artscapeレビュー

2014年07月15日号のレビュー/プレビュー

大西みつぐ「放水路」

会期:2014/06/18~2014/07/01

銀座ニコンサロン[東京都]

荒川放水路は明治末から昭和初期に書けて掘り進められた人工の川。「放水路」といっても川幅はかなり広く、周辺には変化に富んだ風景が広がっている。
大西みつぐは、かつてこの川の近くに住んだこともあり、「放水路」は「河口の町」(1985年)、「砂町」(2012年)といった作品の重要な舞台ともなってきた。だが今回銀座ニコンサロンで発表された約50点の写真群(9月4日~17日に大阪ニコンサロンに巡回)は、ノスタルジックな「下町」のたたずまいを浮かび上がらせる前作とは、かなり肌合いが違う。のんびりと散策を楽しむ人々も写ってはいるが、ブルーシートのホームレスの家、焚き火の痕、放置されたゴミ袋など、至る所に荒廃の気配が漂う。写真展のコメントに「東日本大震災後の東京臨海部の風景が無防備に曝されていることへの焦燥感」と記しているのを見てもわかるように、作品全体を貫いているのは、どうやら沸々と煮えたぎる怒りの感情なのではないかと思えてくるのだ。大西が作品の中で、ここまで“政治性”をあからさまに表明することはなかったのではないだろうか。「放水路」を「日本の澱」の象徴として捉えようという姿勢が、くっきりと形をとってきている。
下町の、穏やかで、ゆったりとした雰囲気を掬いとった路上スナップを期待する大西のファンにとっては、肩すかしを食うような展示かもしれない。だが、その変化は「震災後」の写真のあり方を彼なりに引き受けていこうという決意のあらわれでもある。これから東京オリンピックに至る時期の東京の景観の変化を、どう捉えて定着していくかは、多くの写真家たちにとっての大事な課題となっていくだろう。

2014/06/22(日)(飯沢耕太郎)

ポンペイ

映画『ポンペイ』を見る。廃墟の遺構が残るだけに、建築の表現は、垂直性を強調した『グラディエーター』や『テルマエ・ロマエ』に比べても、基本的にはちゃんとしているのだが、災害と破壊の描写はスペクタクル感をだすためだろうが、派手過ぎだった。いくらなんでも、あそこまでの津波はないのではと思う。また闘技場以外の普通の生活空間をもっと見たかった。例えば、都市住宅における2つの中庭アトリウムとペリスタイル、集合住宅のインスラなど、そうした場所を生き生きと描いて欲しかった。

2014/06/22(日)(五十嵐太郎)

ノア 約束の舟

もうひとつ歴史ものの映画『ノア』は、神との約束か、人間の意志かをめぐる激しい葛藤の物語だった。神を信じない人にとっては、人間に対するノアの言動が怖すぎるだろう。世界最初の動物園というべき、ノアの箱船は、133m×22m×13mの直方体で、三階建の木による構造物だった。船というよりは、海に漂う巨大な箱である。でも、動物はずっと眠らされていた。全体的に映画の尺がちょっと長過ぎかもしれない。

2014/06/22(日)(五十嵐太郎)

素顔のブラジル展

会期:2014/06/13~2014/09/15

無印良品有楽町2F ATELIER MUJI[東京都]

有楽町・無印良品の「素顔のブラジル」展は、膨大な写真と現地の小物のディスプレイによって、生活と日常のデザインを紹介する。展示台や天井の布などの会場デザインは、CAt+安東陽子らが担当し、ぐにゃぐにゃしたフォルムのテーブルは、オスカー・ニーマイヤーが関わったイビラプエラ公園内のかたちを縮小したものだ。関連企画のトーク「ブラジルの引力アート、デザイン、建築、都市」を、ちょうどブラジル特集を刊行した『カーサ・ブルータス』の編集者、白井良邦と行う。筆者と彼の組み合わせは、東京国立近代美術館の「ブラジル:ボディ・ノスタルジア」展(2004年)のブラジリアをめぐるトーク以来だから、10年ぶりになる。今回、ブラジルの社会・建築・芸術の流れをまとめたが、1936年からの教育保健省は重要なプロジェクトだったことがわかった。ルシオ・コスタがル・コルビュジエを招聘し、ニーマイヤーらが設計に関わったからである。これはモダニズムを伝統化し、「食人宣言」のように飲み込んだブラジル建築の近代の出発点と言える。

2014/06/23(月)(五十嵐太郎)

台北 國立故宮博物院

会期:2014/06/24~2014/09/15

東京国立博物館[東京都]

中国のお宝が台湾からやってくる。同じ台湾の「宝」でも、保険評価額でいえばヤゲオよりこちらのほうがはるかに高いはず。東博と東近の格の違いだ。ただ、金銀きらびやかな西洋やオリエントと違い、いかにも高そうなモノがないのが東洋のお宝。つまり目を刺激するものが少なく、ジミーちゃんなのだ。案の定、前半は書画が多くて退屈する。でも陳列ケースに展示された書画の上にその拡大写真が置かれ、色も明度もクリアなのでついそちらのほうばかり見てしまう。じゃあ手前のホンモノはなんのためにあるのか。後半になると磁器、刺繍、玉器など工芸品が増えて少し楽しめる。とくに《紫檀多宝格方匣》はミニチュア工芸品を入れたコンパクトなコレクションボックスで、箱の内部は小さな陳列棚になっており、西洋のヴンダーカマーをさらに縮小・凝縮したかたち。しかも展示室そのものがこの箱を模していて、入れ子状のミクロコスモスを強調している。そして最後に登場するのが、本館の特別展示室で限定公開される(もう終わっちゃった)最大の目玉《翠玉白菜》。翡翠を彫って白菜(+イナゴ)に見立てた高さ20センチ足らずの彫刻だが、台湾でもこの展示室の前には連日長蛇の列ができるほどの人気という。たしかに翡翠は宝石だけど、そんな貴重な石でわざわざ虫の止まった白菜なんか彫るかよ。白菜は純潔を、虫は多産を象徴するという説もあるが、じつは翡翠という高価な素材を庶民的な白菜に変えることで価値の転倒を図ろうとしたのではないか。一種の逆錬金術。それって現代美術の発想か。

2014/06/23(月)(村田真)

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