場へ。駅と直結する新施設、穂の国とよはし芸術劇場プラットのさまざまな場所(小ホール、練習室、吹抜け、通路など)にあいちトリエンナーレのアーティストによる作品が散りばめられ、ひとめぐりすると、全体の空間もわかる。モバイル・トリエンナーレは、16人の作家が本展とは別の作品を展示し、さらに映像プログラムの一部もここで見せるプログラムである。想像以上のヴォリューム感だった。今後も知多、春日井、東栄町の三ヶ所で週末に開催される予定。

2013/08/24(土)(五十嵐太郎)

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井口雄介+松本玲子+椋本真理子 三人展

会期:2013/08/05~2013/08/25

ライズギャラリー[東京都]

1年にわたり2、3人の若手アーティストに絞って個展やグループ展を開いていく「クリエティビィティ・コンティニューズ2013-2014」の第1弾。今回は3人のグループ展で、井口雄介はシナベニヤ製のパラボラアンテナに、細かい計算式を書いた設計図とその青焼きを出品し、松本玲子は紙に水彩画、椋本真理子は水を「かたまり」として実感させる作品を展示している。いわば顔見世興行みたいなもんで、これから1年間どのように展開していくか楽しみだ。余談だが、学芸大学駅からギャラリーに向かう途中、世田谷通り沿いのダイエーの前に人垣ができていた。なんだろうと思って見てると向こうからオレンジ色の集団がやってくる。マラソンにしては遅いし、競歩にしても遅い。デモかとも思ったがなにも聞こえてこない。お、集団のなかに太った女の人が! そう、24時間マラソンでした。

2013/08/25(日)(村田真)

井上孝治「『音のない記憶』写真展」

会期:2013/08/20~2013/09/01

アートガレー[東京都]

井上孝治(1919~93)は1955年から福岡市でカメラ店を経営しながら撮影を続けた写真家。3歳のときに事故で聴覚を失うが、その聾唖のハンディゆえに逆に視覚世界に対して鋭敏な感覚を発揮するようになったのかもしれない。そのスナップショットの切れ味にはただならぬものがあり、被写体に対する素早く柔らかな眼差しの向け方は、多くの人たちを引きつけてやまない魅力を備えている。
1989年、福岡のデパート岩田屋の広告キャンペーンに写真が使われたのをきっかけにして、彼の写真の仕事が注目されるようになり、写真集『想い出の街』(河出書房新社、1989)が刊行されて大きな反響を呼んだ。また、井上の写真と人柄に魅せられたフリーライターの黒岩比佐子は、長期間にわたって取材を重ね、1999年に評伝『音のない記憶』(文藝春秋)を上梓する。これが、その後多くの力作評論を刊行し、2010年に惜しまれつつ亡くなった黒岩のデビュー作となった。今回の東京・神楽坂のアートガレーでの展覧会は、井上の代表作70点を黒岩の『音のない記憶』の記述と重ね合わせる構成になっていた。
あらためて井上の作品を見直すと、彼が写真を撮影することに注ぎ込んだ情熱とエネルギーの大きさに圧倒される思いを味わう。アマチュア写真家という範疇にはおさまりきれない写真家としての意欲が、ぴんと張りつめた画面にみなぎっているのだ。今回は福岡の自宅の周辺で撮影された路上スナップだけでなく、1959年の沖縄滞在時の写真や、1975年のヨーロッパ旅行のときの写真も併せて展示されていた。これらも含めて、テーマ別に井上の写真の世界を再構築してみるのも面白いかもしれない。

2013/08/25(日)(飯沢耕太郎)

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