2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

2014年08月15日号のレビュー/プレビュー

藤原京子 展「Gate──門」

会期:2014/06/25~2014/07/13

岩崎ミュージアム[神奈川県]

港の見える丘公園の近くにある岩崎ミュージアムでの個展。照明を落とした暗いギャラリーに、鉄柵みたいなものを段違いに配しているのだが、近づいて見ると鉄柵には割れたガラスが貼りついている。素材だけだと「もの派」みたいだが、もの派がモノの表面からホコリ(意味や物語性)を排除しようとしたとすれば、彼女は逆にモノの組み合わせや照明などで物語らせようとする。なにを物語らせるのかわからないけど、意味深なんだな。いってみれば舞台装置。そう、舞台装置というのは役者が登場すれば意味を放つけど、それだけでは自律できない。作品が役者を待つんじゃなく、作品が主役にならなくちゃ。

2014/07/01(火)(村田真)

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津田直「On the Mountain Path」

会期:2014/06/27~2014/08/23

Gallery 916[東京都]

津田直の今回の個展に展示されたのは、「NOAH」、「REBORN (Scene3)」,「Puhu nin Amukaw」の3シリーズ、42点。「NOAH」はスイス・ヴァレー州の山中に張り巡らされた水路と、それを保全、管理する人々を追う。「REBORN (Scene3)」はここ数年通い詰めているブータンで、氷河が溶けてできたU字峡谷を、馬11頭を連ねて行く旅の途上の眺めである。新作の「Puhu nin Amukaw」では、1991年のピナトゥポ火山の大爆発で、火山灰に覆われた地域を撮影している。そこに最初に育つのが野生のバナナで、「Puhu nin Amukaw」というのは現地のアエタ族の言葉で「バナナの心」という意味だという。3シリーズに直接的な関連はないが、タイトルが示すように「山道」を辿るフィールドワークの産物というのが共通している。例によって、的確な写真の選択と配置によって、見る者を「眼差しの旅」へと誘っていく。

ちょっと気になったのは、津田の表現の落ち着き払った安定感だ。それはむろん、写真家=フィールドワーカーとしての自分の仕事に揺るぎない確信を抱いているということなのだが、破綻のない展示構成にはやや物足りないものも感じた。一年の大部分を旅の時間に委ねるという彼の仕事のやり方は、たしかに目覚ましいものではあるが、そろそろそれらを繋ぎとめていく、強く、太い原理を提示していく時期に来ているのではないだろうか。写真と言語の両方の領域で、津田にはその力が充分に備わっているはずだ。

なお、同時期に東京・六本木のタカ・イシイ・ギャラリー・モダンでは「REBORN(Scene2)」展が開催された。ブータンのシリーズのプラチナ・プリント・ヴァージョン(モノクローム)だが、あまり必然性は感じられなかった。

2014/07/02(水)(飯沢耕太郎)

北井一夫「道」

会期:2014/07/02~2014/07/26

禪フォトギャラリー[東京都]

『日本カメラ』に2005~13年にかけて連載されていた「ライカで散歩」のシリーズから、「道」の写真をピックアップした展示である。中心になっているのは、東日本大震災の後の2011年5月から、岩手、宮城、福島などの沿岸部に10回ほど出かけて撮影したもので、普通の道だけではなく、積み上げられた瓦礫の横に、あたかも「けもの道」のように誰かが踏み固めてできた道なども写している。津波によってすべてが押し流された後にも、道は残る、あるいは新たに道ができていく。そのことが、北井の中にあったもう一つの道のイメージを引き出してきた。それは、彼の原記憶というべき旧満州からの引き揚げの時に見たはずの眺めで(赤ん坊だった彼が、実際には覚えているはずはないのだが)、そのことを確認するために中国での撮影を試みた。それが今回の展示のもう一つの柱である「大連発鞍山」の写真群である。

北井が母の背に結わえられて引き揚げてきた時に使ったという、父親の帯の写真なども含む、この「大連発鞍山」の写真が加わることで、何かと何かを結びつけ、繋いでいく「道」の役割がより明確になった。東北の道は中国へと続いていたわけだ。だが、最初からこんな風に構成しようと考えていたわけではなく、写真を選んでプリントしているうちに全体の構想が固まってきたのだという。まさに、道を歩きながら考えていくようなこの作品の成立のあり方は、自然体で澱みがないだけではなく、強い説得力を備えていると思う。

2014/07/02(水)(飯沢耕太郎)

林典子『キルギスの誘拐結婚』

発行所:日経ナショナルジオグラフィック社

発行日:2014年06月16日

東日本大震災以降、フォトジャーナリズムの世界にも新しい風が吹きはじめているように思う。スイスの出版社から『RESET─BEYOND FUKUSHIMA 福島の彼方に』(Lars Müller Publishers)を刊行した小原一真、チェルノブイリ、北朝鮮、タイ、チュニジアなどを含む2011年の行動記録を写真文集『2011』(VNC)にまとめた菱田雄介らとともに、林典子もその担い手の一人である。彼らに共通しているのは、海外メディアのネットワークを幅広く活用していく行動力に加えて、ある出来事のクライマックスを短時間で撮影して済ませるのではなく、「その後」を粘り強く、何度も現地を訪れてフォローしていることだろう。そのことによって、一つの解釈におさまることのない、柔らかな広がりを持つ視点が確保されているのではないかと思う。
林はアメリカの大学に留学中の2006年に、西アフリカのガンビアで、地元の新聞社の記者たちの同行取材をしたのをきっかけにして、フリーの写真家への道をめざすようになる。その後、カンボジアでのHIV患者、パキスタンでの顔に硫酸をかけられて大火傷を負った女性たちの撮影・取材を経て、2012年7月から中央アジア、キルギスで「誘拐結婚」の撮影を開始した。友人たちと共謀して、目をつけた女性を無理やり自分の家に連れ込み、結婚を迫るという「誘拐結婚」は、キルギスの伝統的な慣習と思われがちだが、暴力的な要素が強まったのは、旧ソ連の統治時代以降のことだという。
林は、「誘拐結婚」を企てていた男性と偶然遭遇し、そのことによって現場を密着取材することができた。その緊迫した場面をとらえた写真群は、むろん素晴らしい出来栄えだが、むしろさまざまな「誘拐結婚」のさまざま形(幸せに暮らしている老夫婦もいる)を、細やかに紹介することに配慮している。あくまでも女性の視点に立ち、被写体となる人たちとの個人的な関係を起点としていく撮影のやり方は、フォトジャーナリズムの未来と可能性をさし示すものといえる。

2014/07/03(木)(飯沢耕太郎)

《由利本荘市文化交流館カダーレ》

[秋田県]

秋田の《由利本荘文化交流館カダーレ》を訪問した。物産館も備え、新居千秋がワークショップを繰り返しながら設計した《リアスホール》の発展形となるプロジェクトである。《リアスホール》に比べると、平地にあるため、ホールと図書館が、屈曲する街路的な廊下で向きあい、後者の上にシンボリックなお椀=プラネタリウムがのる構成だ。またホールは演目にあわせて、さまざまに変形するだけでなく、前後の空間と連結することができ、建物全体が通り抜け可能となる。また地域の使い手が自主的に制作している建物紹介の映像も興味深い。《カダーレ》は駅前からも見えるシンボル性をもつが、その一方で正面性をなくすような、ぐにゃっとした輪郭をもつ。これは曲がった道路から決まったのかと思いきや、むしろ用途を複合させるべく、建築家サイドからの提案で道の位置を変えたものらしい。




2014/07/03(木)(五十嵐太郎)

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