artscapeレビュー

2014年04月01日号のレビュー/プレビュー

背守り──子どもの魔よけ

会期:2014/03/07~2014/05/20

LIXILギャラリー大阪[大阪府]

「背守り」とは、母が子の着物の背中に縫い付けた糸の縫い取り。子どもの無事な成長を願って、昭和初期まで日常的に使われた糸によるおまじないである。昔、「背に縫い目のない着物を着ると魔がさす」と言われた。大人の着物は二枚の布を背筋に沿ってつなぎ合わすための縫い目があるが、子どもの着物は小さいからそれがない。だから糸や布が貴重な時代に、背守りは魔除けとして用いられた。本展では、「背守り」のついた着物、端切れを集めてつくられた「百徳着物」、意匠の見本帳、現代の作例等、約110点の資料を見ることができる。母が子への思いを込めた祈りの糸の形は、背に沿って糸を縫いおろしたシンプルなものから、花や縁起物を象る工夫を凝らした文様、立体アップリケのような「押絵」までさまざま。時代が豊かになるにつれ変化した、衣文化における背守りの変遷を見ることができる。もうひとつの見どころは、写真家の石内都が撮り下ろした写真。かつて着物を着た子供たち・家族の情や温もりまでをも写し取ったような写真には、目が吸い寄せられる。[竹内有子]

2014/03/15(土)(SYNK)

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関かおり『ケレヴェルム』

会期:2014/03/14~2014/03/16

シアタートラム[東京都]

十数回の暗転を繰り返して、5分ほどのシークェンスが淡々と繋がっていった。90分。ほぼ無音。唯一アンプから発せられたのは、数回のため息の声。肌色に近い灰色の衣裳と床に敷かれた鏡映りする素材のほかには、どんな飾りもない。猛烈にストイックな舞台に、関かおりの美意識が描かれた。1人のシークェンスもまた5人以上のシークェンスもあるが、多くの場合、ゆっくりと姿勢を変えながら、2人か3人かが体を絡み合わせる。互いに頬を重ね、こすったりと、親愛の情を示しもするが、彼らの様子は基本的に人間性を欠いている。フィクショナルな未知の生物? 動きに羞恥心を感じさせないところがあり、そんな無防備さゆえに被虐性が感じられると、ずいぶん昔に会田誠《ジューサーミキサー》(2001)に興味を惹かれると関が筆者に話してくれたのを思い出した。男性を女性が抱え上げるなど、アクロバティックな流れも生まれるが、ゆっくりなので、スピードがあれば可能な目くらましも、アスリート・ライクな派手さもない。もっと滑らかに動くことが目指しているのではと思わされるぎこちなさがないわけではないが、奇妙だが美しい生命体がうごめいている状態は、見応えがあった。滑らかな美しい身体の佇まいは、まるで陶器のようだが、この陶器は現代的なアレンジが施されていて、美しさに勝るグロテスクさが漂っている、そんな感じだ。「21世紀のアールヌーヴォー」なんて言葉も浮かんできた。バレエのように緻密なルールと身体訓練がなされた果てに達成しうるダンスであり、その意味で「新しいバレエ」と呼んでもいいのかも知れない。ただ、この一種の審美主義がどんな波紋を巻き起こしていくのか、ぼくにはまだよくわからない。

関かおり インタビュー「ケレヴェルム 金沢ver.」

2014/03/15(土)(木村覚)

graf『ようこそ ようこそ はじまりのデザイン』

発行日:2013年03月15日
発行所:学芸出版社
価格:1,900円(税別)
サイズ:A5判、184ページ

大阪を拠点に活動するデザイン・ユニット「graf」が、これまでのデザイン活動の軌跡とものづくりへの思いを綴った本。家具製造・販売、内装設計、プロダクト・デザイン、グラフィック・デザイン、飲食店の運営やアート・イベントまで、衣・食・住を巡って彼らの活動は幅広い。異なるメンバーたちが執筆を担当しているが、全編を通して、「集団で物をつくること」、つまり専門領域を異にする多彩な人々が集まって行なう協働/人とのコミットメントのありかたに向けて、ゆるやかに糸が紡ぎだされているのが興味深い。そこがgrafのクリエイティヴたる所以だからだ。2012年末に建物を移転し始動した「graf studio」は、彼らのアイディアが生まれる場を伝え、そのプロセスを体験できるようにと名付けられたという。本書を読めば、創設15年を経たgrafの今後の展開がますます気になるだろう。[竹内有子]

2014/03/16(日)(SYNK)

砂連尾理『新しい公共スペースを再考するためのダイアローグ──カモン! ニューコモン!!』

会期:2014/03/16

名取市文化会館[宮城県]

昨年8月から何度かのワークショップを繰り返し、3月にも3日間のワークショップを経て行なわれた「ボディミーテング」と称するイベントを取材に行った。ファシリテーターは砂連尾理。宮城県名取市は、東日本大震災によって911名の死者、40名の行方不明者、5,000棟以上の半壊以上の建物を出した被災地(データはウェブサイト「名取市における東日本大震災の記録」に基づく)。今回の会場になった名取市文化会館は、とても立派な建築物を有しており、大震災の際には避難所になったところでもある。避難所になったとき、通常の活動ではありえない数の市民が訪れ、利用した。市民はそこで主体性を発揮し自治を発生させたという。有名芸能人の公演以外にあまり興味を示さない受け身の市民が、生活が困難な状況のなかで、文化会館を主体的、能動的に利用した。その事実は残ったものの、通常の活動が再開されると、市民の多くは文化会館へ足を運ばなくなり、会館に対して大震災以前の受け身の状況に戻ったのだそうだ。いや、「戻った」といっても、多数の死者が出、多くの家屋が壊れ、ひとの繋がりが切れかかっている現実を顧みれば、市民の生活状況はかつてと同じはずはない。その危機のなかで、どう皆が協同する力を獲得するかという喫緊の課題に、市民は直面していた。砂連尾理の市民への働きかけはそうした最中になされた。2時間ほどの「ボディミーティング」は次のように行なわれた。市の文化財に指定されている「閖上大漁唄込み踊」を継承する婦人会の方々20名ほどが踊りを披露し、その後、ワークショップ参加者が踊りを習い婦人会の方々と一緒に踊った。後半は、ワークショップ参加者がつくった名取市をテーマにする詩を七等分し、言葉一つひとつに即興で振りを付けて、皆で踊った。簡単にいえば、伝統的な踊りと(コンテンポラリー)ダンスとが交流したという会だった。砂連尾は、地元のご婦人方を尊重し、そのうえで、新しいアイディアのもと、皆でつくったダンスにご婦人方を招いた。ワークショップ参加者は20代から50代のおおまかにいって地元の方たち。彼らは、伝統的なダンスと新しいダンスを同時に実演しながら、たんに古い/新しいダンスを知るだけではなく、コミュニティの形成という課題について考えることとなった。ダンスを交換したあと、ワークショップ参加者を中心にディスカッションがあった。そこでは、協同する力をめぐって議論が起きたが、主として話題になったのは会館の運営についてだった。どうすれば震災時の主体的だった市民の姿を再び見ることができるのか?それを望むならば、管理意識の強い現今の会館の運営はプラスに機能していないのではないか?会館が立派すぎて敷居が高くなっているのではないか?こうした企画と市民とが気軽に交流できる導線づくりが不可欠ではないか?などの問いが、議題に上がった。ここにあったのは、震災以後の問題にあわせて、ずっと問わずに済ませてきたかも知れない震災以前の問題であり、その二つの課題が一気に露呈しているところに、困難さとともに可能性もあるように思う。ただし、こうした試みが一過性のものであっては力にならない。継続的な活動が不可欠だ。

-カモン!ニューコモン!!- announce.1

2014/03/16(日)(木村覚)

カワトウ写真展「京阪神フロンティアザッピング」

会期:2014/03/17~2014/03/29

Port Gallery T[大阪府]

京阪神の空き地を渉猟し、タイポロジーよろしく同一条件で撮影し続けているカワトウ。本展では、1点を除きすべて同一サイズの縦位置写真約390点でギャラリーの壁面を埋めた。彼の作品の魅力は何だろう。都会の一角にぽっかりと空いた空き地を通して、現代社会を掘り下げる、建築史を語るなど、いろいろなアプローチができそうだ。ちなみに筆者が興味を持ったのは、よそ行きではない都会の素顔(すっぴん)が見える点。特に住宅地では、表通りからは窺えない家屋の裏側が露わになる。整理整頓が行き届いた家もあるが、なかにはお世辞にも綺麗とは言えない家も。その油断した風情が愛おしい。

2014/03/17(月)(小吹隆文)

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