artscapeレビュー

2015年01月15日号のレビュー/プレビュー

スペイン国立ダンスカンパニー

会期:2014/12/05~2015/12/06

KATT 神奈川芸術劇場[神奈川県]

キリアンの「堕ちた天使」、フォーサイスの「ヘルマン・シュメルマン」を見たくて足を運んだのだが、さすがの身体能力でどの作品も演じており、感心させられた。そして最後の「マイナス16」が圧倒的に楽しい。幕間の余興?と思わせるゆるい雰囲気から始まり、緊張感ある反復運動のシーンを経て、フィナーレでは観客を舞台に上げ、会場が一体となった大盛り上がりだった。

2014/12/05(金)(五十嵐太郎)

デュ社(向雲太郎主宰)『ふたつの太陽』

会期:2014/12/05~2014/12/07

吉祥寺シアター[東京都]

大駱駝艦で永らく活躍していた向雲太郎が2012年に脱退し、あらたにグループを結成した。本作はその「デュ社」の旗揚げ公演である。向の祖父が広島で原爆に遭遇した事実を背景に、上演の90分、舞台は1945年8月6日8時15分の広島にひたすらとどまった。黒い床には白い円が描かれ、黒い空間に白い大きな布が垂れ下がっている。タイトルにある「太陽」がそこにあった。向扮する戯画的なマッド・サイエンティストがげらげらと笑いながら怪しげな物体を扱う。爆弾のようなコーラのボトル。酩酊しているように足取りが怪しい。そんな風にして、人間の科学的な進歩の危うさが象徴的に示される。4人の若い男女が現われる。それと1人の中年男性。彼は恐らく、向の祖父だ。祖父は何気ない日常のなかで、その日を迎えた。床の「太陽」の縁に沿って、顔に時計を付けた男がゆっくりと歩く。時計は「8時15分」で止まったままだ。舞台上の人々はゆっくりとその時に向かっていく。そして、その時が来る。そこでの惨状がしかし、比較的静かに描かれる。向はここでは大駱駝艦で培った舞踏の技術的な部分をまったく用いない。舞踏とはいえある種の様式的な美しさを帯びている大駱駝艦とは異なり、ここでのダンスはあいまいでとりとめがない。大駱駝艦であれば「人間とは何か」といった問いが普遍的で抽象的な仕方で高まっていくところだが、向はあくまでも歴史的なあの日あのときにとどまる。そのためには、きっとこの踊りでなければなければならなかったのだ。踊りは、人間への絶望、不満、不信を語る。こんなにいらだっている舞台もないものだと思う。ひとつのピークは、川口隆夫が全裸であらわれた直後、若い4人もまた白い衣服を脱ぎだすと、全員全裸で踊り始めたあたりであったろう。現代人はもっと肉体を肉眼視しなくてはいけないのではないかと最近の川口はよく述べているけれども、そうした思いが向へと伝播したかのような場面だった。裸の男女がゆっくりと絡まりながら床を這いつくばる。まるで丸木位里・俊の絵画《原爆の図》のようだと思いながら、悲惨さと裸体がもつ脆弱さを帯びた美しさに圧倒させられた。本作の真摯な重さは、今日の日本におけるダンス表現としては異例である。ダンスにおける歴史主義とでもいうべきか。そこに簡単に既存の様式性をあてがわないのは勇気がいっただろうが正しい選択だったろう。ダンスが社会にひらかれるということは、それが真摯な思いであればそれだけ、ダンスがそれまでのダンスではいられなくなるということを含むはずだ。ゆえの不安定なあいまいなさまは、ダンスが更新されるのに必要な状態と見るべきだろう。

2014/12/05(金)(木村覚)

KIYOMEプロジェクト 報告会・トークイベント

会期:2014/12/05

木材会館[東京都]

この秋、なぜかお風呂の審査員をやった。といっても別に裸の女性が出てくるわけではなく(当たり前だ)、檜を使った浴槽を製造・販売する檜創建という会社が主催する浴槽のデザインコンペ。風呂はただ身体の汚れを落とす場というだけでなく、心を清(浄)める時空間でもあるとの考えから「KIYOMEプロジェクト」と名づけられた。今日はその審査の報告とトークイベント。コンペは彫刻家、建築家、インスタレーション作家が提案した三者三様のプランを、哲学者の鎌田東二、彫刻家の三宅一樹、ギャラリーエークワッド館長の川北英、檜創建代表取締役社長の小栗幹大が審査、彫刻家の木戸龍介による卵形の浴槽プランが選ばれた。扉がついたカプセル型の浴槽で、表面に神経細胞のような網の目状の透かし彫りを入れる予定。難易度は高いが、檜創建と共同制作していくという。実現したらぜひ入りたいものだ。この日は木戸氏と審査員全員が登壇し、審査の感想や日本の風呂の独自性などについて話し合った。お風呂も文化だということがつくづくわかった。

2014/12/05(金)(村田真)

ホイッスラー展

会期:2014/12/06~2015/03/01

横浜美術館[神奈川県]

ホイッスラーというと、日本ではジャポニスムの画家として知られるが、パリで美術を学び、ロンドンに移住してからも英仏海峡を頻繁に往復しているため、当時の英仏美術の最先端だったレアリスム、唯美主義、印象派などの影響も見られる。これだけ広範に活躍し、技量も確かなうえ、スキャンダルにもこと欠かないというのに、同世代のマネやドガより知名度が低いのは、パリではなくロンドンに住んでいたからか? でもこれ以上ポピュラーになってほしくないというのもファンの心理だ。まあここまで大きな回顧展が開かれたら無理だろうね。

2014/12/05(金)(村田真)

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HAKKA

会期:2014/12/04~2014/12/09

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

なにも知らずに入った。絵も数点あるが、大半が写真の展示。聞いたことある名前は鷹野隆大と蔵真墨くらいで、あとは30歳前後の人たちが多い。どういうグループか知らないが、レベルは一定以上だ。たまたまその場にいた山岸剛の作品について述べると、暗い画面を上下に二分する白い水平線の入った写真と、上下に2、3段の層をなす白っぽい写真の2点を並べている。黒っぽい画面のほうは右上に薄明の空、左下に植物らしきものが写っているので風景写真とわかるが、中央の水平線が不明。2枚の風景を上下に合わせたようにも見えるが、そうでもないようだ。一方、白っぽい写真のほうは雪景色とわかるが、川と雪の積もった岸との境があまりにくっきり分かれていて、これも2枚の風景の組み合わせかと思えてくる。作者によれば、どちらもストレート写真で、前者の白い水平線は夜ヘッドライトをつけて走る車を長時間露光で撮ったため、白い軌跡になったそうだ。2点とも石巻市を流れる北上川下流をほぼ同じ位置から撮ったものだという。さて、ここで引っかかったのは、なんで震災とも津波とも関係のない主題を撮るためにわざわざ石巻まで行ったかということ。つい最近まで、被災地を作品に採り込めば社会的に認められると勘違いしている人が多いんじゃないかと疑っていたからだが、しかし、たとえ場所探しのためだけでも被災地を訪れるのはけっして無駄なことではない、とも思い始めた。

2014/12/05(金)(村田真)

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