artscapeレビュー

2014年03月15日号のレビュー/プレビュー

中里和人「光ノ気圏」

会期:2014/02/17~2014/03/01

巷房[東京都]

闇の向こうから光が射し込んでくるトンネルのような場所は、写真の被写体として魅力があるだけではなく、どこかわれわれの根源的な記憶や感情を呼び覚ますところがある。太古の人類が洞窟で暮らしていた頃の感情や、母親の胎内からこの世にあらわれ出てきたときの記憶が、そこに浮上してくるというのは考え過ぎだろうか。中里和人は、これまでも都市や自然の景観に潜む集合記憶を、写真を通じて探り出そうとしてきたが、今回、その格好の素材を見つけだすことができたのではないかと思う。
中里が撮影したのは、千葉県の房総半島中央部と新潟県十日町市に点在する素掘りのトンネルである。泥岩や凝灰岩などの柔らかい地層を掘り抜いて、川と川とを結ぶ水路を確保し、田んぼに水を引くことを目的としてつくられたトンネルが、この地方にたくさん残っていることを偶然知り、2001年頃から撮影を続けてきた。水が今でも流れているトンネルと、乾いてしまったトンネルとがあるのだが、いずれも岩を削り取った鑿の痕が生々しく残っており、どこか有機的で生々しい生命力を感じさせる眺めだ。そこに射し込む光もまたきわめて物質性が強く、闇とのせめぎあいによって、たしかに「太古の風景、未来の時空と自在に往還できる」と感じさせるような力を発している。
中里のカメラワークは的確に被写体の魅力を捉え切っているが、欲を言えば写真のプリントにもより強い手触り感がほしかった。

2014/02/18(火)(飯沢耕太郎)

MOTOKI「FIRST EXHIBITION SUMO」

会期:2014/02/07~2014/03/08

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

面白い「新人」が登場してきた。独学で写真作品を制作・発表していたMOTOKIは、50歳代の女性写真家で、2児の母親、弁理士としての顔も持っているのだという。この「SUMO」というシリーズは、昨年、靖国神社の奉納相撲をたまたま見て「裸体の力士が戦う姿は神聖であり、神秘的」と感じたことをきっかけにスタートした。たしかに古来相撲は神事としての側面を持ち、巨大な体躯の力士たちが四股を踏み、塩をまき、互いに組み合う姿は、ある種の宗教的な儀式を思わせる。MOTOKIはその様子を、写真の画面の大部分を黒の中に沈め、ブレの効果を多用することで、象徴的な画像として表現した。その狙いはうまくいって、独特の静謐な雰囲気を醸し出す魅力的なシリーズとして成立していると思う。
思い出したのは、奈良原一高が1970年に刊行した写真集『ジャパネスク』(毎日新聞社)である。奈良原は1960年代前半にパリを拠点としてヨーロッパ各地に滞在し、65年の帰国後にこのシリーズを構想した。禅、能楽、相撲、日本刀などの伝統的な日本文化のエッセンスを、むしろ欧米からの旅行者のようなエキゾチックな視点でとらえている。MOTOKIのこの作品は、もしかすると新たな『ジャパネスク』として大きく育っていく可能性を秘めているのではないだろうか。相撲だけでなく、広く他の被写体にも目を向けて、日本文化の「かたち」を視覚的に再構築していってほしいものだ。今回の展示が彼女の初個展だそうだが、すでにインドに10年間通い続けて撮影した「野良犬」のシリーズなどもあり、意欲的に作家活動を展開していくための条件は整っているのではないかと思う。

2014/02/19(水)(飯沢耕太郎)

東日本大震災被災地めぐりロケ 1(石巻市、女川町、南三陸町)

[宮城県]

毎日放送による震災遺構の取材で、久しぶりに石巻を訪れた。日和山から激しく被災した南浜町を見下ろすと、津波に耐えていた大きな病院や石巻文化センターが消え、更地同然となり、残ったものでは寺院と墓だけが目立つ。街を歩くと、かろうじて道路のパターンから、あるいはわずかに残る塀や基礎から住宅街の痕跡を読み取れる。もはや震災後に目撃した住宅地の廃墟が幻のようだ。そして火災も起きた門脇小学校のファサードには覆いがかかる。コンビニ跡地には、永遠の火があった。南相馬でも阪神淡路大震災から譲りうけた火が設置されていたが(陸前高田にもあるらしい)、以前、永遠の火という概念やイメージを調べていたので興味深い(たぶん、聖火にもつながる)。ただし、被災地では、地面の裂け目から火が出るタイプではなく、ランプ型ものだ。続いて女川へ。途中にあったひどい冠水エリアは改良されていた。津波で流され、横倒しになった江島共済組合向いの、七十七銀行跡地には、屋上で亡くなった職員の遺族のメッセージが置かれている。ここは旧交番しか震災遺構として残らないようだが、かさ上げにより、すでに地形や道路パターンまで大きく変わり、街を思い出すトリガーがかなり失われていた。

写真:上=日和山から臨む。写真中央には残された墓が見える。中=永遠の火。下=江島共済組合

2014/02/19(水)(五十嵐太郎)

ミヒャエル・ボレマンス展

会期:2014/02/20~2014/02/25

臨済宗 建仁寺塔頭 両足院 水月亭[京都府]

通常非公開の庭、茶室が会場ということはあるが、会期も短く、人数も限られたなかで、主催者側(もしくは作家)の意図なのか、グループごとでの観覧は作品を十分に味わうにはあまりにも時間が短く、瞬く間に鑑賞時間は終了。ホワイトキューブで見せることでは得られない自然光による陰影はもちろん美しかったし、生花、光、しつらえ、庭すべてがこの墨絵(2点)のための空間としてのつくり込みであったことは存分に伝わるが、結果、鑑賞者はそれを茶室の躙り口から覗くだけという贅沢すぎる趣向は、どのような人をイメージしてつくられた展覧会だったのだろう。

2014/02/20(木)(松永大地)

ネオ・ダダ新作展 2013-2014

会期:2014/02/17~2014/03/08

ギャラリー58[東京都]

1月に秋山祐徳太子をやったばかりのギャラリーで、今度は赤瀬川原平、篠原有司男、田中信太郎、吉野辰海の4人によるネオ・ダダだだだ。ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズは1960年に結成され、1年たらずで解散した伝説的な前衛グループだが、出品はすべて新作。よくも悪くもいまだネオ・ダダ的なのは、蛍光色を使った大型ペインティングと水彩を展示した篠原だろう。この半世紀ほとんどブレがない。吉野も相変わらず奇怪な犬人間の彫刻を出している。逆に田中は60年代にいち早くミニマルアートに転じ、今回はサイズも形態も台座さえもミニマルな彫刻を出品。この半世紀間もっとも変転に富んでいたのは赤瀬川かもしれない。ネオ・ダダの後ハイレッド・センターを結成し、千円札裁判で有罪判決を下され、超芸術トマソンを経て路上観察学会に合流し、そのあいだに芥川賞を受賞するという離れ業を成し遂げている。今回はライカ同盟以後の写真作品の展示。半世紀以上前の「ネオ・ダダ」というビッグバンから飛び散った現在の姿が見られる。

2014/02/20(木)(村田真)

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