2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

2014年09月01日号のレビュー/プレビュー

美術の中のかたち 手で見る造形 横山裕一 展 これがそれだがふれてみよ

会期:2014/07/19~2014/11/09

兵庫県立美術館[兵庫県]

手で彫刻作品に触れることができるユニークな企画展。その背景には、視覚障害者にも美術館に来てほしいという思いと、視覚に偏重しがちな美術鑑賞のあり方を問い直そうとの意図がある。本展は毎年開催されているが、今年はネオ漫画で知られる横山裕一を招き、横山自身の作品と、彼が選んだ、ジョアン・ミロ、アルベルト・ジャコメッティ、ジム・ダイン、井田照一、森口宏一、菅井汲の作品が展示された。会場構成は、展示室の壁面を横山の作品が埋め、展示台に置いた彫刻作品を室内に並べるというもの。また、ジム・ダインと横山の作品に共通する扇風機が数台、首を振って風を送っていた。横山の大作が壁面を覆うことで、本展は視覚的にダイナミックな空間づくりに成功したと言えるだろう。一方、横山の作品は平面なので触覚だけでは理解することができない。過去の同展と比べても、今回は触覚の占める割合が低めであり、そこが評価の分かれ目になると思う。

2014/07/19(土)(小吹隆文)

キュンチョメ個展「なにかにつながっている」

会期:2014/07/11~2014/07/23

新宿眼科画廊[東京都]

キュンチョメは新進気鋭のアーティスト。先ごろの岡本太郎現代芸術賞を受賞するなど、「天才ハイスクール!!!!」出身の若いアーティストたちのなかでも突出した活躍ぶりである。今回の個展で、彼らのひとつの達成を見た。
キュンチョメがつねに関心を注いでいるのは、3.11。放射能によって汚染された国土や海、農作物などを素材に、3.11以後のリアリティをこれまで執拗に追究してきた。彼らほど頻繁に、持続的に被災地を訪れ、量はもちろん質の面でも優れた作品を発表しているアーティストはほかにいない。今回発表した新作も、金属探知機を手に海岸沿いを歩きながら地中に埋まった遺失物を掘り起こし、その穴に植物を植えていくというもの。全体的な被害の規模からするとささやかな試みなのかもしれない。けれどもそうせざるをえない、当事者とは異なる何か切迫感や義務感のようなものが感じられる。死者の追悼は、じつは生者の傷を癒やすためにこそあるという逆説を思い起こす。
そう、あの日以来、私たちはすっかり傷ついてしまったのだ。普段はそのことを忘れているが、じつは深く深く傷ついている。そのことを自覚すると、よりいっそう傷が広がる恐れがあるため、あえて忘却の淵に追いやっているのだ。キュンチョメはその傷をえぐり出す。ただし、暴力的にではない。あくまでも詩的にだ。そこにキュンチョメの真骨頂がある。
「もういいかい?」。富士の樹海で何度も呼びかける。同じ音程で、同じリズムで、同じ強さで。それが自ら死を選択した者たちへの言葉であることはわかるにしても、むろん「まあだだよ」や「もういいよ」が返ってくることはない。ただ、この問いかけが連呼されることで、その問答の内実が私たちの脳裏にありありと浮き彫りになるのだ。死を発見してよいのか、あるいはまだ準備が整っていないのか。これは富士の樹海の自殺者に限られた話ではない。私たちは死者たちの魂にそのように呼びかけることで、自らの魂を鎮めているからだ。つまり死者たちに「もういいかい?」と問いかけながら、「まあだだよ」と「もういいよ」と応えるのもまた、自分なのだ。自分の傷は自分で癒やすほかない。
そのような魂をめぐる自問自答をもっとも象徴的に体現した作品が、《僕と鯉のぼり》である。祖母によって祝福され贈答された鯉のぼりは、幼少期のわずか数日間だけ空を泳いだが、その後の引きこもりにより20数年ものあいだ封印された。キュンチョメはそれをスカイスーツに仕立て直し、スカイダイビングを決行。鯉のぼりは久方ぶりに大空を生き生きと舞った。鯉のぼりの中から溢れ出る爆発的な笑顔には感涙せざるをえないが、ここにあるのは自らの傷を鮮やかに反転させるアートの醍醐味にほかならない。本展の全体とからめて言い換えれば、青空を乱舞する鯉のぼりは「もういいかい?」という自分自身への問いかけに対する「もういいよ」という自分なりの明快な答えなのだ。その、ある種の「赦し」に、未来がつながっているのではないか。

2014/07/22(火)(福住廉)

Lucie & Simon: in search of Eternity

会期:2014/07/10~2014/08/02

TEZUKAYAMA GALLERY[大阪府]

今年の「ART OSAKA 2014」(7/11~13)に企画展で参加したルーシー&シモンが、TEZUKA YAMA GALLERYで個展を同時開催。会期後半に観覧することができた。本展の作品《in search of Eternity》は、パリ市内のなかでも移民や貧困層が多く住む地域を自動車でゆっくり走りながら撮影し、スローで再生したもの。音声は宗教音楽にも似た瞑想的な楽曲が全編を通して流れていた。そこに映し出されているのは、多くの日本人が想像するパリとはかけ離れた情景だが、これもまた現在のパリのリアルな姿なのだ。パリでは現在、土地の高騰が問題視されており、移民や貧困層はますます郊外へ追いやられつつあるという。10年後に同じ地域を撮影すると、全く違う風景が広がっているのかもしれない。なお、本展では別室で写真作品も展示されていた。

2014/07/26(土)(小吹隆文)

趙之謙の書画と北魏の書──悲盦没後130年

会期:2014/07/29~2014/09/28

東京国立博物館東洋館8室/台東区立書道博物館[東京都]

今回で12回目を迎える東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画は、19世紀中国・清時代の書家・趙之謙(1829-1884)の没後130年を記念して、その生涯と作品を国内所蔵の書画、篆刻、資料で辿るもの。「北魏書」と呼ばれる新しい表現を確立した趙之謙の書は日本の書壇にも影響を与えたという。書については語る知識がないのだが、書画の注文に追われて他人に代筆を依頼した話は面白い。また日本における受容過程は興味深い。趙之謙の書を日本に伝えた最初の人物は篆刻家・河井荃盧(かわいせんろ、1871-1945)。明治後期からたびたび上海を訪れ、趙之謙の書画を蒐集。その数は100件を超えたという。昭和17年には荃盧の蒐集品を中心に東京美術会館で趙之謙展が開催されている。残念なことに荃盧の蒐集品は昭和20年3月10日の空襲で焼けてしまった。趙之謙の紹介に努めたもうひとりの人物が書家の西川寧(1902-1989)。趙之謙の作品集を手に入れたときには枕元においていたというほどのファン。雑誌『書道』や『書品』に趙之謙に関する論考を数多く掲載しているという。こうした人々の啓蒙で日本には趙之謙の書画の蒐集家、愛好家が多数おり、節目々々に展覧会が開催されている。今回書道博物館を初めて訪れたが、中村不折が蒐集した甲骨文や青銅器が収蔵されている本館(1936年建築)は、一度は見ておきたい建物だ。[新川徳彦]

2014/07/26(土)(SYNK)

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拡張するファッション

会期:2014/06/14~2014/09/23

猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

ファッション・ジャーナリスト、林央子の同名の著書(スペースシャワーネットワーク、2011)をもとにした展覧会が、水戸芸術館現代美術ギャラリーに引き続き開催された。ファッションの展覧会には違いないが、会場で出会うのはマネキンに着せ付けられた歴史的な衣装でもブランドのハイ・ファッションでもない。アーティストたちが表現者や作り手として日頃なにを感じ考えているのか、それらを可視化した作品が展示されている。参加アーティストは、コズミックワンダーの前田征紀やBLESSの小金沢健人、長島有里枝やホンマタカシ、スーザン・チャンチオロや青木陵子をはじめ、ファッションデザイナー、グラフィックデザイナー、写真家、現代美術家らおよそ10名である。展覧会は、「DIYメディア──実験的な制作精神」、「古さ、遅さといった価値観の見直し──服と人との幸福な関係」「新しい想像力との出会い──ファッション=デザインの枠組みの無効化」など、七つのテーマで構成されている。これらのテーマにも、本展が既存のファッションの枠を破ろうとする挑戦的な試みであることが表明されている。
1990年代にみられたファッションと現代美術の二つの領域の接近は、ファッションに自己批判的な視点を与えると同時にファッションを難解で近寄りがたいものにした。2000年代に入って台頭著しいSPAファッションの陰にすっかり息を潜めていたかに見えたこの動きは、ここにきて少々意外な方向へと発展していたようである。その傾向を一括することはできないが、本展での印象をひとことで言えば「繊細で内向的」といったところだろうか。例えば、横尾香央留の《お直し──karstula》は、作家がフィンランドの小さな街に滞在し、現地の人々から募った衣服に持ち主から感じた印象や彼らの話をもとにお直しを施した作品である。また、FORM ON WORDSの《ファッションの図書館[丸亀]》は、収集した古着にそれぞれにまつわるエピソードを文字にして転写した作品である。いずれも、衣服を着るという経験を介して個人の内面を掘り下げることによって成立した作品である。そして、衣服に加えられた作家の手は、その経験がいかに些細なものであっても大切に壊れもののように扱っている。
鑑賞者は、服を着るという日常的な行為をあらためて考えさせられる。とはいえ、これといった答えは見つからなくとも、その営みは日々坦々と続いていくのである。[平光睦子]

2014/07/27(日)(SYNK)

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2014年09月01日号の
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