artscapeレビュー

2014年03月15日号のレビュー/プレビュー

MONO-HA by ANZAI

会期:2014/01/17~2014/02/22

ZEIT-FOTO SALON[東京都]

李禹煥、関根伸夫、菅木志雄、小清水漸、吉田克朗、榎倉康二、高山登、原口典之ら「もの派」とその周辺の作家たちの70年代の作品や、イヴェント(イベントでもパフォーマンスでもない)を記録した写真の展示。すべてモノクロームなのは、カラーフィルムを買うお金がなかったからではなく(それもあるかもしれないが)、もの派だからだ。貴重なアーカイブであると同時に、安齊さんの初期作品としても高く評価したい。タイトルが英語表記なのは伊達ではなく、海外での評価の高まりを受けたものだろう。

2014/02/20(木)(村田真)

山谷佑介「Tsugi no yoru e」

会期:2014/02/12~2014/03/05

YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]

ギャラリーの壁には8×10判のモノクロームのプリントが51点、アルバムのページを開いたような雰囲気で並んでいる。1985年、新潟生まれの山谷佑介の写真のスタイルは、まさに正統的なストリート・スナップだ。「Tsugi no yoru e」は大阪のアメリカ村界隈を中心に撮影されたシリーズだが、写真そのものの印象は時代や地域を超越している。見方によっては、エド・ファン・デル・エルスケンの「セーヌ左岸の恋」、ブルース・デビッドソンの「ブルックリン・ギャング」、ラリー・クラークの「タルサ」など、1950~70年代のユース・カルチャーを主題にしたプライヴェート・ドキュメントと、ストレートにつながっているようでもある。しかも、山谷のカメラワークやプリントワークはすでにかなり高度な段階にあり、若さに似合わない老練さすら感じられる。
ということは、大事なのはまさに「Tsugi no」作品ということになるのだろう。目の前に次々に出現してくる状況を的確な技術で把握し、スタイリッシュな画面にまとめ上げていく能力の高さは今回の展示で充分に証明されたのだから、次作でそれをどんなふうに発展させていくのか、あるいは停滞してしまうのかが問われることになる。センスのよさだけで評価される時期は意外に短い。どこで、どんなふうに撮影するのか、次なる展開に向けて、着々と準備を整えてほしいものだ。なお、本展は2013年に山谷が自費出版した同名の写真集に収録された写真をもとに構成された。黒い布をパッチワークのように繋ぎ合わせたユニークな表紙の写真集は、すでに完売しているという。

2014/02/20(木)(飯沢耕太郎)

津田直「SAMELAND」

会期:2014/02/14~2014/03/06

POST[東京都]

先日、シカゴに行くため成田空港に出かけたときに、津田直にばったり出会った。聞けば、これからミャンマーの奥地に出発するのだという。その偶然の邂逅に大して驚きもしなかったのは、彼が旅を日常としていることをよく知っているからだ。何かに取り憑かれたようにと言いたくなるほど、あちこちに出かけている。その行動範囲の広さは日本の写真家のなかでも際立っているのではないだろうか。
今回彼が旅立ったのは、北極圏のサーメランド。フィンランドとノルウェーにまたがる地域に住むサーメ人たちの居住地である。彼らはトナカイの遊牧を主たる業として、伝統的な暮らしを営んでいる。津田はニールスというシャーマンの血を引く男と出会い、サーメ人たちとの交友を深めつつ、ノルウェー最北端の岬、ノールカップへと向かう。よき導き手を見出す(というより引き寄せる)能力の高さこそ、写真家としての津田の最も優れた資質であり、旅の間に撮影された風景や、ポロ・メルキトゥスと呼ばれるトナカイの親子を選別する行事の写真は、絶対的な確信を持って撮影されているように感じる。
今回の作品はメインの会場に5点。これらはどこか向こう側に連れ去られてしまいそうな、魅力的な風景写真である。さらに書店の本棚の隙間などに、サーメ人のポートレートを中心に8点がバラバラに並ぶ。この展示のたたずまいが実にいい。観客もまた、津田がサーメランドで経験した出会いを追体験できるように仕組まれているのだ。

2014/02/21(金)(飯沢耕太郎)

イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる

会期:2014/02/19~2014/06/09

国立新美術館 企画展示室2E[東京都]

とても刺激的な展覧会だった。大阪・千里万博公園の国立民族学博物館が収蔵する34万点もの民族資料から、約600点を選りすぐって展示している。「プロローグ─視線のありか」のパートに並ぶ世界各地のマスクから、「第1章 みえないもののイメージ」「第2章 イメージの力学」「第3章 イメージとたわむれる」「第4章 イメージの翻訳」「エピローグ─見出されたイメージ」と続く展示は、圧巻としか言いようがない。目玉が飛び出し、口が裂け、体のあちこちが極端にデフォルメされたマスクや神像は、リアルな再現性からはほど遠いものだ。にもかかわらず、それらは魂の奥底に食い込み、始源的な記憶を引き出してくるような強烈なパワーを発している。これらのコレクションを見たあとは、並みの現代美術などは吹き飛んでしまうのではないだろうか。
考えたのは、このような民族資料を写真として提示するときにはどのような形がいいのかということだ。本展のカタログにも展示物の写真が掲載されているが、典型的な白バックの物撮り写真で、面白みはまったくない。たしかに、出品物の外観は細部まできちんと捉えられているが、あの圧倒的なパワーが完全に抜け落ちてしまっているのだ。理想をいえば、マスクや衣装や装飾品は、それらを実際に使用している人たちに、その場で身につけてもらって撮影したい。彫像なども現地の環境で見ると、まったく違った印象を与えるのではないだろうか。ちょうど津田直のサーメランドの写真のなかに、民族衣装を身につけた住人の素晴らしいポートレートがあったのを見た直後だったので、余計にそう感じてしまった。

2014/02/21(金)(飯沢耕太郎)

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東日本大震災被災地めぐりロケ 2(南相馬市)

[福島県]

引き続き、毎日放送の取材で、福島の小高へ。駅から西側は、地震の被害は軽度、津波も1階に浸水程度だったが、しばらくは立ち入り禁止区域となり、いまも放射線量のため日中のみ居ることが許され、夜は泊まれない。一見、普通の駅前のメインストリートなのに、誰も歩いていない。除染の袋だけがあちこちに積まれていた。20km圏内で止められていたとき、仙台から南相馬へ下りると、二軒の住宅のあいだに境界線が引かれている理不尽な場所があり、ここは園子温の映画『希望の国』の着想源になったところだ。今回、現状を知るべく再訪すると、まだ同じ場所に通行禁止の柵があった。20km圏がなくなったのに、なぜか境界線が残っている。その後、20km圏内で手つかずだった他の場所をまわると、現在も壊れた建物がそのまま残っている。石巻や女川では、かつて目にした廃墟は消えたが、ここでは3.11から時間が止まったかのようだ。生活の雰囲気が残った、一部損壊になった海辺の農村集落を歩く。こうした場所は、放射線の影響で震災遺構となるのかもしれない。被災地をあちこち案内しながら、いつのまにか自分も直後の風景を記憶している語り部のひとりになっていることに気づく。もっとも、これは2011年3月下旬に思ったことなのだが。南相馬から仙台に戻る途中、東北大の五十嵐研が手がけた仮設住宅地の塔と壁画のある集会所に立ち寄る。カラオケ大会の最中で、楽しそうに使われていた。

写真:上=誰もいない小高のまち。中上=除染袋。中下=生活の雰囲気が残る農村集落。下=塔と壁画のある集会所。

2014/02/21(金)(五十嵐太郎)

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