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2014年11月15日号のレビュー/プレビュー

横浜市民ギャラリー クロニクル 1964-2014

会期:2014/10/10~2014/10/29

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

関内駅前にあった横浜市民ギャラリーが野毛山に移転、その再オープンを記念する展示。市民ギャラリーが桜木町駅前にオープンしたのはちょうど50年前、東京オリンピックの開かれた年で、市長は飛鳥田一雄だった(といっても知らない人が多いだろうなあ)。飛鳥田は現代美術館構想を抱いていたらしいが、とりあえず市民ギャラリーを開設し、74年には関内駅前に移転。展覧会の大半はレンタルだったが、毎年ひとりの美術評論家がキュレーターを務めるアニュアル展「今日の作家展」を中心に、80年代までは首都圏の現代美術の拠点のひとつに数えられていた。でも横浜美術館ができてからは(バブル崩壊もあって)明らかに失速したけどね。展示は、横浜港やベイブリッジ、港の見える丘公園など横浜ゆかりの地を描いた風景画や漫画、草間彌生、斎藤義重、高松次郎ら「今日の作家展」出品作家の版画など(菅木志雄のみインスタレーション)。なぜか1点だけ岡本太郎の油絵もあって、所在なげだ。ま、作品を見てもらうというより、新しいスペースのお披露目ですな。今回移転した場所を地図で調べると「横浜市職員会館」となっている。これをギャラリーに改装したのね。どうりで天井が低いわけだ。桜木町駅や日ノ出町駅から徒歩10分程度だが、坂の上にあるので年寄りには大変じゃわい。

2014/10/21(火)(村田真)

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ヨコハマトリエンナーレ2014「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」

会期:2014/08/01~2014/11/03

横浜美術館、新港ピアほか[神奈川県]

ヨコハマトリエンナーレでの2度目の横浜美術館入り。今回は、これを聴くべきと噂になっていた、ディレクターの森村泰昌さん自身による音声ガイドに導かれながら鑑賞する。改めて本当に好きな作品を集めたのだとよくわかる。やはり、テーマと深く関わる第3話の『華氏451』の部屋が、一番作品の解説が多く、とても力が入っている。これまで、ゆっくりまわれなかった作品を見ておく。美術館では最後となる第6話の部屋が、もっとも森村個人の趣味を感じる。なお、映像系の作品は時間がかかり、何度かに分けてみるしかないので、あいちトリエンナーレのように、何度も入れるパスがあるとありがたい。


マイケル・ランディ《アート・ビン》2010/2014


第3話 左:ドラ・ガルシア《華氏451度 (1957)》2002 右:《Moe Nai Ko To Ba》2014


2014/10/22(水)(五十嵐太郎)

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中村屋サロン──ここで生まれた、ここから生まれた

会期:2014/10/29~2015/02/15

中村屋サロン美術館[東京都]

新宿中村屋といえば、中村彝の作品があるので学生時代から2、3回来たことがある。でも貧乏学生にはサロンの雰囲気がなじめず、作品だけ見てそそくさと帰ったなあ。その中村屋本店がビルを建て替え、3階に美術館を開設。開館記念展としておよそ1世紀前に中村屋に集った美術家たちの作品を展示している。出品は、中村屋サロンのきっかけとなった荻原守衛の《坑夫》《女》をはじめ、高村光太郎の《手》や《自画像》、中村彝の《小女》、鶴田吾郎の《盲目のエロシェンコ》、中原悌二郎の《若きカフカス人》、会津八一の書まで、彫刻と油彩が中心。なにか日本の近代美術の青春時代を見るような懐かしさと、なぜか気恥ずかしさも感じる。

2014/10/22(水)(村田真)

公益社団法人日本建築家協会東北支部・秋田地域会主催 住宅再考 III 「現代の住宅を語る」

会期:2014/10/24

秋田市にぎわい交流館AU 4階第1、2研修室[秋田県]

秋田のにぎわい交流館AUにおいて、「現代の住宅を語る」シンポジウムを行なう。過去7回のJIA東北住宅大賞の歴代受賞者と、審査を担当してきた古谷誠章、中村光恵、五十嵐らがトークに参加し、東北らしさをめぐって議論した。福島県を拠点とする2組の建築家が、311以降の心構えを語っていたのが印象的である。もちろん、現時点において派手にできることは多くない。東京、あるいはメディアの中心からは、地元建築家の活動がほとんど見えていないように感じることが気になってしまう。

2014/10/24(金)(五十嵐太郎)

尾形一郎/尾形優『私たちの「東京の家」』

発行所:羽鳥書店

発行日:2014年9月30日

尾形一郎と尾形優の「東京の家」には二度ほどお邪魔したことがある。建築家であり写真家でもある彼らが、日本だけでなくグァテマラ、メキシコ、ナミビア、中国、ギリシャなどを訪れ、そこで見出したさまざまな建築物からインスピレーションを受け、東京の住宅地に過激な折衷主義としかいいようのない不可思議な家を建てはじめた。しかも、この家は少しずつ変容していく。最初はメキシコの教会の「ウルトラ・バロック」的な装飾が基調だったのだが、ダイヤモンドの採掘のためにドイツからナミビアに移住した住人たちの砂に埋もれかけた家にならって、室内にはグレーのペイントで覆われた領域が拡大しつつある。それは、彼らの脳内の眺めをそのまま投影し、具現化したような、まさに実験的としかいいようのないスペースなのだ。
今回、羽鳥書店から刊行された『私たちの「東京の家」』は、その二人の思考と実践のプロセスを丁寧に辿った写真/テキスト本である。読み進めていくうちに、なぜ彼らが東京にこのような「時間と空間すべてがたたみ込まれた」家を建てて、暮らしはじめたのかが少しずつ見えてくる。尾形一郎は、あらゆる視覚的な要素が同時に目に飛び込んでくるので、文字を順序立てて読んだり、文章を綴ったりすることがむずかしい、ディスレクシアと呼ばれる症状を抱えていた。「順番と遠近感を必要としない」写真は、彼にとって必然的な表現メディアであり、その視覚的世界をパートナーの尾形優の力を借りて現実化したのが「東京の家」なのである。「生活の隅々まで同時処理的な場面が増えてくると、逆に、社会環境がディスレクシア脳に近い構造になってきているのかもしれない」という彼らの指摘はとても興味深い。まさに東京の現在と未来とを表象し、予感させる、ヴィヴィッドな著作といえるだろう。

2014/10/25(土)(飯沢耕太郎)

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