artscapeレビュー

2015年01月15日号のレビュー/プレビュー

タイルが伝える物語──図像の謎解き

会期:2014/12/04~2015/02/21

LIXILギャラリー[東京都]

INAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」が所蔵するタイルのなかから、三つの地域でつくられた物語を描いたタイルを紹介する展覧会。ひとつは西洋。19世紀には主に聖書の物語をモチーフとしたタイルが多くつくられたという。展覧会広報物にも取り上げられている「ハガルの追放」は旧約聖書・創世記21章の物語でたびたびタイル画になり、またベルリン王立磁器製作所ではオランダの画家アドリアン・ファン・デル・ヴェルフの絵画作品を原画に陶板画を制作している。イソップ物語を描いたタイルも人気だったようだ。これらのタイルは人々が集う暖炉の周囲を飾り、陶板画は絵画の代わりに飾られたと思われる。二つめは中国。10世紀から13世紀に建物の基壇、階段、床、墓室などに使用された (セン)と呼ばれる方形の煉瓦タイル(図柄はレリーフになっている)、15世紀の染付陶板、17~20世紀につくられた赤絵の陶板が紹介されている。また漢代の画像石をバーナード・リーチが写したタイルも。三つめはイスラム。偶像崇拝が禁じられてきたイスラムにこのような絵物語が描かれたタイルが存在することが不思議に思われる。しかし、ペルシャは比較的戒律がゆるやかで、神話・英雄伝説の登場人物たちが描かれたタイルが宮殿の壁面を飾ったと考えられているという。壁面や暖炉の周りを飾ったタイルは、建材としての機能を持っていたばかりではなく、装飾品であり、かつ神話や聖書の物語や教訓を伝えるメディアでもあったことを教えてくれる。[新川徳彦]

2014/12/03(水)(SYNK)

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闇の光 吉村朗の軌跡

会期:2014/12/02~2015/12/07

Gallery LE D CO 3F[東京都]

2012年に亡くなった吉村朗の遺作集『Akira Yoshimura Works─吉村朗写真集』(大隅書店)の刊行にあわせて、東京・渋谷のGallery LE D COで作品展が開催された。吉村の部屋に残されたダンボール箱には500~600枚のプリントが残されていたという、それらは「分水嶺」、「闇の呼ぶ声」といったシリーズごとに袋に入れて分類され、他に「Akira YOSHIMURA」と記されたCDがあり、そのプリントは川崎市市民ミュージアムの深川雅文が保管していた。今回の写真展はその中から写真家の湊雅博、山崎弘義、大隅書店の大隅直人らによる「吉村朗写真展実行委員会」が78点を選んで構成したものである。
吉村のプリントは、特に後期になるに従って、白黒のコントラストや独特の手触り感を強調したものになっていく。カラープリントはスキャニングしてプリンターで出力しているが、そこにもかなり手を加えている。彼にとって、自分自身の感情や記憶でバイアスをかけたフィルターを通過させることで、現実世界を変容していくことは、作品作りの上で不可欠のプロセスだったのだろう。そこに解釈や意味付けにおさまりきれない、微妙なノイズが生じてくるわけで、それを味わうのはやはり展示されたプリントに直接向き合うしかない。吉村の写真家としての軌跡を丁寧にフォローする写真集とあわせて、今回の展覧会で、彼の作品をあらためて検証していくための道筋が定められたのではないだろうか。個の記憶と日本の近代史を交錯させようとする吉村の果敢な「実験」が、さらに大きな波紋を呼び起こしていくことを期待したい。

2014/12/04(木)(飯沢耕太郎)

丸山純子 展 漂泊界

会期:2014/09/20~2014/12/21

発電所美術館[富山県]

丸山純子は、スーパーのビニール袋で花畑をつくったり廃油からつくった粉石鹸で床に絵を描いたり、日用品をアートに転用することを得意とするアーティストである。今回の展覧会は、大正15年に建設された水力発電所を改装した美術館で、主に粉石鹸による絵画作品を発表した。
会場の広い床一面に、白い粉石鹸で植物の有機的なイメージが描かれている。会場に残された巨大なタービンや大きく口を開けた導水管の力強い存在感とは対照的に、描かれたイメージはきわめて儚い。粉石鹸というメディウムも、とくに定着を施しているわけではないので、ふとした瞬間に雲散霧消してしまいかねないほどだ。高い天井に恵まれた空間の容量が、イメージの儚さをよりいっそう際立てている。
この脆さや儚さは、ややもすると造形上の弱点のように見えかねない。空間と正面から対峙し、それに打ち勝つ志向性を心がけるアーティストであれば、あるいはそうなのかもしれない。だが丸山が目指しているのは、空間に垂直的に屹立する造形ではなく、おそらく空間に水平的に浸潤する造形である。もちろん、それは絵画的な平面に拘泥するという意味では、まったくない。
床一面に描かれた作品とは別に、粉石鹸を正立方体に固めた作品があった。天井から滴り落ちる水滴によって塊にいくつもの亀裂が走り、部分的に崩落していたから、来場者の視線は必然的に重力を意識することになる。かたちは、水と重力によって、かたちを失い、やがて水平にならされていく。丸山が見ようとしているのは、その水平面にかたちが浸透していく、まさにその造形のありようではなかったか。床一面に描かれた植物のイメージは、だから三次元の主題を二次元に置き換えて表現したというより、むしろ植物が土に還ってゆく、その過程の痕跡なのだ。
かたちを立ち上げる美術だけではなく、かたちが失われていく道程を見せる美術もある。丸山純子の作品に見られる儚さには、生物を成仏させる敬いが隠されているのかもしれない。

2014/12/05(金)(福住廉)

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辻田美穂子「カーチャへの旅」/藤倉翼「ネオンサイン」

会期:2014/12/05~2015/12/10

AMS写真館[京都府]

2014年8月に第30回東川町国際写真フェスティバルの一環として開催された赤レンガ公開ポートフォリオオーディションの準グランプリ受賞者、辻田美穂子と藤倉翼の展覧会が、京都・二条のAMS写真館で開催された(グランプリ受賞者のエレナ・トゥタッチコワ「林檎が木から落ちるとき、音が生まれる」は既に2014年10月~11月に東京・東銀座のArt Gallery M84で開催)。多彩な傾向の作品が応募されるポートフォリオオーディションの受賞者にふさわしく、まったく対照的な展示になったが、それぞれ受賞時よりもレベルアップした、質の高い作品を見ることができた。
1988年、大阪生まれの辻田は、祖母が第二次世界大戦前から戦後にかけて暮らしていた南樺太の恵須取(エストル)を2010年から6回にわたって訪れ、その記憶をたどり直そうとした。「カーチャ」というのは病院に勤めていた祖母が、ロシア人たちから呼ばれていた名前だという。最初は祖母と一緒に、墓参団の一員として樺太に渡ったのだが、その後は現地に知り合いもでき、一人で行くようになった。そのことで「カーチャへの旅」から「自分にとっての旅」へと、旅のあり方が変わってきた。そのことは作品にも反映されていて、物語的な要素の強かった写真の選択・構成が、1枚1枚のイメージの強さを強調する方向に傾きつつある。まだ着地点がどうなるかは見えていないが、従来のドキュメンタリーの枠にはおさまりきれない作品として成長しつつあるように思える。
一方、1977年、北海道北広島市出身(札幌在住)の藤倉の作品は、札幌、東京、大阪、神戸などの「昭和の匂いがする」ネオンサインを、正面から写しとり、背景をカットして浮かび上がらせたシリーズである。ネオン職人の工芸品を思わせる技巧の冴えとともに、ネオンサインそのものの光のオブジェとしての魅力に、強く魅せられているのだという。今回はあえて和紙にプリントすることで、記号として見過ごされがちなネオンサインの繊細な美しさを強調している。撮影したものの中に、既に撤去されてしまったものも数多くあるということなので、他の都市にも足を運び「日本のネオンサイン」の様式美を、ぜひ集大成して完成させてほしいものだ。

2014/12/05(金)(飯沢耕太郎)

紙の月

2014/11/15(土)公開

前作の「桐島部活やめるってよ」と同様、ありきたりな物語なのだが、登場人物の関係性や表情をていねいに、かつ映画的な瞬間を織り交ぜて描写することで、これだけ面白くできるのは、やはり吉田大八監督の手腕だろう。加えて、宮沢りえ、小林聡美、大島優子らの役者陣が、実在感ある素晴らしい演技だった。そしてラストで突発的に発動するカタルシスも、「桐島」を彷彿させる爽快感である。

2014/12/05(金)(五十嵐太郎)

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