artscapeレビュー

2014年08月01日号のレビュー/プレビュー

能面と能装束──みる・しる・くらべる

会期:2014/07/24~2014/09/21

三井記念美術館[東京都]

三井記念美術館では毎年夏に「美術の遊びとこころ」をテーマに所蔵品を中心とした古美術入門の展覧会を催している。今年は、旧金剛宗家伝来および橋岡一路氏寄贈の能面(展示室1・2・5)と、三井家伝来の能装束(展示室4)、そして三越伊勢丹が所蔵する歌舞伎衣裳(展示室7)が取り上げられている。展示室5では、似た名前、姿の能面を並べて展示し、その造作の違いと演じられる役柄の違いを対比する。目や口、髭の造作、髪の毛の描き方、顔の表情の違いが解説されており、とてもわかりやすい。特別展示の歌舞伎衣裳も興味深い。三越は明治40年から昭和27年まで歌舞伎公演のための貸衣装事業を行なっており、昭和初期の歌舞伎衣裳多数が保存されているという。それらのなかから往時の人気役者が着用した13点が舞台写真とともに展示されている。舞台衣裳は離れたところから見て効果的なものだと思っていたが、間近で見ても溜息が出るほど美しくつくられている。さらに本展の展示方法で特筆すべきは展示室1である。入ってすぐの展示室1はいつも印象的な空間だが、本展でも期待を裏切らない。透明なアクリル板に固定された能面の数々が独立ケースに配され、面が宙に浮いているかのように見える。「能面のような」とは表情に欠けることの例えであるが、さまざまな角度から見ることができる展示方法と効果的な照明で、じっさいには面の表情がとても豊かであることがわかる。ケースの反対側に回れば作者名や制作年代などが書かれた面の裏側も同時に見ることができるのもいい。[新川徳彦]


展示室1展示風景

2014/07/23(水)(SYNK)

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Aokid city vol.4: cosmic scale

会期:2014/07/26

SHIBAURA HOUSE[東京都]

1年前の前作公演でも思ったのだが、「Aokid city」は〈劇場のフォーマット〉では表現することの難しい上演だ。Aokid(青木直介)が作・演出・出演する「Aokid city」は、ある環境に観客が入り込んだという設定で展開する。今回、タイトルにあるようにその場は宇宙。でも、リアルというよりファンタジックな空間で、サメの巨大な背びれが床を走ったり、そうかと思えば、トマトパスタが振る舞われたり、宇宙を表現するのに観客一人一人が構成体になってポーズを決めさせられたりと、ここにはあれこれの出来事が詰め込まれている。Aokidのダンスはヒップホップが基になっている。まるで路上で練習している状態そのままに(実際、そんな映像もありつつ)、ダンサーとシンガーらは円陣を組みながら、時折こちらに顔を向けて、歌いかけ、踊りかける。これを黒い壁に囲まれた劇場という場で上演しても息苦しくなるだけだろう、そんなことをずっと思っていた。前回同様、会場はSHIBAURA HOUSE。ここは壁の二面がガラス張りで、天井が高く、都会で室内なのに開放感があって、野外フェスのような気分になれる。フジロックで見たらさぞかし気分が良いだろう。ストーリーはほとんどなく、伝わってくるのはパフォーマー側が観客と「愛」や「情熱」を交換したいというシンプルな思い。こういうものも〈劇場のフォーマット〉に置いたら、ちぐはぐな感じになるだろう。最後のほうで、入場の際に観客の腕に貼った小さな丸形の絵(星)を客席を回って回収し、ダンサーたちはその星を黒いシートに貼り直して宙に掲げた。観客の星が散らばる宇宙。こういう素朴にも感じられるアイディアをベタに推し進めてでもその場を成立させてしまうのはAokidの真骨頂。Aokidには芸術と評すに値する方法がないなどと言い切るよりも、既存の枠からはみ出してしまう彼のような表現を愛し続ける方法をぼくらが持っているかどうかのほうが重要なのかもしれない。

2014/07/26(土)(木村覚)

プレビュー:黒沢美香『薔薇の人 deep』

会期:2014/08/27~2014/08/28, 2014/10/22~2014/10/23, 2014/12/26~2014/12/27

横浜市大倉山記念館[神奈川県]

ぼくが「コンテンポラリー・ダンス」なるものに興味と期待を抱いて、あちこちの小さな会場の公演に足しげく通うようになったのは、20世紀の末。そのころに、もっとも独創的で奇怪で、しかし、もっとも「ダンスなるもの」を感じられるような気がして友人と通っていたのが、黒沢美香の主催するこの大倉山記念館での公演だった。『偶然の果実』と言っただろうか、その公演では、狭い舞台空間に、横一文字に二人か三人のダンサーが並んで、即興のダンスを行なう。時折、音楽が流れたりもしただろうか、見所は、その即興の時間のなかに、ふとした具合で生まれる「はっ」とする瞬間。タイトルの如き「偶然の果実」が生まれるときを、じっと待つ。釣りに似て、すっかり釣果の上がらないときもあるし、なんだかすごく取れ高の良いときもあった。観客としてそんな「果実」が生まれるのをじっと待つ時間は、いま思うととても贅沢なものだった。そういう「つれない釣りも釣り」と思いながらつき合うみたいな余裕が、情報の急流に足を浸しつつ、なにも得られていないような気持ちになるいまこそ必要なのかもしれない。と、思い出話をしてしまいましたが、今作は『偶然の果実』ではなく『薔薇の人』の最新作です。これは黒沢がソロで踊るシリーズ、今回で17回目を数えるのだそう。これはともかく見なければならない上演です。10月と12月にも上演が予定されていますが、きっと、季節が変わるごとにぼくたちは大倉山に行かねばならないことになるでしょう。

2014/07/31(木)(木村覚)

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