2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2014年03月01日号のレビュー/プレビュー

藤原敬介『インテリアデザイン──美しさを呼び覚ます思考と試行』

発行日:2013年11月30日
発行所:丸善出版
価格:1,900円(税別)
サイズ:四六判、168ページ

インテリア・デザイナーの藤原敬介が自ら手掛けたプロジェクトの紹介を通じて、デザインの実践とそこに至る思考のプロセスとを記した書。著者は、人の琴線に触れて感動を与える「美しさ」とは次の四要素にあると考えている。ひとつ目が「曖昧であること」、言葉では曰く言い難いもの。二つ目が「呼び覚ました姿」、日常生活に潜んでいるが気付きにくいもの。三つ目が「変化のかたち」、時とともに変わりゆくもの。四つ目が「可能性の追求」、よりよき未来をつくるための〈挑戦・検証・確認〉という行動が美しさの創成に繋がるという。デザイン行為に内包される問題解決に至るまでのプロセス──アイディアの連なりと幾多の試行──が、実例に即して語られている。普段は「完成形」としてのモノやインテリアしか見ない私たちにとっては、それがデザインをより深く理解するために参考になる。「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」のショップデザインを手掛ける藤原は、デザインに悩むとき、三宅一生の次の言葉を思い浮かべると述べている。曰く、「デザインの仕事はじつに面白い。私がこの仕事をなんとかめげずにやってこられたのは“デザインには悲しみがそぐわない、デザインには希望がある、そしてデザインは驚きと喜びを人々に届ける仕事である。”というまことに単純素朴な理由からである」と。読後、身の周りの環境をもう一度見渡して、諸感覚を研ぎ澄ませたくなる本である。[竹内有子]

2013/02/15(土)(SYNK)

原研哉『デザインのめざめ』

発行日:2014/01/08
発行所:河出書房新社
価格:600円+税
サイズ:文庫版

グラフィックデザイナー・原研哉(1958- )のエッセイ集。周知のとおり、原研哉は、株式会社日本デザインセンターの代表取締役、原デザイン研究所の所長、武蔵野美術大学の教授であり、2002年からは無印良品のアートディレクションを担当したり、2004年には著書『デザインのデザイン』でサントリー学芸賞を受賞するなど、日本のデザイン界のみならず、時代を牽引してきた人物である。同書は、2001年に刊行された『マカロニの穴のなぞ』(朝日新聞社)に5篇のエッセイを増補したうえ、文庫化したもの。ドイツで見つけた目盛り付きのビアグラスや、トイレの便器に描かれたハエの絵、マヨネーズのノズルの穴の形など、日常のなかの何気ないものや瞬間を、デザイナーならではの視点で語っている。[金相美]

2013/02/28(金)(SYNK)

鍛冶谷直記 展「JPEG」

会期:2014/01/21~2014/02/15

The Third Gallery Aya[大阪府]

猥雑な盛り場など、日本各地に残る薄っぺらな風景を撮影した写真作品《JPEG》で知られる鍛冶谷直樹。東京都写真美術館で先月まで開催された「日本の新進作家 vol.2」に選出され、蒼穹舎から初の写真集『JPEG』が出版されるなど、その評価は着実に高まりつつある。出版を記念した本展で改めて彼の作品を見ると、画面に写し出されたグダグダな風景に対して、恥ずかしさと愛着が入り混じった複雑な感情を抱かずにはおれない。駄目な奴、ダサい奴とわかっているが、縁を切る気になれない旧友、的なものであろうか。同時に、これらの風景は極めて昭和的であり、今後急速に姿を消すかもしれないことを実感した。

2014/01/23(木)(小吹隆文)

ポンピドゥー・センター・コレクション フルーツ・オブ・パッション

会期:2014/01/18~2014/03/23

兵庫県立美術館[兵庫県]

ポンピドゥー・センターにあるパリ国立近代美術館のコレクションを紹介する展覧会。ダニエル・ビュラン、ゲルハルト・リヒター、サイ・トゥオンブリーらの巨匠による作品と、ここ10年のあいだに同館に寄贈された現代アートの作品、あわせて31点が展示された。
会場を一巡して思い至るのは、展示された作品の質の劣悪さ。玉石混交というより、アンリ・サラの優れた映像作品を除いて、ほぼすべての作品が「石」にすぎなかったのではないか。むろんビュランやリヒター、トゥオンブリーらの作品は「玉」ではあるのだろう。だが、そのことすら怪しく見えるほど、本展の「石」はおびただしい。
例えばハンス=ペーター・フェルドマン。回転する日用品の影を壁面に映し出す作品だが、これは言うまでもなくクワクボリョウタの代表作と著しく似通っている。重要なのは、どちらがオリジナルであるかではなく、作品として優れているのは明らかに後者であるということだ。後者には影絵のシルエットが次々とドラマチックに変動する美しさがあるが、前者にはそれが欠落しており、だからといってそれに匹敵する特質も見受けられない。ただただ、浅いのだ。会場の全体に漂っている虚無的な雰囲気に、暗澹たる心持ちにならざるをえない。
こうした極端な偏りが、コレクションを選定する鑑識眼によるのか、コレクションのなかから出品作を選び出すキュレーションのセンスに由来するのか、あるいはそもそもヨーロッパの現代アートに通底する一般性の現われなのか、正確にはわからない。けれども、「ポンピドゥー・センター・コレクション」という冠が色褪せて見えたことは事実である。しかし、もっと豊かで、もっと面白い、つまりもっとおいしいアートが確かに存在することを私たちは知っている。洋の東西を問わず、どれほど華美に装飾された果実であったとしても、不味ければ決して口にはしないものだ。

2014/01/25(土)(福住廉)

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ガタロ絵画展 ヒロシマ 美しき清掃の具

会期:2014/01/14~2014/01/27

ギャラリー古藤[東京都]

ガタロは広島生まれの今年65歳。ショッピングセンターを掃除する仕事をしながら雑巾やモップといった清掃用具などの絵を30年にわたって描き続けてきた。これまであまり知られることはなかったが、2013年に放送されたNHKによる番組「ETV特集ガタロさんが描く町」で大きな注目を集め、この度都内と横浜市の2カ所で相次いで個展が催された。本展では絵画やオブジェなど60点あまりが展示された。
ガタロの絵の特徴は、力強く太い描線とていねいで繊細な画面構成。双方は相矛盾するように思われがちだが、ガタロの絵にはそれらがみごとに統合されている。同じ画材で原爆ドームの剥き出しの鉄骨と水に濡れたモップの繊維を描き分けるほど描写力も高い。そのため汚れを落とす道具や廃れたもの、周縁化された人を神々しく描くというコンセプトがありありと伝わってくる。村山槐多やケート・コルヴィッツを連想させる画風だ。
本展の白眉は《豚児の村》(1985)。ベニヤ板を3枚並べた大きな画面に、原爆ドームと平和大橋、福島第一原発から流れ出る汚染水、そして豚が描かれている。豚が人間の強欲を表わしていることは理解できるにしても、80年代からすでに原爆と原発をめぐる核の問題を絵画の主題としていたことには新鮮な驚きを感じた。この絵には、私たちの過去と現在が凝縮しているのである。
かつて美学者の中井正一は、「利潤を求めて技術が、その盲目の発展をするとき、それは鼻の先に肉を下げられた豚が真直ぐに突っ込むように、それは盲目である」と指摘したうえで、「芸術家とは20年も先んじて人びとの憂いに先んじて憂い、人びとの喜びに先んじて微笑むのである」と書いた(「文化のたたかい」)。おのれが豚であることを心の奥底で感じている者は、おそらく少なくない。ガタロの絵には、現代の人間像がはっきりと描き出されているのである。

2014/01/27(木)(福住廉)

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