artscapeレビュー

2014年03月15日号のレビュー/プレビュー

西村多美子「しきしま」

会期:2014/02/05~2014/03/01

禪フォトギャラリー[東京都]

西村多美子は1948年、東京生まれの写真家。1969年に東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)を卒業した。在学中は唐十郎が主宰する状況劇場の舞台と役者たちを撮影していたが、卒業後は日本各地を旅しながら写真撮影を続けた。当時の若い写真家たちにとって、個人的な動機で旅に出て、目に触れたものを切り取っていくスナップショットは、写真表現の新たな方向性を示すものだったと言える。森山大道、北井一夫、須田一政らと同様に、西村もこの時期に「旅と移動」をベースとするような撮影のスタイルを身につけていく。そんなときに母校の東京写真専門学院の出版局から、写真集をまとめないかという話がくる。撮りためていた旅の写真から北海道、東北、北陸を中心にまとめて、1973年に出版されたのが写真集『しきしま』である。
今回の禪フォトギャラリーでの個展は、復刻版の写真集とセットになった新編集版の『しきしま』が刊行されるのにあわせて開催されたものである。会場には97×143cmの大判プリント1点を含めて、1990年代に再プリントされた8点が並んでいた。ざらついた粒子、不安定な構図、黒と白とのコントラストが強い画像は、言うまでもなく1960年代末~70年代の写真の基調トーンと言うべきだろう。森山大道、中平卓馬らの表現とも共通しているが、直接的な影響というよりは、同時代の時空間を共有するなかで無意識的に浸透していったと見るべきではないだろうか。西村の写真は、森山、中平よりもさらに粘性が強く、画像が軟体動物のようにうごめいている印象を受ける。2010年代になって『実存1968-69状況劇場』(グラフィカ編集室、2011)、『憧憬』(同、2012)など、写真集の刊行が相次いだことで、彼女の仕事に再び光が当たってきたことは、とてもいいことだと思う。西村に限らず、この時代の力のある写真家の仕事を、もっと積極的に掘り起こしていくべきではないだろうか。
なお、同時期に東京・青山のギャラリー、ときの忘れものでも、1970年前後を中心としたヴィンテージ・プリント32点による西村の個展「憧憬」(2月5日~22日)が開催された。

2014/02/08(土)(飯沢耕太郎)

バービー

大雪で外出を控え、DVDにて韓国映画の『バービー』を見る。父が障害をもつ貧しい家庭の姉妹が、養子縁組という名目でアメリカに連れられる物語だ。全編に漂う叙情的なテイストも韓国的だが、残酷すぎる予感を示すエンディングはハリウッドや日本ではできないだろう。しかも実際に姉妹だというキム・セロンとキム・アロンは、話題のテレビ・ドラマ『明日、ママがいない』の子役と比べて、レベルが違う演技力をもっている。

2014/02/08(土)(五十嵐太郎)

建築家と共同作業

世間を騒がせている作曲家のゴーストライター事件から思うこと。逆に建築家は映画監督と同じく集団制作が一般的であり、設計事務所はいわば建築家の集団でもある。以前、某エンタメ番組から丹下健三でクイズを作りたいと電話があり、しゃべっていて気づいたのは、すべての図面を丹下ひとりが描いていると誤解していたこと。公共施設を手がけるような建築家ではありえない。実際、建築の共同制作は、学生のときから始まっており、例えば、卒計の全図面と模型を本人だけでつくる人はほとんどいない。学生は多くのヘルプを使うし、模型が巧い下級生を求める。だから、卒計の講評会やせんだいデザインリーグなどで、目の前に重要な模型があっても、本人自らつくっているとは、審査委員を含め、誰も思わない。そもそも建築家が図面をひとりで描いたとしても、施工まで行うことはない。セルフビルドは例外中の例外である。図面の段階でも、年に住宅をひとつしかこなさない小さな事務所でないかぎり、所長の個人作業ではないことが一般的だ。が、素朴な天才神話を建築にあてはめると、丹下でもすべての図面を引いていると信じられてしまう。

2014/02/08(土)(五十嵐太郎)

嵯峨芸術大学第42回制作展

会期:2014/02/05~2014/02/09

京都市美術館[京都府]

京都では恒例の各大学の卒業制作展のシーズン。2月に入り、最初に始まったのは京都嵯峨芸術大学の制作展で、京都市美術館に芸術学部4回生、大学院生、短期大学部2回生、専攻科生の作品が展示された。同大学の芸術学部は、日本画、油画、版画、彫刻、工芸、メディアアートからなる造形学科と、イラストレーションや生活デザイン、観光デザイン、グラフィック、映像などを学ぶデザイン学科の二学科に分かれている。展示は全般に私が期待していたより低調な印象で、また、昨年も同様に感じたのだが、どちらかというと造形学科よりも観光デザインや生活デザインなど、デザイン学科の学生たちの作品のほうがコンセプトや完成度においても目を引いた。若い人たちのイマジネーションや創作意欲について思うことが多かった会場。面白かったのはメディアデザイン学科・川上達弘の《The cubes 子ども達のための総合的知育玩具の提案》。大きなキューブに取り付けられた赤、青、黄、白、緑の5色の「引出し」を開けるとそれぞれに小さな玩具が入っていたり仕掛けが組まれているという作品なのだが、視覚や触覚、好奇心などの感覚だけでなく記憶のイメージも刺激するから子どもだけでなく大人も魅せられる。実際そこで、くまなく引き出しを開閉していた年輩の鑑賞者を見かけたのだが、そんな光景も楽しい作品だった。


展示風景。川上達弘《The cubes 子ども達のための総合的知育玩具の提案》

2014/02/09(日)(酒井千穂)

大森克己「sounds and things」

会期:2014/02/06~2014/03/09

MEM[東京都]

大森克己は音に敏感な「耳のいい」写真家だと思う。1994年に「写真新世紀」で優秀賞を受賞してデビューするのだが、そのときの作品はロック・バンドと一緒にヨーロッパや南米をツアーした旅日記だった。障害者のバンドを題材にした『サルサ・ガムテープ』(1998)という作品もある。音楽にかかわる人々や現場を撮影することが多いというだけでなく、大森は被写体を無音の事物として画面に凍りつかせることなく、それらをその周囲を取りまくノイズごと受け入れようとする姿勢が強いのではないだろうか。
その傾向は、今回のMEMでの個展にもはっきりと表われていた。「シューベルト 未完成交響曲の練習/うらやすジュニアオーケストラ」(2013)、メトロノームと管楽器を手にした少年を撮影した「black eyes and things」(2013)といった、音楽に直接的に関係する作品だけでなく、「耳を塞ぐ、そして耳を澄ます」(2013)、「呼びかけの声」(2013)といった「sounds」をはっきりと意識したタイトルの作品もある。むろん、視覚的な媒体である写真で聴覚的な体験をストレートに表現するのは不可能だが、大森はあえて色、形、光、空気感などを総動員して、画面から「聞こえない」音を立ち上がらせようとする。それを肩肘張らず軽やかにやってのけるのが、大森の写真術の真骨頂と言えるだろう。
今回の展示作品は新作が中心だが、2004年頃から折に触れて撮影してきた写真も含まれている。このところ、震災後の桜を撮影した『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー、2011)など、特定のテーマでまとめた作品を発表することが多かった大森だが、彼の写真行為のベースが、このような日々のスナップショットの積み重ねであることがよくわかった。

2014/02/09(日)(飯沢耕太郎)

2014年03月15日号の
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