2018年01月15日号
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artscapeレビュー

2014年06月15日号のレビュー/プレビュー

金村修「Ansel Adams Stardust (You are not alone)」

会期:2014/04/23~2014/05/06

銀座ニコンサロン[東京都]

金村修は、いつ頃から変化することを意識的に拒否するようになったのだろうか。1990年代前半にデビューしてすぐに、彼は雑然とした都市の環境を、6×7判カメラに詰めたモノクロームフィルムでフォルマリスティックに切り取り、やや大きめにプリントして壁面にモザイク状に貼り付けていく展示の方法をとるようになる(ロックの曲名まがいのタイトルの付け方もその頃からだ)。つまり、もう既に20年以上も、ミュージシャンが同じヒット曲をずっと歌い続けるように、同工異曲の展示を見せ続けてきたのだ。
それがどんな理由によるものなのかはよくわからない。おそらくある種の頑固なこだわりというよりは、変化することに対して神経質な怖れを抱いているのではないかと想像できる。いずれにせよ、彼は同じ曲を歌い続けることを自らの意思で選択した。そしてそのことについて、常に釈明しなければならないという強迫観念にとらわれているように見える。この所の彼の展示が、いつでも大量の言葉の群れによって覆い尽くされているのは、そのためではないだろうか。
今回の「Ansel Adams Stardust (You are not alone)」展でも、会場内の柱の四面に、文章をびっしりとプリントした印画紙が貼付けられていた。断言してもよいが、彼の言葉は何らかのメッセージを伝えることを目的にしているわけではない。丁寧にその意味を読み解いていこうとしても、はぐらかしとこけ威しの迷路の中で堂々巡りするだけだ。要するに、これらの饒舌な言葉の群れは、金村が自分の写真行為を正当化するために吐き散らしたものだ。3枚の写真ですむ所に3000枚の写真を費やすように、3行ですむ言葉を3000行に増殖させるシステムを金村は発明した。このシステムにのっとって写真を撮影し、言葉を綴れば、いくらでも無制限に垂れ流すことができる。自分で作った砦に立て籠り続けても別にいい。だがもう一度、吹きっさらしの荒野で、抜き身の戦いを挑む気概はないのだろうか。

2013/05/03(土)(飯沢耕太郎)

佐藤時啓「光──呼吸 そこにいる、そこにいない」

会期:2014/05/13~2014/07/13

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

佐藤時啓が1980年代末に「光──呼吸」のシリーズを発表し始めた時の衝撃をよく覚えている。それまでも佐藤のように、美術系大学出身のアーティストが写真作品を発表したことはあった。だが、都市空間にうねり、踊る無数の線をペンライトで描いたり、風景の中に鏡の反射による光を浮遊させたりしてフィルムに写し込む彼の作品は、発想も方法論も、それまでのドキュメンタリー、スナップ写真が中心だった日本の写真家たちの作品とは相当にかけ離れたものだったのだ。
もうひとつ驚いたのは、時に縦横数メートルに及ぶその作品のスケールである。以前佐藤から、なぜ写真家たちは発表時の写真の大きさを厳密に定めないのかと問われて、虚を突かれたように感じたことがある。たしかに、どれくらいの大きさにプリントするのかについては、印刷媒体や会場の空間にあわせてフレキシブルに決めることが多い。佐藤は、あらかじめプリントの大きさについては、きちんとコンセプトを定めて撮影に臨む。そのあたりも、従来の写真表現とは一線を画するもので、新鮮な驚きを覚えた。
今回の東京都写真美術館での展覧会では、その「光──呼吸」シリーズ以来の佐藤の代表作を過不足なくフォローしていた。ペンライトや鏡の反射を長時間露光で定着する手法に加えて、彼は2000年代以降になるとピンホールカメラや移動式のカメラ・オブスクラを用いて制作するようになる。「Gleaning Light」あるいは「Wandering Camera」と称されるそれらの作品は、多くの協力者を必要とするものであり、撮影場所も海外にまで広がって、よりオープンな印象を与えるものになった。とはいえ、「私が写そうとしているのは、実は人間そのものなのである」という初発的な動機は、ずっとそのまま純粋に保ち続けられている。一見「コンセプチュアル」に見える佐藤の作品には、実は彼自身を含めた「人間」たちの生の矛盾や混沌が、生々しく写り込んでいるのではないだろうか。

2013/05/17(土)(飯沢耕太郎)

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『アナと雪の女王』『ミッキーのミニー救出大作戦』

『アナと雪の女王』を見る。もちろん、大ヒットしているように、歌は良いのだが、氷や雪のアニメ表現で、ここまで描くことができることを示したマイルストーンだ。女王の戴冠式が、木造のゴシック空間になっているのは、ちゃんと北方的な建築のテイストである。そしてエルサがつくる氷の城は、表現主義のタウトやシェーアバルトらが構想したクリスタルのユートピアに通じるだろう。美術表現も楽しめる映画だった。今回、いつも期待を裏切らないディズニーの短編は、『ミッキーのミニー救出大作戦』だが、画面を飛び出し、3Dでカラーになったミッキーよりも、2Dのまま白黒で動くミッキーの方が魅力的なキャラに見えるのは興味深い。もっとも、日本のアニメのように目が大きいアナやエルサは、3Dでもキャラに感情移入させている。

2014/05/01(木)(五十嵐太郎)

レイルウェイ 運命の旅路

『レイルウェイ 運命の旅路』は、いま日本で上映される価値のある作品だった(邦題がダサいので損をしているが)。戦時中に日本軍の捕虜となり、虐待されたイギリス兵の強制労働による鉄道建設は、『戦場にかける橋』でも有名だが、その半世紀後の史実を描く。負の記憶に向きあうこと、敵と罪への赦し、そしてダークツーリズムをめぐる本作のテーマは重厚である。ただし、拷問された英兵と、当時の日本人通訳が戦後に再会するこの映画を、原作の書籍と比較すると、物語や場面を脚色したシーンも少なくないようだ。映画なりのドラマを演出しているが、実話の映画向けではない部分も、別の意味での凄みがある。現実はもっと複雑で数奇なのだ。ところで、『戦場にかける橋』の原作者ピエール・ブールは、戦時中日本軍に捕まった経験をもち、『猿の惑星』も書いている。そうなると、人間を支配する猿とは、西洋人を虐げた日本人のことを意味していたのではないか。

2014/05/01(木)(五十嵐太郎)

今井兼次+千葉学《大多喜町役場庁舎》

[千葉県]

千葉の大多喜町役場へ。50年以上前に建てられた今井兼次による空間は、彼特有の装飾性や重さも組み込みながら、軽快なモダニズムのテイストをあわせもつ。そして千葉学による改修と増築は、もとの建物をリスペクトしており、その軸線をうまく引き出しながら、現代的な明るい大空間につなぐ。ここで天井に現れる斜めの線がまた効果的である。

2014/05/02(金)(五十嵐太郎)

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