artscapeレビュー

2013年12月01日号のレビュー/プレビュー

戦国アバンギャルドとその昇華──変わり兜×刀装具

会期:2013/11/02~2013/12/08

大阪歴史博物館[大阪府]

兜や刀、刀装具など約250点を紹介する展覧会。展示品は時代別に陳列されているが、時代を追ってその特徴を紹介するというより、タイトル通り変わった形(意匠、デザイン)のものを集めたユニークな企画だ。大きな角や羽などを飾った兜や、鉢自体を何かの形に作り込んだ兜など、着用する人を大きく見せたり、強く見せたりするための工夫が見て取れる。今日の私たちの感覚からするとその想像力や奇抜さに驚くばかりだ。一方、江戸時代になると戦のためではなく、工芸品として、時には所有者の社会的地位を表わすべく、技術や贅を尽くしたものが登場するが、これもまた見ていて楽しい。兜や刀の歴史的な意義や流れを探るだけではなく、デザインやアートとして楽しんでみるのもいいと思った。[金相美]


同展チラシより

2013/11/04(月)(SYNK)

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大島成己 新作展 緑の触覚─haptic green

会期:2013/11/02~2013/11/30

ギャラリーノマル[大阪府]

《haptic green》は、大島が2年前から取り組んでいる写真作品のシリーズで、非日常的な視覚体験をテーマにしている。森の風景を端から順に撮影し、数百枚の写真を合成したものだ。前回の個展では、焦点をひとつのレイヤーに集中させることで、特異な視覚体験を誘発させた。そして今回の新作は、画面内に幾つもの焦点を点在させたものだ。観客は、ありきたりな森の写真を前にして、眼と脳の反応が異なることに戸惑うだろう。そして作品を見続けるうち、自分が未知の視覚体験に誘われた事実に気付かされるのだ。本作にはもうひとつ興味深い特性がある。片目で見ると画面が3Dになるのだ。何とも不思議な作品である。

2013/11/07(木)(小吹隆文)

大宮エリー展──7年のOL時代と、7年間の今、

会期:2013/11/05~2013/12/20

dddギャラリー[大阪府]

小さな展示スペースは絵画や写真、インスタレーション作品に、映像作品の写真パネルですっかり埋めつくされていた。映画監督、CMやPVディレクター、演出家、脚本家、作家として活躍する大宮エリー(1975- )の展覧会のことだ。どこをどう見れば大宮という作家や作品のことがわかるのか戸惑いもあったが、これも、またこれも彼女の作品なんだという新しい発見のほうが大きく、楽しい時間だった。大宮は広告代理店勤務を経て独立し、映画『海でのはなし。』で監督デビューをして以来、さまざまな分野で活躍している、いわゆるマルチクリエイター。「仕事の依頼があるたびに、どうして私に、と、びくびくしながらも嬉しくなって勇気をだして引き受けていたら、こんなに色々な仕事にトライする人になってしまいました。(…中略…)(仕事の)共通点は何か。個人的な感情を掘り下げるということ。幸せはなんなのか、ということ。観た人がハッピーになるかどうかということ」だと大宮はいう。本展企画者の言う通り、彼女の仕事は「コミュニケーションの形をつくる」という意味で広義のデザインであると言えるかもしれない。[金相美]


展示風景

2013/11/08(金)(SYNK)

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TRANS ARTS TOKYO 2013

会期:2013/10/19~2013/11/10

3331 Arts Chiyoda、旧東京電機大学7号館地下、神田錦町共同ビルほか[東京都]

昨年、旧東京電機大学の校舎を丸ごと使って大きな話題を集めたTATが、今年は同じ神田で会場をいくつかに分散して開催された。展示会場となったのは、工事中の地下空間をはじめ、空きビルや商業ビルなど。エレベーターが設置されていない古いビルが多いせいか、狭い階段を何度も昇り降りしながら作品を鑑賞するという仕掛けだ。動線がほぼ垂直方向に限定されていた前回とは対照的に、文字どおり都市を縫うように練り歩く経験が楽しい。
とはいえ、そこかしこに展示されていた作品には、ある種の定型に収まる傾向が認められたことは否定できない。それは、乱雑で猥雑、雑然とした作品があまりにも多かったこと。これは「天才ハイスクール!!!!」や「どくろ興行」が輝いていた前回から続く本展の特色なのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、そうしたアナーキーな色調が際立っていたのは、取り壊しが決定していたとはいえ、大学の校舎という確固とした白い壁面があってこそだった。しかし今回、とりわけ古い雑居ビルを展示会場とした雑多な作品の数々は、不本意ではあるだろうが、雑然とした空間に溶けこんでしまっていたように思われた。
その点で言えば、地と図を際立たせることに成功していたのは、林可奈子である。路上のパフォーマンスを映像インスタレーションとして見せる作品は、映像のなかの身体動作の点でも、モニターを立ち並べた展示の点でも、きわめてシンプルであるがゆえに、周囲の乱雑な空間とは明確に一線を画していた。むろん、静謐で上品な作品がなかったわけではない。けれども、林の作品がそうした中庸な「現代アート」と似て非なるものであったのは、やはり映像で見せた身体パフォーマンスの質に由来する。路上をでんぐり返しで進んだり、街角の凹凸に身体を当てはめたり、林の身体所作は品位を保ちながらも、どこかでひそやかな狂気を感じさせていたからだ。基準と逸脱のバランスが絶妙だったと言ってもいい。
一定のリズムで、しかし、通常の所作とは異なるかたちで歩んでゆく林の奇妙なパフォーマンス。そこには、本展を鑑賞する私たち自身が重ねられているように見えた。空洞化した都市に充填されたアートを見て歩く行為が、日常からわずかに逸れているからだけではない。林も私たちも、ともに都市の隙間と隙間を縫い合わせているように思われたからだ。林が路上に残した足跡と、私たちが神田の街を踏破した痕跡は、いずれもその縫合を示すステッチである。そのことに気づいたとき、都市はそれまでとはまったく異なる全貌を露わにするだろう。

2013/11/10(日)(福住廉)

そこに立つ、存在する 楢木野淑子 展

会期:2013/11/11~2013/11/30

ギャラリーwks.[大阪府]

近年の若手陶芸家、特に女性の傾向のひとつに、過剰で細密な装飾性が挙げられる。楢木野もその一端に属する作家である。装飾といってもさまざまだが、彼女の場合はアクセサリーなどでつくった型からパーツをつくり、それらを作品表面に張り込むタイプだ。また半透明の釉薬によるカラフルな彩色も特徴である。この手の作家は、縮み志向に陥る危険があるが、楢木野は今回、その逆を行った。巨大な柱状立体4点を出品したのである。作品表面は太陽や動植物の装飾に溢れ、空間全体が気のようなもので満たされている。彼女が目指したのは、例えば神社の鳥居のように、そこに存在するだけで空間を変容させる作品だ。さらに数を増やして広い空間で展示すれば、一層素晴らしくなるだろう。大作に転じた今回の判断は正しいと思う。

2013/11/11(月)(小吹隆文)

2013年12月01日号の
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